『夢遥か』参ノ章 天読み⑤
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「非常時である。子供といえど、刀を帯びて現れたとあらば曲者と見做すぞ」
兵部さんは、腰の刀に指先を這わせたままこちらを睥睨して言った。
甲板に引き上げられるや否や、たちまち僕たちは駿河の侍たちに取り囲まれた。皆今にも刀を抜きそうな様相で、殺気がぴりぴりと肌を刺すのが分かる。彼らの目は一様に、僕と弥四郎の佩いた刀に向けられていた。
「返答如何によっては、この場で成敗してくれる」
兵部さんの言葉には容赦がない。が、その口調は敵に警告を促すというより、子供を脅かすようなものに僕には感じられた。
その時、不意にお胡尹が一歩前に進み出た。
「控えよ! ここにいらっしゃるお方の正体を知っての狼藉か!」
──えっ?
僕は、いきなり何を言い出すのだ、と戸惑う。俊輔と弥四郎も、きょとんとして彼女を見つめている。
お胡尹は、両手で俊輔を示しながら続けた。
「このお方は周防俊輔殿、天照道総本社所属の呪者にして天照寮の呪祷官、天照のお言葉を口寄せなさる神子様なるぞ!」
「神子様?」
兵部さんの目が狐の如く細められる。実際には俊輔の離反は昨年の神呼ばいの儀から間もなくだったので、この「夢遥かの世界」の時が僕や沙夜の居た村で天孫降臨祭が行われる時期に近いとすると既に彼が神子ではないのはこの世界でも同じという事になる。しかし、神子の姓名は原則として公表はされず、交替する事があっても大々的に全国に報されたりはしない。僕も俊輔から直接聞かされるまで、先代の神子である彼が天照寮を去っていたという事を知らなかった。
果たして兵部さんも、即座にお胡尹の言葉を「嘘だ」と斬り捨てようとはしなかった。代わりに周囲の侍たちの間で戸惑いの囁きが交わされる。
「神子様が何故、我々の争うこの海域を漂泊されていたのか?」
まだ警戒の抜けぬ声色で兵部さんが問い詰めてくる。
お胡尹はぴくりと眉を動かしてから
「神子様」
俊輔に丸投げした。僕たちの肌や髪が浴びた海水は強い夏の光線でとうに乾いていたが、彼女の顳顬だけは冷や汗をかいたのか濡れたままだった。咄嗟の判断で始めた芝居ながら、相当気を張ったらしい。
俊輔こそ急な事に困り果てただろうが、彼はそれを噫にも出さなかった。
一歩進み出ると、覚悟を決めたように開口する。
「先日、東国にて朝廷に仇成す者が戦の種を蒔いているとの神託が下された。天照寮による詮議の末、この戦こそがそうであるとの結論に達した為、こうして直接神子である私が出向いたという次第である」
「嘘を申すな」
兵部さんは、今度ははっきりと「嘘」と言った。
「元を糺せばこの戦は、遠江周智の社に下った神託に基づくもの。橘家は神託に基づいてこの入り海の利権を得るべく出師し、また我々榛名家に応援を要請するという手順を踏まれたのだ。榛名に仕える呪者、宇角巍城殿もまた、橘からのその要請が通達される故受けよという神託を受け取られた。その上で天照御自らが、この戦いを悪心の結果だと宸意をお示しになられるものか」
「………?」
俊輔の肩が、ぴくりと動いたのを僕は見て取った。
恐らく彼は疑問を感じているに違いない。それは僕も同様だった。
──伊勢ノ湾の役が、神託によって引き起こされたものだった? 弥四郎が説明した事で、この戦の結果がどうなったのかについては分かる。駿河・遠江連合の勝利で幕を閉じたのだ。
もしも兵部さんの言葉が真実なのであれば、何処までが天照道によって仕組まれていた事なのだろう? 駿河・遠江の戦勝までがそうであったのならば、彼らに伊勢ノ湾を得させる事に、天照道にとって何の利点があったのだろうか。
「神子様は今し方『東国』と仰ったが」
兵部さんは「神子様」という部分を、さもわざとらしく発音した。
「この戦に関わっているのは我々駿河に同盟中の遠江、敵対する伊勢と傘下の志摩の四国だ。このうち、敵対勢力は近畿、西国といっても良い場所にある。つまり神子様は悪心を抱く者が駿河及び遠江に存在するとお考えという訳だ。まあ火蓋を切って落としたのは確かにこちら側であるのでな。だがそれでは、こちらの二国に下された神託はどうなる? 或いはこちら側の呪者が天照の御名を騙り、示し合わせて偽りの宣告をしたとでも仰るおつもりか?」
「その辺りになさっては如何ですか、兵部?」
不意に、侍たちの囲いの向こうから女性の声が響いた。
否、その声は柔らかいながら、一度発されれば場に居る者たちを傾聴させずにはいない威厳があった。兵部さんは弾かれたように背筋を伸ばし、声が発された方を振り返る。彼の体が除けられたので、僕たちにも相手の姿が見えるようになった。
山吹色の小袖の上に、僕自身は実物を初めて見る打掛──淡花色──を羽織った女性。髪は垂髪にし、何処か神職の女性を彷彿とさせる。貴人の風格があるのは確かなのだが、小袖は襟元を大きく寛げ、肩を下げており、こちらは実物を見た事はないが花魁のようにも見えた。
「姫様、船揺れは悪酔を催されます。船中にお戻り下さいますよう」
「そう追い払わないで下さいな、兵部。私、船が大好きなんですもの」
女性はふわりと──この擬態が最適だった──微笑み、小首を傾げた。
「あまり客人の方々を苛めるものでなくってよ。お話を伺う限り、そちらの可愛らしい神子様とお付きの方々は遠路遥々私に会いにいらして下すったそうではありませんか。まあ、何と光栄なのでしょう!」
「………」
侍たちと同様、僕たちもお互いに顔を見合わせた。
彼女が、榛名の当主である琴姫なのだろうか。何と言うか──想像していたのと異なる人物だ。
兵部さんが彼女に囲われているという噂があった、という報せを思い出し、僕はなるほどと思った。彼女もまた兵部さんに負けず劣らずの美貌を有している。登場時こそ声の調子に威厳を感じたが、言葉を重ねれば重ねる程、あどけない女童のような印象が色濃くなっていく。
天読みの呪縛を解放した強力な呪者にして、旅が始まって初めて対面する一国一城の主。権威を演じるべき統治者としては十分すぎる程の神々しさをその身に纏っていながら、僕はその人柄に妙な──俄かには表白し難い”違和感”のようなものを覚えた。
あたかも──目の前に居る彼女が、本当は彼女ではないかのような。
周囲から何寸かだけ、彼女が浮かんでいるような。
「苛めている訳ではございませぬ、姫様」
兵部さんは、やや極まり悪そうに言った。
「この兵部、あなた様の御身に万が一の事があればと憂えればこそ、あなた様に近づく不穏な輩を排除致すのが──」
「ええ、分かっていますとも。ありがとう、兵部」
琴姫様は再び微笑んで兵部さんの弁明を遮ると、僕たちの方を向いた。
「あなた方が天照寮からいらっしゃったと仰るのならば、お話を伺うのは私の務めですわ。『占縁の宮』として」
「姫様っ」
「兵部、あなたも意地悪ね。神託を信じていらっしゃる神子様に対して、素知らぬ顔で巍城の受けたものの事を言うんですもの。まあ私とて、事実は確認せねばなりませんわ。彼らが本当に天照道の関係者なのか、そしてそうだった場合、彼らはどちら側の天照道関係者なのか」
琴姫様が、何やら気掛かりな事を口にした。俊輔はこれ以上下手な事を喋ると馬脚を露す事になると思ったのか、依然として口を噤み続けている。
「そう先を急ぐ事もないでしょう。先程兵部の言った通り、私たちはこれから北を通って志摩に上陸します。それからゆっくり、お茶を飲みながらでもお話を伺うとしましょう。見たところ野侍や堕ち武者の類にも見えませんし、こうして見つかっている以上逃げ場のない船内で私を襲うとも思えない。つまり、まだ味方認定も出来ませんが敵認定も出来ないでしょう。
船内にいらっしゃって下さいな、お若い方々。軍艦ではありますけれども、駿河の大船での船旅はなかなか乙なものであってよ」
琴姫様は何やら意味ありげに兵部さんに目配せすると、軽く手招きをして僕たちを船内に誘った。




