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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』参ノ章 天読み③

  ③ 日向鶴来


 目を開けると、また天井があった。これも見知らぬものだ──何処かの国の宿場だろうか。

 時間帯は夜のようだった。壁際に並んだ無数の燭台が部屋を薄明るくし、開放された障子の向こうに見える空も濃紺を湛えている。

「あ、起きたー!」

 いつかも聞いたお胡尹の声が聞こえた。身を起こした僕は、そこが十畳程の座敷である事を知る。宿場の個室にしては、かなり広い。

「やっ、久しぶり……って、それはお前の台詞か」

 俊輔が、布団の脇に膝行(いざ)り寄って来る。

「お前の体は、ちゃんと運んでおいたぜ」

「ありがとう……ここは?」

「駿河国だ。庵原(いはら)市庭(いち)、領主榛名(ハルナ)家の御城だよ」

「榛名? 駿河の霊能者って、榛名家の御家門だったの?」

 僕は面食らって早口で尋ねてしまった。

 駿河国領主・榛名家。日出でも有数の大領主で、武家ならばその家名を知らぬ者はなく、国外、地方の町人や百姓たちですら知っている者は居る。臨海の国であるが故に海路に通じ、乱世の頃は軍艦を用い、陸奥(みちのく)や鎮西にまで大規模な遠征を行っていたという。

 僕が「夢遥かの世界」に居る間寝かされていた座敷は城の上層にあるようで、開け放たれた襖の外、(わたどの)の手摺りの向こうには実際にその海岸が見えた。遠州灘の、俗に「からっ風」と呼ばれる季節風により海運の難所とされる水域を独擅(どくせん)とする軍艦が規則正しく並んでいる。何らかの祝い事でもあったのか、満艦飾の色彩が城下町の夜光に鮮やかだった。

「いや、彼は雇われの身で……説明が煩雑になるな。まあいい、夢惣備を始める時に詳しく話すよ」

 俊輔は言うと、僕の顔を覗き込んできた。

「それよりまずはお前の事だ。どうだったんだ、沙夜は?」

「ああ──」

 僕は、彼らに話さねばならない事を思い出して項垂(うなだ)れる。

「沙夜は居なかったよ。峠道も、あの山の中の隠れ家も……村も探したけど、見つけられなかった。だけど村じゃ、本物の自分が夢の産物である僕と出会わないように気を付けて行動が制限されたから」

「ああ、それはない」

 俊輔にあっさりと言われ、僕はきょとんとしてしまった。

「ないの?」

「お前の探索したのは、千与殿の主観を通した世界から地続きの場所だ。そこは彼女にとって(うつつ)と受け止められる世界でなければならない。他の囚われた霊能者や俺たちみたいに法を使って潜行する呪者も居るからな、そこで齟齬が起こらないよう、入り込んだ魂の元の人物は夢の産物としては作り出されない。『夢遥か』独自の(ことわり)というか、辻褄合わせだな」

「そうなんだ……それじゃあ、もっとちゃんと探せば良かったのかな」

 僕が肩を落とすと、俊輔はまたしても「いや」と首を振った。

「彼女が『夢遥かの世界』に囚われた場所の近辺をざっと探して見つからなかったのなら、多分彼女は和泉には居ないんだろう。大事なのは主観の人物にとってどう見えるかで、最終的に心渡りで接触する沙夜の魂は彼女自身が主観で見ている地点にある訳だからな。俺たちの夢惣備の事はあの世界の偽神も掴んでいる、まあ奴もせっかく得た形身をむざむざ奪還される訳にも行かないから、こういう俺たちに利用されるであろう法則上の欠陥は見つけ次第繕っているんだろうな」

 説明を終えてから、彼も僕と同じように肩を落とした。

「そうか……沙夜、居なかったか。残念だった」

「気にしないで、俊輔。僕はこれしきで諦めたりはしない」

 一人での冒険が徒労に終わった事は僕も悔しいが、最初にこれを提案した俊輔が自分を責めるのは避けたかった。

「それにいずれにせよ、他の人たちの夢惣備も僕はやるつもりだよ」

 無論、これは本心だった。先の千与さんの経験から、彼女と同じような体験をした皆を助けたいという思いは僕の中で新たなものになっていた。

 俊輔は「ありがとう」と言い、弥四郎を手招いた。

「俺たちはここまでの道中で随分回復したけど、鶴来は今さっき『夢遥かの世界』から帰ったばかりだ。気は大分消耗しているだろう」

 まだ休んでいた方がいいんじゃないか、と問われ、僕は首を振った。

「いや、僕は大丈夫だよ。それより、一刻も早く次の夢惣備をしたい。俊輔の提案してくれた手が使えなくなった以上、敵との直接対決がいちばん可能性の高い未来になってしまった……だけど、それは最後だ。時間がないのは、沙夜以前に『夢遥かの世界』と接触した人たちなんだから」

「分かった。けど、これはこの先の為にも言っておくぞ。……もしも俺の判断で、お前の精神への負荷が大きすぎるという局面に至ったら直ちに夢惣備を中止し、回復に専念して貰うからな」

 念を押すように言う俊輔だったが、僕には彼の方が疲れているように見えた。千与さんの時も、急に限界を訴え一時的に離脱した彼だ、僕よりも長期間夢惣備を行い続けた彼こそ慢性的に蓄積した精神への負荷が著しくて、それは数日間(うつつ)で過ごして解消されるようなものではないのかもしれない。

 けれど、それでも──そうして僕から見て無理をしているのだという事が分かってしまっても、暗黙のうちにこちらがそれを指摘する事が許されないような気にさせてしまう彼の事を、僕は少しだけずるいと思った。

 僕は黙って肯き、もう「大丈夫」とは繰り返さなかった。

 俊輔は体を横にどけると、座敷の奥を手で示した。

「俺たちが夢惣備を行う二人目の霊能者、勝呂(スグロ)兵部(ヒョウブ)殿だ。榛名の現当主である(コト)姫様の側近で、御家人(ごけにん)ではあるのだが、勝呂という家は幾ら探しても武鑑には見つからない。偽名ではないかという噂もあるが、ならば本名は何なのだと問うと誰もそれを知らないという」

 僕の床が敷かれている場所から、布団三枚分も隔てられていない位置に臥している者の姿を認め、僕は思わず声を上げかけた。

 千与さんの時と同じように、純白の死装束を着せられて仰向けになっている霊能者は、若い男だった。とはいっても元服しているのであろう事は一目で察しがつく。恐らく、俊輔よりも幾つか歳上なのだろう。

 僕が声を出しそうになったのは、仲間たちしか居ないと思っていた部屋にもう一人人物が居た、というだけの理由ではなかった。その青年があまりに──美しい容貌(かおだち)をしていたからだ。

 武家の多くの者がするように月代(さかやき)を剃ってはおらず、やや長めの髪がうねりながら小ぶりな卵型の頭部の輪郭を(ふち)取っている。それだけでは野侍のように見えなくもないが、日に焼けた肌は脂汗をかく若者のように面皰(にきび)痘痕(あばた)が出来ている事もなく、暗がりのなけなしの照明の中では白くすら見える。鼻筋が通り、閉ざされた瞼を飾る睫毛は長く、僅かに外側に向かって跳ねていた。髪を更に伸ばして結えば、村の女の子にも見えたかもしれない。

新嘗祭(にいなめさい)俳優(わざおぎ)さんみたい……かっこいい」

 お胡尹が、僕の受けた印象を的確に言語化した。俊輔は顎を引く。

「俺の集めた限りの報せだと、彼の父親に当たる人物は一世代前の御家人たちの中には見当たらなかった。だから榛名一族の私生児か、もしくは武術の腕が余程に立って足軽の中から身分を隠して雇われたかだろう、って噂されている。本人もそれらの噂については否定せず、雇われの身として皆に納得されているのならそれでもいいだろう、みたいな態度だったそうだ。

 けれど、素性は不明、武術には秀で、この美貌。それで美姫として名高い琴姫様に最も近い場所に居る。当然、下の者たちはやっかむ訳だ。中には、姫の男妾(つばめ)ではないかという勘繰りもあった」

「単なる下衆の勘繰りとは言い難い──ものではあるな」

 横から弥四郎が、暗唱するように淡々と言った。

「勝呂兵部。昨年の二回目の夢見の刻、『(あま)読み』の法を継承する榛名家当主琴姫と共に、志摩国(しまのくに)伊勢国(いせのくに)連合と戦いを繰り広げる中で陣没。琴姫は九死に一生を得て帰国、駿河の軍勢は勝利し凱旋したが、その後政務を国家老・榛名采女(ウネメ)に託し御家門たちの前に姿を現さなくなる。当時、駿河は遠江国(とおとうみのくに)と結んで先方の領主(タチバナ)家の要請を受け、伊勢・田原(たばる)の海利を巡り先方が志摩と戦うのに手を貸していた。対価は伊勢ノ(いりえ)に於ける自由航海の権。この海路が開拓される事により、駿河は京への推参に於いて紀伊・和泉を西に迂回する必要がなくなり、京までの航海に関連する費用を半分に削減出来る」

「伊勢と志摩といえば、紀伊の山向こうじゃないか」

 僕は、やや信じられない気持ちになった。

「そこで去年まで戦が行われていた? 僕は知らなかったけど……」

「戦といっても、小競り合い程度の衝突だったそうだ。まあ、駿河の航海技術が動員されればそれなりに大きな対決に見えなくもないけどな」と俊輔。

「でも、隣国の支援に領主が自らって」

「戦に必要なのは、榛名が代々受け継ぐ天読みの法だからな。駿河が東国で最高級の力を持っている理由もここにある。この間の由比家やその周囲は、天照道関係者以外の者に発現した法を()ろいとして忌避していたけど、駿河は逆に天読みを伝家の秘術とし、それを継承する事に心血を注ぐんだ」

「そんなに強力な法なんだ、天読みって……どんな力なの?」

 尋ねた僕に、俊輔は表情一つ変えずに告げた。

「未来を視る法だよ」


          *   *   *


 僕が覚醒(めざめ)るまでの間に、俊輔たちは座敷に「虎喰(こばみ)(よそおい)」の展開を終えていたようだった。彼の合図で結界が発動し、壁や柱に貼られていた呪符が一斉に銀朱の輝きを放ち始める。

 僕たち四人は兵部さんを囲むように座り、彼の額に(てのひら)を載せた俊輔の手の甲に自分たちの手を重ね合わせる。俊輔があの不思議な法唱(のりと)の詠唱を始めると、現実が希釈される例の感覚が静かに襲って来た。この間は僕自身の意識を保ちきれず気絶してしまったが、今度こそ失敗はすまい、と心を固める。

 次はどのような「夢遥かの世界」に至るのだろう、と僕は想像する。

 また、僕たちを襲った悲劇に(まさ)るとも劣らない惨状を目の当たりにする事になるかもしれない。精神と肉体が同じ意味を持つ世界で、僕はそれに圧し潰されてしまう事がないとは言い切れない。

 俊輔は僕の感じやすさを、自分でない誰かの痛みを本気で感じる事が出来るのだとして肯定してくれている。だが、今の僕にはそれだけでは不十分なのだ。僕はもう既に、夢惣備を行う”呪者”となっているのだから。

 ふわりと体が浮かぶ感覚が訪れた時、僕は弥四郎の手の甲に意識を集中した。

 するりと僕自身が体を抜け出し、急速な下降を始めた。

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