『夢遥か』参ノ章 天読み②
② 周防俊輔
「本当に起きないな、こいつ」
呼吸もせず、時の流れに取り残されたように静止し続ける異父弟、鶴来の髪に触れながら俊輔は呟く。由比の女である霊能者の少女、千与の夢惣備を共に完遂してから、彼は彼女の主観の世界で沙夜を探しに行き、以降まだその顛末についてこちらには告げられていない。
鶴来も、可哀想な男児だった。俊輔の主目的は偽神による奸計から日出国を守る事ではあるが、彼の心を救いたいという自分の気持ちは決して世界の為に踏まねばならない手順だからではない。そもそも自分が天照道を離反したきっかけは、弟である彼が神託に現れた為だったのだから。
幸せで満ちた宵宮の帰り道で沙夜共々幻月に襲われる彼の姿が思い出され、俊輔は心が痛んだ。自分はあの時、彼にとって最も大切なものを守り抜く事が出来なかったのだ。
その上今も、沙夜を喪って傷心中の彼に、その双肩にはあまりにも重すぎるものを背負わせてしまっている──。
「待ってろよ、鶴来」
口に出し、彼に語り掛けた。
「お前が背負う他人の悲しみの分、俺もお前の悲しみを背負ってやる」
その為に、あまり長い間休んでいる訳にも行かない。
鶴来と一間半程離れた畳の上に敷かれた布団で、次の夢惣備の対象となる霊能者が眠っていた。俊輔よりも五つ歳上の若い男で、「夢遥かの世界」に邂逅したのは昨年の文月、和泉国日根の村で天孫降臨祭の宵宮が行われる夜だ。今の時期から丁度一年前という事になるだろう。
彼の方を向こうと膝を動かした時、突如眩暈が襲って来た。
軽い頭痛と共に思わずふらついた俊輔は、慌てて畳の上に両手を突く。
(やっぱり、こうも長い間心渡りをし続けているといけないな。肉体と魂の繋がりが希釈されてしまっているみたいだ)
やや自虐的にそう思い、口角が上がったが、すぐに笑い事ではないと思い直す。
最近本当に、自分の今居る世界が現世なのか、「夢遥かの世界」なのか分からなくなる事があるのだ。長期に渡って夢への潜行を続け、剰え戻って来ても肉体の中に他者の魂を入れるという事を行っていればそれなりに代償はある。
──分かっていますよ、晋冥先生。
今もこの近くに姿を隠している、道冥先生の兄である彼に向かって俊輔は心の中で語り掛けた。
(あなたも道冥先生も、物部堅塩とは違う。けれど、あなたに甘えすぎてもいけないのでしょう、俺は。ただ俺は、多少無理をしてでもこの身を持たせなければなりません。俺の体が健在であってこそ、弥四郎やお胡尹も『夢遥かの世界』で生きる事が出来るのですから。分かっています──)
* * *
体の感覚が安定して、やや暫し経った頃だった。
「俊輔」
弥四郎の声ではっと気が付き、顔を上げる。彼は携帯用の砥石で得物である刀の手入れを行っていたが、俊輔の呆けたような様子を見るとやや伏し目がちになって言ってきた。
「気絶はしないでくれよ、頼むから」
「あ、ああ……悪い。少しだけくらっと来ただけだ」
「くらっと?」
弥四郎は字面通りの軽さには受け止めなかったらしく、やや窘めるような調子になって言った。
「俊輔、俺は自分を夢から解き放ってくれたお前に恩返しがしたい。それは嘘偽りない本当の気持ちだ。お胡尹も同じように思っているだろう。だけどな、もしそうして俺たちが却ってお前を煩わせているのなら、遠慮なくあの人に『魂鬻ぎ』をやめるよう頼んでくれ。本当なら俺は、もう思い残す事はない、という状態になったはずなのだから」
「冗談言うな、弥四郎」
俊輔は頭を振る。
「お前もお胡尹も、俺が『夢遥か』を攻略する為には必要な仲間なんだ」
「冗談で言える事だと思うか、こんな事が?」弥四郎──同じように頭を振る。
「けど、俺だって本気だ」
「俺たちは──いや、俺は本当にお前の役に立てていたのか? 先の千与殿の時だって、俺は取り立てて出来た事はなかった」
「いや、あったさ。『深森の屋敷』に入り込む時、堀水の流れを止めてくれた」
「けれど、その前は俺のせいで隠れ家が」
「くどいぞ、弥四郎」
俊輔は、その先を言わせなかった。
「あれは不可避の展開だったんだ。お前が気に病む事じゃない。……何度も言わせるな、確かにお前たちは、本当ならもう死んでいる。けど今、こうしてお前たちの魂は現世と往復が出来る状態に在る。それ以外の『もしも』なんて、考えてどうするんだよ? 俺たちは見てきたはずだぞ、個人があまりに非力に思える程の大いなる思惑に巻き込まれ、生きたくても生きられなかった者たちを。今もまさに見ているところじゃないか。
目の前にそういう奴が居て、俺たちがそれを救う者たちである以上、生存を続ける事は権利じゃない、義務だ」
勢いづいて熱弁してしまった。はっと我に返ったが、俊輔は自分の今言った事が否定されるべき事でないと思っている。
ほんの僅かな時間、弥四郎との間に沈黙の帳が下りた。
やがて、弥四郎がほっと息を吐き出した。
「格好良すぎるんだよ、お前は」
「………」
「けど、そういうお前じゃなかったら俺は着いて行かなかっただろう。きっとそういうお前じゃなければ、俺たちを助け出してもくれなかっただろうから」
「……ありがとな、弥四郎」
何に対してかも自覚しないまま礼を言うと、彼は微かに笑った。
「それには及ばんさ、俊輔」




