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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』参ノ章 天読み①

  ① 歴木雅楽


 (さや)けき秋意に先駆けて、晩夏の終わりを告ぐ驟雨が瀬戸国(せとぐに)からやって来た。

 住良宮(すめらのみや)、天照寮の儀式場には雨除けの囲いが整列し、その下の濡れた(さざれ)石の地面には布が敷かれていた。その上では依然、大勢の呪祷官が規則正しく並び、声を揃えて法唱(のりと)を唱えている。

 儀式場に面した(わたどの)で、雅楽は雨を避けながらその様を見つめる。

 不気味だ、というのが正直な感想だった。

(天照は何故、私をこのような者たちの統者に据えられたのか?)

 神祇官である自分の系譜を探れば、それはすぐに分かる事だった。

(私は(みかど)の──天津神の霊統に属する者。国の(かぶ)きつつある現状を知らず、朝廷の勢威を(ほしいまま)にする上達部(かんだちめ)どもに対しては天照寮の良き象徴という訳か)

 現人神(あらひとがみ)とされる皇家の血筋が、何処で現在太政官たちを統べる者たちと分化したのかは、遡れば建国神話の時代にまで至る。天孫降臨の伝承に於いても、人の子として生まれた勇者ミコトがその後神の末裔(すえ)である皇家の祖となった、というような記述はあらゆる書物に見られない。ミコトの名は天孫降臨の後忽然と歴史書から消え、入れ替わるように天津神の裔が百鬼連の封じられた中原(ちゅうげん)に朝廷を開き、日知(ヒジリ)帝として第一代の帝として即位されたとある。

 ミコトは天照により神子──神託を受け取る朝廷の霊媒者という意味ではなく、真に神の子の意──として見()められ、天津神の一柱として迎えられた。皇家の始祖であるとされる邇芸鵜茅日とはミコトの神号(みな)なのではないかという推測は出来なくもないが、それが人産みの神とされている理由が分からない。

 歴史書は一人の人物が書くものではない。幾星霜もの間に朝廷では度々内紛が勃発し、その度勝者が自らの正当性を裏づける為に神話の記述を行ってきた。朝廷にとって大切な事は、それが何であれ天津神が帝の始祖であり、皇家が即ち神であるという観念なのだ。そして雅楽にとって連続性が重要視される事も、また皇家に──正確には武政の内乱の折に分化した稲置(イナギ)家に連なっているという事実のみだった。

「私の所以(ゆわく)が、このような形で明らかになるとはな」

 これは、声に出して呟いた。

 と、その時──。

「神子様」

 あたかも自分の独白が合図ででもあったかのように背後から声を掛けられ、雅楽は驚いて足袋(たび)のまま中庭に足を踏み出しそうになった。

「……失礼致しました」

「不意に人の背後を取る癖があるようだな、おぬし……」

 相手は物部堅塩だ。天官の(いま)す忌の間に籠り、天照頭としての特殊な儀式に臨んでいた彼だが、それが一段落して戻って来たらしい。

 七日七晩に渡って飲まず食わずであったはずの堅塩だが、その様はさも平気そうだった。権威ある者に対する畏れとしてではなく、雅楽は時折この男が恐ろしく感じる事がある。

 平民の出である雅楽に、実際にはこの身が霊統を持つ者だと告げたのはこの男だった。半信半疑ながらも朝廷関係者の系譜を調べる中で、雅楽は呪祷官の長を代々継承するという物部家に於いて、堅塩という名がその最初(おこり)に位置付けられているのを発見した。その後、百済(クダラ)嗣琵人(シビト)納子(イリコ)(タカムラ)と続く系譜は代替わりが他の家系と照らし合わせると数百年単位でしか見られない事が分かった。

 堅塩という名がその後現れる事はなく、現天照頭である彼が始祖である物部堅塩と同姓同名の別人であるという可能性は失われた。始祖の時代まで遡ると、勇者ミコトの活躍した戦国乱世まで行き着き、他の家系に於ける同時代の人物は皆伝承に名が見られる実在不明の者ばかりになっていた。

 雅楽は、恐ろしい事実を知る事になると思いながらも、先々代の神子──周防俊輔の一代前で、引退後は老衰で死亡した──を知る老年の呪祷官に、その頃の天照頭について尋ねた。結果、果たしてその役に就いていた人物は当時から堅塩であり、その呪祷官の父が宮仕えをしていた頃から姿が変わらなかったという。

 堅塩は、八千代(やちよ)の昔から生きているのではないか?

 そう思った時、雅楽は初めて明確に彼を「怖い」と感じた。

(わろ)き報せにござりまする、神子様」

 雅楽の内心に関知せずか、堅塩は拝礼したまま報告口調で言った。

「周防一党が、三度目の夢惣備を終えた模様です。『夢遥かの世界』より、(くだん)の大和国、由比の(むすめ)千与が解き放たれました」

「そ、それは(まこと)か? 何と……かの世界に子種を残さず、既に半数もの霊能者が解き放たれてしまったというか……」

 堅塩の報告は、雅楽を更に動揺させるものだった。

 自分が神子となってから、裏切り者である周防一党の横行に対して何ら有効策を打てないままでいる。堅塩は万事を彼の采配に任せろと言ってはいるものの、その彼の口から自分の出自を告げられてしまっては、お飾りとしての役回りに甘んじてもいられないと思うのは当然だ。

 お飾り──自分で思っておきながら、もどかしい言葉だ。

 神子は天照寮の最高位ではあるものの、神託を下される事がなければ閑職もいいところだ。法を持たぬ神祇官として呪の鍛錬に励み、それもままならぬうちにそのような状況に回されては、自身を無能だと指差されているかのようだ。

(無論、堅塩殿を無能だと言うつもりもない……この場合、周防俊輔が敵だという事が痛すぎるのだ)

「それともう一つ、理化(あやな)す少女の事を」

 堅塩は続ける。雅楽は袖で額を押さえつつ先を促した。

「接触したのか、周防らが──夢に於いて?」

「いえ、そうではありませぬ。『新世開闢の計』に関わる()(おんな)の法、理化(あやなし)の呪縛を、私めが解く事を試みました。こちらは(つつが)なく成功しました」

「そうか! だが、そうなると……他の霊能者は、最早必要ないのでは?」

「いえ、『夢遥かの世界』は尚、霊能者の魂を欲しておりまする」

「何故? 最重要の因子が得られた以上、かの世で霊能者同士が(まぐわ)い、新たな法を生み出す必要など……」

「気、呪術こそかの世の本性。かの世と、そこに(いま)せる女神天照の権化を保つ為には気の本源たる霊能者の魂が必要となるのです。それは今回ようやく、(うつつ)にて理化の法の発現に成功して尚変わりませぬ」

 堅塩は言うと、ふと内緒話をするような私語(ささめ)き声になった。

「忌の間の猊下は、神子への神託を司る、天照の坐す『夢遥かの世界』を統べる神性をお持ちだ。神子様、あなた様は既に天照道の存在する意義を、また百鬼連の正体をお知りになった」

 では、と彼は中庭を向く。低頭し、驟雨の篠突く砂利の上に(つくば)って法唱(のりと)を唱え続ける呪祷官たちを。

「あの『千代永(ちよえ)(ほさ)き』の意味をご存じでしょうか」

「いや……特には。日出の古い(ことば)であろう?」

「『千代永に遠神(とおかみ)()産土(うむすな)妖怪(あやけ)しく色帯び底根(そこね)(きた)りぬ』、この『底根』とは蘇古常の意であり、百鬼連を束ねしかの者の存在こそ、新世開闢の成就し、我々日出の民が”布留(ふる)”即ち永久(とわ)の安息を得る為に不可欠なものであるという事を示唆しているのです。猊下の──天津神の調和せんとする世に於いて、(すべか)らくそう在るべきだとする形こそが陰陽(おんみょう)表裏一体にごさりまする」

「それは即ち……?」

「天照道の国治は、霊統を重んじる朝廷の裏に百鬼連を、朝廷に於いては(まつりごと)を司る太政官の裏に祭祀を司る神祇官を置くものです。或いは(みかど)の裏に猊下を。……神子様、あなた様を神言の代弁者とするという天照の、『夢遥かの世界』の決定は誤りではござりませぬぞ」

 堅塩の言葉に、雅楽はぐっと黙り込む。

 今こそ、太政官たちに代わって名実共に天照寮が政権を掌握すべき時である事は自分にも分かっていた。だからこそ呪祷官の息の掛かった山城国の呪者たちが幻月を束ね、出師(すいし)の用意を整えているのだ。

(堅塩殿は私に、錦の旗印となれと示唆しているのか……一時代(とき)は朝賊の烙印を押された稲置の末裔として、天津神の正当なる霊統を持つ私に……)

「猊下が形身を以て天照を──あの少女の法を以て天孫降臨の新たなる神話を呼び起こそうとなされている今、あなた様は歴史の表に立つべき御仁なのです。表裏一体、これは夢と(うつつ)の相関にも(おしの)べて言う事が出来ます」

「……私には、荷が勝ちすぎる」

 やっと雅楽が口に出来たのは、そのような台詞だった。

「神の表として立つべきは、物部の氏名(うじな)を持つおぬしであろう?」

「いいえ、神子様。物部はあくまで従来の呪者の役回りに徹するよう宿命づけられておりまする故。宿命というならば、あなた様の天照に選ばれた事もまた、それに従うべき宿命といえましょう」

「堅塩。おぬしはその宿命というものを動機にしすぎる。さもなくば、それ以外に己が道などないというように……」

「然り」

 堅塩は、重々しく首肯する。

「呪者とは畢竟、そのようなものなのです。真に(まつろ)うべきは、同じく真の(ことわり)。誰の意思であろうとも関係はござらぬ、世に不変の理ある限り、我々はそれに定められた生き方をするのみ」

「それはさぞかし……(つら)いのであろうな」

「何の。生まれながらの事である故、何も思いませぬよ」

 堅塩は「(いささ)か逸れましたな」と言い、再度一礼した。

「私は引き続き、計画を進めます。全てが調(ととの)う前に覚悟がお出来になれば、山城の幻月の差配は全て神子様に委ねましょう。何、私自身で言を翻したりせぬよう、誓約(うけい)にて(いまし)めておきます」

「分かった、私がそれを使うかは措くとしても、おぬし自身の報せは逐一私に報告せよ」

「かしこまりました」

 彼が(きびす)を返して立ち去る。

 仄かに霧掛かる空に、呪祷官たちの法唱(のりと)だけが殷々(いんいん)と響き続けた。

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