『夢遥か』弐ノ章 月下氷人⑰
* * *
目映い瑙虹色の光が、ぱっと座敷を照らし出した。僕も弥四郎もお胡尹も、二人が相手をしている魔たちまでもがその光源を見つめている。
巨大な魔と化していた忠綱さんが、元の青年の姿に戻って千与さんを抱き締めていた。体から白い光が四方に放たれ、それは群がる魔たちから護るように彼女を包み込んでいる。
一瞬、魔の群れは恐れを成したかの如く畳の上で後退った。が、すぐに「夢遥かの世界」に於ける自分たちの存在意義を思い出したかのように咆哮し、二人に向かって突進を掛けて行く。
それより早く、僕は刀を抜いていた。先を争うように横一列に並んだ魔たちに向かって、道冥先生直伝の型を放つ。
「桜花猛嵐舞!」
左右からの袈裟懸け、そして垂直斬り下ろし。
桜の花弁の形をした光を伴い、三連撃が魔を切り裂いた。生ける屍のような仮想の妖たちは無数の煌めく粒子となり、忠綱さんの放つ光の中へ溶け込むように消滅していった。
美しく、温かな光の降り注ぐ世界に、俊輔が帰って来た。
「皆、悪い! どれくらい経った?」
「四半刻も経ってないよ。だけど、鶴来君が」
お胡尹が、千与さんと忠綱さんを示す。俊輔に視線を向けられた僕は、「ああ」と肯いた。
「あとは、彼女の解放を待つだけだ」
「そうか……ありがとう、鶴来。よくやってくれた。けど、ちょっと待ってくれ。俺からも、彼女に伝えなきゃいけない事が出来た」
彼の険しい表情を見、僕は何事かと不安になる。今し方現に戻っていた間に、向こうで炳五郎殿から何かを告げられたのだろうか?
彼は進み出ると、「千与殿」と彼女を呼んだ。
「あなたは……?」
「あなたの夢惣備を依頼された者だ。先程は驚かせてしまい、申し訳なかった」
律儀に頭を下げる俊輔だが、彼自身が言っていた通り、一時撤退をした時点で千与さんは彼の事を忘れているようだった。怪訝な顔で彼を見つめている。
俊輔は、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「先程由比容昭公が──あなたの父君が、山城国での戦で陣没なされた」
「えっ?」
皆、思わず言葉を失った。千与さんも、唖然と凍りついている。
僕はそこで、まだ明らかになっていない謎が残っている事を思い出した。忠綱さんが彼女に言った言葉の中に含まれた、容昭公が霊能者として生まれた彼女を幼い頃に暗殺しようとしたという報せの真偽を──。
しかし、それは最早解き糺す必要のない事のようだった。
千与さんは唇を震わせ、「どうすればいいの」と独りごつように言った。
「私はずっと、父上に縛められていた……体面の為に、法を持っている事を法ろいだって言われて、森の中の屋敷に閉じ込められて……先生を好きだっていう気持ちすら、叶える事を許して貰えなかった」
「千与殿」
俊輔は、首をゆっくりと左右に振った。
「容昭公があなたになされてきた事は、武家のしきたりから逸脱した私に言わせて頂ければ、娘に対する行為として許されざる暴状であったと言わざるを得ない。ただそれでも……あなたにとって彼は、娘である事を認めて欲しいと願う程には、父親であったのではありませんか?」
「私……は」
「堪える必要などないのです、千与殿。生まれ変わる前に、この世に居るうちになさりたい事は、済ませてしまいなさい」
「私……私……!」
千与さんは、もう一度大きく慟哭した。
その涙を、僕はもう冷たそうだとは感じなかった。
俊輔は僕たちに歩み寄って来ると、それぞれの肩を軽く叩いた。
「夢惣備は終わったよ。千与殿の魂は、これで在るべき所へ還る。俺たちも戻ろう……って、鶴来はまだそういう訳にも行かないのか」
「僕?」
千与さんの得た安らぎを共有するように夢惣備の余韻に浸っていた僕は、俊輔の言葉に首を傾げた。彼は「おいおい」と頭を振る。
「個人の主観で成る『夢遥かの世界』では、囚われた他の霊能者たちの魂は夢に入り込んだ場所で眠っているように見える、って話はしただろ? 幸い山を越えれば和泉の日根の村までは近い。お前は沙夜を連れて来ないと」
「あ、そうか」
僕は思い出し、少し考えてから俊輔たちに頼んだ。
「三人は、この夢から出たら先に次の霊能者の所に向かって。大変な思いをさせてしまうようだけど、眠ったままの僕の体も連れて……僕は一旦ここから和泉に戻る。沙夜を見つけたら目を覚ますよ」
「俺たちの事は心配要らないけど、お前自身は大丈夫か? 『夢遥かの世界』を一人で歩く事になるが」
「大丈夫だよ」僕は答える。「今回の事で、僕も少しこの世界の事が分かった気がするから」
「そうか、それなら──」
俊輔は肯くと、弥四郎とお胡尹の手を取って重ね合わせた。
「じゃあ、俺たちは先に行く。鶴来、まず今回の件、ありがとうな」
「水臭いな、俊輔。僕だってもう、君たちの仲間じゃないか」
僕が言うと、彼は「そうだよな」と微笑し──先程離脱した時と同様、弥四郎、お胡尹と共にふっと見えなくなった。
僕は座敷を出る前に、もう一度千与さんと忠綱さんを振り返る。
彼らはひしと抱き合いながら、光の中でゆっくりとその姿が希釈されていくところだった。名残り惜しむかのようであり、また千与さんの魂に、全霊で彼女を愛した人の存在を刻み込もうとするかのようでもあった。
あたかも二人だけの世界に居るかのように、僕には見えた。
⑤ 千与
深森の屋敷の、椽桷に映じた午光が柔らかく降り注ぐ奥座敷。十年以上もの歳月を過ごしてきたその場所で、千与は忠綱先生と向かい合っていた。
夢の中ではないようだった。これは──そう、夢の残滓とでもいうべき、千与にとっての最後の世界。鵺鳴きの森で命を落とした時から何だか長い夢を見ていたような気がするが、今目の前に居る先生は、千与が逃げ込んだその世界に居た仮想の存在ではないようだった。
今まで千与の見ていた彼は、囚われた過去のようだった。逃げていると分かっていながら、それでも向き合う事の出来ない昏い記憶。しかしそれから解き放たれた自分を迎えに来てくれたのが、彼で良かったと千与は思った。
「先生……だよね? 先生、そこに居るんだよね?」
「千与ちゃん──」
忠綱先生は、手を伸ばして千与の頰に触れてきた。
「私を、許してくれるかな?」
「先生……」
千与はその手を取りつつ、彼を真っ直ぐに見つめる。最後の涙が、一筋だけ頰を伝ってその指を濡らした。
「先生は……私に、遺そうとしてくれていたのね」
「私が消える為には、あの最後の突きが必要だった。主膳殿に届かないように、私は加減して突きを放った。そうすれば彼が、私を斬ってくれると思ったから」
千与は何度も肯く。
あの瞬間、剣速に従って千与に突き刺さった刀は主膳様に届く事はなかった。自分が飛び出さなければ、全ては先生の思い描いていた通りに運ばれただろう。
先生は命を賭けて自分たちに未来を託そうとしてくれた。それを、自分は悪夢に変えてしまった──。
「主膳様はあの後、どうなったのかな?」
「彼は……全てを由比、瀬利両家に伝えたみたいだ。そして、千与ちゃんの家族とも会って話し合った。私の病の事も、私たちの共に過ごしてきた年月についても、彼は知ったようだ。全部、気付かれてしまったかな」
「悲しい事だよね、それは」
「そうかな?」
先生の口調は、穏やかだった。
「沢山泣いただろう。けど、彼はきっと前を向ける。真実を知った事がそれに繋がったのなら、気付かれたのだとしても悪くなかった。大丈夫、彼は私よりずっと──強いんだから」
何処かぎこちない笑みを浮かべる彼に、千与は心から思う。自分は忠綱先生が好きだと。この世でいちばん、誰よりも好きだと。
悲しみを忘れる事は出来なかったが、温かな気持ちが湧き上がってきた。
「千与ちゃん。私はね、君に一つ隠していた事があった」
忠綱先生のぎこちない笑みは、申し訳なさのようだった。
「私は、心の臓が悪かった。余命をとっくに過ぎていたんだ」
「そう……だったの」
「格好、ちゃんとつけられたかな?」
答える代わりに、千与は彼に抱きついた。
彼はもう、千与が想いを告げた夜のように躊躇う事はなかった。その細腕に目一杯の力を込めてそれに応じた。触れ合う体温は、千与が長年共に過ごしてきた優しい彼のままだった。
もう離さない。この瞬間世界が消えても、私はこの手を動かさない──。
涙の痕跡が拭い去られるまで、千与は先生の胸に顔を押し当てていた。
世界が、二人を取り残して次第に閉じていく。
──もう、大丈夫だね?
──ええ。あとはあの人たちが、夢の世界を在るべき形に導いてくれる。
──じゃあ、私たちはそろそろお暇しようか。
絡み合った魂が融け合い、時の随に揺蕩う光の流れとなった。次第に綴じ目を迎える世界から抜け出すように、二人は大きく飛翔する。
収斂する虚空の中、全身が光彩を吸っていく。
『夢遥か』をお読み下さりありがとうございます。本日で弐ノ章「月下氷人」は連載終了となります。最後の場面は「あれ?」と思われる方も居るかもしれませんが、作者が初期設定を忘れた訳ではありません。物語が進むに連れて分かってきますので安心してこの先もお楽しみ下さい。
明日からは引き続き参ノ章の投稿を開始しますが、この章の中間辺りで文庫本一冊分の文量となります。そこまで投稿したら一旦お休みし、昨年新人賞応募の為に書いた作品を公開しようと思います(なろうで投稿するという事は、結果はお察し下さい……)。
今後とも宜しくお願いします。




