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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』弐ノ章 月下氷人⑯


          *   *   *


 千与さんが、僕たちを拒絶しているという訳ではないようだった。

 恐らく僕たちが最初に排斥された時から、彼女自身にとって僕たちは初めから「居なかったもの」として認識()()()()()()のだろう。

 僕たちの存在を認識(みとめ)るという事は、この「夢遥かの世界」ではない、目を背けたくなる程(つら)い記憶に彩られた”現実”があるという事を知る事だから。しかしそれは最早、弊目しようにも出来ない事と化してしまっていた。

 僕と俊輔は、特に考える事もなく進むうちに、千与さんの私室である奥座敷に辿り着いていた。襖を開け放つと共に、炎に包まれ両断される魔の群体、そして敷居の知覚で苦しそうに喘ぐ二人の仲間の姿を見た。

 その向こうに、一際(ひときわ)大きな魔が佇んでいた。(ふみ)机に両肘を突き、耳を塞ぐように頭を抱える千与さんの斜め後ろに、寄り添うかの如く立って見下ろすその魔の背丈は八尺近くあった。僕たちが最初に見た群体の魔たちと同様、立ち昇る黒い気に覆われた姿を見定めるのに、僕は随分と難儀をした。

 やがて、俊輔があっと叫んだ。同時に僕も、その正体に気付き慄然とする。

 魔は、忠綱さんだった。

「ヴヴヴヴヴヴ……ッ!!」

 ()()が、唸り声と共に千与さんの肩に手を置いた。

 彼女が振り向くと共に、その熊手の如き巨大な(てのひら)が喉笛に掛かり、絞め上げた。

「いやあ……っ!?」

 迸りかけた彼女の悲鳴が、ぐしゃっという潰れたような音と共に途絶する。万力の如き力で絞め上げられ、声が封じられたらしい。鬱血したのか、彼女の顔は次第に赤黒くなっていった。

「畜生、さっきからこの調子だ!」

 弥四郎が、七斗無外流の構えで刀を振るい、魔と化した忠綱さんに飛び掛かる。しかし、その影から分化した小さな魔が体を揺するようにして迎撃の構えに入る。弥四郎と魔の、刀と爪による激しい打ち合いが始まった。

 それはすぐに、弥四郎の肩口を引き裂いた漆黒の軌道によって終わった。

「弥四郎君!」

 お胡尹が幻の炎を生み出し、彼に(とど)めを刺そうとする魔を焼き尽くす。間髪を入れず、更なる魔の群れが押し合い()し合いするように湧き出す。

「きりがない! いや、体力の縛りがある以上こっちが不利だ!」

「俊輔、どうして──」僕は、早口で尋ねた。「外部の者による干渉から、主観の霊能者を護るのが魔なんじゃないの? どうしてそれが、千与さんを攻撃しているんだよ!?」

「魔っていうのは、天照の御魂(みたま)と形身を除く全ての魂にとって『障り』を意味する名前なんだ。霊能者がそれを自分にとっての敵だと認識すれば、あらゆる仮想体はいつでも魔と化してしまうんだよ」

 俊輔は言い、顔を曇らせた。

「となると、今千与殿は由比忠綱を敵だと──自らを脅かすものだと認識しているという事だ」

「そんな……」

「鶴来」彼の真剣な声音は、一切変化を見せずに言った。「お前はその魔を、斬る事が出来るか?」

「斬るって……」僕──絶句して。

「そいつは千与殿を侵食し、この世界に取り込んでしまう。鶴来、お前は見たんだろう、そいつは彼女がこの夢に囚われる事となった”心傷”だと。こうなってしまった以上、それを排除しない限り彼女は助からない!」

「駄目だよ、そんなの!」

 僕は、抜刀して飛び出した。弥四郎、お胡尹と共に、押し寄せる魔の群れを片端から斬って捨てる。

「そんな終わらせ方、彼女が望んでいるはずがない!」

「だけど……あっ!」

 言いかけた俊輔が、不意に頭を抱えて(くずお)れた。

「どうしたの!?」

「いや……気にするな。時々魂に疲れが来るんだ……ただ、それだけだよ。こう幾度も、長時間に渡って法を使い続けるとな。それに俺の体はお前たち三人の魂も、ここに潜行する為に出入りした」

「一旦(うつつ)に戻るんだ、俊輔」

 僕は、有無を言わさぬ口調で言った。

「気休めかもしれない。けど、その方が後から一気にツケを払うよりいい。僕たちだけでだって、やれる事はあるよ」

「けど……」

 俊輔は反論しかけたが、すぐに押し黙った。やがて、

「……そう長くは待たせない。鶴来、お前はお前で、信じた事をやれ」

 そう言い、掻き消すように見えなくなった。

 僕は、次から次へと現れる魔を斬り伏せ、千与さんと忠綱さんに向かって数寸ずつ進みながら頭を回す。考えろ、と自分に言い聞かせた。

 あの忠綱さんの魔を、斬ってはならない。そう思うのは、もう少しで真実が見えそうだからだった。僕が千与さんの記憶を見て、感じ取った違和感。その正体は何なのか。何故あの夢見の刻の前夜、忠綱さんは急に人が変わったのか──。

 考えているうちに、首を絞め上げられた千与さんが微かに首を動かした。助けを求めるかのように僕の方を見る。その瞳は、苦しそうに濁りながらも何かを訴え掛けんとしているようだった。

「千与さん!」

 僕は、行く手を阻む最後の魔を袈裟懸けに斬り倒し、彼女に叫んだ。

 唐突に全ての断片が、僕の中で一つの”結論”に組み上がった。

「忠綱さんは、確かに君の事を愛していたよ!」

「そんな訳、ない……!」

 千与さんは、いやいやをするように首を小刻みに振る。

「有り得ない……それじゃあ何で、先生は最後に、あんな事を……?」

「千与さん、彼がどうしてずっと『最後』って言葉を使っていたのか分かる?」

 ──せめて最後くらいは、私にも格好を付けさせてくれないか。

 ──これが最後であるからこそ、私は彼女に会いに行かねばならぬのです。最後である事は、私自身が最もよく理解しているつもりです!

 ──武士の子として生を受けたからには最後まで気高く在らねばなりません。

 それらは、千与さんと主膳殿が結婚し、もう自分に会う事が出来なくなるという事を意味するものではなかった。

「彼が窶れたように見えたのも、最近になって彼が昼から眠っている事が増えていたのも、禰宜(ねぎ)のような人が彼を訪れていたのも……見方を変えれば、君が思っていたのとは全く違う意味になるんだ」

 僕は真っ直ぐ、彼女の目を見つめた。

 心渡りをする時のように。彼女の心へ、直接語り掛けるように。

「忠綱さんは、病を患っていたのかもしれない。それも、不治の病のような」

 僕が言った途端、座敷の情景が掻き消えた。

 辺りが、千与さんと忠綱さんが最後に会っていた(ぬえ)鳴きの森に変化する。梢から射し込む青白い月光は静謐で、時すらも止まったかのようなその場所で、僕は千与さんと向かい合うように立っていた。

「病……?」

 千与さんは、掠れた声で呟く。そこにまだ魔──忠綱さんの手が触れているかのように、喉元まで上げた手を軽く握り込む。

「君にもう会えなくなるっていうのは、もうじき彼がこの世を去らねばならないっていう意味だったんだよ。彼を(おとな)っていた人たちは、きっと呪術療治を行ったり、遺産の整理に関わる者たちだ。君が最後に(たわむ)れを使って見に行った、寿和の方と忠綱さんの会話だってそう考えれば辻褄が合う。彼が君に幸せになって欲しいって言ったのも、嘘じゃなかったはずだ」

「それなら……何で先生は、最後にあんな事を?」

「君は、彼に想いを伝えたよね? そして、駆け落ちを持ち掛けた。だけど彼は、近いうちに自分が死んでしまう事を悟っていた」

 僕は、その残酷な事も言わねばならなかった。

「そしたら、君は悲しむだろう。先生への想いを断ち切れず、苦しみ続ける事になるだろう。死んでしまったら、それこそ未来永劫、一緒には居られないんだから。忠綱さんは思ったんだ、君が幸せになる為には、相手は自分ではいけないのだと。だけど君は……『先生以外の人と幸せになんか、なれるはずがない』。そう言った」

「………!」

 千与さんは目を見開き──やがて、その瞳を潤ませた。僕は続ける。

「だから彼は、悪役になろうと決めた。自分という(しがらみ)さえ消え失せれば、君は主膳殿の愛を受け入れる事が出来ると」

 ──わしが彼女を……本気で愛する気持ちを利用して(たばか)ったな、この悪党!

 主膳殿の叫びが、そのままの台詞の形で思い起こされる。

 彼は、千与さんの事を一人の女性として、彼女が忠綱さんを想うのと同じように恋い慕う相手として見ていた。家の都合は、たまたまそこに重なっただけで。そして忠綱さんは──仲人(なこうど)であった彼は、その主膳殿の気持ちを理解していた。それ故、自分が居なくなった後で千与さんを任せられる相手だと確信した。

「『全てが終わった後、父上から説明して頂く』。彼はそう言っていた。君と主膳殿が夫婦(めおと)になった後、そして自分の死後、病に罹っていた事は氏篤殿から君に伝えられる予定だったみたいだ。彼は武士の子としての体裁って言っていたけど、本当は輿(こし)入れを間近に控えた君を心配させまいとしたんだろうな。

 その時彼は、君が自分に想いを寄せているという事までは想定していなかった。確かに小さい頃は、君も忠綱さんによく『好きだ』って言っていたんだろう。だけどいつしか、君はそれを言わなくなった。年頃になった女の子の機微っていえば、その通りなんだろう。でも、一方で彼も君への気持ちがずっと変わらなかった。言えるはずがないのも当たり前だ。それでも」

「私が……ちゃんと言っていれば良かったの?」

「……言えたら、良かったんだろうな。だけど、この件に関しては誰を責める事も出来ないよ。家から逃げるっていう選択は、相当難しい事だから。千与さんが遅すぎた訳でもない。婚礼の二日前まで切り出せなかった、それが普通なんだ。

 忠綱さんは急遽、ああいう乱暴な手段を採らざるを得なかった。君が割り込まなければきっと、主膳殿は忠綱さんの思惑通りに彼を殺めていた。忠綱さんは、悟られないようにわざと主膳殿を浅く斬った。悟られれば、君の気持ちが自分から離れなくなってしまうだろうから。彼は──残りの命全てを使い果たすつもりで、仲人を遂行したんだよ」

 千与さんが割り込んで主膳殿を庇った時、彼がほっとしたように見えた理由──彼女が主膳殿を、大切に思えるようになったのだと確信したから。

 その後で、悲しそうな顔を見せた理由──彼自身の減速が間に合わず、刀が千与さんを貫いてしまう事が分かったから。

 ややもすれば近くに森雪加(せっか)の巣があった事すら、千与さんの法を知る忠綱さんが意図的に場所を選び、自分が主膳殿に斬られた後で彼女がすぐに脱出出来るように考えていたのかもしれない。

「先生……そんなの、ずるいよ……っ」

 千与さんの双眸(ひとみ)に込み上げた涙は、頰を伝って地面に零れ落ちた。

「私は、短い間でも先生が傍に居てくれれば、それで良かったのに……!」

 声が詰まる。真実を知った事で、喜びと、それを覆ってしまう程の寂しさが嗚咽となって込み上げている。

「先生だって、私を想ってくれていたなら……それこそ、最後だったならそれを貫き通しても良かったのに……許されたかもしれないのに……」

「彼はやり通したよ。君に告白された時、咄嗟の判断でよく仮面を被り続けられたと思う。あんなに、理路整然とした説明まで用意して……愛する人から愛されたいっていうのは自然な事だし、それを我儘(わがまま)だなんて、誰にも言えた事じゃない。だけど忠綱さんは、愛する君が幸せになる為に、自分の気持ちを、自分の為じゃないものに昇華させたんだ。結果は悲劇になってしまったけど、それでも彼は確かに君に残そうとしたんだ」

 彼女は、何度も僕の言葉に肯く。嗚咽は歔欷(きょき)へと変わり、やがて慟哭となって堰を切ったように溢れ出した。

「私は……どうすればいいの? そこまでしてくれた先生を、巻き込んで死んでしまった。それでも、彼を忘れる事なんて出来ない……だけど彼は、もう居なくなってしまった……」

「そうかな?」

 僕は、ふと視界の隅に映ったものに気付いた。

 ついそちらの方を向くと、千与さんもまた釣られたように顔を上げた。その泣き濡れた顔が、一筋の光に照らされたかの如く輝いた。

「ほら、そこに──君のすぐ傍に、彼が居るよ」

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