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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』弐ノ章 月下氷人⑮


          *   *   *


「……外に出る事は、もう出来ないようだな」

 (しば)らく走り回った後、物置らしき部屋で立ち止まった俊輔は言った。

「部屋の配置が変わっている。それにさっきまで走る中、庭に面した縁側を一度も通らなかった。恐らく偽神の仕業だ、俺たちをここから出さず、魔によって葬り去らせようとしているんだ」

「だけど、魔はもう追って来ていないみたいだよ?」

「『夢遥かの世界』に修正作用が働いたんだろうな。千与殿はまた、あの忠綱という男性との幸せな日常を繰り返す。だけど、心渡りで表層まで引き出された記憶はそう易々と引っ込みはしないだろうな。俺たちがもう一度接触すれば思い出し、さっきみたいな拒絶と共に魔が襲って来る」

「俊輔、あのさ」

 僕はどうしても、言わずにはいられなかった。

「千与さんには、確かに現実の事を教えなきゃいけないと思う。主膳殿と忠綱さんが戦って、忠綱さんが亡くなってしまった事……だけど、それだけじゃ千与さんは救われないよ。彼女も本当は、分かりきっている事なんだから。それを、あんな(ふう)に切り出すなんて」

「弥四郎とお胡尹の時は、それでも問題なかったんだ。若くして閉ざされたと思っていた生涯がまだ続けられる、自らが覚醒(めざめ)を望みさえすれば。それは、十分に希望になり得る事だから」

「それは違う! 千与さんはあのままじゃ、『夢遥かの世界』から解放されてもその先の人生を生きていくなんて事、望むはずがない。だって、忠綱さんは……あんな最期だったんだ。彼女は、彼を愛していた。だけど彼は彼女に……そんなの、あんまりじゃないか。可哀想すぎるよ」

 僕は両手を広げ、やや興奮気味に言ってから我に返った。

 まだ、俊輔は千与さんの経験した事の全てを知っている訳ではない。

「……話してくれ、鶴来」

 俊輔は、真剣な眼差しで僕を見つめながら言った。

「一体何があった? 千与殿と忠綱殿の間に……彼女は、何を思い遺していた?」

「俊輔、千与さんは……千与さんはね」

 僕は心渡りで知った彼女の過去を、順を追って彼に話した。主膳殿との婚約。しかし、彼女は忠綱さんを恋い慕っていた事。俊輔の推測通り、彼女が霊能者である事を本家の父君から”法ろい”と見做されていた事。武家という(しがらみ)。それに従わねばならない少女の運命。駆け落ちの計画。そして──忠綱さんの裏切り。

「酷いじゃないか……たった一人、雁字搦めにされた千与さんにとって心の支えだった人が、最初から彼女を騙していたなんて。忠綱さんは彼女に言ったんだ、お父上の容昭公が彼女の暗殺まで考えていたって。千与さんは本当に、自分を独りぼっちだって思って死んでいったんだ……」

 話しているうちに、頰が熱くなった。いつの間にか涙が溢れ、膝の上に流れ落ちていた。

 胸が塞がったようになって声が出なくなる僕の背を、俊輔は何度も撫でた。

「分かった、鶴来。もういい、無理するな。(つら)い事を話させてすまない」

「生きているだけでも意味があるとか、偉いとか、言われて救われる人は居る……僕もそう思う。だけど、本当にそうか決めるのは本人だ。生きていて、喜んでくれる人が居るとか……生きる理由になってくれる人が居るとか。じゃあ、それを信じられなくなってしまった千与さんは、どうなるんだよ……?」

 澱を吐き出すように独りごちた僕は、すぐに「違うな」と自分で気付く。

「僕はどうしても……忠綱さんが彼女の事を、本当に想っていなかったなんて、思えないんだ」

「先入観のせいとかじゃ、ないんだな?」

 念を押すように問うてくる俊輔に、僕は肯いた。

 結婚への不安を吐露する千与さんに、彼が言った事。彼女の居ない──というより法を使って近くに居ると、気付く(よし)もない所で彼が言葉にしていた気持ち。或いは最期の瞬間、彼が見せた安堵の笑み。

 あの時忠綱さんは、何故ほっとしたのだろう?

 千与さんが主膳殿を庇った時、彼は何を感じ取ったのだろう?

 彼女の過去は、あまりにも悲惨に過ぎた。千与さんは最期まで、彼を憎む事は出来なかったのだろう。彼への愛情を抱えたまま生涯を閉じた彼女は最早叶わぬその想いを「夢遥かの世界」に託し、魂を囚われる事となった。

 しかし僕は、彼女の視点でありながら彼女ではない客体の観測者として、本人では恐らく気付かなかったであろう細かな違和感のようなものを、記憶の随所に感じ取っていた。もう少し考えれば、この世界から彼女を解放する為の糸口も見つかるかもしれない──。

 と、その時俊輔がびくりと震えた。ぎょっとする僕に

「心配ない、弥四郎からの矢文だ」

 彼は片手を挙げて制し、”伝信”用の符を取り出す。

 空中に展開された文面に目を走らせた彼は、「なるほどな」と呟いた。

「各窓の外に指一本も出せず、信号が上げられない……らしい。屋敷は迷路になっちまったが、異空間になった訳じゃないんだな。ちゃんと弥四郎たちも居る。まあ、ここが千与殿一人の主観の世界である以上当然か」

「何かあったの?」

「千与殿を発見したとの事だ。どうやら、俺たちが一時撤退した後で行き違いになってしまったらしい。魔に襲われているらしいんだが、かなり状況が悪いようだ。弥四郎の時柵だって、自身の体内器官も無秩序に停止するんだからな。そう長くは持たせられないだろう」

「それじゃあ、助けに行かなきゃ!」僕は勢い込む。

「ああ。だけど鶴来、お前は大丈夫なのか? あの二人を手こずらせるくらいの魔が出たとなると、この『夢遥かの世界』──千与殿の主観の世界も危うい。夢惣備が完遂出来ないまま俺たちが殺されて、現世(うつしよ)に戻ったりしたら」

 その時の精神への負荷の話は、最初に彼から聞いた通りだろう。

「僕が心渡りをしたから?」

「ああ、だけどこれは必要な過程なんだ。問題はここから、お前が得た判断材料から彼女の未練を解き糺せるだけの真実(こたえ)が得られるか否かだ。鶴来、お前は──夢惣備を成し遂げられそうか?」

 俊輔が危惧しているのは、僕の精神状態に違いなかった。

 千与さんの記憶の追体験から、自分の事のように感じ入りすぎている僕を。冷静に真実を見極める事が、本当に僕に出来るのかを。

 ──僕は、幻月に沙夜が殺され、「夢遥かの世界」に囚われたと知った時、そしてその魂を夢惣備によって連れ戻す為の窓口である彼女の体を奪われた時、俊輔からまだ彼女を助けられるという希望を示されてすぐに向こう見ずな行動に走ろうとはしなかった。彼も、僕がそのような事をすると思ったら、きっと最初に希望を提示しようとはしなかっただろう。

 僕は、他三人の霊能者が「夢遥かの世界」に囚われた事で沙夜を喪った自分と同じように悲しみを味わっている者たちが居る、だから同じように皆を救わなければならないと宣言した。その覚悟は変わっていない。

「……大丈夫だ」

 僕は、目尻に残った涙を指先で払った。

「行こう、俊輔。弥四郎もお胡尹も、千与さんも……皆を助けなきゃ」

「よし」

 俊輔は表情を変えずに肯く。

「お前を信じる」

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