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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』序章 色葉巡り①

 暮れ六つの鐘が鳴ると、宵宮の始まりだった。

 (やしろ)の時鐘が打つ音を運んで来た参道で、提灯がぽつぽつと灯り始める。実際には誰かが火を入れたはずだが、石段脇の森は暮れ(なず)鉛丹(えんたん)色の空を背景に黒々と影を湛えており、人の姿は見えない。狐火のようでもあった。

鶴来(ツルギ)君」

 鳥居の内側、石段の下で待っていると、沙夜(サヤ)がやって来た。

 僕の名を呼ぶ頰がやや上気しているのは、急いで来た為だろう。

「ごめんね、ちょっと遅れちゃったかな?」

「いや、僕が早かっただけだよ」

 言ってから、違うか、と考え直す。

「僕も、ついさっき来たばっかりなんだ」

「出る時に、鶴丸(ツルマル)がちょっとぐずっちゃって……それと、道冥(ドウメイ)先生にも挨拶しておこうと思ったから」

「大丈夫なの、家の方は?」

「お母様が、今日は弟たちの世話は任せてって。年に一度の宵宮なんだから楽しんでくるようにって言ってくれたの。道冥先生も、今宵は塾の事務も立て込んでいないからって。先生も、明日の本祭りに向けて支度があるでしょうから」

「門限はいつまで?」

「亥二つの時鐘まで。だから、締めの花火まで一緒に見られるね」

「良かった。今年も楽しみにしてたんだ」

「……嬉しい」

 沙夜が、小指で耳に掛かる髪を掻き上げる。視線の先を忙しなく変化させていた僕は、その(まげ)に花の(かんざし)が挿されている事に気付いて嬉しくなる。去年、育ての父である義貞(ヨシサダ)に同行して(みやこ)に上り、その土産に買って来たものだった。

 簪を女性(にょしょう)に贈る意味については、僕も理解していた。沙夜の方で、僕が理解しているという事を理解していたのかは分からない。

 さりげなさを装った贈り物だった。沙夜も喜んではくれたが、それが元服を間近に控えて、彼女を見る目が今までと異なっている事の告白と受け止められていたら、彼女は僕をどう思うのだろう、という恐れはあった。

 ──僕は、彼女の心の中を知る事が出来ない。

 僕の生得の”(のり)”である「心渡り」も、僕が日向(ヒュウガ)家、沙夜が栄華(エイガ)家に属している以上、彼女には通用しないのだから。

 簪を贈った後、彼女が秋嵐(しゅうらん)塾に於いて僕や他の門弟たちに対する接し方を目に見える程変えるといった事はなかった。それに安堵する一方、多少怯懦な気持ちも捨てきれずにいたのだが──。

「沙夜、それ……」

「鶴来君に貰ったやつ。合ってる……かな、浴衣に?」

 恥じらうように言いながらも、彼女がそれを着けて来てくれた事に、僕の憂いは霞の如く消えた。

 同時に、普段の着物より薄い若苗色の浴衣姿に改めて見惚れてしまう。山の向こうに消えつつある夕陽を浴び、彼女の濡れ羽色の髪や白い肌が、自ら発光しているかの如く輝いて見えた。

「綺麗だよ、凄く」

「良かった。ありがとう」

 火照(ほて)る顔の色をごまかすように、僕は意図して夕陽を横顔に受ける。僕は檜皮(ひわだ)色の浴衣を身に纏っていた。

 そうこうして、佇んでいると──。

「鶴来、発見!」

 不意に、びしりと声が飛んで来た。面食らいつつ見ると、参道を石段の方へ歩いて来た二人の同胞(はらから)だった。

「や、やあ……弥彦(ヤヒコ)たちも来ていたんだ」

「来るだろ、そりゃあ。鶴来を誘おうと思ったんだけど、家に行ったら、お前はもう行ったって言われたから」

 同い歳の彼らは僕と同様既に薬師(ヤクシ)一刀流の免許皆伝に至り、年明けと共に元服して京に上る事になっている。しかし、その昔と変わらない砕けた口調や仕草は、(よわい)十七というまだ子供とも大人とも取れる歳に相応しい。これが武士ならぬ農民の子であれば、子供で十分通す事が出来る。

「こんばんは、お沙夜さん」

 彼らは沙夜に会釈すると、僕と彼女の間で視線を意味ありげに往復させる。

「……な、何だよ?」

「いや、いいよなあ、鶴来は。なあ?」

 弥彦が、連れの杏八郎(キョウハチロウ)に言う。彼もこくこくと肯く。

「この下り何年目?」

 僕は少々辟易しながらも、誇らしいような照れ臭いような気持ちになって曖昧な笑みを浮かべた。

 正確には十二年目だ。僕が沙夜と出会ったのは五つの時で、宵宮には毎年二人で来ている。

 和泉国(いずみのくに)と隣国・紀伊国(きいのくに)が小競り合いを起こした時、日根(ひね)の村に彼らありと謳われた和泉名刀三家の日向家当主・義貞公が紀伊国で孤児(みなしご)であった僕を拾い、連れ帰ったという。この時僕はまだ三つで、武家の養子となった後は五つの時道冥先生の門下に就かされ、沙夜と出逢った。

 同期生よりも入塾がやや遅かった僕を他の門弟たちと馴染ませるべく、先生や養父(ちち)が彼女を紹介して僕たちは知り合った。名刀三家とは日向家と薬師家、沙夜の栄華家を指し、彼らには養父の父の代──道冥先生と同世代──からの絆があった。先生やその教え子であった養父と、沙夜の父・修成(ヤスナリ)公が、僕の不可避の孤立を懸念して彼女を友達にしようとしたのは当然の事ではある。

 沙夜は女子故に刀術は学んでいないが、僕と同じく法を──呪者の素質を持った霊能者だった。呪縛者でありその力自体は不明だが、優秀な侍と同じくらいに呪者を輩出している薬師家に師事し、いずれ塾頭の助役(すけやく)となるべく事務的な手伝いを行いながら皆と一緒に読み書きを習っていた。

 僕が入塾する際に諸々の段取りを整えてくれ、養父たちの懸念通りなかなか皆に馴染めなかった僕に積極的に話し掛けてくれた彼女は、僕が日根の村でいちばん最初に出来た友達であり、今ではいちばんの朋友だ。

 故に、僕は同胞たちから少なからず羨望に近い眼差しで見られる。

 彼女は塾で数少ない女子であると共に、(ひな)びたこの村には似つかわしくない程可愛らしいのだ。

「お沙夜さん、今宵はいつにも増してお美しい」

「ありがとう、杏八郎君」

 沙夜の(とろ)めくような笑みは、彼らにも分け隔てなく向けられる。

「簪、鶴来からですか?」

「ええ」

「そうなんだ……鶴来」

 弥彦と杏八郎はにやりと口角を上げ、僕の背中を軽く叩いた。手を振り、からからと雪駄(せった)を鳴らしながら石段を駆け上がって行く。

 彼らの姿が見えなくなると、沙夜は跳ねるような足取りで隣に並んできた。

「じゃあ、そろそろ私たちも行こっか」

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