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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』弐ノ章 月下氷人①

  ① 栄華沙夜


 沙夜は恐れていた。

 閉め切られた(やしろ)の中では、祭壇の下、板敷きの空間を取り囲むように四隅に立てられた篝火の他に光源はない。(しとみ)を下ろされた格子窓の外は雲高き秋晴れのはずだが、その日差しも社内に取り込まれる事はなかった。

 その暗闇の中、祭壇が淡く揺らめく炎にぼうっと浮かび上がる。

「気を強く持つのだ、栄華の(むすめ)よ」

 秋嵐塾の教師にして社の(あるじ)、物部堅塩が言ってくる。沙夜は固唾を嚥下し、顎を引いた。

「既に神託は下された。汝は天津国に選ばれたのだ」

「……はい」

 正座の位置を整え、前掛けの胸の前で両手の指を組む。

 せめて、彼に付き添っていて欲しかった。しかし、そのような我儘(わがまま)を口にする事が許されないのは分かっている。彼には彼自身で向き合わねばならない問題があるように、自分のこれもまた、自分自身で乗り越えねばならない事だった。

 物部家との間に僻呪の契りが結ばれる由縁となった、沙夜を霊能者たらしめている法。生を受けて間もなく、自らが「神祝(かむほさ)き」の為の重要な因子であるという神託を下され、その存在を仄めかされていた力。呪縛者として自身の中に()め続けていた、このような生まれでなかったら生涯気付く事すらなかったかもしれない、無自覚の自分の”個性”。

 それを今、解放する事を許すという神託が下った。

 先程堅塩は、沙夜の事を「栄華の女」と呼んだ。

 酷く改まった呼ばわり方だった。彼と共に秋嵐塾で奉公を行う時、堅塩は自分たちの事を名前で呼ぶ。沙夜の父・修成や彼の亡き父親もまた堅塩の門下生であり秋嵐塾の出だった為、顔には出さないながら自分たちは可愛くて仕方のない子供たちなのだろう、と彼は言っていた。

 ──自分で言うのは、ちょっと恥ずかしいんだけどね。

(堅塩先生……)

 無論沙夜は、それに(おもね)り甘えるような態度を堅塩に対して取った事はない。彼は公私、自他共に厳しい人柄ではあったが、沙夜は彼の事を”他人”だと思った事はなかった。

 その堅塩が、現在怖いような顔で控えている。

 彼もまた沙夜と同じく、緊張しているのだ。そして彼の場合、それはこれから解放される沙夜の法に対する恐れでもある。

 呪縛、理化(あやな)す力。それが如何なるものかについては、沙夜も知らない。ただ、今という時が来るまで(ことわり)(いまし)められていた事からも、並み大抵の法ではない事は明らかだ。罷り間違えば、この世の運行すら狂わせかねない程の。

「栄華公修成の子、新世の巫女(みこ)沙夜」

 堅塩が、高らかに名を呼んだ。

 沙夜は視線を祭壇に固定したまま、「はい」と(いら)える。

「汝、その身の一切を女神天照に捧げ、天照の御名の(もと)に日出の地を寿(ことほ)ぐ事を誓うか?」

「はい」

「汝、理に縛められし法を解き放ち、(しか)して己が力に呑み込まれず、常に世人(よひと)の幸いの為にそれを使う事を誓うか?」

「はい」

「我、和泉国日根ノ両界御大人(もろさかのみうし)、物部堅塩。女神天照の許しの(もと)、巫女沙夜の秘めし法『理化(あやなし)』の呪縛を解放せん。沙夜、祭壇に全霊の気を込めよ」

 堅塩が唱え、掌印を組んだ瞬間、

「……っ!?」

 沙夜の肌が発光した。内側から爆発したような光と衝撃が、骨や臓腑を伝って体の表面に突き上げる。全身がばらばらに引き裂かれそうな痛みは、皮一枚を隔てたところで絶頂に達し──しかし、そこで嘘のように退()いた。後にはただ、心地良い浮揚感が残る。

 体がすっと軽くなり、目に見えない何かの流れが、喉から口、宙空を伝って祭壇に向かう。神体の形代(かたしろ)を納めた楠棚の前に幾つかの光点が現れ、沙夜には読めない文字のような形となって円環状に回転を始める。

 堅塩は(おもむ)ろに立ち上がると、すっと手刀を振り抜いた。

(たつ)っ!」

 こちらがびくりと震えそうな一喝と共に、それを光の環に振り下ろす。

 錆びた鎖が弾け飛ぶようにそれが消えた途端、堅塩の唱えた後に発生した一切の感覚が去った。

 沙夜は、自らの剝き出しの二の腕を見下ろす。先程までと、取り立てて変わった事はない──だが、記憶があった。髪の結い方や雑巾のかけ方のような、いつ覚えたのかも分からないような事。しかし、最早自分の一部となってしまい忘れる事は叶わないような。

 自身の法の使い方だった。

「沙夜よ、その法はな」

 堅塩の語調は、その時は既に普段の彼のものに戻っていた。

「ぬしが新世の巫女である為に不可欠なものだ。呪縛を解かれたとはいえど、みだりに使ってはならぬ。まあ、このような場所では使おうにも使いようがないがな。我々は明日、鶏鳴と共に京に向け出立する」

「はい……堅塩先生」

 祭りの後の、彼の物憂げな眼差しを思い出して沙夜は自然に声が落ちた。

 あれから一月と置かず、神託が下るとは思ってもみなかった。あの時彼と心を交わし、()き関係になっていたのは幸いだったのかもしれない。最後になるという事で慌てたように相思相愛を確かめ合ったら、募るのは後悔ばかりになってしまうような気がしたから。

 しかし、そのような仲になれたからこそ沙夜は思うのだ。

 互いをかけがえのない存在と思うようになったからこそ、いつか訪れる愛別離苦は育まれてゆくのではないか、と。生まれてすぐに自らの宿世を知った沙夜は、だからこそ無意識に今まで、彼と男女の仲になる事を避けてしまっていたのではないか。それを、なかなか想いを口に出してくれない彼のせいにしてごまかしていたのではなかろうか──。

「未だ憂いが名残(なご)るか?」

 堅塩はこちらの機微を敏感に察したらしく、そう尋ねてきた。閉め切っていた格子窓の(しとみ)を上げ、社内に日の光を取り入れる。

「我ら人と地の御母(みはは)、天照と共に新たな神話の礎となる。それが如何に喜ばしく、誉れある事かはぬしも知っておろう」

「ええ。ですからこれは、決して天照を冒瀆する意味で言うのではありませんけれども──」

 沙夜は口を開く。堅塩にであれば、内心の不安を打ち明けても今は許されるのではないか、という思いがあった。

 決して甘えではない──けれども。

「彼とももう、お別れなんだな、って……」

 手の中に包んだ桔梗の(かんざし)を、気付けばぎゅっと握り込んでいた。

 あの祭りの夜から、沙夜は毎日のようにこの簪を挿していた。今では随分、それが似合う髪型も結うのが上手くなった。彼に可愛いと言って欲しくて、時間がありさえすれば練習したのだ。

 神託による理化の解放──「天飛(あまだち)(さきがけ)」の儀式に於いては定められた装束を身に纏い、人体の端末である髪を(ほど)いておく事が条件だった為、今はこうして簪を手の中に持っている。髪を解いて尚これを家に置いて来なかったのは、これを持っていれば彼が傍に居てくれるような気がした為だった。

「ぬしの想いについては、皆が理解していた」

 堅塩は、やや沈黙してからそう言った。

「あやつもぬしの父、修成の盟友の忘れ形見だ。ぬしがこのような役目を負っていなくば──否、今回の神託の下るのがもうやや遅ければ、ぬしらの婚姻に異を唱える者も居らなんだろうに」

「ごめんなさい、先生」

「ぬしが詫びるべき事ではない。これもまた天理よ。しかしわしも、ぬしらの仲については変化を悟っていたが故、神託を受けてすぐにあやつとは話をした。ぬしが新世の巫女として生まれ、いつかこのような日が来る事はあやつも十分に──さよう、武士の子とはいえ子供には惨い程、理解しておった。それでも耐え難いものはあったろうが、(おわり)にはあやつは言った。己が存在がぬしの往路にとって妨げとなるのであれば、ぬしの惑いになる事を自分は望まぬと」

「彼が、そんな事を……」

「あやつ自身の、男児(おのこ)の覚悟と言うべきであろう。沙夜よ、ぬしもあやつを真に想うのであれば、あやつのその覚悟を無為にしてはならぬ」

 (さと)すような堅塩の言葉に、沙夜は胸が一杯になった。

 いよいよ込み上げてきた様々の感情を、清らかな社内の空気を吸って再び胸の底に落とし込む。

「はい、先生。私はもう、惑いません」

 ──愛する彼の生きる世界だからこそ、自分が守らねばならないのだ。

 そう思い、沙夜は前掛けの裾を掴む手に力を込めた。

 その、刹那だった。

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