『夢遥か』壱ノ章 夢遥か⑨
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森陰の道を抜けると、街道に出た。
舗装されていない白土の道には、幾重もの荷車の轍が刻まれている。近辺の農村から、租税や特産物を領主に収めに行く農民たちがここを往復するのだろう。城下町に続く道は何処もこのような様相であり、何処の国でも全ての道は城下町へ続いているといわれる。
その道を北に進み、高楼のある門を抜けるともう葛城の市庭だった。
喧騒が僕たちを包み込む。
門前では疎らだった人足が、そこを潜った瞬間一気に増えた。京の朱雀大路に相当するのであろう央路は多くの人々が往復しており、一本道なのに何故僕たちの方から見て”復”の人たちは門外まで出て来ないのだろう、と思う。養父と共に京に行った時もだが、あまりの人の多さに僕は目が回る思いをした。恐らく掏摸に遭っても気が付かないだろう。
茶屋や料亭の並ぶ街並みを横目に、俊輔は慣れたような足取りで中心部に向かって行く。天守閣を見上げる程まで進むと、市庭に入った直後の雑踏は嘘のように遠ざかり、人気のない区画に出た。
掘割に取り巻かれ、高い塗塀が脈々と続く建物は全て武家屋敷だ。僕や沙夜の家のような、俗に田舎侍と呼ばれる者たちとは異なり、ここに詰めている武士たちはずっと高い俸禄を貰い、戦の際には誰よりも先に領主の元に馳せ参じるという責任を担っている。
和泉国、名刀三家はいずれも、こうした城下町の武家屋敷に詰め、村番衆や半分農民のような生活などせずに暮らしてはどうか、と上から持ち掛けられた事があったらしい。だが、道冥先生も養父も修成公も、武士の本分は「一所懸命」にあるとして日根の村に与えられた土地を手放そうとはしなかった。
「由比家からは、既に夢惣備に関する依頼を受け取っている」
道すがら、俊輔は僕にそう言った。
「夢惣備?」
「『夢遥かの世界』に潜行して、囚われた魂を解放する事だよ。夢何有側から魂を引き寄せ、肉体に結び付ける。夢見の刻と呼ばれる時間帯に命を落とした霊能者たちが肉体の時を止める、っていう現象については、『夢遥かの世界』がこうして本来の目的に使用される以前から知られていた。偶然だとしても、条件を満たせば起こり得る事象だからな。
俺が──というか、代々の神子たちが救おうとせずに終わった者たちがどうなったのかは分からない。遺体を腐敗するまで保存しておく訳でもなし、時間が止まったまま肉体を荼毘に付されたか、『夢遥かの世界』に子種を残し、怨霊として現世に戻って来たか……でも俺は、天照道を離れた後あちこちを行脚して噂を広めた。朝廷からの追手が掛かっている以上危ない賭けではあったけど、矢文の宛先もあちこちに貼り付けてな。予想通り、報せが来たのは由比家からの一件だけだった。あとは天照寮に居た頃に把握していた弥四郎とお胡尹、京の一人、最後は風聞を耳にしてもしやと思い、自分で調べた一人だけだ」
「危険と釣り合っていないよ、それは……」
僕は、口を挟まずにはいられない。
「幻月にも知られて、依頼を装った罠に掛けられる可能性だって」
「あったよ、実際にね。おかしいと思って依頼主の身辺を調べ、偽りだと分かったらすぐに逃げる、を繰り返した。道冥先生や、ご令兄の晋冥師にも随分迷惑を掛けてしまった。もう分かっているとは思うけど、刀術を使えない俺は戦いには向いていないからさ」
「だから、弥四郎君が協力したんだよねー」
お胡尹が、こくこくと肯きながら言う。
「『夢遥かの世界』から解き放たれた後も、恩返しがしたいって。それは、私もそうだけどね」
「お胡尹の件に関しては、まだ一件落着とは言い切れないしな。……まあ、そんな訳だけど、それでも俺はやるしかなかった」
「僕が……弟だったから?」
「それはあくまできっかけだ。今、お前は俺が助けなきゃいけない”皆”の中に含まれている。お前が、沙夜だけじゃない皆を救わなきゃいけない、って言い切ったように」
俊輔は拳を握り込むと、矢庭に足を止めた。
僕は、彼に続いてぴたりと止まった弥四郎の背にぶつかりそうになる。
「ど、どうしたの?」
「着いたよ。ここが由比一族本家の武家屋敷だ」
俊輔に言われ、僕は顔を上げる。
京で他の武家と交流する事は確実なので、武鑑を読む事はあった。由比家は石高千二百石、平均よりやや上位の旗本。名門・瀬利家の傘下に属し、仙花堂流刀術の開祖を輩出した。
元服前の田舎侍である僕には、建ち並ぶ武家屋敷それぞれの細かな違いを判別する目はない。しかし、門扉に描かれた竜胆の家紋は、紛れもなく僕が覚えていた由比家のものに違いなかった。
「武家……」
「直接他家を訪うのは初めてか?」
俊輔は言ってから、「ちょっと早かったかな」と呟いた。
先程、七つを告げる時鐘が鳴ったばかりだった。
「今日俺たちが到着する事は、事前に矢文で知らせてある。依頼を受けたのは、鶴来と沙夜を護る為に日根に入る直前だった。宵宮の夜までに最優先で目標を達さなければという気持ちはあったが、時を置いたのには夢見の刻を避けるという意図もあったんだ」
彼の説明に、僕は納得して肯く。「夢遥かの世界」に囚われる霊能者たちの条件が分からないので、危険は最大限に回避せねばならない。もしも俊輔たちが囚われる事になってしまったら、天照寮の呪者たちによる奸計を挫くという目的すら水泡に帰しかねない。
と、そうしていると──。
「お待ちしておりました、周防殿」
門が開き、掘割に橋桁が渡される。予定時刻より早い到着だったらしいが、中から物見窓越しに番をしていた者たちがこちらの姿を認め、件の呪者一行であると分かったようだ。
丁寧に頭を下げたのは、常盤色の着物を纏った侍だった。
「矢文を放ちました由比家家門、炳五郎と申します。遠路遥々、ご足労頂き感謝申し上げます」
「初めまして。呪者、周防俊輔と申します。こちらは夢惣備の助太刀をしてくれる仲間、鶴来、弥四郎、お胡尹という者たちです」
俊輔は紹介に際して、僕たちの姓を口にしなかった。日向や鯨伏という武家の名前から、素性ついて余分な詮索をされる事を避けたのだろう。
「宜しくお願い致します。どうぞ、こちらへ」
「最初に確認したい由が二、三ありますれば……」
「ええ」
「我々から最後の矢文を受け取られた後で、ご息女の身に異変は? 特に、八日前の亥の刻などに何かございませんでしたか?」
「いいえ、特には。何せ、髪一本として抜けぬのですから」
「分かりました。では、家内の他の者には?」
「そちらも、何もありませぬ」炳五郎殿は伏目した。「分家も含め、由比の家で法を持って生まれた者は、千与殿のみにございますれば」
「という事は、他家との間に僻呪の契りを結ばれているような事もない、という解釈で宜しいですか?」
「ええ、仰る通りです」
僻呪の契りは、その家に霊能者が属していない限り結ぶ事は出来ない。僕のように家を出たり、身内に居た霊能者が命を落としたりした場合、掛けた者の意思で解かれた訳ではない為効力は続行するが、その後数年間に渡ってその家から霊能者が出なかった場合自然に消える。
確認を済ませると、俊輔は口を噤んだ。
事前に話がついていただけあり、僕には水の流れる如く進む状況に、それこそ夢を見ているかのような気分だった。最初の霊能者がどのような人物なのかも説明を受けていない。が、俊輔は「今は何も問うな」と背中で語っていた。
屋敷の中へは、前庭を迂回して裏から案内された。夢惣備を行う呪者がやって来るという事は、限られた者たちにしか明かされていないらしい。
「ご当主が不在で申し訳ありません。容昭様におかせられましては、只今領主片桐公滋親様に従い山城国に出向かれています。留守中の事は、この私、炳五郎めに一任されているのです」
炳五郎殿に説明され、俊輔は驚いたように顔を上げた。
「分家に属する者とはいえ、千与殿は容昭公のご息女。その方がこのような状態であるというにも拘わらず……?」
「やむを得ぬのです。千与殿は側女の子の一人であり、当主の座を継承し得ぬ女子です故。その上、周防殿の伝聞られたという呪術的な理屈につきましては、ご当主様もご存知ありませぬ。実際のところ、千与殿は既に──亡くなってしまわれたのでしょう?」
「……ええ」
答えた俊輔は、痛みを堪えるかのような表情だった。
「当初、ご当主様は彼女を……教師役のあの男と共に倒れ、既に体温を失い心の臓も止まっていた彼女を発見された際、死斑や創傷などの一切ないその様子から異変を察知された後も、引き続きそのお体を『深森の屋敷』に置くようご意向を示されたのです。それを我々がお諫めし、この本家に運んで参った次第なのです」
「そうですか……しきたりとはいえ、悲しい事を」
炳五郎殿は、あたかも盗みに入ってでもいるかのような足取りで静かに廊下を渡って行く。心なしか、小姓たちまでもが今は屋敷の中で息を潜めているようだった。異様に森閑としていた。




