表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢遥か  作者: 藍原センシ
14/168

『夢遥か』壱ノ章 夢遥か⑧

  ⑥ 日向鶴来


「ここらで少し休もうか」

 大和国に入って山を下りた辺りで、俊輔が僕たちに言った。

 彼らには京からの追手が掛かっている為、関所を通過する事は出来ない。必然的に山林の道なき道を進む事が多くなり、隣国に入れたのも村を出て七日あまりが経過してからの事だった。

 関所付近は侍や呪者が多い為か、妖は狩り尽くされており出没しなかった。とはいえ百鬼連の横行は個々の妖の強さのみならず、発生頻度にも影響する。死後に人間がなる怨霊、動物の一種である妖怪は狩り尽くした場所から時間経過で再湧出するものではないが、厄介なのは自然発生する魍魎(もうりょう)(たぐい)だ。

「鶴来、結界の張り方は教わっているか?」

 俊輔に尋ねられ、僕は首を振った。

「呪は全く。武士志望だったから……」

「斥邪結界程度なら、覚えておいて損はない。注連縄(しめなわ)を効率的に張れれば、法唱(のりと)も簡単なもので済むし」

 俊輔は数本の杭を取り出すと、僕たちの腰を下ろした場所を囲むように立て、間に縄を張り巡らせた。紙垂(しで)にすらすらと筆を走らせ、それらを縄に結び付けていく。

「斥邪結界の法唱は、邪神止(くなと)を意味する二つ以上の語だ。それらを連歌の形で繋いでいき、まとまりを作る。縄が長くなればなる程必要な句も増えるから、可能な限り短くまとめるのが定石だ」

 彼は一度結界を解き、「やってみな」と言いつつ杭と縄を渡してくる。

 戸惑いながらも結界を張り出した僕だったが、

「こうじゃないかな……」

 あちらに杭を立て、こちらにも立て、とやっているうちに縄の長さが足りなくなった。俊輔は何も言わずに次のものを渡してくれたが、いざ張り終わってからも次は法唱が上手く出来ない。俊輔の言葉を聴く限り制約は最小の部類に属するはずだが、僕自身に圧倒的に語彙が足りないのだ。

 同じ語彙を繰り返し法唱に含めると言霊(ことだま)の重みが失われ効力が削がれる、というのは、呪術を学ばない者でも当たり前に知っている事だった。

 僕自身の凡庸な読み書き能力で、これ程複雑化してしまった結界全てに法唱を行き渡らせるという事自体が無謀だったらしい。というよりも、根本的に呪術の才に乏しいのか。

 半ばいい加減に最後の紙垂を結んだ時、頭を押さえながら僕の奮闘を見守っていた俊輔は「あー……」と言葉を濁した。

「まあ、練習が必要って事だな。比較的簡単なものとはいえ、やっぱり呪を最初から使える奴なんて居ない。初めてにしては筋がいい方──と、言えば言えたりもする……のかな?」

「矢文だったら出来るんじゃない? 呪符に向かってお話しするだけだもん」

 お胡尹が、自分の”端末”を誇らしげに示す。僕はげんなりして、

「それが使えない人は、居ないと思うけど……」

 やや引き攣った声で言った。

 ──僕の呪は、そこまで絶望的なものだと思われているのだろうか?

「弥四郎は、元々武士だったんだよな」

 俊輔が話を向けると、弥四郎はぼそりと発した。

「武家の八男なんて、侍を続けたところで家督が継げる訳でもない。時柵は俺の個性だ、それが十分に生きる所といえば、呪者しかないだろう」

「とはいえ、時柵が戦闘向けの法である事は間違いない。刀術も使えるっていうのは必要条件なんじゃないか?」

 俊輔は羨ましそうに言う。

「俺は武芸がものになる前に、呪者に転向してしまったからな。その分では、鶴来とは真逆だ」

「いいんじゃない、兄弟で役割分担」

 お胡尹が、僕と俊輔を指差した。僕たちは顔を見合わせる。

「兄弟……か」

「何だよ鶴来、やっぱり俺が兄貴は嫌か?」

「いや、嫌っていう訳じゃないけど……何か、未だに実感が湧かなくて」

 正直な気持ちを、僕はそのまま口にした。

 沙夜や道冥先生が目の前で命を奪われた光景は、今思い出しても指先に震えが生じてしまう程生々しい現実だった。一方、俊輔が僕の異父兄だという話は、信じるべき(よすが)が彼自身と先生の語りしかない。僕自身から記憶が消されているという事も手伝い、それは酷く浮泛(ふはん)な”真実”だった。

「まあ、それもいいさ」

 俊輔は、別段気を悪くするでもなく僕の背中をぽんと叩いた。

「少しずつ、俺が頼れる兄貴だって思えるようになってくれればいい」

「は、はあ……」

 僕が曖昧な返事し、以降は皆静かになった。

 銘々(めいめい)に、山越えでくたびれた体を労わる。俊輔は手製の地図が描かれた巻物を読み直し、弥四郎は刀に寄り掛かり、胡坐あぐらをかくでもなく片膝を立てて座っている。目を閉じているが、眠っている訳ではなく精神統一をしている事は、これまでの道程で分かっていた。お胡尹は、たまたま見つけた蟻の巣をつつき、手の甲に上らせた蟻を楽しげに観察している。彼女も彼女で、なかなか不思議な少女だ。

 四半刻程度が経ち、

「そろそろ行くか」

 俊輔が合図をした時──。

 ドロドロドロドロ……と、腹の底に応えるような低音が何処かから響き始めた──響き始めるものがあった。

 先程僕たちが出て来たばかりの、(いす)の木や椎の森林がざわざわと枝葉を揺らし、音は震動となり空気を唸らす。否、震えているのは空気ではなく、僕たちの腰を下ろす地面のようだった。

 誰からともなく立ち上がり、各々(おのおの)が刀や呪符に手を掛けた。

「何だ? 地震(ないふれ)か?」

 転瞬、僕の二の腕にぴりっという感覚が走った。

 既往感──気配。何の?

 僕はすぐに思い至る。

(幻月……妖怪!?)

「皆、ばらけて!」

 俊輔が何かを言う前に、僕は叫んでいた。それとほぼ同時に、僕の張った不細工な結界の杭が震動に押し出されるように土から抜け、ばたばたと倒れる。注連縄(しめなわ)がだらりと落ちた時、待っていましたとばかりに地面から土煙が上がった。

 何かが飛び出す──前、僕たちは跳び退(すさ)っている。

 もうもうと立ち込める土煙の中に、僕は激しくうねる太い”胴”を見た。

邪祟(じゃすい)か!?」──弥四郎。

蛟竜(みづち)だ、西国にはよく出る!」

 俊輔は応じながら、既に呪符を投げていた。

 それが貼りついた瞬間、”胴”に(まつ)わっていた土煙が風圧に飛ばされるように晴れた。大太鼓を鳴らすかの如き咆哮が響き、僅かに膨らんだ頭部は反撃とばかりに俊輔に向かう。

 柘榴(ざくろ)の如く割れた口腔内に、腐肉のこびりついた牙が見えた。

「危ない!」

 僕は、抜刀しつつ蛟竜の口の前へと飛び出す。横一文字に刀身を薙ぎ払い、鎌首を(もた)げたその鼻面を浅く切り裂く。

 柄に荒縄を巻かれた、野侍の得物(えもの)とする野太刀。家に帰る事なく出て来てしまった為、養父から授かった愛刀──とはいえ、塾での稽古は木刀で行う為元服するまで一度も振るう事はない──は村に置いて来てしまった。隠れ家を襲撃した幻月が退却した後、死んだ野侍の傍から護身用に一振り拾って来た刀で、これが先生の命を奪ったのかと思えば(はらわた)が煮え繰り返るが、

「はああっ!」

 今は、皆の身を守る事を感情に優先させねばならなかった。

 僕は裂帛の気と共に再度刀を振るい、仰反(のけぞ)った蛟竜の喉笛を縦に斬り下ろそうとする。しかし、その木の幹の如く太い首の皮膚は、動物の性質上柔らかな腹側であるにも拘わらずやいばが通らなかった。

「並みの斬撃じゃ駄目だ! 型を使え!」

 弥四郎が、俊輔を庇った僕を更に庇うように前に飛び出した。

断落双(ダンラクソウ)!」

 上段から斬り下ろし、軌道の半ばで減速して再加速。これもまた、流派を問わぬ基本の二連撃技だ。とはいえ、型である事には変わりがない。

 弥四郎の斬撃を浴びた蛟竜は、頸動脈を刎ね斬られるまでは行かなかったが、刃が肉に入ったらしく悲鳴を上げて一度身を引いた。その隙にお胡尹が鬼火の幻を発生させ、牽制する。

「蛟竜は、最下級とはいえ龍の(さが)を持っている」

 体勢を立て直しながら、俊輔が解説した。庇いに入った僕に「ありがとう」と言いつつ、次の呪符を指の間に挟んでいる。

「龍は一般的な妖怪よりも種としての能力値が高い。攻めと守り、どちらを採ってもな。こんなものが居て、守護役の連中に真っ先に狩られなかった事にまず驚かざるを得ないが──」

「グワアアアアアアアンッ!!」

 蛟竜が、彼の声を掻き消すように絶叫した。お胡尹は増々火勢を強めるが、本物の火と紛う程の精度が(かえ)って仇になったのか、蛟竜は完全に地面から現した尾を振ってそれらを消してしまった。

「あっ、酷い!」

 彼女はもう一度掌印を組み直す。転瞬、(ついば)むように突き出された蛟竜の頭部が彼女を痛撃する。どの部位をやられたのかははっきりとは見えなかったが、具現化しかけていた炎の幻が中断され、その場で爆散を起こした。彼女が足を揃えたまま仰向けに引っ繰り返り、蛟竜も至近距離からの爆風を浴びて怯んだように身を引いたが、恐らく次の瞬間立ち直るのは後者だ。

七斗(シチト)無外流……」

 一旦後退した弥四郎が、構え方を変化させる。俊輔が先程取り出した呪符を放ちながら、「鶴来!」と僕の名を呼んだ。

「弥四郎に続け! 道冥先生に教わった型を使うんだ!」

「……蒼穹飛麟衝ソウキュウヒリンショウ!」

 弥四郎の刀身が、淡空色の光に包まれた。切っ先を上にして構えられた刀が、掬い上げるような軌道で龍に肉薄する。虚空に残ったその軌跡を追うように、僕も俊輔の声に背中を押されて土を蹴った。

「薬師一刀流!」

 両腕を可能な限り左体側に運び、体を捻って威力を溜める。

 全身の力が刀に収斂した、と思った瞬間、それを反動と共に解放する。

桃源回天(トウゲンカイテン)!」

 ──半月弦状の軌道を描く、水平方向への薙ぎ払い。

 それは、蛟竜の体幹を縦に斬り上げて向こう側に離脱した弥四郎の後に続き、敵に叩き込まれた。二筋の軌道がやや斜めの十文字を描き、目映(まばゆ)く発光する。

 そしてそれが首を完全に包み込んだ時、蛟竜の頭部は高々と舞い上がった。切断面がしっかりしていたのか、虚空に噴水の如く血が飛沫(しぶ)く事もない。

 龍の太大な胴体は頭部を欠いて尚悶えるように空中に伸び上がり、忙しなく尾で地を叩きながら荒れ狂っていたが、やがて地響きを上げて倒れた。その全体がぴくぴくと痙攣し、動かなくなるのを見届けると、俊輔がほっと息を()いた。

「終わったな……鶴来、弥四郎、お胡尹」

 それぞれの名前を一人ずつ呼び、仄かに笑みを浮かべる。

「よく、やってくれた」

「た……助かったあー……」

 お胡尹が、気抜けしたようにへなへなと崩れ落ちた。弥四郎は微かに刀身を空振りして残留した血の雫を払い、納刀する。

 僕は、三度目となる実戦で、初めて勝利を収めた自分の手を見る。

「やっぱり、免許皆伝しただけの事はある。さすがは道冥先生の教え子だ」

 俊輔に言われ、僕は胸が一杯になった。

「良かった……先生から学んだ事、ちゃんと生きていたんだ……」

 道冥先生は、もう居ない──その事で心に空いていた空洞、現実を否認したいという思いが、温かな悲しみで満たされていく。

 ──僕は今、()()()()()()()()()()

 時の流れに取り残された沙夜の遺体の傍で泣き崩れた時とは、また別の気持ちだった。きちんと悲しむ事で、心に刻まれた深い傷跡が少しずつ癒されていくような気がした。

「俺が呪祷官だった頃」

 俊輔は、「それから」と言って付け加えた。

「守護役で京にいらっしゃった義貞公の鍛錬を、監督役の一人として見ていた事がある。勿論俺は、大内家を出てから彼やお前に関わる気はなかった。だから特別に話し掛けに行ったりはしなかったが、やっぱり見る事には見ていたんだな。お前の太刀筋は、彼に似ている」

 一瞬、僕は面食らった。

 言葉が出なくなる僕に対して、俊輔は含めるように言った。

「お前と義貞公には血の繋がりはないし、お前が日向家を出ると決めた以上もう親子の関係(つながり)もない。けれど、そういう目に見えるものじゃないんだ。表向きには他人に戻っても──(ことわり)がお前を僻呪の契りの埒外に置く程、厳格な(いまし)めでお前を彼とは関わりのない人間だと判じたとしても、そういうものに縛られない程お前は義貞公の(せがれ)だ。お前は、家名を捨てても彼を捨てた訳じゃない」

「……いいの、俊輔?」

 僕は、やや戸惑いながら彼に問うた。

「呪者の君が、そんな事を言っても?」

「いいんだよ。だから俺は、天照道を捨てたのかもしれないけどな」

 言ってから彼は、再度皆に目を戻した。

「百鬼連の陰で糸を引いているのが天照道であっても、朝廷の武士たちが今のような規模の邪祟を放っておくとは考えにくい。妖の湧出頻度は、俺たちが思っている以上に高くなっているのかもしれない。今後も気を抜かずに行こう」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ