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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』伍ノ章 新世開闢⑰


          *   *   *


 地獄絵図の一言に尽きた。

 元々ひび割れたまま修繕されていなかった路傍の石畳の亀裂には、斬り殺された町人たちの遺体から流れ込んだ血が水坑(みずたまり)を形成している。百鬼連の人外の力が嵐の如く過ぎ去ったのだろう、大入道に引き毟られたように壁面を大きく引き剝がされた家々は、巨大な獣の死骸を彷彿とさせた。

 その周囲で、全身から黒い気を立ち昇らせた堕ち武者たちが乱舞していた。殷々と(こだま)する法唱と共に、魔方陣が周辺の建物の壁を撫ぜるように通過し、通りを走りながら僕が見てきたように廃墟同然の有様へと変えていく。

 酒池肉林を血と臓物に置き換えたような、魔物の狂宴だった。頭からまだ温かい濃厚な臭いを放つ血液を浴び、荒れ狂う堕ち武者の姿は最早人間かどうかすら定かではない。

「どけえーっ!!」

 叫びながら、僕は道の先に居た一団に斬り掛かった。

 野獣の唸るような声を上げつつ、手前の二人が僕の方を振り向く。が、その時には既に彼らの首は空中に舞い上がっていた。切断される瞬間に発した声が転瞬倏忽(てんしゅんしゅくこつ)の遅れを経て音になったらしく、斬られた首はまだ声を上げていたが、それは悲鳴ではなくやはり唸り声だった。

 僕は絶え間なく叫び続け、刀を振るい続けた。だが、何と叫んでいるのかは自分でもよく分からない。きっと僕も、幻月たちと同じような声を出しているのだろう、とう事は想像がついた。

 道行く人々に襲い掛かって斬殺──否、惨殺しようとしている敵に無我夢中で向かって行き、一太刀で斬り伏せる。その度に襲われていた人々と短く目が合ったが、命を助けられた彼らは皆、僕に対してもその双眸(ひとみ)に恐怖を色濃く湛え、金縛りから解放されたかのように逃げて行った。

 自分が斬り倒した堕ち武者の悪鬼の如き形相を見、これが人殺しの顔なのだ、と思った。そして、自分も似た顔をしているのだろう、と。

 僕にとっては、幻月との対面は一種の心の傷を抉り出す行為だ。沙夜を奪い、僕を戦いへと駆り立て、その結果駄目押しをするかのようにまたこうして無辜の人々を殺め、それに愉悦さえ覚えている。到底許せるものではない。

 ──公然と命を奪い合う事を暗黙のうちに許し合った者たちが、その約束に基づき殺意をぶつけ合う。それが、武士同士の戦いだ。

 何度も胸中で唱えた結観を、僕はもう一度繰り返した。

 だから別に、僕は自分の殺人を正当化しようとは思わないし、高潔ぶるつもりも(はな)からない。しかし、或いはだからこそ、僕が許せないのは、その暗黙の了解外に居る武士でない人々に対し、逃れようのない天災を装うかのように”暴力”を行使し続ける者たちだった。

 既存の(しかばね)の山を堕ち武者たちのそれで上書きしながら、僕は血に塗れた街路を駆ける。既に幻月が通過した場所では人々は皆逃げてしまったらしく改めて町人と遭遇する事はなかった。

 だが、いつまでも軍団が動かない事には疑問を覚えた。実際に僕が俊輔から任された範囲で、僕以外に戦っている者の姿は見えず、それどころか一般人以外の装いをした死体すら見られない。

 住良宮があり、また武家屋敷が集まっているのは北部だ。軍団は、既に出てはいるものの、こちらに向かって来るまでに向こうに居る敵によって足止めを余儀なくされているのかもしれない。僕はそう思い、無理矢理自分を納得させながら──余計な事は考えるな、と自らに言い聞かせながら──進み続けた。

 やがて、見覚えのある場所に出た。

 病み上がりのミコトが無断で出て行こうとした時、彼が盗みを働こうとした宅地のある一画だった。しかし言わずもがな、その様相はこの間訪れた時とは一変してしまっていた。

 朱雀大路に近い場所に並んだ大商人の長屋(併用住宅)や旅籠(はたご)と異なり、小規模な建物の並ぶその区画は、僕が目の当たりにした「(わざわい)」の法唱を受けてあたかも竜巻が通り去ったような有様になっていた。敷地内で畑仕事をしていたのであろう人々は五体をばらばらにされて土と混ざってしまっている。まだ(かろ)うじて人相が判別出来る死体もあったが、その中に僕は、あの日ミコトを懲らしめようとしていた男たちの首を見た。

 このような洛外に近い場所まで徹底的に荒らすとは、と思い、無意識のうちに刀の柄を握る手に力が込もった。

 今に始まった事ではない怒りが改めて燃え上がったが、いつの間にか辺りから幻月の姿が見えなくなっていた事で感情の昂ぶりは去っていた。それにより、先程まではその昂ぶりによって感じる(いとま)もなかった経絡への刺激が一挙に僕の内側から押し寄せて来た。

 僕は思わず膝を突くと、思い切り嘔吐(えず)いた。食べたばかりの朝餉(あさげ)に加え、黒ずんだ血液混じりの胃液が零れる。喉が焼かれるような痛みに、涙が詰まりそうな程両の目に込み上げた。

(これ以上先に行ったら、京極の無法地帯だ……)

 ミコトに聞いた事を思い出す。

(京の人々の殺害(せつがい)が目的なら、これより向こうに幻月が居るとは思えない。もう、俊輔たちに矢文を送っておくべきか)

 そう思いかけた時だった。

 背中に、不意に冷たいものが走ったような気がした。すぐ頭上で、日光が一点に凝縮され、()ぜたように煌めく。刹那の後、それは総毛立つ程の殺気となって(うなじ)へと肉薄して来た。

「……っ!」

 僕は無言で力を吐き出し、屈み込んだまま横方向に体を倒す。嘔吐き切れていない血痰が肺腑に落ち込み、激しい喘痛を感じたが、気力で抑え込んだ。そうしないと自らに迫る殺気に、抗いきれないように思った為だった。

 視界の端の方で、僕が今まで吐き出していた血反吐(へど)の中に特大の牛刀のような刀が突き込まれた。ズバッ! という半紙を裂いたような音と共に地面が大きく切り裂かれ、その口が血反吐を呑み込む。凄まじい威力だ。真面(まとも)に喰らっていたら、僕の頭蓋(とうがい)は砕け散っていた事だろう。

 僕は恐れを振り捨て、横倒しの姿勢のまま腕だけで型を繰り出した。

真退魔剣(シンタイマケン)!」

 複雑な動きは不可能だった。袈裟斬りの強化型を選んだのは、現在の姿勢のままで繰り出せる単発技のうち最大威力になるものを採った為だ。

 地面に突き刺さった敵の刀が、斜め下からの強い力を加えられてその刀身を跳ね上げた。僕はすかさず立ち上がると、敵と切っ先を合わせたまま地面を蹴り、刀同士の触れ合っている箇所を力点に宙で逆立ちをしているような姿勢になった。そのまま顔を上げた敵の肩口に、刀身を滑らすように突き込む。

 雑兵たちとは一線を画す()で立ちである事が分かった。黒韋威(くろかわおどし)の鎧、鍬形(くわがた)の付いた兜。顔には、返り血なのか何かの目印なのか、真っ赤な着色が施されている。

輪転機関(リンテンキカン)!」

 手首で激しい回転を掛けられた刀が悲鳴を上げた。火花と共に、手の甲に微かながら断続的な痛みが走る。針で刺されたような傷が生じ、血液がぱちぱちと跳ね散るのを見、砕けた刃の破片だという事が分かった。

 刀が激しく刃毀(はこぼ)れし、痩せ細っていく。

 そして、その先が敵の肩を貫くと同時に、

蓮岑龖覇断(レンシントウハダン)!」

 敵が、刀を大きく横ざまに振った。巨大な龍のような光果が見えた、と思った瞬間には、もう凄まじい衝撃で呼吸が出来なくなっていた。

 痩せ細ったこちらの刀が、重量を加味された敵の技の前に小枝の如く破砕した。四散する煌めきの中、力点を失った僕は放物線を描いて跳ね飛ばされる。敵は冷静沈着にこちらを見たまま、肩に突き刺さった刀の先端部分を手掴みで抜いて路傍に投げ捨てた。

 僕は受け身を取ると、砕けた刀を放り捨てる。こちらが丸腰になったのを見計らったように、何処からともなく野侍たちが集まって来て、座り込んでいる僕をぐるりと取り巻いた。

妖憑(あやがか)られている訳でもなかろうに、無茶な動きをする……」

 最初に襲い掛かって来た巨大な刀を使う敵──ここに居る者たちの行動隊長のようだ──が、愛刀を地面に突き刺しながら呟いた。

 僕は手を突いて立ち上がりながら、軋む体が再起するまでの時間を稼ぐべく分かりきった質問をする。「幻月か?」

 敵──ぴくりと眉を動かして、「何故、我々の名を知っている?」

 僕は立ち上がると、素早く周囲の幻月を見回す。黒韋威の侍の横にいつの間にか現れていた一人に狙いを付け、精神を集中した。

(来い、心象)

 心渡り──成立と同時に刀を振るい、すぐ横に立っていた一人の体側をばっさりと斬り割る。その体が傾倒すると共に素早く刀を奪い、魂抜け状態の自分の体の方に放る。他の幻月たちは何が起こっているのか咄嗟に分からなかったようで、ぎょっとしたように僕が肉体を奪った一人の方を見た。

 その時には、僕はもうその堕ち武者の鳩尾(みぞおち)に、手ずから刀を突き刺していた。激痛と共にその体が絶命し、倒れ伏す──前に再び自分の体へと精神を戻し、今し方放らせた刀を拾って低姿勢のまま飛び出した。

 一人、二人、三人──と、呆然とする敵の首が宙を舞った。

 すぐに我に返って向かって来た敵だが、その時には包囲網は完全に崩れていたと言って良かった。

 また一人、二人、三人──ある者は頸動脈を刎ね斬られ、またある者は額から鼻、両唇までを縦に割られ、散華した。心の臓を突き刺され、刀身が背中側まで突き抜けた敵も居る。

 黒韋威の侍は、仲間が一人、また一人と屠られる間、不動を保っていた。その目を見る余裕はなかったが、恐らく高みに立ったようにこちらを品定めするかの如き色を湛えていたのだろう。

 群がって来た敵が全滅すると、彼は地面に刺して上体の重みを掛けていた刀を抜き取って構え、ごうと風音を立てて素振りをした。

「見事だ、若き侍よ」

「………」

 大勢の罪なき人々を虐殺しておきながら、練達の戦士を装うかのような偉ぶった態度が気に入らなかった。僕は荒い息を()きながら目を細め、彼に対しても心渡りを行おうとする。(やいば)を交える事などせず、自害させようと思った。僕は、強者(つわもの)との刃合わせを愉しむ為にここに居るのではない。

 向こうはまだ僕の法に気付いていないだろう。先程雑兵から刀を奪った時こちらが何かをしたとは勘づいただろうが、目を合わせて心を移したとまでは確信しているはずがない。

 そう思い、再び法を発動しようとした時、

「……っ!?」

 ──この感覚は。

 感じた事のある危機感に、僕は直ちにその試みを中止した。

 勝呂兵部さんの夢惣備の際、募った怨念から解放されない彼に最初に心渡りを試そうとした時の感覚だった。どす黒い負の心理が、煮え滾った油の如く逆流して来るような現象。

 心渡りは相手が強くそれを拒んだり、相手の精神がこちらの介入する余地のない程に強靭だったり、こちらが共有するのを拒む程の悪心(おしん)が蓄積されていたりすると成立しない事もある──。

(元々凄まじい精神構造なんだ、この男は)

 僕は、癲癇(てんかん)とはこのような症状なのではないか、と思うような感覚から自分を取り戻そうとしながら考えた。

(それが、身の内に百鬼連を取り込んだせいで……)

「貴様の名は」

 僕の心理を知ってか知らでか、侍はそのような問いを放ってくる。

 僕は、相手の調子に呑まれないよう(いら)えた。

「日向公義貞の子、鶴来」

「拙者は山城国領主畠山家が家門、勘解由(カゲユ)

「御家門? 奴らは自分の家の者まで、堕ち武者に堕としたっていうのか……」

「名乗りは済ませたぞ。ではいざ、改めて押して参る」

 最早話す事はない、というように、男は向かって来た。

 先程と同じように無理に立ち回っては、また刀を折られてしまうだろう。今度は周囲に生きた堕ち武者は居ない、先程のように心渡りで不意を突いて刀を奪う事も出来ないし、そうなれば万事休すといっていい。

 僕は迎撃の構えを取りつつ、もう反撃の方法を組み立てる方に頭を回していた。二手、三手先を予測しつつ立ち振舞わなければ、即興の対応しか出来ず防戦一方となるだろう。

特両断(トクリョウダン)!」

 ──脳天からの一撃。またもや重攻撃だ。

 敢えて止めるのではなく、斜め方向に軌道を逸らす事を考え、

璧龍爪ヘキリュウソウ!」

 袈裟懸けの三連撃の型を採った。

 一撃目で勘解由の巨大な刀の側面を叩き、駄目押しの二撃目で刀軌を逸らす。切っ先はそれでも僕の肩甲骨から(あばら)の脇の辺りを撫で斬ったが、臓器や太い血管に当たる事はなかった。

 痛みを堪えつつ、三撃目。それは、構え手が下段となり隙間の出来た勘解由の胸の上辺りに切創を刻んだ。

「むっ……!」

震空破(シンクウハ)!」

 すかさず、僕は突きの型に刀を持ち替える。これで心の臓が貫ければ、短期決戦は叶う──と思われたが、

鵤羽原(イカバハラ)流刀術──」

 そうはならなかった。

彼河化粧(ヒガゲショウ)

 僕の体側側に回った刀の勢いが引くのに任せ、勘解由は位置を替えた。

 瞬間移動をしたかのような動きだった。無防備な横に回った彼が刀を振り上げ、今度はそちらから僕の頭を狙って来る。あたかも、顔を削ぎ落とそうとするかの如き動きで──。

(鵤羽原流……この男は今、そう言った)

 俊輔が言っていた(いにしえ)の殺人剣の名だ、と僕は思い出す。全ての型が必殺技だという、恐るべき流派。現在では使う者とて居ない、蘇古常百鬼を始め百鬼連の上位の者たちのみぞ使う──。

「─────!!」

 声にならない気合いと共に、僕は上体を大きく反らした。半扇の弧を描くような軌道で刀を振るい、振り下ろされた勘解由の(やいば)を勢いをつけて弾きつつ滑るようにその下から抜け出す。

 位置を替えるまで彼が立っていた場所に移り、振り向きざまに更に一閃。渾身の型を弾かれた勘解由は直ちに動作を変更し、刀身を正面に構えてこちらに突進を掛けて来ていた。

 二筋の光芒は流星の如く互いに接近して行き、大量の火花を散らしつつ一瞬だけ交錯、再び乖離した。

 僕たちは、最初とは立ち位置を逆にして向き合っていた。

「………」

「………」

 しばし、互いの息遣いだけが響いていた。勘解由の方は、呼気と共に黒い煙のようなものを短く吐き出している。その両目の眼光が、心なしか一層輝きを強めたように僕には思われた。

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