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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』伍ノ章 新世開闢⑫


          *   *   *


 翌日からは、同じような日々が続いた。

 ミコトにそうしたように、夜は交替で僕、俊輔、弥四郎がお胡尹に付き添い、ミコトは眠る。彼もこの当番に加わりたいと言ってきたが、これは俊輔も承認はしなかった。ミコトの体力や免疫が落ちている事は事実だし、再び彼に風邪が伝染(うつ)って寝込むような事があれば同じ事の繰り返しになる、というのがその理由だった。自分に気を遣われているのであればミコトも無理を通そうとしただろうが、僕たちの”目的”の詳細を聞いてからというもの、彼が自分の身を顧みないような無茶を言う事はなくなった。

 朝になると彼は家を出て、母親を探しに行く。彼の昼食については僕たちが飯櫃に残った米でおにぎりを作って持たせたり、通り沿いの店で軽食を買えるように小銭を持たせたりした。彼は夕方にはきちんと戻って来て、必ずといっていい程夕餉(ゆうげ)の支度を手伝ってくれた。

 それだけに留まらず、ミコトは朝早く起きて僕たちが台所に向かうより先に米を研いでいたり、野菜を切ったり魚の下拵えをしている事もあった。昼間の事も、時には僕たちが昼食を買うようにと持たせたお金で食材や(たきぎ)、灸治用の(もぐさ)を買って帰って来る事もある。

 そこまでする必要はないのに、と僕たちが言うと、決まって

「僕、少しでも皆さんの役に立ちたいから」

 そう返した。

 僕たちは彼が外に出ている間、作戦の調整を進めた。彼に本当の”目的”を明かさないと決めた以上、昼間しか取れる時間はない。

 先の雪さんの夢惣備で相当精神を消耗させたのだろう、お胡尹の治りは良くなかった。体調が悪化に向かっている訳ではなく、水を飲んだり(かわや)へ行ったりする時は自分で起き上がって歩く事もするが、特に快癒に向かっている事もない──という様子だった。

 七曜が一巡りし、雪さんの夢惣備を完遂してから半月余りが経った。

「それじゃあ、行ってきます!」

 すっかり元気になったミコトは、やはり食事を済ませるや否や跳ねるような足取りで飛び出して行く。経木(きょうぎ)に包んだ弁当と竹の水筒を忘れて行った事に気付き、僕は慌てて戸口に出、「おーい!」と呼ぶ。

「何ですか!?」

 駆け戻って来た彼に、僕はものを手渡した。

「忘れ物だよ」

「あ、すみません! 僕とした事が、うっかり……ありがとうございます!」

 弁当と水筒を受け取ると、彼は再び勢い良く駆けて行った。その溌剌とした後ろ姿を見送りながら、僕はもう誰も彼が乞食の子だったなどとは思えないだろうな、という考えを()ぎらせた。

 戸口の所でそうして立っていた時、

「……ミコト、か」

 背後で、俊輔が呟く声がした。

 いつの間にか彼が後ろに立っていた。急に声を掛けられ、僕はびくりとする。気配すら感じなかった。

「ちょっと俊輔、居たんだったら言ってよ……」

「すまん」

 彼は短く謝ると、「なあ」と矢庭(やにわ)に真面目な声を出した。

「鶴来、あいつの──ミコトの事、本当に信用していいと思うか?」

「えっ?」

 一瞬僕は、彼が何と言ったのか理解(わか)らなかった。

「京の端の端で、住民が皆殺しに近い状態になって一人逃げて来た……母親とは生き別れの状態。何だかあまりにも、って感じがしないか?」

「………」

 僕は彼の言った言葉を咀嚼し、振り返って彼を見た。無意識のうちに、やや睨むような目になってしまう。「あまりにも、何だよ?」

「それらしすぎる、とでもいうのかな」

 俊輔の口調は、はぐらかしているようではなかった。

 僕は「今更」と言う。

「今更すぎるような気がするな。信用出来ないような相手だとしたら、あの子は一体何者なの?」

「そこまではっきりは言えないけどさ。俺に検非違使の詰め所から奪還されて、この京の何処かに匿われた雪の夢惣備が成就した──それを、『夢遥かの世界』の運行を観測し続ける高天原が気付かない訳がない。当然、俺たちが京の何処かに居る事も予想がつくはずだ。

 鶴来、ここは天照道の一大勢力圏だぜ。奴らの手の者として、どんな刺客や間諜が送り込まれて来ても不思議はないじゃないか」

 俊輔は言ってから、ふっと息を吐き出した。

「やっぱり、疑心暗鬼って思うか? けどさ、多分お前はこんな事、考えてもみなかっただろうけど──」

「何?」

「俺、実は今まで何回も、ミコトに心渡りを試みようとしたんだ。最初から特別にあの子を疑う気持ちがあった訳じゃねえよ、念には念を入れて、というか、この局面まで来て何か()()()をする訳には行かないから、何事も疑って掛かるくらいの気持ちでいた方がいいんじゃないか、と思ってさ。だけど、出来なかったんだ。全部失敗に終わった」

 彼の言葉に、僕は再び「えっ?」と声を出す。

「出来ないって……僻呪(へきじゅ)の契りみたいなものって事?」

「いや、呪の(たぐい)じゃない。隙が全くないんだ。あいつ、俺と視線を合わせる事を徹底して避けている。まるで──そうだな、俺がそうやって、疑って掛かっている事を分かっているみたいに」

 僕は、まさか、という気持ちで首を振った。僕は今まで、特にそういった事には気付かなかったし意識もしなかった。自分が心渡りで他者の心を覗ける事を失念していた訳では勿論ないが、ミコトに対してその心を覗こうなどという気持ちを持った事がなかったのだ。

 俊輔は、表情を変えずに言葉を紡ぐ。

「俺も考えすぎかとは思ったが、『念の為』を繰り返すうちにさすがに意図的だって思うようになった。その上、避け方が自然すぎる。事実、お前も今こうして俺が言うまで気付かなかっただろう? ……試してみろとは言わない。多分、お前も試そうとすれば絶対に勘づかれる。視線が合わなくなるぞ。

 あいつがまだ寝込んでいる時、夜の付き添いが俺だった時に、眠っているあいつの瞼を開いて試してみようかとも思った。けど、今まで『夢遥か』に囚われた霊能者たちの”亡骸”とは違うんだ。もしそれであいつが目を覚まして、何をしているのかと問い質されたら言い訳が出来ない。何の準備も出来ていない段階でやり合う訳にも行かないだろう」

「弥四郎には言ったの、それ?」

「時柵か? まあ、傷をつける訳じゃないから時間を止めて瞼を開き、解除と同時に心渡りを──って方法もなくはないだろう。が、考えてもみろ、俺たちはミコトに法持ちである事は話したが、具体的な力については明かしていない。にも拘わらず、俺の予想が正しければ彼は俺の法が心渡りである事のみならず、目を合わせるのが発動条件だという事まで知っていた事になるんだぞ。それなら弥四郎が時柵を使える事も分かっているだろうし、それで俺たちが今言ったような方法を採り得る事も想定していないとは思えない」

 俊輔の台詞は、理路整然としていた。僕は唇を噛む。

「もしも俺たち全員とミコトの間で隙の窺い合い、牽制のし合いが始まれば、それは無言での恫喝の応酬と変わりはない。暗黙のうちに、俺たちは”仲良しごっこ”をする事になる。そうなった時、それで神経を擦り減らすのは、恐らく俺たちの方だ。だから今は」

「……だけど、だけどだよ」

 僕は、(かろ)うじて反論した。

「本当に偶然かもしれないじゃないか。俊輔も、毎日、一日に何回も心渡りを試している訳じゃないんだろう?」

「無論、まだ全ては推測の域を出てはいないさ。あくまで疑って掛かった前提で、状況証拠として目が合わないっていう事実があるだけだからな。それ以上を確かめる(すべ)は──悔しいけど、今のところはない」

「それなら」

 僕は、俊輔の目を見て言った。

「僕は信じようと思う、ミコトの事。だってさ、もしも彼が、俊輔の考えたような意図なんてまるでない、ただの可哀想な子供だったとしたら?」

「……反復になっているぞ。それも『もしも』だ」

「けど、それなら余計に可哀想じゃないか。貧民街で明日の命もどうなるかという状況で、居場所を失くして、お母さんともはぐれてしまって……それで、やっと一日三食食べられるし、床のある場所で眠れる環境に行き着けたのに、向こうでは完全に信用している僕たちが彼を疑っている、なんて」

「それは甘い見方ともいえるな、鶴来。疑念が完全に捨て去れない状況で、信じて騙されたら未来で絶対に後悔する」

 俊輔の口調は、いつになく厳しかった。

 それでも、と僕は言う。

「それでも本当の事を疑う方が、僕には悲しい事に思えるよ」

 こうきっぱりと言い切る事が出来たのは、今までの「夢遥かの世界」での冒険があったからだ、と思った。

 囚われた彼らが、未練として夢の世界に託し続けていた過去。それらは、多くが自分自身に向けられていた想いへの誤解や擦れ違いに原因があった。しかし僕は、それを悲しい事ではない、と言い切った。

 未練として死後に持ち越されてしまうような人為の裏に、それでも自分の信じたい人を信じてもいいのだと思える”真実(ほんとう)”があった。

 故に僕は今、人に対してはその善性の方を信じている。

 僕と俊輔は(しば)しの間、互いの目を見つめ合っていた。僕は彼が何を考えているのか知りたい、と思う事がここ最近多くあったが、今は彼に心渡りをして確かめよう、などという気は起こさなかった。

 やがて俊輔は、

「まあ、お前ならそう言うと思ったよ」

 と言った。やれやれというように首を振り、口元に笑みを湛える。だが、それはこちらを小馬鹿にするような性質のものではなかった。

「安心したぜ、鶴来。そうだよな、人々を救いたくて戦っているのに、その人々を信じられていないんじゃお話にならないもんな」

「俊輔……」

 僕も、釣られて顔の強張りを解く。

 と、その時、中から弥四郎が叫んできた。

「おーい、俊輔! 鶴来! 何をしているんだ? 早く戻って来て、後片付けを手伝ってくれ!」

「あっ、いけね」

 俊輔は「しまった」というような表情になり、

「悪い! 今行く!」

 家の中に向かって叫び返した。

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