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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』伍ノ章 新世開闢⑪


          *   *   *


「あの……やっぱり、ごめんなさい」

 囲炉裏端の夕餉(ゆうげ)の席で頭を下げたミコトに、僕は「もういいって」と箸を振って言った。弥四郎に「行儀が悪いぞ」と窘められる。

「本当に大丈夫だ。あいつ、結構けろっとしているからな。案外明日になれば、お腹空かして何事もなかったみたいに起きてくるかもしれん」

 俊輔が、真面目とも冗談ともつかないような調子で言い、ミコトはやや困惑を浮かべて「はあ……」と(いら)える。

 ミコトは僕たちが夕餉の準備をしている時に起きて来て、

「僕も、皆さんと一緒に夕飯を頂いても宜しいですか?」

 やや遠慮がちにそう言ってきた。

 その日の昼過ぎには既に彼の熱は引いており、起き上がって僕の貸した草双紙を読んだりなどもしていた。ごく当たり前に貸してから彼の識字能力の事に思い至り、やや焦燥を覚えたが、彼は「大丈夫です」と言ってそれを証すように一行をすらすらと読んでみせた。長い間路上生活をしていたという事だったが、読み書きの力は並みの町人の子程か、それ以上にあるようだった。

 いつまでも無理に寝かせておいて体を(なま)らせたら自然回復するものもしなくなるだろう、という俊輔の判断で、起きられる時には起きていてもいいという事を告げるとミコトはほっとしたように笑った。

 お胡尹が同席していない事について彼から尋ねられ、彼女も風邪を引いたらしいと答えると、彼は途端に申し訳なさそうになった。

「明日からは、僕もお胡尹さんの看病(おせわ)を手伝います」

「いや、君にはお母さんを探すっていう目的もあるだろう」

「それもそうですけど……」

 やや目を伏せるミコトに、俊輔が言った。

「今朝君を探した時に、鶴来たちは実感したはずだ。今の京の状況では、無名の一市民を探すのがどれだけ困難を極めるのかっていう事は。だが、普通に考えて君と離れ離れになった母親という人も、生きているのならば君の事を探していないはずがないと思う。お互いがお互いを探しているという状況なら、或いは庶民たちの風聞が君たちを引き合わせてくれるかもしれない」

「俊輔……」

「だからまあ、希望は十分にある。(ただ)しそれは、時間が経てば経つ程薄れてしまうようなものだ。生死が分からないというのは、お母さんから見た君についても言える事なんだからな。本当にお母さんとの再会を望むなら、君はまず自分の事を第一に考えろ。な?」

「はい……そうですよね」

 ミコトは首肯すると、口元に微かに笑みを湛えた。

 それから(しば)らく、僕たちは黙々と箸を動かす事に専念した。

 お胡尹が寝込んでいる間に僕たちだけで作戦会議を進めようにも、ミコトが居る場所でその話題は出せない。

 お胡尹が熱を出したと判明した時、俊輔は看病の準備を整えると真っ先に僕に釘を刺した。

「焦りは禁物だぞ、鶴来。俺たちが早く動かなくて()れているのは、高天原も同じなんだからな」

「どうして?」

「勝呂兵部の夢惣備をした時の事を思い出せ。奴は蘇古常を使って、お前を(かどわか)そうとした。俺には知らされていなかったが、お前も何か新世開闢の計に必要な因子だと判断されているのかもしれん。最終的に沙夜が選ばれたとはいえ、元々お前も形身の候補ではあったんだからな。となると、お前の居所が掴めない限り高天原や堅塩は計画を実行出来ない可能性が高い」

「なるほど……事実上の膠着状態って訳か」

 僕は呟いてから、彼に「心配しないで」と言った。

「お胡尹の発熱のせいで決行が先送りになったとか、そういう事を僕が思っているかもっていうなら、それはない。第一、ミコトをここに置いておこうって言ったのは僕なんだから」

 その時俊輔は再び顔を険しくし、やや口を噤んだ。

 何度も尋ねようかどうかと悩んでいる事がまた胸中で頭を(もた)げかけた時、彼が「鶴来」と僕を呼んだ。

「何……?」

「今度、ちょっとお前に話がある。その時は付き合って欲しい」

「話? 今じゃ駄目なの?」

「こんな(ふう)にごたごたしている時じゃなくて、ちゃんと時間が取れる時の方がいいんだ。それなりに長い話になりそうだから」

「そう……」

 僕は、それ以上尋ねる事が出来なかった。

 俊輔はそれだけ言うと、「買い出しに行ってくる」と言い残してさっさと部屋を出て行った。

「ところで、今更ではあるんですけど──」

 ミコトが沈黙を破り、僕はそれで回想から引き戻された。

「皆さんって、何をされている方々なんですか? 鶴来は『目的がある』って言っていましたけど」

 僕たちは箸を止め、互いに顔を見合わせた。

「鶴来と弥四郎は、お侍さんですよね? けれど皆さん、僕とそう歳が離れているようにも見えませんし、親御さんの守護(えき)に同行されている人たちなら、貸家に長期滞在する訳もないでしょうし」

「俺が佩刀しているのは、強いて言えば野侍と同じ理由だな」

 弥四郎がぼそりと(いら)える。

「髪を見れば分かるだろうが、俺はもう武士じゃない。本職の呪者だ。俊輔もまあ同じようなもので、お胡尹はまだ本職じゃないから霊能者。鶴来は……微妙なところだが、武家からは離れた訳だから、まあ呪者になりつつあるといったところだろう。出身は和泉の地方だが──って、言って良かったか?」

 途中で不安そうな顔になった弥四郎に、僕は軽く肯いて自ら続けた。

「日根っていう田舎の村の出だよ。だけど、一応出身の日向家は和泉の名刀三家の一つって事になっている。でも、親と喧嘩して出奔したとか、霊能者だったから()ろい持ちだって見做されたとか、そういうのではないから安心して。僕たちは……そうだな、何て言えばいいのか」

「旅客なんだ」

 俊輔が口援してくれた。

「聞いた事ないか、諸国を漫遊して風土を研究したり、百鬼連と戦ったりしている者たちの事? 俺たちもそういった連中の一団だ」

「ああ、なるほど……流れ仕事(づとめ)の剣客の方々も居ますよね」

「目的っていっても、終わりは特にない。目的地も決めている訳じゃないしな。その点では風来坊っていうのが最適なのかもな。まあ、それでもあちこち不景気にはなっているし」

「京に落ち着くと、やめられなくなるって聞いた事があります」

「それはよくある話だな。無理もねえよ、(ここ)じゃ通り沿いに歩くだけで大抵のものは手に入るし、金があれば衣食住には困らないからな。けど、そうはいっても旅客の財布が無限な訳じゃない。長く滞在すれば金は減る、だけど今の京じゃ働き口を見つけるのも大変だろう」

 俊輔は、火に掛けていた薬缶(やかん)を取って中身を湯呑みに注いだ。それから、傍らに置かれていた瓢箪を取ってこつこつと叩く。いつの間にか買っていたらしいが、その中身を薬缶に移して温めていたようだ。

 彼はそれを僕たちに配りながら、そこは恐らく事実を述べていたのだろう、やや重みを帯びた声で先を続けた。

「酒じゃないから安心しろよ、ただの砂糖水だ。近年になって京に入って来た元農民たちが造って売っている。材料は鎮西(ちんぜい)薩摩国(さつまのくに)とかと個人で貿易をしている大商人なんかから卸しているらしい。彼らは一揆に失敗したとか、逃散(ちょうさん)とかで村を離れ、上方に行けば少しは身を落ち着けられるだろうという事で上洛して来た訳だが、手に職をつけるのも一朝一夕には行かないし、そもそも勤め人を養うだけの賃金が多くの家で捻出出来ない」

 彼の語りを聴きながら、僕は手渡された湯呑みに口をつけてみた。

 ややとろみを帯びた甘さが、いつまでも舌に残るようだった。美味しいのかはよく分からないが、渡海の薬から苦味を除いたような味がする。

「それだけでやっていける仕事かどうかはさておき、安いからそれなりに売れてはいるらしい。薬が(あがな)えない病人は、体を温めて気を自然に癒すのが常套だしな。ところがとばっちり──って言っていいのかどうか──で、地元の酒屋の売り上げが落ちたとかで太政官に訴えが来た事もある。

 曰く、昔実施された事があるように新規の開業には株──許可証を取得させろ、とか、人別改めをして流れ百姓の旧里帰農を進めろ、とか。結局天照寮が容喙した為に審議が進まなかったらしいが、俺は本当に話し合いが行われたのか否かも確信が持てない」

「では、皆さんは? 京にいつまでも留まる訳に行かないのなら、次は何処に行くんですか?」

「そうだな……」

 ミコトの問いに、俊輔は思案する顔になった。

「俺たちの旅は戦いの旅だ。風聞のままに流離(さすら)い、百鬼連を倒す。だから、特に決めてもいないんだ。……君には、気楽な話に聞こえるかもしれないけどさ」

 彼の言葉は、本当の目的を語らずに済ます為とはいえ確かに最も真実に近いような気がした。高天原との戦いが終わった後の事について、自分が何一つ決めていないという事は先日僕自身も思ったばかりだ。

 では俊輔は? 弥四郎は? お胡尹は?

 彼らは、この先どのような生涯を送るのだろう──。

「……いいえ」

 ミコトは、「凄いな」と口角を上げた。

「何だか勇者みたいですね、皆さん」

「勇者? 俺たちが?」

 俊輔は面食らったように鸚鵡(おうむ)返しする。ミコトはこくりと肯いた。

「武士に呪者……武家に居続ければ、領主様から扶持米を貰って食い繋ぐ事は出来たでしょう。けれど、皆さんは自分たちで旅に出て、自分たちの持てる力で妖と戦う事までしている。凄いですよ」

 彼は、本当にその通りだ、というように言った。

「自分たちの安定した生活を差し置いても、世の為になる事を考えている人なんて稀です」

 それは、俊輔が先程語った太政官たちの事を示唆しているようにも僕には感じられた。俊輔は(かぶり)を振る。

「手の届かない場所に居る人たちを助けようなんて事を、俺たちは考えない。だから凄くなんかないぜ、俺たちは」

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