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夢遥か  作者: 藍原センシ
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『夢遥か』壱ノ章 夢遥か④

 戸口で、突如としてどさりという音が響く。お胡尹が正座のまま跳び上がり、(かし)いだ引き戸を何度も閊えながら開ける。と同時に、背の高い一人の男──まだ僕やお胡尹と同じくらいの少年だ──が転がり込んで来た。

「弥四郎!?」

 俊輔が、彼に駆け寄り上体を抱き起こす。

 少年は満身創痍と形容するに相応しかった。煤竹色の着物──膝の上で切れ、脛が剝き出しになっている。点々と血の染み、土の汚れ──皮膚まで。頭──髪が(おどろ)と乱れている。

 彼が、俊輔のもう一人の同志である鯨伏弥四郎なのか。僕が見ていると、彼は俊輔とお胡尹の顔を交互に見た。

「すまない、しくじった……! 奴ら、仲間をまだこの山に隠していやがった。ここに来るぞ、気を付け──」

 彼がそこまで言った時、外からものが飛来した。

 飛び道具──手裏剣。それは正確に、弥四郎の肩口に突き刺さる。

「弥四郎!」

「『時柵(ときしがら)』を使う余裕がない……数が多すぎるんだ」

 その刹那、戸口の向こうの森がどよめいた。鬨の声──ではない、どちらかといえば人というより、獣の咆哮に近い。僕はその音源に、僕と沙夜を襲撃した野侍のような一団を見た。

「幻月だ! 鶴来、下がっていろ!」

 叫ぶや否や、俊輔は傷ついた弥四郎をひょいと抱え上げ、僕の居る奥座敷に運んで来た。道冥先生が抜刀し、板の間を大股に横切って戸口に駆ける。

 あれよあれよという間に、幻月は押し寄せて来た。

「お胡尹!」「はーい!」

 お胡尹が立ち上がり、掌印を組んだ。刹那、先頭で刀を振り上げていた敵二人の足元から萩色の炎が燃え上がった。野侍たちはそれに包まれると、獣の如き咆哮を(きぬ)裂くような絶叫に変え、悶え始める。

 彼らは最早、影しか見えなかった。どさりと倒れ込んだその体が薪のように燃え上がり、炎の壁に隔てられた野侍たちが怯えの声を発する。僕が思わず息を呑んで見つめていると、炎は枯葉に引火し、徐々に延焼を始めた。

「わわわっ! そんなに燃えちゃ駄目!」

 彼女は慌てたように叫びながら、掌印の形を絶え間なく変化させる。

 炎は起こった時と同様に掻き消すように消え、後には炭化した野侍二人の亡骸だけが残った。

「お胡尹の法は、火起こしの術なの?」

「いや、違う。彼女の法は『夢患い』、場に居る全ての者に幻を共有する事で、それを(うつつ)の出来事とする。ほら、全ての人間が一斉に眠って同じ夢を見始めたらそれはもう現なのではないか、って話があるだろう?」

 俊輔は僕に(いら)えながら、袖の中から呪符を取り出し引っ切りなしに投げる。前進を再開した幻月の新たな先陣に靄のような尾を引いて飛んだそれらは、敵の鳩尾(みぞおち)に次々と貼り付いては吹き飛ばしていく。

「でもまだ、強力な法故に制御しきれてはいないな。お胡尹の家は代々(やしろ)()り人で、呪者なんだ。けど、彼女に戦いは──」

「皆仲良くすればいいのに、何で偉い人たちはこんな事するんだろう?」

 ぎこちなく掌印を組み変えながら、お胡尹が呟く。また一人の野侍に、今度は龍の形となった炎が襲い掛かり頭から呑み込もうとしたが、その瞬間相手は刀を大きく水平方向に構えた。

天颯疾風鎩(テンソウシップウサツ)!」

 居合めいた速度で、宙空に鋼色の軌道が走る。お胡尹の放った炎の龍──の幻はそれに薙がれると、霞の如く消えてしまった。

虚仮威(こけおど)しの法など、百鬼の力の前には恐るるに足らず!」

 うおおおおっ! と、幻月が唱和した。刀を突き出しながら、低い声で法唱(のりと)を唱え始める。

 俊輔の投げた呪符が、空中で静止してはめらめらと燃え尽きた。幻月の前進は勢いを増し、突き出された刀の一本の切っ先がお胡尹の二の腕に突き刺さる。

「ひゃあっ!?」

「お胡尹、大丈夫か!? ……畜生、かくなる上は」

「俊輔、来るでない! 桜花猛嵐舞(オウカモウランブ)!」

 戸口を塞ぐように仁王立ちした道冥先生が、三連撃技を放つ。左右からの袈裟斬り一本ずつ、垂直斬り下ろし。一発ごとに桜の花弁のような光が散り、突撃を掛けて来た幻月は次々に肉体を斬り割られて倒れ伏した。

 現実感がなかった。皆戦っている──稽古の時以外で刀を振るう姿を見た事のなかった、道冥先生までもが。そして恐ろしいのは、肉体をずたずたにされても尚血を止め、起き上がって亡者の如く荒れ狂う野侍たちの執念だ。

 斬り倒された野侍の一人が、最後の足掻きとばかりに低位置から手裏剣を投げ上げた。それは回転しながら、先生の頰から鼻筋にかけてを鋭く切り裂く。

「がっ!」

「先生!」

 僕と俊輔の声が揃った。

 仰反(のけぞ)った先生に、狭い入口を突き破るように迫った幻月は、彼を数で圧倒した。

 突き込まれる無数の刀──鋼色。道冥先生の体に突き刺さり、貫いて背中側に抜ける──蓮紅色。

 板の間が、迸った鮮血で真っ赤に染まった。仰向けに傾倒する先生を、自然に倒れきる前に押し倒し、姿が見えなくなる程に踏みつけて雪崩(なだ)れ込んで来た野侍たちが囲炉裏の鍋を引っ繰り返す。交換した包帯を煮沸消毒していた熱湯が撒き散らされ、湯気は血煙と混ざり合い赤い霧を生じた。

「貴様らあああああっ!!」

 歪んだ絶叫が、喉奥から痛む程に突き上げた。

 弥四郎の腰に佩いた刀を抜き取り、上段に構えつつ飛び出す。俊輔と弥四郎が制止してきたようだったが、それも僕の耳には入らなかった。

退魔剣(タイマケン)!」

 血を多分に含んだ蒸気が、肌にまとわりつく。そこで凝集した赤い水滴が、弾かれるように流れては着物を染めていく。既に生体の外に出て赤黒くなったそれらの血液は、霧の中を肉薄してきた野侍を切り裂いて浴びた返り血によって、より鮮やかに上塗りされた。

「鶴来、それじゃあ昨夜(ゆうべ)の繰り返しだ! 今度同じような傷を負ったら──」

 俊輔が言っている。が、やはり彼も戦うしかないようだった。

 板の間に、徐々に亡骸の山が出来ていく。だが、敵があと何人居るのかもこちらには判断がつかない。このままでは限界を迎えるのは僕たちの方だ。

 昨夜のように、心渡りと自害を繰り返すか。しかし、それがどれだけ自分の気に負荷を掛ける事なのかは分かっている。敵を全滅させる前にこちらの精神に限界が訪れてしまっては一巻の終わりだ。

 しかし、法を使わずとも肉体的な限界はやって来た。

 また一人の敵と斬り結んでいる時、昨夜負傷した足から矢庭(やにわ)に力が抜けたのだ。

「……っ!?」

 転瞬、肩を掠める剣風。僕が反射的に身を引いた瞬間、野侍は僕を背中から敷居に押し倒し、引き戸に押しつけるようにしながら奥座敷に──肉体的に死んでしまった沙夜の横たわる部屋に入り込んだ。

「やめろ!」

 僕は、妖怪の如く巨大な野侍の足にしがみついて引き倒そうとした。が、後ろ向きに蹴り出された草鞋(わらじ)の底面が判子のように僕の鼻柱を踏みつけ、一時的に呼吸を奪われた僕の全身が硬直した。

 動かない体に鞭打ちながら──それでも動かないという事実は変わる事なく──僕は成す(すべ)もなく幻月の所業を見た。

 敵は魂を失った沙夜の体を、(しとね)ごとぐるぐると簀巻きの如く巻き取り、背中に担ぎ上げた。飛び掛かろうとした俊輔、弥四郎を足の一振りで薙ぎ倒すと、そのまま元来た方向へ引き返して行く。

「沙夜を……何処に連れて行く気だ……!」

「皆の者、聴け! 対象は確保した! 退()け、退けえいっ!」

 また、幻月の一団が吠えた。彼らは現れた時と同様、嵐のような勢いで退却して行く。あばら家の板壁は既に崩壊しかかり、戸は失われていた。

 僕たちが起き上がり、お胡尹が駆け込んで来た時、板の間に残されていたのは夥しい血痕と野侍の(かばね)だった。道冥先生は踏み砕かれた刀の柄を握ったまま、それらの人体の成れの果ての中に混ざってしまっていた。

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