2 いまのエイ
僕は犬だった。
だけど今は人間だ。
両親のことも大好きで、喜ばせたいと思っている。
だから高校もお金がかからない公立で、偏差値が高いところに頑張って入学した。
「犬里くん、おはよう!」
「あ、おはよう」
入学式、同じ中学出身の松本さんが元気に挨拶して走っていく。
松本さん以外にも同じ中学出身の子が数人にいる。全員知らないけど、見覚えがありそうな顔を見かけたら、挨拶をするようにした。
相手も笑顔で挨拶を返してくれる。
挨拶は大事だなあ、そう思いながら体育館へ足を伸ばす。
僕の高校は入学式は学生だけが参加する。
クラスがすでに決まっていて、僕は自分の番号が書かれた椅子を探す。
前世が犬だったせいか、僕は犬里家に生まれ変わった。あいうえお順なのでいつも席順は1か2。今回は2番だった。
一年一組の男子の列の2番目の椅子に座る。
犬だった僕が人に生まれ変わっているのだからと、体を自由に動かせるようになるとエイの生まれ変わりを探してみた。僕が人間になっているのだから、エイが犬に生まれ変わる可能性もある。
だから、人だけじゃなくて、犬を見るとそっと匂いを嗅ぐことにした。
エイの匂いは覚えている。
だから、絶対に見つける自信があった。
人間の常識をちゃんと学んでいるので、あからさまに匂いを嗅いだりしない。そっと素早く嗅ぐようにしている。
時たま、犬の毛など吸いそうになりながらも、僕はエイを探し続けた。
この匂い。
エイだ!
やっと、やっと見つけた。
ドキドキして隣を見るとそこにはエイがいた。
覚えているエイと全く同じ。ただ服装だけが違った。
「あ、」
「朱里」
僕の後ろから声がしてにゅっと手が伸びて、彼女の髪に触れる。
「俊介くん?何?」
エイは僕を気にした様子もなく、後ろの男子学生へ話しかける。
彼女の眼中にないこともショックだけど、もっと衝撃だったのは後ろのやつの顔だった。
なんで?
そいつの顔は、八郎そっくりだった。
そっと鼻で息を吸って、匂いを確認。
八郎だ。あいつと同じ匂い。
血が滾る。
嚙み殺してやりたい。
なんでこいつがエイと一緒にいるの?
「ゴミがついている」
「あ、ありがとう」
八郎は僕を一瞥しながらも、存在を無視してエイに答えた。
気に食わない。
「あの、僕の名前は犬里賀次郎っていうんだ。君の名前を教えてもらっていい?」
八郎を無視して、エイに話しかけた。
エイは最初驚いた顔をしていたけど、答えてくれる。
「私の名前は羽野朱里。犬里くんね。よろしく」
「うん。よろしく」
エイ、羽野さんは二コリと笑う。
とても可愛い。
この十六年間で見たもので一番可愛いかった。
前はそんなこと思わなかったのに。
あ、可愛いとかそういう事考えたこともなかっただけか。
「犬里か。変わった苗字だな。俺は木埜下俊介。よろしくな」
百人いれば百人がハンサムと言いそうな爽やかな笑みを浮かべた八郎。
殺意を隠して、僕も挨拶を返した。
☆
「羽野さん」
「えっと、ごめんね」
入学してから二週間。
八郎はやっぱりクズだった。
顔がいいので、彼はよく声をかけられる。
断ることもなく、あいつはちゃらちゃらと女子生徒と話をする。
それをエイ、羽野さんが見てるとも知らないで。
知っていたら本当にクズだ。
「……木埜下は顔はいいけど、中身はクズだよ。やめたほうがいい」
「知ったようなことを言わないで」
羽野さんは泣きそうな顔でそう言って、僕はそれ以上何も言えなかった。
これじゃあ、何もできなかったあの頃と一緒だ。
今の僕は人で、話すこともできるのに。
「ぼ、僕はダメかな?僕だったら、絶対にえ、羽野さんを泣かしたりしないし、何があってもそばにいるよ」
「犬里くん!」
羽野さんの頬は真っ赤っかで、林檎みたい。とても可愛い。
うっとり見つめていたら、なぜか逃げられてしまった。
え?
どうしたらいいの?
間違ったの?僕。
それから羽野さんは僕の方を見てくれなくなった。微妙に避けられてる気もする。隣の席だから、あからさますぎた。
「何かあったのか?」
そんな僕に八郎が聞いてくる。
誰も側にいない時を狙って。
うざい。
何様のつもりだ。
だけど、 今の彼は、女癖が悪いだけで、犯罪まがいなことはやっていない。
八郎の生まれ変わりでも、記憶はないんだろうな。
エイはどうなのかな。八郎に殺されているから、もし記憶があれば八郎の裏切りを知っているので近づきもしないだろう。
匂いが同じだから別人のはずがない。
僕だけが前世の記憶を持って足掻いている。
僕だけが。
「犬里、どうしたんだ?」
「なんでもない。それより、もう少し羽野さんのこと考えてあげたら?幼馴染なんでしょ?」
「お前には関係ない。朱里に余計なこと言ったのか?」
「別に」
余計なことってなんだ。
「何を言ったか、言え」
「なんで?君がクズだからやめた方が言っていっただけだけど」
それから僕の記憶はない。
目を覚ましたら、知らない天井だった。
「ごめんなさい。私のせいで」
「私のせいって、どういうこと?」
僕はベッドの上にいた。
保健室みたいだ。
側には羽野さんがいた。
「俊介くんに殴られたでしょう?」
「あ、」
殴られたのか?
記憶が抜けているけど、なんか頭の後ろがずきずきする。
顔も少し痛い。
「覚えてない?顔を殴られて転んで頭打ったみたいなの」
「そうなんだ」
それだけで済んでよかった。
だけどすぐ手が出るのは昔から変わっていない。
素手だったからよかったけど。
「昔から俊介くん。私に誰か近づくと嫌そうな顔をしたの。犬里くんを避けてしまって、それで余計こじらせたみたいで」
「そんなことで。あいつは別に羽野さんの彼氏でもないよね?」
「も、もちろん。俊介くんが私みたいな子を彼女にするわけないし」
「羽野さん!僕は君が好きだよ。私みたいな子とか思わない。あいつがおかしいんだ」
「おかしいってなんだ?」
ベッドの周りを囲んでいたカーテンを強引に開けて、あいつが入ってきた。
「俊介くん!」
「元気そうだな」
あいつは僕は殴ったくせに全然悪ぶってなかった。
やっぱりこいつは嫌な奴だ。
「君が僕を殴ったんだろ?なんで?」
「気に食わなかったからだ。朱美の近くをちょろちょろしやがって」
「羽野さんは別に君の彼女でもなんでもないだろ?僕が彼女に近づいても、君には関係ない」
「俊介くん!」
あいつはまた僕を殴ろうとしたみたいだけど、羽野さんが必死に止めていた。
「はなせ、朱美」
「なんで、なんで、そうなの?犬里くんは何もしてないでしょう?」
「してないけど、お前にちょっかいかける」
「そ、そんなの俊介くんには関係ないよね?俊介くんはいつも誰からと楽しそうにしてるじゃないの?」
「俺は別だ」
なんて奴だ!
「羽野さんから手を引けよ!」
僕はもう犬じゃないのに、ベッドから起き上がると彼に噛みついていた。
「くそっ、痛てぇ。頭おかしいのかよ!」
「あなたたち!いったい!」
僕らの騒ぎを聞きつけて先生がやってきて、僕らの争いは一旦中止になった。