双極性障害と行動
私は20歳の時に双極性障害になった。
いや、正確には20歳の時に双極性障害と診断された。
ただ当時の私は躁の波を感じることが無く、ただ重度の抑うつで辛い日とちょっと元気な日があるだけだった。
多分、まだ躁鬱ではなかったのだと思う。多少元気とは言えど躁エピソードにも軽躁エピソードにも満たないものであったから。
では双極性障害持ちというのは嘘では無いのか?
私もそう思いたかったのだが、悲しいことに去年の冬に躁が現れてしまった。
多弁多動になり、気も大きく、些細なことでイライラし、睡眠薬を飲んでも30分程度しか眠れなくなってしまった。
多分、これは軽躁でⅡ型の双極性障害だと思っている。
何故言いきらないかと言うとお医者様に双極性障害の診断は頂いているがⅡ型かⅠ型か聞いたことがないためである。
最近は気分の波を1年に4回以上繰り返す急速交代型のラピッドサイクラーと診断されたためⅡ型である可能性は高いと言えるだろう。
躁うつ病、双極症、双極性障害、双極性感情障害、様々な呼ばれ方をするこの病気。
有病率は日本で0.6%~0.9%、おおよそ500人に1人ほどがかかると言われていて、15人に1人のうつ病や100人に1人と言われている統合失調症と比べると少ないと言える。
そのため双極性障害を理解している人が少ない病気であると言える。
また、20代30代の若年層での発病が多く、双極性Ⅰ型障害よりも双極性Ⅱ型障害の方が多い。
Ⅰ型は重症な躁エピソードがあり、躁状態の時には入院することが多く、Ⅱ型は重度の抑うつ状態が見られることが多いとされている。
ラピッドサイクラーについては男性より女性が多くⅠ型よりⅡ型の方が多く見られているようだ。
双極性障害を理解できない人は健常者だけではなく、他のうつ病などの精神疾患患者にもいる。
なぜ理解されないのか、それは双極性障害の症状のせいである。
双極性障害のうつは他のうつ病患者とほぼ変わらないが、躁や軽躁が来ると外に遊びに行くことが可能であるからだ。
元気になったり鬱になったり、健常者からすれば気分の波にしか見えず、他の精神疾患患者からすれば遊びに行く元気があるほど軽度で羨ましい、ずるいとなるのだろう。
SNSでもとある精神疾患患者が遊びに行く元気があるのに障害年金を受給するなんてずるいと発言している場を見たことがある。
……本当に難しい病気だ。
私は双極性障害は心の病気ではなく、脳の病気と考えている。
まあ心は脳にあるのだから当たり前だと言われればそうなのだが。
理論で言うなら躁状態にドーパミン神経伝達を止める抗精神病薬が有効で、ドーパミンを増加させる三環系抗うつ薬が躁転を引き起こすというところだ。
経験則で言うならある日突然強制的に躁にさせられて、またある日突然強制的に鬱にさせられる部分。
これが脳の病気だと考えている理由だ。
そんな脳の異常を感じる前、何故病院に行ったのか。
過去の細かい話は割愛するが境界性パーソナリティ障害らしい症状とうつ状態に悩まされていた。
私の感じていた主なうつ状態は死にたいという希死念慮だった。
その他にも体が動かない、眠れない、目眩、下痢等……体に影響が出ていた。
体にも影響が出ていた中、精神科と言う選択肢を選んだのは私が精神疾患に興味があり、症例を知っていたからだ。
最初は精神科に行くことが怖く、大学の近くの精神科に友達と一緒に受診した。
その際は抑うつ状態という診断だったらしい。
オランザピン、クロチアゼパム、セルトラリン、様々な薬を試した。
オランザピンは過食傾向が強まるため中止、クロチアゼパムは効果を感じなかったため中止、セルトラリンは精神が不安定になったため中止となり、最終的にアリピプラゾールとベルソムラが処方された。
この後病院の診察時間や薬のことで不安を覚えたため、病院を変えることとなる。
次の病院には有名な某メンタルクリニックを選んだ。
そこでは診察時間が1分程度になることも多かったが病院を何度も変える勇気はなく、実家から離れるまで通い続けた。
その時の処方薬はアリピプラゾール、アルプラゾラム、デエビゴ、ルネスタだったと思う。
飲んでも何も変化を感じず、鬱が酷くなり通えないことも増えていた。
良い事と言えば男性恐怖や地震に対しての極度な不安、暗所での不安、何も無い時の動悸などに対してアルプラゾラムが効いてくれた事だ。
悪いことと言えば親に精神科に通っていることを隠してたため高い医療費を自分で負担しなければいけなかった事だ。
最終的にカウンセリング等も受けて境界性パーソナリティ障害と双極性障害の診断を受けた。
その後大学を卒業し、4月から正社員として働くことになった。
その際に実家から出たため一時的に病院通いを辞めていた。
コールセンター業務であったが最初の1ヶ月は座学研修だったためギリギリ勤務出来たがOJTで電話をとるようになってから体調を崩すことが増えた。
起きるのが辛い、目眩が酷い、希死念慮等だった。
そして規定の欠勤日数を超えたため勤務終了となり、本社との話し合いの末仕事を辞めた。
6月初めであった。
2ヶ月しか働けなかった自分に対して自己嫌悪を繰り返した。
仕事を辞めてすぐに某メンタルクリニックの別の院を受診することになった。
病院に対して診察の短さに不満はあったが病院選びをする勇気はなかったためその場所を選んだ。
薬は変わらなかったがアリピプラゾールは最終的に21mgまで増えた。
そして今まで実家にいた為申し込めなかった自立支援医療と精神障害者保健福祉手帳を申し込んだ。
問題なく自立支援医療も通り、手帳は2級だった。
申請前は自立支援医療と手帳を取り、少しずつ働いていくことを考えていた。
手帳が2級だったため自分が思っているよりも症状が重いことに気づき、障害年金について考えるようになった。
色々調べて社労士に依頼し、今年4月に障害基礎年金2級が3年更新で通った。
障害年金の申請の最中にこのままではダメだと思い4月に病院を変えた。
薬選びも慎重で私の意見をよく聞いてくれ、診察も10分程度かけて頂いている。
現在もこの病院に2週間に1回ほど通っている。
これが私の大まかな行動についてだ。