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美しい指

「ゾフ、痛くはないの?」

「あぁ、少しも」

指先が蒸発して消えたというのに、彼は穏やかに笑っている。

右手の薬指の第一関節が元からなかったかのように消えていた。

「貴方はそれでも弾くの」

ゾフが片眉を上げた。

「なぜ、これだけのことで弾くことをやめなければならない」

変なことを言う、と欠けたその指を抱えた右手で私に触れる。

少し冷たい彼の手は気持ちよかった。

「もともと、薬指の先があることが不思議だったんだ」

私の目元を美しい指先がなぞる。

「ソフィ、俺は別に何も思っていない」

だから、お前が泣かなくていい、とただ穏やかに言う。

彼のその目は冷え切っているように見えるけれど、

彼の弾くチェンバロの音色がどれほどに温かいか私は知っている。

その手が冷たくとも、触れられた私が熱を帯びると知っている。


「ゾフ」

「どうかしたのか」

「とても優しい香りがするの」

「あぁ、このチェンバロの香りだろうか」

「そうかもしれないわ」

「今日の相棒はとても嬉しそうだ」

「なぜ」

「俺から離れなかった不純物が消えたからかもな」

「そんなこと言わないで」

「ソフィ」

「私にとっては愛おしい貴方の一部なの」

「…すまない」

彼の頬を両手で包みこむ。

「温かいわ、指先はこんなに冷たいというのに」

「お前が触れているからだろう」

「あら、わたしのこと大好きなのね」

「そうだな」

「揶揄い甲斐がないわね」

「それでいい」

「愛しているわ」

「そうか」 

「チェンバロとどっちが愛おしいのかなんて聞かないわよ」

「あぁ」

「ねぇ、小鳥の囀りが聴こえる?」

「いや」

「そう。空はどんな表情をしているの?」

「とても穏やかな顔をしているよ」

「貴方のような?」

「俺は穏やかな顔をしているのか?」

「えぇ、とても」

「お前はそれが嫌ではないのか」

「何を言ってるの。貴方の穏やかな雰囲気が好きだというのに」

「そうか」

「ゾフ。今、貴方は泣いているのね」

「泣いてなどいない」

「じゃぁ、なぜ私の手の甲が濡れるというの」

「雨だ」

「嘘をつきなさい、窓は閉まっているわ」

「あぁ」

「私に泣くなと言いながら、貴方は泣くのね」

「すまない」

「じゃぁ、私も泣くわ。それでいいでしょう」

「苦しくはならないのか」

「この涙のぶん、貴方は泣けるのでしょう?」

「ソフィ」


「とても。とても穏やかな風ね」

「あぁ」

「窓、開けたの?」

「言い訳を、したかったんだ」

「素直ね」

「木漏れ日が優しいわ」

「あぁ」

「チェンバロを、弾いてくれるかしら」

「あぁ」





ーー陽だまりのような空気が心地良い。 

  優しい彼の音に、泣いてしまいたくなる。

  もう聴くことはできないけれど。



「ソフィ」

「…」

「いい夢を」






「愛している」








ゾフ、といつか誰かにそう呼ばれた彼は。

微笑みながら頬を濡らして、ただ一人。

そのチェンバロを弾き続けたという。

国という国が戦争というものに踊らされ、

街から子供の泣き声だけ響くそのときも。

ずっと、チェンバロを弾き続けていた。






敵国兵が彼の頭を撃つ。


血が飛び散った楽譜の題名に。

「ソフィ」と、滲みながら万年筆で書かれていたという。















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