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アストリッドと夏至祭の魔法使い  作者: 上津英
Ⅰ Trollmann―魔法使い―
9/65

8 『誰か来ます! 隠れて下さいっ!』

 おかしい。

 寝ているのかと不思議に思い、片手でトレイを抱えもう片手で壁の燭台を持った。アストリッドの居る牢屋を照らし――目を見開く。


「えっ!?」


 赤毛の令嬢の姿がどこにもない。

 驚きすぎてトレイを落としそうになった。牢屋から人が消えるなんて考えられないが、どこにもアストリッドが居ないのも事実。


「嘘、嘘……お嬢様? お嬢様!?」


 地下室に大声を響かせるも、自分の声が反響して返ってくるだけ。顔から血の気が引いていく。

 これはどういう事なのだろう。協力者に手引きして貰ったのだろうか。

 ロヴィーサが助けるわけが無いのは勿論、残りの女中だって仕事をしていてアストリッドを助けるのは難しい。玄関を叩いた人だって居ない。


 古い屋敷の事なので、牢屋の施錠に不備があって自分で逃げ出したのだろう。きっとそうだ。森の妖精トロールが隠してしまったわけでも、今夜は出ていないオーロラが攫ったわけでもない。

 気が強く行動力のある人ではあるが、アストリッドは母親に大切に育てられた令嬢だ。11までは親子仲も良かったと聞く。

 そんな人が懲罰に腹を立てて雪降る夜のノルウェーに飛び出すとは思えない。きっと敷地内のどこかに隠れている筈。


「そうよ、そうだわ……ふう」


 一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

 まずはアストリッドの部屋に行き様子を窺おう。次は屋根裏部屋で、その次は裏庭にある物置。

 落ち着いたつもりだったが、まだ動転していたようだ。トレイを床に置いた際、ポタージュが少々零れてしまったが、気にする余裕はなかった。


***


「こんな形で部屋に入る日が来るなんて不思議……」


 夜の空中飛行はあっという間に終わり、アストリッド・グローヴェンはそっと自室の窓を開け、頭に降り積もった雪を払ってから白い窓枠を乗り越えた。換気の習慣が染み付いている国に生まれた事に感謝する。

 部屋は僅かに月明かりが差し込んでいるだけで薄暗い。おし、と唇を引き結び、暗い中銀貨を入れた箱の近くへ歩いていく。


『暗いのに見えてるみたいに歩けるんですね』

「っ!?」


 と。

 いきなり耳元でウィルの声が聞こえ、声を上げそうになった。魔法だ。


「ほ、ほら……自室だから」

『凄いです』


 何とか堪え、落ち着き払ったふりで返事をする。

 取り出した鍵を回して箱を開けるのは明るい時のように出来た。ノルウェーターラーが詰まった袋を取り出し、ジャラッと銀貨が擦れる音を立ててコートの中にしまい、箱を閉じる。

 後はウィルを信じて窓から飛び降り港へ向かうだけ――そう思った、その時。


『誰か来ます! 隠れて下さいっ!』

「え!?」


 先程もよりもずっと焦っているウィルの声。一気に緊張が高まった。

 女中にも滅多に入らせないこの部屋に一体誰が。母親は来ないだろうから女中の誰かだろうか。もしかしたらその人は自分が地下牢に居ない事にもう気付き、自分を探しに来たのかもしれない。

 それは困る。今見付かってはこの屋敷から逃げられない。


 慌てて隠れられそうな場所を探すが、この部屋は机とクローゼットとベッドと本棚しかない。

 暗闇や物陰、それに本棚や机に身を隠すのは論外。相手はランタンを持っているだろうからすぐに見付かる。

 クローゼットの中はいい場所かもしれないが、その人は自分の行き先に検討を付けるべくコートや靴の有無を確認する筈。そうなったら一発で終わるのでここも有り得ない。

 ベッドの下でやり過ごすしかない。

 そう判断して木製ベッドの下に急いで潜り込んだ。

 板張りの床の上は冷たくて埃臭くて、とても窮屈だったが仕方ない。息を潜めたのとノックも無しに扉が開けられたのは同時だった。


「お嬢様、いらっしゃいませんか……?」


 すぐに聞こえてきたリーナの控えめな声にハッと息を呑む。

 リーナと一緒にキノコを狩りに山に行った際、黒髪のこの用心棒は気配だけで兎の存在を察した。内向的な性格なのに、ここは流石のサーミ人だと思う。

 3人居る女中の中で1番扉を開けて欲しくなかった人物。無意識に肩に力が入った。


「お嬢様、お嬢様……?」


 靴音が先程よりも近くなり、リーナが室内に入って来る。ランタンの明かりが暗闇を照らしていく。

 カツン、カツンと冷たく響く靴音に体温を少しずつ奪われていきそうだ。ウィルの魔法によって耳元で微かに聞こえる風の音すら、リーナに聞こえやしないかハラハラした。

 冬用に加工されたリーナの茶色い革靴が目の前を横切った時は、靴が死神の鎌に思えた程。ギィ……とクローゼットが開く際の蝶番の音が不気味だった。こんなにも肝が冷える音がこの世にあるなんて知らなかった。


「お嬢様?」


 どうか気付かれませんようにと目を瞑って祈る。

 リーナの靴音はまだすぐ近くから聞こえてくる。椅子を引いたりカーテンをはためかせる音がした。

 息を吸うのも怖い。時間とはこんなに過ぎるのが遅い物だっただろうか。


『――うわっ!?』

「っ!」


 その時。

 犬が吠える声とウィルの悲鳴が聞こえ、声が出かける程驚いてしまった。見張った目が閉じられない。屋敷の裏には深い森が広がっているので、野犬に襲われたのだろう。


「っお嬢様!? そこにいらっしゃるのですか?」


 驚きがリーナに伝わり気付かれてしまった。

 ざっと顔から血の気が引く。自分はまた牢屋に入るのか。もうピアノが弾けないのか。


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