魔王討伐Any%
王女付き侍女のラナ・マーニアは優秀な侍女だった。
貴族令嬢らしい華やかさとか嫋やかさ……には少々欠けるところもあったが、まだ若いにもかかわらず大人顔負けの早くて正確な仕事によって王女ルティアを良く支えてきた。
そんな彼女の事を王女ルティアは気に入っていた。
行儀見習いや社交目的でゆるい仕事をこなす侍女達が次々に入れ替わっていく中で、ルティアはラナを手放さなかった。
さほど変わらぬ年頃で真面目で優しい彼女のことをルティアは信頼し、かけがえのない友だと思っていた。
だがラナには困った趣味(?)もあった。
朝の身支度など一部の仕事を行う際に、なぜか彼女は「時間を計測」するのだ。
仕事自体は誰よりも丁寧だし、やりやすいようにやれば良いとはルティアも思ってはいるのだが……わざわざ計測されてしまうと妙な緊張感が出てしまうのである。
朝、少し寝ぼけぎみにベッドから体を起こしてぼんやりしているルティア。
そこに、いつも通りに扉をノックする音が鳴るとルティアの頭がしゃっきり冴えて、少し緊張気味に「どうぞ」と声をかける。
タイマースタートは「失礼します」と言って扉を開けた瞬間から、らしい。
入室したラナが徒歩とは思えない速さと最も効率よいルートで、窓のカーテンを開けたり照明器具を片付けたり朝の紅茶を用意したりしていく。
ラナには「私に合わせる必要はありません」と困り顔で言われちゃいるが、出された紅茶も一気に飲み干さざるを得ない気がして、そのために温く淹れてもらっている。
恐ろしい速さで着替えが完了する。
立って手を広げるだけで、ラナがルティアの衣装をチェンジする。
いつか変身魔法とか使える魔法使いをみつけたら、ラナとどっちが早いか競争させてみたいとルティアはひそかに思っている。
そしてルティアが青系の服を着た時には、ラナは必ずルティアの髪型をツインテールに変えてしまう。
ラナが言うには、伝承に出てくる女神様の御姿に似せているのだとか。
別に服も髪型も自由で良いとルティアも思うのだが……流行やしきたりが面倒くさい貴族かつ王女であるルティアとしては少々、かなり……周囲の目が恥ずかしいのである…
そんな朝の支度もあっという間に終わり、ラナが「兄とおそろいらしい懐中時計」をさっと見る。タイマーストップらしい。
鏡の向こうでラナが小さくうなずけばそれなりのタイムが出た証拠、ルティアもホッとする。ラナが小さくグッと拳を握れば記録更新だ、ルティアもうれしい。
ここでもし緊急の用事などある日には、ルティアの部屋を訪れた伝令係が「お早い時間に申し訳ござ……早起きですねっ!?」と、まだ起床から一分も経っていないルティアの姿に驚くところまでがいつものやつだった。
そんないつもの穏やかな日々に、突然の不幸が舞い降りて来た。
魔王が復活したのだ。
かつて魔王を封印した勇者の、直系の子孫である王族の血を魔王は求めている、らしい。
男である魔王が憎き敵である勇者の子孫を娶り、双方の血をとりこんだ完璧な支配者を望んでいるのだと噂されている。
該当するその「直系の子孫」とは、つまりルティアのことだった。
王城は混乱していた。
ルティアを渡すことも世界を支配させることも当然、認める気などさらさら無い。
すぐに討伐軍が編成されて、魔王の支配領域との国境沿いに派遣されることが決定した。
軍とは別に、「勇者パーティー」が結成された。
腕の立つ戦士や魔法使い達の6名による一団で、その代表は公爵令息である「勇者」だった。
直系では無いにせよ勇者の血統につらなる彼は、ルティアも良く知る6つ年上の青年だった。
「…信用ならないわね」
「同感です」
それがルティアとラナの率直な感想だった。
その公爵令息、自称「真なる勇者」の彼はたしかに剣の腕もそこそこ立つし、魔法の才能もそこそこあるが、やはりそこそこ止まりという印象だった。あと性格はあまりよろしくない。
他の5人のうち三名は彼の側近達で、そこそこ実力はあるが、それ以上に自己主張が少々、かなり、めっちゃ激しい所があって……もうはっきり言えば、ムカつく奴らだったのである。
彼らよりも軍団長や宮廷魔術師団長の方が、はるかに強い。
そんな団長達を中心にした平均年齢40歳の「おじさんチーム」を結成した方が、よほど勝率が高い気がしているルティアだった。
なのに、貴族達は若き勇者達を強く推してきた。
要は政治だ。
魔王を倒した若く猛き勇者が、彼に救われた薄幸の姫君ルティアと婚姻するという結末を公爵派閥の者達は思いえがいているのだろう。
ことの重大さが分かっていない。
そう簡単に魔王は倒せないし、真っ先に犠牲になるのは最前線で暮らす民達だ。
お祭り気分で騒いでいる有力貴族達を前に、玉座で頭を抱えている父である国王陛下の姿を見れば、ルティアにもその絶望が嫌でも伝わってきた。
信用ならないのは、勇者も、それを支持する者達も、すべてだった。
本命は討伐「軍」の方なのだろうが、どちらにしても魔王に狙われている身のルティアにしてみれば生きた心地がしなかった。
気丈に振る舞いながらも、内心は怯えきっているルティアの心情を察するラナ。
その様子をじっと見つめて………ラナは、ついに提案した。
「兄の力を借りましょう」
◆ ◆ ◆
王女付き侍女のラナの兄、イセッカ・マーニア。
城の書庫や倉庫を管理している資料管理課で働くパッとしない文官が彼だった。
そんな彼が今、玉座に座る王と、その左右を固める重臣達を前に、貧相なシャツ姿で跪いていた。
急に呼び出されたから普段着での謁見となったのだが、そもそもイセッカは立派な正装など用意できない。
頼りない青年、それが重臣達から見た彼の印象だった。
身分の高い偉い者達や偉そうな者達を前に、イセッカはすっかり縮みあがっているように見えた。
平伏というより罪人のように項垂れた首と、頼りない撫で肩、弱々しく覇気の無い背中。
ある意味では典型的な文官(庶民)、という評価だった。
…前情報だと若くして男爵家当主という話だったはずだが、どう見ても貴族には見えない。
文官の一人が朗々と読み上げ続けている、我が国の状況、イセッカがここに呼ばれた理由、いま彼に望むことについての説明も一体どこまで彼の耳に届いているだろうか?
そろそろ重臣達も飽きてきたのか、それぞれ別の自分の仕事やら今日の夕食のことやらについて考え始めていた。
緊張のせいなのか、床の一点に視線を合わせたまま身じろぎ一つしなかったイセッカだったが……ふと彼が、その視線だけを横にずらした……
……すると、まだ説明の途中だと言うのに、不敬にも彼は跪いたまま顔は横向きで固定してしまった。
彼の視線の先にいたのは、ルティア姫とその侍女ラナだった。
…重臣達も、まぁ、たしかに見惚れてしまうのも仕方が無いと、青年の不敬な行いに少しだけ納得した。
なにせルティアちゃんはかわいい。
お人形さんのような金髪、碧眼、ツインテール姿は目に入れても痛くないくらいかわいらしい。
陛下の御前で不敬であるぞ、よりも、お前ルティアちゃんをガン見してんじゃねぇぞコラ、が重臣達の心境だった。
この謁見がルティア姫の強い要望によるものだったから、余計な口は挟まないようにしているが……
そんなルティア姫が、あまりにじっと見つめてくるイセッカに対して苦笑ぎみに小さく手を振った。
よし、あとでイセッカは不敬罪で首を刎ねよう。重臣達の心が一つになった。
文官からの説明が終わり、臣下の一人が「何か、質問はあるか?」と斬首寸前の男に問いかけた。
それに続けて、国王が付け加える。
「直答を許す、面を上げよ」
えっ!? それはさすがに! と陛下の言葉に驚く文官達の一方で、武官達はこの緊急事態ゆえに効率を優先させた陛下の決断に小さくうなずいた。
そんな王直々の言葉に、ついに顔を上げた青年は――
――えっ、おまえ誰? と皆が思った。
先ほどまでの挙動不審な青年は消え去り、歴戦の勇士のような佇まいでイセッカが返した。
「魔王を最速で討伐せよとの王命、拝命いたしました」
「えっ? う、うむ。そうだ魔王を討て。 ……最速?」
ちなみに先ほど文官がイセッカに読み上げていたのは、魔王対策に関して何か意見や助言が無いか? という内容だった。
さすがにいち文官に魔王を討てとは頼んでないし、まして最速でなんて言ってない。
戸惑う王に、イセッカが続ける。
「つきましては、封印回廊への立ち入り許可を」
「「っ!?」」
王を含めた数人が目を見開いた。
イセッカの言葉に年老いた文官が即座に割って入った。
「お、恐れながら申し上げます!
このイセッカは資料管理課の職員にございます」
それはイセッカが「王家の秘密」を知っていることについての釈明だった。
「その職務の性質上、禁書や呪具にまつわる諸々の知識も必要とされております。
無論、それらについての守秘義務も徹底した上で、でございますが」
大量の文献や道具も、ちゃんと分類整理しなければ、いざという時に役に立たなくなってしまう。
まして取り扱い注意のものならば、なおさらその中身や性質について「多少は」知っておかなければならないのだ。
…という建前で、資料管理課職員には特別な閲覧・使用権限が与えられていた。
実際のところは、資料管理課はただの趣味人達の集まりだったのだが……
「…立ち入り許可を求める理由は?」
王がイセッカに問い返した。
王城の地下にある封印回廊は、王族とその側近の一部しかその存在を知らない。
ゆえに事情が分からず、ざわつき困惑する重臣達ではなく王自らが問い直した。
それに対してイセッカが答える。
「魔王を最速で討伐する為に、必要がゆえに」
最初の言葉の繰り返し。答えになっていなかった。
…だが、秘匿されている場所について、そこに何があって何の目的でとは、ここで語るわけにはいかないのだ。
もっと言えば、仮にそこへと入ったところで、勇者や聖女、あるいは王族でも無ければ何もできない……はずの場所である。
鋭い眼差しで王が続ける。
「それがあれば、そなたに魔王を討伐することは可能か?」
その言葉にイセッカがスッとその手を横へと差し向ける――
「はい、最速で。必ずや私と――我が妹、ラナの手で」
「「!?」」
今度は全員が目を見開いた。
なんだと!? と皆がイセッカの手が示した先を見れば、同じく目を丸めているルティア姫の隣で優雅に一礼する「侍女」がいた。
え? 待て? さっきから一体何が起きているんだ?
その場にいた者達はますます混乱していた。
そもそもイセッカをここに呼んだのは、今すぐに侍女の兄に会って欲しいというルティア姫からの強い要望からだった。
魔王に関する情報が手に入るのならと、忙しい中で時間を作った。
それがいつの間にか、魔王を倒す話になっている。
さえない文官と侍女の二人パーティーで、必ずや魔王を倒してきますとか、一体なんの冗談だ?
……あと、さっきから「最速」ってなんだ?
周囲の理解を置き去りにして、王とイセッカの間ではとんとん拍子で話がまとまってしまった。
「封印回廊への立ち入りを許可する。魔王を倒してまいれ」
「「はっ」」
兄妹がその場で跪き、拝命してしまった。
誰もが目を丸め、口を開いたままだったが、国王直々の命令はもはや誰にも覆せない。
そしてこの場で最も困惑していたのは、ラナの隣で「えっ、ちょっ、どういうことなの! ラナっ!?」と小声で悲鳴を上げていたルティア姫だった。
◆ ◆ ◆
強力な武器や道具が封印された地下迷宮、封印回廊。
そこには侵入者の行く手を阻む罠や魔物が大量に存在しているという。
多少腕に自信がある程度では、瞬殺されてもおかしくないような迷宮だ。
そこまでして厳重に封印せねばならないものたちが眠っている場所だった。
そもそもこの王城は封印回廊の上に建てられた。
封印回廊を守るために城が建てられたといっても過言では無い。
城の地下へと続く、螺旋階段を延々と下った果てにある大扉。
封印回廊への入り口は魔法によって閉ざされていて、王家の血筋でしか開けない。
ルティア姫が扉に手をかざし、開錠のための詠唱句を唱える。
開錠の手伝いだけでなく、ルティアは自分の所有するマジックバッグを貸し出すことを申し出た。
空間圧縮魔法がかかっているマジックバッグは高位貴族や豪商にしか所有できない高価なものだ。
それこそ「魔王を倒しに行く勇者」くらいにしか貸し出すことができない貴重なアイテムだった。
これにはイセッカ(とラナ)が大いに喜んだ。
「それがあればもっと攻めたルートを構築できる!」と、良く分からない喜び方をしていたのだが……
「…えっ、ルティア姫殿下も、同行……なさるのですか…?」
「はい」
これにはイセッカも動揺した。
これから向かうのはかなりの危険地帯である。一国の王女を連れて行けるような場所ではない。
「マジックバッグだけ貸して頂くわけにはいきませんか?」
「いいえ。私も王族としての責務を果たします」
「マジックバッグだけ貸して頂くわけにはいきませんか?」
「そういうわけにはいきません! 私にもできる限りのことを……」
「…マジックバッグだけ貸して頂くわけにはいきませんか?」
「ちょっと!? うっかり『はい』って言うとでも思ってませんか!?」
新しいルートを検証(?)しようとしたイセッカは、残念そうに首を振った。
「やはり、キャラクター固有アイテムなのか」
「アイテムだけ奪ってパーティー追放という訳にはいかないのよ、兄さん」
「聞こえてますよ? お二人とも?」
気を取り直して、イセッカが真剣な表情でラナに告げた。
「…ここから先は安全は保証できません。むしろ怪我で済めば幸運と言えるような場所です」
「……」
「我々の言うことを守って頂けると、誓えますか?」
「はい。誓います」
「では、マジックバッグだけ――」
「――怒りますよっ!?」
ぜんぜん気を取り直していなかった。わりとしつこいイセッカだった。
だがラナには分かっていた。
イセッカは慎重派だ。勝負をかける寸前まで念入りにルートを構築するし、一発勝負の場合には最速ルートより安定ルートをとる傾向にあるイセッカだ。
だからこそ、王女の死に繋がりかねない要素は極力排除したいのだろう。
「…あまり怒らないであげて下さい、ルティア様。
兄さんも、あまり時間も無いですし、そろそろ先に進みましょう?」
「そうだな……時間もない」
懐中時計を取り出したイセッカに、ラナが確認する。
「タイマースタートは?」
「封印の扉を開いたところから」
また「タイマースタート」? この兄妹は……
…だが、いつもラナで見慣れていた光景にちょっとだけ気が緩んでしまったルティアでもある。
「準備は」
「いつでも」
「それでは……スリーカウントで」
3、2、1……
少しだけドキドキしながら見つめるルティアの前で、兄妹が高らかに宣言した。
「「Good Luckでーす!」」
重厚な扉を開いた兄妹が、ついに封印回廊へと足を踏み入れたのだった。
「……って、置いて行かないで下さい!」
そしてルティアも追いかけた。
封印回廊は、強力な武器や道具が封印された地下迷宮だ。
切り札が手元にあるのならば、危機に陥れば当然それを使うだろう……それが魔物ではなく人同士の争いであったとしても。そこにあるだけで争いや奪い合いを招きかねないのが聖剣で……その剣は、魔王の封印という役目を終えてすぐにこの封印回廊の最奥へと持ち去られた。
だからこそ、そう簡単には回廊の奥へと侵入を許すわけにはいかないのだ。
「この封印回廊は入ってすぐに、たくさんの罠が待ち構えていると言われています」
その伝承を知るルティアは、自分の知識を伝えるために二人に同行した。
…つもり、だったのだが。
「…ですから、くれぐれも慎重に――って、ラナぁあ!!?」
全力疾走で回廊の奥へと駆け出したラナの背中に、悲鳴を上げるルティア。
落下するギロチン。
突き抜ける槍。
切り裂く刃。
押し潰して来る天井と壁。
罠、罠、罠に、そして罠。
…無数の罠の果て、その向こうへと消え去ってしまったラナ。
残されたルティアは、ただただ呆然と立ち尽くしていた……
そんなルティアの隣で腕組みをしたイセッカがうなずいた。
「よし」
「『よし』っ!?」
信じられないことを言うイセッカを思わずにらみつけるルティアだったが――
「――遅いです、兄さん!」
ラナの声だ。それは鬱蒼とした罠の森のはるか先から聞こえて来た。
「えっ? 無事なの、ラナっ!?」
「先を急ぎます。失礼します、姫様」
「えっ、えっ!?」
お姫様をお姫様抱っこして、イセッカもまた発動済みの罠の間を縫うようにして走り出した。
「この第一関門の最適解は、全速力で駆け抜けることだと判明しました」
「…み、見れば分かるけど、意味が分かりません」
ただただ困惑するルティアにイセッカが解説した。
「ご覧の通り、この通路の罠は再利用できるもので構成されています。
弓矢や炎、毒といった一度使えば消耗したり再設置に補給が必要な罠は使われていないのです」
「た、確かに、そうですね」
あまりの急展開とお姫様抱っこに混乱する中、それでもどうにか状況を理解しようとするルティアに、彼が続ける。
「この手の罠に重要なのは発動のタイミングです。
慎重に進む侵入者達を相手に、近づいただけで罠を発動しては簡単に避けられてしまいます。
視界の外から、側面や頭上から狙うにはそれなりに引きつける必要があるのです」
その説明にルティアが周囲を見渡して……なるほど、と理解する。
確かに天井や側面から相手の不意を突くような形の罠ばかり、だが……
「だから、発動前に駆け抜けるのが最速という結論に至りました」
「…その結論は、ちょっと、かなり飛躍しすぎではないですか?」
ルティアの疑問に、イセッカは事も無げに返した。
「タイムには代えられません。
…もちろんダンジョンの地形やコンセプトに大きく依存する攻略法なので、絶対に真似してはいけませんよ?」
「しませんよ!?」
イセッカは簡単に攻略法などと言っているが……まさに彼が言った通り、「このダンジョンのコンセプト」は勇者に試練を与えることにあるのだ。
ふさわしい者に、ふさわしいアイテムを授けるためのダンジョン。
その対象は勇者である。
一般人が一生懸命走ったくらいで、突破できるような罠では無いのだ。
だがラナの速さは異常だった。
こうして実際に罠の通路を通ってみれば、その距離の長さにあらためて気付く。
…イセッカだって異常だ。この距離をルティアを抱えたまま走り続けている彼は、とても文官とは思えない。
一体、この兄妹は何者なの?
目を丸めて見つめているルティアに対して、視線を前に向けたままイセッカがこの先に待つ第二関門について説明した。
その説明もまた、ルティアが知る王家の伝承よりも詳しかった。
「次に待ち構えているのは『不解の難題』と呼ばれている謎解きです」
不解の難題。
広間にあるのは大扉で、その手前の祭壇には数字入力装置。
そして部屋の壁面には「毎回変わる」問題が描かれている。
壁に描かれた問題の答えを、16桁の数字として入力すれば扉が開く。
だが、不解の難題と呼ばれるほどにその問題は難しい。
当てずっぽうに入力するには16桁は多すぎるし、一度入力すれば「問題文が変わる」のである。
記録に残っている限りでは、攻略に成功した事例が無い。
そんなイセッカの説明に、ルティアがうなずいた。
「…そうです。
なので、この問題は難しい上に一発勝負。
その上で、さらに恐ろしいのは―――って、コラーっ!!?」
ものすごい勢いで入力装置をガガガッと押打しているイセッカ。
まだ問題文すら読んでいない。
ルティアが悲鳴を上げ終わるのを待つことも無く……
「…終わりました。先へ進みましょう」
「……えぇぇ」
鈍く重厚な金属音と共に、大扉が開いてしまった。
…だが、恐ろしいのはここからだった。
大扉は、入力した数値が不正解でも開く。
入力した数値に応じてこの先に続く道もまた毎回変化するのである。
そして不正解なら行く先は当然……行き止まりだ。
難問に頭を悩ませ、不安にかられつつ数字を入力し、長い道のりを歩かされたあげくに待っているものが、行き止まり。
これほどまでに勇者や学者達の心をへし折る罠は無かった。
だが、ルティアを抱えたまま走り続けるイセッカが、衝撃の事実を告げた。
「実は、毎回変わるのは問題文だけで、その答えは一つだけだと推測されます」
「…なんですって?」
なぜそうなっているのか? なぜそれをまた知っているのか?
色々と分からないルティアに、イセッカが解説する――
――数字に連動して道が変わるという大がかりな仕掛けで、正解となる道を複数用意するのはあまりにも非効率である。
むしろ答えは一つしか用意できないと考えるのが現実的、それほどまでに仕掛けが大規模で複雑すぎた。
その一方で、問題文を毎回変えるのは実は簡単だ。
見せる文章をただ変えるだけで良いのだ。
毎回変わるといっても、せいぜい百か二百も問題文を用意しておけば十分である。
実際、過去の文献として残っている『不解の難題』の数は五問だけ。
さっぱり分からない問題を五回も不正解すれば、もう、誰もが諦めてしまったのだろう……――
「――…なので、ご覧ください」
「……おぉ」
道の先は、次の広間と大扉へと繋がっていた。
どうやら本当に、正解のルートだったようだ。
「第三関門はいよいよボス部屋です。この大扉の向こうには月光の指輪を守る守護者が――」
「――ちょ、ちょっと待ちなさい!」
おかしい。色々と。
ここを聞き逃すとまずい気がしたルティアが止めた。
本当に『不解の難題』の答えが一つしかなかったとしても、だ。
その答えは、一体どこから出て来たというのか?
問題文を見もせずに16桁の数字を一気に打ち込んだイセッカだったのだが……
…つまり彼は、過去の五問のうち少なくとも一問は、あの『不解の難題』を解いたことになってしまう。
答えが一つしかないという推測を裏付けるのならば、あるいは二問以上解いていたのかもしれない。
初回の魔王封印以来、誰もその先へと進んでいない第二関門を、イセッカがすでに解き明かしていた…?
王家として聞き逃すことのできない事実について、ルティアがイセッカに問い詰めようとするも……
…視界の隅に入ってしまった光景に、ルティアの疑問が上書きされてしまった。
「…………あれは一体、何をやってるの?」
ラナが踊っていた。
『不解の難題』の扉が開かれるとほぼ同時に、イセッカ達よりも先行して走っていたルティア付き侍女のラナ。
普段は真面目で仕事のできる女として、ルティアが尊敬すらしていた彼女が……なんだか奇妙なダンスを真顔のまま踊り続けていた。
…何か、罠か魔物にでも、混乱の魔法でもかけられてしまったのだろうか?
普段ならありえないラナの奇行に瞬きするルティアに、イセッカがまた訳の分からないことを言い出した。
「ああ。あれは状況再現による乱数調整です」
「…なんですって?」
「あの様子ならあと52秒くらいで終わりますので、お気になさらず」
「気になりますが!?」
「兄さん」
ピタリと動きを止めたラナが、申し訳なさそうにイセッカの方へ顔を向けた。
その言葉に、イセッカが答えた。
「時計回りに二回転」
そのアドバイス通りに、ラナがくるん、くるんと無言でダンスを再開した。
何とも言い難いラナの姿を見て……そしてイセッカを見たルティア。
イセッカは解説を再開する。
「ええと、なんでしたっけ……ああ、状況再現はつまり……儀式です」
「…もう少し、詳しく」
「つまり……
…本来はランダム値や疑似乱数テーブルといった運の要素に左右される事象について、その数値や位置を決定づける行動、いわゆるシード値や各種入力値を固定化することで狙った値を――」
「――ごめんなさい、もう少し……その、分かり易く」
「言い換えますと……過去の英雄の動きを寸分たがわず真似することで、その英雄が生み出した奇跡を再現する、というイメージです」
「…奇跡の、再現」
「はい。広い意味では巫女の神おろしや祈祷師の雨ごいも、これに該当するという説もあります。
成功事例をなぞる、とでも言いましょうか……
運任せであった天候を、雨が降った時に行った祭事や儀式をまた繰り返すことで、過去と同じように雨を降らせる、という感じで」
「な、なるほど、そうですか……それで、ラナはなぜ、それを?」
その質問にイセッカが「ああ!」と手を打つ。
「申し訳ありません、先にこちらの説明をするべきでした。
まず、ラナの職業は忍者でして」
「ニンジャ!?」
「低確率で即死スキルが発動するのですが」
「そくしッ!?」
「次のボスはかなり手ごわいので、1ターン目で確実に仕留めるために、乱数調整が必要なんです」
「……」
優秀な侍女だと思っていた友人が、実はニンジャで即死スキル持ちで、これからボスを一撃で倒すらしい――
「――兄さん」
「うつ伏せから、左に三回転」
――……床をコロコロと転がるラナ。
魔物を一撃で倒すための儀式らしい。
大扉の向こうに待ち構えていたのは、大きな斧を持った筋骨隆々の大男。
牛頭の戦士ミノタウロス、だった。
開幕二秒で地面に転がった牛の頭に、イセッカが拍手した。
「成功です!」
「…ス、スゴイワネー、ラナサン……」
「恐縮です、ルティア様」
…ラナは怒らせないように気をつけようと心に誓うルティア。
そして何の余韻も無いままに、イセッカが先へとうながした。
「では、今回は時間も無いので先を急ぎます」
「希少な素材が……」
「おやめなさい、ラナ!」
名残惜しそうに振り返るラナをルティアが強く窘めた。
素材って。一体それの、どの部位を、どうするつもりだ? ルティアは断固として阻止する構えだった。
「どうにか最速の周期に間に合ったか」
「想定よりもギリギリでしたね、兄さん」
次の広間で状況を確認し合う兄妹の一方で、ルティアは思わずつぶやいた。
「…きれい」
その空洞は洞窟のような神殿のような不思議な場所だった。
薄闇の中でその中心の祭壇を包み込むように照らすのは、真上にあるほんのり黄色いガラス窓か水晶か、そこから差し込む一条の光だった。
静謐で神秘的なそこが伝承通りの『月光の間』であるのならば、あの美しい石の祭壇にはきっと『月光の指輪』が置かれている。
さっそく中へと進もうとするラナの肩に、イセッカが手を置いた。
「待て。ここは俺が行く」
「……私を信じていないのですか、兄さん?」
「いや、信じているからこそ初見は俺、二回目がラナだ。俺がやるのを見てタイミングを覚えろ」
「兄さん!」
「失敗は許されない。だからこそここは安定を取るんだ、ラナ!」
「…っ!」
なんだか不安になるやり取りをする兄妹の姿に今度は一体何事かと、ルティアは目を細めたが……
…彼女も徐々に、その伝承について思い出して来た。
そうだ、ここが月光の間であるならば、あそこにあるのは「聖女の導きによる月光の指輪」が置いてある。
つまり、ここに来るもの、触れられるものは「認められし聖女のみ」のはずで――
「…!? 待っ――」
「――静かに!」
叫ぼうとしたルティアの口をラナがふさぎ、中央の祭壇へ歩み寄るイセッカが、そこへ手を伸ばし――
――まばゆい光に撃ち抜かれた。
落雷のごとき衝撃に、イセッカの身体が跳ね上がって、そのまま祭壇へと倒れ込む。
ルティアが悲鳴を上げた。
「イセッカ!! 離しなさいラナ!! イセッカがっ!?」
「危険です、ルティア様! どうか落ち着いて! それに兄は成功しました!」
「成功!? どこがっ!」
聖女ではないイセッカが結界に拒まれて、光の魔法で攻撃されて倒れてしまった。
どこをどう見ても、これは成功ではなく大失敗で大惨事だ!
……だが、立ち上がるイセッカ。
よろよろと祭壇で体を支えるようにその身を起こして、そこに置かれていた、月光の指輪を手に取った。
結界の中にある、聖女しか手に入れられないはずのそれをイセッカが……
…時間をかけておぼつかない足取りで戻って来たイセッカを、ようやく走り出したラナが支えた。
「…兄さん」
「…一発で入手できた。お前の仕事を奪ってしまって、悪かった」
そして涙目で見つめるルティアに、イセッカが解説した。
「…月光の間の結界は、初回は警告なので必ず『体力が1残ります』。
そして迎撃の魔法に合わせて『進行方向を逆に』することで『結界の内側にノックバック』します。
2フレーム技なのでタイミングはシビアですが……どうやら上手くいきました」
「…意味わかんないけど、見ればわかるわよ……」
結果だけ言えば、聖女以外は入れないはずの結界から強引に月光の指輪をかすめ取ってみせたのは、見ての通りだ。
「…でも、お願いだから無茶しないで」
だが、あの雷に撃たれた姿は見ている方の心臓が止まるかと思った。
ここまで順調すぎたから忘れていたが、ここは封印回廊という極悪な危険地帯なのだ。
そこに無理を言ってイセッカを巻き込んでしまったのは他でもないルティアである。
半泣きのルティアに、イセッカが苦笑した。
「…ですが、姫様。タイムには代えられないのです」
「ばかっ!!」
笑えない冗談(?)にルティアが強く抗議したのだった。
それからマジックバッグから取り出した回復薬で、ルティアがすぐにイセッカを治療した。
王女のために用意された希少な薬瓶の登場に兄妹が「それを売らないなんてとんでもない!」と声をそろえたが、問答無用でルティアはイセッカの口に回復薬をねじ込んだ。
それから三人は一旦、外へと引き返した。
故ミノタウロスの部屋にある近道を開放し、地上へと戻る途中でイセッカが言った。
「そろそろ時間も遅いので、一度休まれてはいかがですか、姫様?」
「あなた方は、どうされるのです?」
「我々はこのままクリアするまで続行――」
「――ならば私も行きます!」
「…マジックバッグだけ貸して――」
「な ん で す っ て ぇ…?」
とても迫力のある笑顔のルティアを連れて、次に兄妹は城下街へと移動した。
外はすでに夜も深くなっていた。
こんな時間になぜ街なのかとルティアが問えば、これがもっとも速くて効率の良い手順だからだという。
人気の少ない大通りから路地裏まで、最短ルートをずんずん進んでいく兄妹と王女の三人は、夜の繁華街から、そのまま怪しげな裏通りへ…――
――…進んで行った先にいた、いかにも屈強そうでヤバそうな男にイセッカが二言三言と言葉を交わすといきなり戦闘が開始、それを兄妹があっという間に倒してしまうと道の隙間から染み出してきたかのようにわらわらとゴロツキ達が登場してそのまま三連戦、兄妹はこれに素早く勝利して彼らから怪しげなアイテムを奪取、聞けば違法な何かを密売していたという彼らを後ろからこっそり付いて来ていたルティアの護衛にそのまま押し付けて、三人はそのまま城へと戻って来た――
――封印回廊とはまた違った種類の急展開と恐怖にげっそりしているルティアに、イセッカが解説した。
「今回はサブイベントの攻略が目的ではなく、最速で戦闘を行いつつアイテムを入手するために城下街を使いました」
戦闘が目的?
そういえばイセッカは先ほどの戦いで、ルティアから借りたアイテムバッグに片手を突っ込んだまま戦っていた。
今度は一体、何の儀式か? とルティアも疑問に思っていたが……
「今回は【グリッチ有り】の攻略なので……戦闘中に特定の手順でアイテムの位置を入れ替えつつ敵からアイテムを入手することで……」
イセッカがアイテムバッグの中から、封印回廊で体を張って手に入れた月光の指輪を取り出す。
「…任意のアイテムを【複製できます】」
「…は?」
月光の指輪がなぜか「2つに」増えていた。
そのまま今度は城の中へと入っていき、速やかに次の目的地へと移動しながらイセッカが解説する。
封印回廊に入ったのは魔王の攻略に必要なアイテムを手に入れるというのはもちろんだが、重要な別の目的として「金策」があった。
序盤で最速で、最大の火力を得るための最もシンプルな手段は、やはり金。強力な武器や道具を買えばいい。
だから「月光の指輪を売る」のである。
「それを売るなんてとんでもないことです!?」
「あ、いえ、姫様? ですからそのために一応、指輪を複製したのですが…」
「それを複製するなんてとんでもないことです!!」
「それは、まぁ、確かに、とんでもないことをやっている自覚はあるのですが…」
「タイムには代えられないのです、ルティア様」
そうこう揉めながら早歩きで移動しているうちに、三人は次の目的地へと到着してしまった。
「…ここ、厨房ですよね…?」
三人が入った場所は調理場だった。
城で働く者達の胃袋を支えるだけあって広くて立派なその調理場を……そのまま素通りして、食材貯蔵室の方へと移動、さらに進んで荷物の搬入口まで歩いて行けば……
「…こんな時間に、なぜここに、あなたが?」
「おや? これはこれは姫殿下」
そこにいたのは城の御用商人、その商会長だった。
彼に聞けば、城で働く者や寝泊りする者達の強い要望により、こんな時間にこんな場所でこっそりと営業をしているという。
訝し気な目を向けるルティアに、商会長が弁明した。
「もちろん違法な何かを取り扱っているわけではございませんよ!
お客様の需要に合わせた、充実した品揃えで営業させて頂いております! はい!」
そんな営業スマイルの商会長に、眉間にしわを寄せながらルティアが確認した。
「このことは騎士団……いえ、騎士団長はご存じなのですか?」
なんていうか、セキュリティ面で不安である。
ルティアの指摘に、商会長が言い淀むも……
「そっ、それはー……ですがっ! 陛下とお后様にはいつもご利用頂いております、はい!」
「…お父様に……お母様まで…」
夜中にこっそり、一体何を買っているのか?
あまり知りたくなかった衝撃の事実に頭を抱えるルティアの一方で、イセッカはさっさと買い物を済ませてしまった。
「この指輪を売ります。それから聖水を9999個ください」
「まいど」
「!?」
◆ ◆ ◆
「もー、なんのよ、もー……
…王家の秘宝を売っちゃうし、一晩で年間予算規模のお金を手に入れちゃうし、真夜中に御用商人が聖水を9999個も持ってきてるし、もー……
変なことばっかりするから、私のマジックバッグも壊れちゃったじゃない、もー…っ!!」
次の場所へと移動しながら半泣きのルティアに、歩きながらイセッカが説明する。
「姫様!? 壊れてませんから、大丈夫です! この『270F』というのは16進数表示に変わってしまっただけで……ほら! 元通りに設定を変更しておきましたから、もう大丈夫ですよ!?」
「なんであなたがそんなことできるのよー、もー!」
「なにも心配いりませんよルティア様。よろしければこちらをどうぞ? 力がわきますよ?」
そう言いながらラナがルティアに差し出したのは、先ほど商会長から購入した高級疲労回復薬だった……
…深夜に泣き崩れる上司に、これ飲んで元気出せよと栄養ドリンクを渡して励ます部下。ひどい光景である。
飲めば元気にならざるを得ないそれをグッと飲み干して、ルティアは言った。
「…さぁ! 次はなんなのっ!?」
「封印回廊をもう少し奥まで進んで、必要なアイテムを回収します」
再び封印回廊へと降りて攻略を再開する三人。
必要なものは一部の武具と「七つの石」。
特に七つの石は封印神殿の方で特別な部屋の扉を開くために必要不可欠なのだと言う。
「…そんな希少な石だと言うのに、製作用の素材として消耗できてしまうというのは」
「創造神の悪意を感じますね、兄さん」
「神にまでケンカを売らないで下さい」
罠だらけだった序盤とは異なり、この階層は洞窟のような場所になっていて今度は魔物が襲って来るのだそうだ。
その撃退のためにも、商人から大量購入した聖水が役に立つ。
本来、聖水はそれ一本で王都に小さな家くらい建てられるお値段の高級品だった。
高級品だけあって、戦闘はまるで素人であるルティアでさえ魔物を倒せる逸品だ。
だが、ここでは聖水をイセッカが自分自身に振りかけた。
こうすることで「自分よりも弱い敵を寄せ付けない」という魔除けの効果があるらしい。
高価なだけあって万能な聖水だ。
…高そうだけど、自分も護身用に買っておこうと心に決めたルティアだった。
「いえ、わざわざ購入なさらなくても、余ったものはアイテムバッグごと差し上げますよ?」
「…不良在庫を私に押し付けないで下さい」
9999本も入っていれば、そりゃあ余るだろう。
だが、聖水以上に強力なのは、そこから【製造】できるアイテムだった。
聖水、光輝石、闇暗石の三つを材料に使って【製造】すれば「聖属性爆弾」が手に入った。
「危ないので、念のため扉から離れていて下さい」
大扉を開き、ミノタウロスがいたところと同じような広間へと一人で入って行くイセッカの手には聖属性爆弾があった。
扉が閉まり、その数秒後に重厚な扉の向こうからくぐもった爆発の衝撃音がかすかに聞こえて……さらに数秒後、再び開いた扉からイセッカが戻って来た。
「終わりました」
地面に残る焦げ跡からは、イセッカが何と戦っていたのか分からなかった。
「…貴重な素材が」
ちょっぴり悲しそうなラナに、「おやめなさい」とルティアが窘めた。
今度は雷に打たれたりせずに、ふつうに祭壇に置かれている「黄金槌」が手に入った。
「あとはこれを複製して、ダンジョン攻略は終了です」
「また複製するんですね……って? 終了!?」
「はい。必要なものはひとまず回収できましたので、引き返します」
三人は封印回廊を「途中で」引き返した。
…この兄妹なら、きっと最後まで踏破できるだろうとルティアは確信しつつあったのだが。
封印回廊の最奥には、聖剣があると言われている。
そして魔王を撃ち滅ぼすには聖剣が必要だ……と、王家では言い伝えられていた。
「イセッカ様は、聖剣についてはどこまでご存じなのですか?」
「………封印回廊に聖剣があるらしい、ということは存じ上げております」
…視線をそらしたイセッカに、ルティアは思った。
きっとこの人は、すべてを知っている。
なにせ王家の血脈である自分以上に封印回廊に詳しいのだ。
そんな彼が聖剣のことについてだけ知らないとは考えにくい……きっと秘密を、知っている――
――聖剣を使うための代償。
聖剣を使ったとされる初代勇者。
それ以来、封印されたままの聖剣。
裏切られ、魔王へと成り果てたその者の、正体。
なぜ彼が狂おしいほどに王家の姫を求めているのか。
……私は覚悟できている。
勇者が現れ、その聖剣を使う覚悟があるのならば、それで構わないと思っている。
たとえそれが、私の命と引き換えだったとしても――
「――姫様」
「………なんでしょうか?」
顔色の悪いルティアに、イセッカが告げた。
「…私が聖剣を必要としないのは……タイムには代えられないからです。
代償など払わずとも魔王は倒せる。
私がもっと、効率よく倒してご覧にいれます」
「……どうやって?」
「…えっと、実は今、少々段取りがくるっていまして、いま即興でルートを再構築中です」
「だめじゃないですか! こうしている間にも民たちの命が――」
「――ルティア様」
焦るルティアをラナが止めた。
「詳しい事情は私も存じ上げませんが、こういう時の兄は……わりとすごいので、もう暫く任せてみませんか?」
もと来た道を引き返す三人。
今度はミノタウロスの時のように近道を使わずに洞窟の中を走っていた。
…タイム短縮のために、ルティアはイセッカが背負っていた。
「実は第二関門から先については私にもあまり情報はありません。
分かっているのは封印回廊にあるというアイテムについて、その目録だけです」
目録といっても一覧表が記録に残っていた訳ではない、それぞれの伝承や暗号を読み解いて情報を繋げていくことで「目録を作れる」という話だった。
「この階層で7つの石とゴールデンハンマーを見つけたのは想定外ですが、この配置自体には意図があると思っています」
七つの石のひとつ、光輝石が置いてあった宝物室へ再びやってきた。
だが、石はもう取得済みなのでこの部屋にはもう何も置かれていない。
「…洞窟なのに、宝物室だけ壁がある。
そしてゴールデンハンマーが手に入った」
「…なるほど。一度引き返せ、というのが嫌らしい公式チャートですね、兄さん」
「俺もそう思うよ」
振り下ろされたゴールデンハンマーが、一撃で壁を粉砕する。
「…ここでまさかの【採掘】とはな……だが、これで追加の光輝石、闇暗石も採り放題だ」
宝物室というのは、その部屋自体が宝物ということだった。
「姫様、先ほどの質問にお答えします。
魔王を効率よく倒す方法。
それは……聖属性爆弾を山ほど製造して魔王城ごと吹き飛ばす、です」
「ナイスリカバリです、兄さん!」
喜びながらハイタッチする爆弾魔兄妹の姿に、ルティアは目を丸めたのだった。
「…確かに、あなた達なら聖剣は必要なさそうですね」
◆ ◆ ◆
一般には光の神殿と呼ばれているその場所は、王家には「封印神殿」という名で言い伝えられていた。
深夜に馬を走らせた三人は、その封印神殿へと到着した。
祈りの広間を抜けて、通路を進んだ先の行き止まり。
壁に彫り込まれた七つの浮き彫り彫刻それぞれに、七つの石を捧げると――
――本来はどのレリーフにどの石を捧げるか、そもそもこのレリーフになぜ石を捧げるのか、捧げるとどうなるのかといった伝承は長い旅路の果てに各地で見聞きする話ではあるのだが、例によってイセッカはさっさとレリーフに石をはめ込んでいって――
――行き止まりだったはずの壁が開き、地下へと続く螺旋階段が現れた。
階段を下りて細い通路を進むと、小さな部屋へとたどり着く。
部屋の中心に安置されているものは「光の宝玉」と呼ばれる手のひらサイズの水晶だった。
部屋の奥へと先に踏み入ったルティアが、兄妹の方に振り返った。
「この部屋は、祈りの広間のちょうど真下に位置するそうです」
そしてルティアはイセッカとラナに語り聞かせた。
「光の宝玉は、もともとは『魔の宝玉』でした。
強力な魔力を宿したその宝玉を用いれば、どんな魔法でも操ることができるのだとか。
…かつて、その宝玉から『闇の力』のみを持ち去った者が、魔王です。
裏切り者達を滅ぼすために、その力を手に入れた……というのが歴史の中で抹消された伝承なのです。
王家の者達が毎年欠かすことなく祈りの儀式を行っている『祈りの間』は、王家では『贖罪の間』と呼ばれています。
決して罪を認めなかった者達を恥じ、罪を押し付けられた者達を悼み、罪の犠牲となった者達を鎮魂するための神殿がこの封印神殿なのです」
「「……」」
静かに語り終えたルティアに、イセッカが告げた。
「…貴重なお話をありがとうございました。では、参りましょう」
「はい。では、この宝玉を……って、待って下さい! 光の宝玉は!?」
持って行かないんですか!? 慌てて引き止めたルティアにイセッカが答えた。
「実はここにはフラグを立てに来ただけなのです。
…誰かがここへ訪れたことを知った時点で、魔王は城の隠蔽魔法を解くはずなので、それで十分です」
「魔王城の場所は!?」
光の宝玉が指し示すのは魔王の居場所。つまり、魔王城を探すためのアイテムが光の宝玉だった。
だが、イセッカは、
「知ってますよ?」
「やっぱりね!?」
なんとなくルティアにもそんな予感はしたのだが、ツッコまずにはいられなかったのだ。
「…兄さん」
そんな二人に、部屋の中央で青ざめているラナが声をかけた。
「どうした? ラナ?」
「この宝玉を見て下さい……」
「「?」」
その言葉に、イセッカとルティアも部屋の中央へと戻った。
そこにあるのは光の宝玉で、美しい球体の中にはほんのりと光が明滅していたのだが……
「…この光が指し示している方角は……真上、なのでは…?」
祈りの広間には入り口側と出口側、それぞれに二階席がある。
席というより、足場と言った方が適切かもしれない小さなスペースではあるが。
それは広間で儀式を執り行うにあたって、人の並びや祭具の位置を上から見下ろして確認したり、あるいは広間の照明を上から調整したりするために使われる為の場所だった。
そんな二階席からそっと下をのぞき込む三人。
いた。
魔王がいた。
燃えるような赤髪と、二本の角。
青い肌に、漆黒の鎧と外套をその身にまとう美丈夫。
床に突き立てたその剣の柄に手をそえたまま、静かに立って待っている。
整った顔立ちで、じっと奥へと続く扉を見つめたまま、堂々と広間の中央で待っていた。
それは理知的そうな青年にも見えた。
そのまま夜会にでも現れたなら、さぞ淑女たちの噂となったであろう貴公子の姿であった……
…その身から立ち昇る禍々しい黒霧と、獲物を狙うように赤く輝く眼光さえ無ければ、だが。
その悍ましい姿にルティアが震えた。
その一方で、残りの二人がつぶやき合った。
「…俺達が魔王を最速で倒そうとする時、魔王もまた、俺達を最速で倒そうとしているのだ」
「やはり本番には魔物がいるのよ、兄さん」
「あなた達はぜんぜん変わりませんね?」
まるでマイペースなままの兄妹の姿に、ちょっとだけ安心したルティア。
そんなルティアに、いつも通りにイセッカがきりっとした顔で解説した。
「魔王はまだこちらには気が付いていません。
有効範囲内に入るまではエンカウントせず、また上方向には判定がゆるいので、心配いりません。
万が一、戦闘が開始してしまっても魔王の1ターン目の行動は【鑑定】で確定なので、まずは慌てず落ち着いて行動しましょう」
「なんでそんなこと知ってるの?」
詳しすぎる。
むしろ魔王のこと好きなんじゃないのかな、この人?
…この人に恋人とかできたら、どんな感じなのだろうか?
君の1ターン目はいつも
『私とタイム、どっちが大事なの!?』だ。
だから俺は先制攻撃で……
…その唇をふさぐことにしているんだ。
「…どうされましたかルティア様? お顔が赤いですが、大丈夫ですか?」
「何でもないよラナ? ちょっと緊張をほぐしていただけにゃの」
わりと危機的状況にも慣れつつあるルティアの横で、もうアイテムバッグを私物化しつつあるイセッカが切り札を取り出した。
「これをお持ち下さい、姫様」
「えっ、はい! ……ハンマー?」
「封印回廊で入手したゴールデンハンマーです」
「…やっぱり三本に増えてるのね?」
そのゴールデンハンマーは「どんな壁でも一撃で粉砕する」という、なんとも物騒な武器だった。
そんなハンマーの「もう一つの正しい使い方」を、イセッカが身振り手振りをつけながらルティアに解説する。
「こう、一歩につき三回くらい振りながら歩いてください。空中が歩けます」
「ごめんなさい、なにを言ってるのか分からないわ」
「こんな感じです」
「…見れば分かるけど、意味が分からないわ」
「時間が無いので、まずはやってみましょう」
「ちょっと!?」
こうして「とりあえず魔王の上を通り過ぎて、やり過ごす作戦」が強行された。
「これ、わりと楽しいですね兄さん? 記念に一本もらっても良いですか?」
「…よろしいでしょうか? 姫様?」
「いま話しかけないで! それに月光の指輪、売ってたでしょ!? 今さら何を遠慮してるんですか!」
小声で騒ぎ立てながら空中を歩く三人。
慣れてくるとそれほど危なげなく進めるようにはなったものの、いちいちハンマーを振らなければならないので、進む速度は遅かった。
あと手が疲れる。高いのが怖い。
急ぎたくても急げないもどかしさをハンマーを振る力に変えて、下を見ないようにしながらブンブンと手を振り続けていたルティアだったが……
…見てはいけない。
絶対に下を、見ては、いけない。
その恐怖心か、怖いもの見たさなのか、ほんの一瞬だけ、ちらりと視線を下の方へと揺らしてしまい……
――ラティア姫。
その真っ赤な眼光と、目が合ってしまった。
思考が、身体が、そのハンマーを握る手が……ルティアは一瞬、止まってしまった。
その一瞬の出来事だった。
ぐんと引き寄せられたルティアの体はイセッカの腕に抱え込まれた。
それと同時にイセッカが伸ばした反対の手、
その手を蹴って、押し出すように、勢いよく下へ、
魔王めがけて真っ逆さまに飛び落ちるラナ。
天へと伸ばした魔王の手を
誘うように、すり抜けるように避けながら、
すれ違いざまに微かに、だが確実に、
魔王の頬へと落とされたのは――
――ラナのキスだった。
その左頬に左手を当てて、目を丸める魔王。
魔王の瞳に映った者は、かつてのラティア姫ではなくラナの姿。
ラナは握ったその右手を口元に当てながら顔を赤らめて、
そっと、視線を斜め下へと落としながら……
…目を潤ませて、はにかんだ。
ラナと魔王、二人の頬が熱を帯びた。
何これ?
一体、何を見せられているのか分からにゃい……床に座り込んだままのルティアの体が、再びグンと抱え上げられた。
お姫様をお姫様抱っこしたのは、やはりイセッカだった。
「落下しながらの位置調整から、ジャストフレームでのフレンチ・キス!
サブヒロイン真実の愛ルートへの強制変更とは、見事だラナっ!! 退くぞ!!」
「はい、兄さん!」
「「っ!?」」
ルティアと魔王がギョッとした時にはもう、ラナと、ルティアを抱えたイセッカが全速力で出口へ向かって走り出していた。
そして祈りの広間の壁が、天井が、崩れ落ちる。
イセッカに運ばれながら、遠ざかるその光景を目に焼き付けるルティア。
そうだ、広間の壁が全て「一撃で粉砕」されていた。
それに自分は落下の途中に抱え込まれて、地面にそっと降ろされていた。
一瞬だった。
ラナが時間を稼いでいたあの一瞬で、すべて、彼がやり遂げたのだ。
彼が言った通りだった。
魔王の最初の、そして最後となった行動は【鑑定】だった。
倒壊する瓦礫の中、ついに一撃の機会すらも与えられなかった魔王。
イセッカの背中に向けて、彼はただ叫ぶ事しかできなかった。
おのれ、勇――
――その怨嗟の叫び声すらも許さずに、すべてを飲み込み封印神殿は崩れ去ってしまったのだった。
遠く離れた丘の上まで逃れて来た三人。
封印神殿の方へ振り返ったラナが、驚きの声を上げた。
「あれっ!? ……もしかして、やったんじゃないですか兄さん……?」
「…時間稼ぎのつもりだったんだけどな」
「……あの光は……もしや」
封印神殿から、まばゆい光の柱が天へと立ち昇った。
イセッカは覚悟していたのだが――
――イセッカは、とりあえず魔王を神殿の下敷きにして態勢を立て直すつもりでいた。
王都まで戻って軍と合流、それが不可能ならばここで迎え撃つしか無いと考えていた。
この人気の無い丘の上ならばもうなんの遠慮もいらないし、ここで倒さなければもはや後が無い。
ありったけの聖属性爆弾を投げつけて弾幕系シューティングゲーム(ただし避けるのは魔王)をここで開催する覚悟でいたのだが――
――だが、あの暁闇を薙ぎ払わんとする光はラナの言う通り、まさに決着の合図に見えた。
神殿の下敷きにしたくらいで魔王が……
「…ああ、そういうことか」
「何か分かりましたか、イセッカ!?」
少し興奮気味のルティアにイセッカが解説する。
「…推測ですが、姫様に教えて頂いたとおり魔王の力の源があの光の宝玉から奪ったものだというのならば……いま、その力を宝玉によって奪い返された、ということでは無いでしょうか?」
「「!」」
「神殿自体が封印の機能もあったのでしょう。その屋根と、宝玉で魔王をはさみ込んでしまったので……つまり場所が悪かった…いや、良かったということでしょうね」
「…そう、でしたか……」
毎年祈りを捧げ続けてきたあの場所が、まさか魔王の墓標となるとはなんと皮肉な話だ……力の抜けたルティアはその場にしゃがみ込んでしまった。
そんな彼女の肩に、兄妹がそっと手を触れた。
「長く、苦しい、戦いだった」
「本番中にまた新しいルートを発見してしまいましたね、兄さん」
「…あなたたちは最後までマイペースですね」
こうしてわずか一晩で、魔王の討伐が完了してしまったのだった。
◆ ◆ ◆
始まりの時と同じように、イセッカは王の前で跪いていた。
まだ朝一とも言える時間帯に「魔王討伐」の速報を受けた重臣達は、半信半疑ながらも急いで登城した。
主だった者達が集まり次第、始まる謁見。
王の前に跪いていた男は、勇者パーティーでも軍総司令でもなく、あのイセッカとかいう若造だった。
文官からの報告が読み上げられて、重臣達がゾッとした。
本命だったはずの勇者パーティーは出立早々、野良の魔物達を相手に苦戦して、街で療養と慰労の夜を過ごしていた。
そこにやって来たのはなんと、魔王。そして勇者を倒してしまった。
街の被害は少なかったものの、勇者達はあっという間に全滅し、そのまま魔王は王都へ向かう。
これを察知した軍は現地に急行し、移動中の魔王に追いつき開戦した。
あわや軍までも全滅か、というところで魔王が突然、戦いを中断。
あっという間にどこかへと飛び去って……やった、魔王を撃退したぞ! と兵士達は歓喜の声を上げた。
だが、魔王は撃退されてなどいなかった。
光の宝玉に誰かが近づいたことを察知して、そこへ急行した魔王。
ここから魔王城まで引き返すよりも、そのまま行って「その誰か」を倒してしまった方が早いとでも思ったのだろう。
そして資料管理課職員のイセッカ・マーニアが、魔王を倒してしまった。
ルティア姫も目撃していたのだから間違いない。
各地で魔王が「倒された」ことによる影響、変化が報告され始めている。
やっぱり魔王は倒されたっぽい。
…えっ、冗談でしょう? やだなー、もう。重臣達はハッハッハと乾いた声で笑ったが……
……早過ぎるだろう、展開がッ!!!
イセッカの魔王討伐の報告は、喜びよりも恐怖と畏怖の感情をもって迎えられたのだった。
この謁見の間で、わくわくソワソワしていた者は一人だけ。
それはルティアの隣に立っていたラナだった。
陛下が「よくぞ魔王を倒した、勇者よ」と言ったところでタイマーストップらしい。
懐中時計を見つめながらラナが「早く! 言えっ!」と落ち着かない一方で、なんか負けた気がするから別のセリフを口にして欲しいなー、と思っているルティア。
「よくぞ魔王を倒した、勇者よ」
ルティアがなんだかガッカリし、ラナが小声で悲鳴を上げた。
「19時間30分52秒! 世界記録を大幅に更新です、兄さんっ!!」
ラナのささやき声を聞いてか聞かずか、イセッカの口元もまた、ほのかに緩んだ。
ちなみに、世界記録というのは魔王が封印されるに至った聖魔大戦のことで、その期間は十年と135日間と記録されている。
それが一日以下まで縮めば間違いなく「大幅に記録更新」だろう。
そもそも封印ではなく、討伐は「初の偉業」である。
ラナの喜ぶ姿がうれしいような、その喜び方は違うような、ルティアは複雑な心境だった。
公式な式典はまた後日あらためて行われるとして、褒美には何を望むか? と王がイセッカに問いかけた。
ここから話が揉めてしまった。
まずイセッカが「公式な式典を拒否」。
褒美も拒否。爵位や勲章も拒否。ただ目立たないことを希望するとイセッカが答えた。
ではルティアの婚約者候補に、という言葉すらも拒否したイセッカには、ルティアが少し凹んでしまった。
「も、申し訳ございませんルティア様、ですが兄には決して悪気は…」
「え、ええ、分かっていますよ、ラナ」
訳ありの兄妹なのは知っている。
お家騒動の末に無理やり男爵位を継がされてしまった訳あり貴族がイセッカだった。
その辺りの素性調査の結果がこの謁見前に皆に告げられていて、重臣達も、良くある貴族達のしがらみに巻き込まれた兄妹には少し同情的だった。
だからこそ同じく功績者であるはずのラナが「見逃してもらっていて」、イセッカに対してもあまり強く言いたくない状況だった。
そんな重苦しい空気の中で、イセッカの上司にあたる資料管理課長が彼を諭した。
「君の気持ちも分かるがな、イセッカよ。
このまま何も与えずに終われば、今後は魔王討伐以上のことを成し遂げた者にしか褒美も名誉も与えられない、なんて事態になりかねないのだ。
ここはひとつ、皆を助けると思って、何かを受け取ってくれんかの?」
その言葉に、頭を下げたままイセッカが静かに答えた。
「…では。
頂いた報奨金は魔王との戦いで被害に遭った方々に、全額寄付いたします」
「ぜ、ぜんがくを、寄付か……」
いろんな意味で勇者、とイセッカは呼ばれるようになってしまったのだった。
謁見のあと、ルティアは二人をお茶に誘った。
なかなかの速さで立ち去ろうとしたイセッカをラナが捕獲した、とも言える。
そしてルティアとイセッカの最終決戦(?)が始まった。
「私の命をお救い頂いたイセッカ様に、個人的なお礼をさせて下さい」
恐るべき冒険を徹夜で乗り越え、高級疲労回復薬でややハイになってしまっているお姫様に対して、すっかり元のふつうの文官に戻ってしまっていたイセッカがおどおどと答えた。
「…私への褒美は、このお茶で十分です」
「そうですか。では高級茶葉一年分と、私の茶会への自由参加権をご用意いたします」
「ウソです、ごめんなさい。では……給料三か月分でお願いします」
「…しみったれたことを言わないで下さい。
将来、命がけでどこかの龍を退治した一行が『よくぞ皆を救ってくれた、そなたらには給与三か月分を授けよう』なんて言われたら、きっと当事者も民も皆、咽び泣きますよ?」
「…考える時間をください」
「そうしてください」
そんな二人の会話に、ルティアの後ろに控えていたラナが「こほん」とせき払いした。
「あっ! ラナ、もちろんあなたにも――」
「――そうだ、肝心なことを忘れていたな」
「えっ?」
姿勢を正したイセッカがラナに言った。
「では、完走した感想をどうぞ、ラナ」
それは、この魔王討伐の締めくくりの儀式だった。
「はい。この魔王討伐に挑戦するにあたり、ご協力いただいた王族の皆さま、王城職員の方々、そして運営スタッフの皆様に厚くお礼を申し上げます。
そして、この攻略ルートを開拓した先人達にも深い敬意を。
今回、いくつものトラブルに見舞われながらも無事に楽しく走れたこと、そして何より記録を更新できたことをとてもうれしく思っています。
ただ、惜しむらくは、まだ無事に完走できた者が初代の魔王討伐者達と我々の二組しかいないということが残念です。
今後はこのコミュニティーにより多くの方々が参加して、より盛り上がって行くことを期待します」
「やめて、期待しないで」
思わずルティアがツッコミを入れた。
もちろん、魔王抜きなら好きなだけ走れば(?)良いと思うし、なんか知らんけど盛り上がっとけば優秀な戦士たちが育って、国にとっても有益な事に……
…いや、ダメだ! あの最初の罠で全滅するのが目に見えている!!
罠に向かって全力疾走したラナの姿と、そうはいかずに屍累々となる戦士達の姿を想像して、ルティアはゾッとした。
「兄さんからも、感想をどうぞ」
対するイセッカの感想は、シンプルだった。
「では私からは一言。続編を期待してます」
「ありませんよ!?」
ルティアの悲鳴が青空に吸い込まれて、エンディングは幕を閉じたのだった。G・G!