無言で縁を切る
数日後、オーウェン、ヘキーチ辺境伯、ナタリー、それに数名の兵士や従者は王都のヘキーチ辺境伯のタウンハウスに到着した。
タウンハウスは引退した家令の老夫婦他数名の使用人が留守を守っている。
滅多に王都に来ない辺境伯は涙で老夫婦に迎え入れられた。
そして翌日、オーウェンは単身ホールディス侯爵家に向かった。
オーウェンが姿を見せると使用人たちは一斉にぞんざいな態度をとった。不機嫌を隠しもしない。祖父が亡くなった時には少しいたオーウェンに同情的な使用人は一人も残っていなかった。
「お前何でここに帰ってきたのだ!ここにはお前を歓迎する者などおらんぞ!」
お茶の一つも出さず応接室でしばらく待たせたのち入ってきたホールディス侯爵はのっけから不機嫌だった。
「お前、病気にかかって騎士団を休んでいるそうだな。今更うちを頼ってこられても困る。お前に出す金なんぞびた一文もない。大人になるまで育ててやっただけで十分だ。お前が病気で死のうが魔物に殺されようが―――」
オーウェンは黙ってホールディス侯爵を見ていた。ただ黙ってホールディス侯爵を見ていた。本当は喋ると『にゃ』が出てしまうから黙っていたのだが身体が大きく祖父と同じ赤髪のオーウェンは思ったよりホールディス侯爵に威圧を与えていたようだ。ホールディス侯爵はふいに言葉を切った。
オーウェンは黙って離縁状を差し出した。ホールディス侯爵家の籍を抜けること、今後一切かかわらないこと、親子の縁の切ることが書かれている。
「ほう、侯爵家の籍を抜けるというのか。お前はやっと自分の立場を自覚したようだな」
ニヤッと侯爵は笑った後急に勢いよく言った。
「金は出さんぞ!無一文で出ていけ!」
オーウェンは一言も話さず侯爵がサインした書類を受け取ると一部を置いて一部は懐にしまい、黙ったまま席を立った。
立ったまま侯爵を見下ろす。何の感慨もなかった。寂しさも肉親の情も一つとして感じなかった。
部屋を出ようとするとドアから侯爵夫人が入ってきた。
「あの下賤な子が来ているんですって!!どうして屋敷の中に入れたのです!入れたりすれば付け上がって―――」
夫人はギョッとして目の前に立ったオーウェンを見上げた。
オーウェンは屋敷を出た時の十五の子供ではなかった。身長ははるかに伸び肉厚の筋肉が身体を覆っている。眼光鋭く眉間に皺を寄せて夫人を見下ろすと夫人は「ひっ!」っとひきつったような悲鳴を上げて後ずさった。
どうしてこの人の事があんなにも怖かったのだろう。どうして言うことを聞かなければいけないと思っていたのだろう。
今は恐怖も阿る気持ちも一切感じなかった。そのことがオーウェンは嬉しかった。
身体が成長しただけではない、力が強くなっただけではない。辺境で過ごした日々がオーウェンの精神を強くしていた。
変な喋り方をするオーウェンを、ありのままのオーウェンを受け止めて認めてくれるヘキーチ領のみんなが、ヘキーチ辺境伯が、ナタリーの存在がオーウェンの精神を強くしてくれたのだった。
夫人を一瞥してオーウェンは屋敷を後にした。
バーナビーは不機嫌だった。
今までは上手くやれていたのだ。オーウェンをうまく使い成績を評価する人物や仕事を割り振る人物など数人を抱き込んでしまえば名声は簡単に手に入る。そうやって騎士学校でも騎士団でも高評価を受けてきた。元来の顔の良さと人当たりの良さで令嬢たちのみならず上司にも気に入られ同僚たちにも尊敬されてきた。
騎士団長の娘と結婚したときに『勝った』と思った。この先も出世してゆくゆくは騎士団長だ。
第二王子がなぜか魔物討伐に同行するようになった。それもオーウェンの第八隊ばかりだ。
もっとも大型や極めて獰猛な魔物は第八隊に振り分けられるように仕組んでいるので第八隊に同行する率が高くなるのは当たり前だが、王子なんて危険な魔物討伐など同行せずに王城でふんぞり返っていればいいものを、と忌々しい気持ちだった。王子が同行した討伐は魔核の横流しが出来ない。第三隊の成績は目に見えて落ちた。騎士団長からも苦言を呈された。
オーウェンに何とかさせようと思っていた矢先にオーウェンが長期休暇を取った。
オーウェン不在の間に入ってきた魔物の群れの討伐任務。仕事を割り振る係の者からどうします?と内密に相談を受けた。今月の魔核の回収量は少ない。なんとしても以前と同様、いや、以前の八割でも回収しなければ……群れの魔物なら魔核は沢山回収できる。第三隊にその仕事は回せと係の男に言った。
結果は散々だった。
オオカミ型の魔物があんなに獰猛だと思わなかった。奴らは動きも素早いし跳躍力も凄い。
騎士たちの陣形の真ん中に踊り込まれてガタガタになった。その後は個々で応戦するので手いっぱいだ。「隊長!立て直しの指示を!」と言われたが何の策も思い浮かばない。それに奴らは百頭はいる。倒しても倒してもきりがない。じりじりと怪我人が増していく。ついに背中を向けて逃げ出す者が現れた。一人が逃げ出すとほかの者たちも我先にと逃げ始めた。
今まで第三隊はうさぎ型やタヌキ型の魔物、せいぜい大きくても犬型の魔物しか討伐してこなかった。群れの数も数十頭レベル。いきなり百頭のオオカミ型の魔物を討伐するには経験値が圧倒的に足りなかった。
騎士たちが逃げ出すと半数近くになったオオカミ型の魔物はどこかへ去って行った。
魔物が居なくなった後に現地に戻り魔核を拾うことがなんとみじめな事か。
バーナビーはとても途中で逃げ出したなどと言えなかった。それでも何とか半数の魔物は倒したのだ。討伐完了と言っていいだろう。
バチリート領の役場に出向き討伐完了の報告をした。部下に口止めしようと思ったが口止めなどせずとも自分たちの失態を喋る者など一人もいなかった。
このことは王都に帰って数日後に発覚した。
バチリート領の隣のヘキーチ辺境伯領で商隊の馬車が襲われヘキーチ辺境伯の領兵がオオカミ型の魔物の群れを殲滅したらしい。
「偶然、オオカミ型の魔物がヘキーチ辺境伯領にも発生したのでしょう。我らはしっかりと討伐しました」
などとうそぶいたが、魔物のやってきた方向、時間的に見てバーナビーたちが討ち漏らした魔物に違いなかった。実際は討ち漏らしたどころかバーナビーたちの方が逃げ出した訳だが。
今や第三隊の評判は地に落ちていた。バーナビーは不満がある。他の隊とてあの魔物の群れを殲滅できたのかは怪しいものだ。大型の魔物や危険な魔物はほとんど第八隊に振り分けていたのだから。同じ平民ばかりの第七隊は危険な魔物も多少は割り振られていたようだがそれ以外の隊は中程度の魔物の討伐経験しかない筈だ。
これはバーナビーの入隊以前から騎士団で忖度されていたことである。バーナビーは『ある程度』だった割り振りを『かなり多く』第八隊に割り振るよう働きかけただけだし、ちょこっと魔核の横流しを頼んだに過ぎない。
イライラと日を送るバーナビーだったが再度第三隊に討伐命令が下った。内容を聞いてみるとイノシシ型の魔物で群れの数は二~三十頭。ただ場所が少々遠い。王都の南西、騎馬で三日の距離にある山の麓だった。これなら大丈夫だろうと意気込んで討伐に出かけた。
最近態度が冷たくなって「あなたの取柄は顔だけでしたのね」などと嫌みを言う妻を見返してやる。大体私の顔に惚れ込んで毎回差し入れだなんだと騎士団まで押しかけ父の騎士団長に私と結婚したいと泣きついたのは妻なのだ。私は侯爵家の嫡男だ。たかが伯爵家の次女など騎士団長の娘でなければ娶るつもりなど無かった。
まあいい、この遠征が終わったら妻とは離婚だ。騎士団も辞める。ただ辞めたのでは外聞が悪いから何か手柄を立てる必要があるが……オーウェンを呼び出して大型魔物でも倒させてその手柄を横取りするか。その際に怪我でもしたことにして惜しまれつつ退団というのがいいな。問題は都合よく大型の魔物が現れるかどうかだが……現われなければならず者を雇って令嬢でも襲わせるか?いや、いっそオーウェンに襲わせるか?あいつは病気療養中だったな。何の病気か知らないが病気で気が触れたことにして令嬢を襲わせる。そこに私が颯爽と助けに入るというのはどうだろう。
そもそも今回の窮地はオーウェンが勝手に病気療養と言って騎士団を休職したことが原因だ。今までのようにおとなしく危険な魔物を倒して魔核を私に差し出していれば良かったんだ。
オーウェンがどんな病なのかバーナビーは知らない。騎士団の寮には帰っていないし抱き込んでいた第八隊の副隊長も知らないという。ただ、休暇を取る前のオーウェンの言動は少々おかしかったらしい。変な言葉づかいで喋っていたそうだ。身体には異常がなさそうだったと副隊長は言っていた。
バーナビーはオーウェンの居場所など知らなかったが当てはあった。第二王子のエリオット殿下はオーウェンの居場所を知っているはずだ。エリオット殿下に兄としてオーウェンの事が心配だ、連絡を取りたいと言えば居場所が掴めるだろう。
会ってしまえば言うことを聞かせるのは簡単だ。あいつは侯爵家の汚点だ。だから私の役に立つぐらいしか存在価値が無いんだ。そうするように母上と俺で仕込んできたんだ。
バーナビーはオーウェンがどんなことでも言うことを聞くと確信していた。今までもそうだったのだ。とにかく今回の討伐が済んでからの事だ。
バーナビーは意気揚々と遠征に出発したのだった。