待てば解呪の希望あり
馬を厩舎に預けオーウェンは屋敷の応接室に通された。
彼女は屋敷のエントランスでオーウェンを執事に任せると「着替えてまいります」と姿を消した。
応接室でしばらく待っているとアンドリュー・ヘキーチ辺境伯が姿を見せた。
オーウェンは立ち上がって騎士の礼をする。
「オーウェン・ホールディス殿ですな、お初にお目にかかる。いやあ、噂には聞いていたが素晴らしい体格をしているな。その眼光も素晴らしい。どうだね?後で手合わせなど―――」
「お父様!初対面の方と手合わせをしたがる癖はいい加減おやめください!」
部屋の入り口に目を向けると涼し気なワンピースに着替えたナタリーが入室してくるところだった。
「しかしナタリー、彼は王都の騎士団一と噂されている騎士だぞ。是非一度手合わせを……」
「まずはホールディス殿がどういった目的で我が領にいらしたのかお話を伺うのが先でしょう」
「おお、それはそうだ。ところで魔物討伐の方は?」
「問題なく。今回は小型の魔物ばかりでしたので牙や爪は採取しませんでした。魔核は全て団長に預けてあります」
オーウェンは驚いた。先ほど見た格好から彼女は狩りに行っていたのだろうと推測できたがまさか魔物討伐だとは。
女性が狩りに行くなど見たことが無いがましてや魔物討伐に行く女性がいるとは……オーウェンはまじまじと彼女を見つめナタリーはそれを跳ね返すように挑戦的な目をオーウェンに向けた。
「ここは辺境です。王都のようにおしとやかな女性ばかりではないのです」
「いや……」
オーウェンは目を伏せる。しかしあることに気が付いた。今は『にゃ』が付かなかった。呪いが解けたのか?
「魔物討伐に行くようなお転婆はお前ぐらいだけれどな」
「お父様!!」
「失礼したにゃ。決して馬鹿にしたわけではにゃいにゃ」
―――――ダメだったーーー!呪いは解けたわけではなかった。ん?ということは短い言葉ならいけるのか?
オーウェンの言葉を聞いて辺境伯は目が点になっている。
ナタリーは「それ!」と声を上げた。
オーウェンは覚悟を決めてこれまでのいきさつを話した。
「ふうむ……その魔物の呪いでそんな言葉づかいになってしまったと」
「はい……魔女殿から呪いを解くにはにゃドーイナック山に生えているまたたび草の実を絞って飲めばにゃ呪いが解けると聞きましたにゃ」
「なんとも地味に嫌な呪いだ……」
辺境伯の憐れむような視線を受けオーウェンは居心地の悪い思いをした。
王都では皆に笑われた。オーウェンは努めて喋らないようにしていたがこの地に向かうまでのわずかな間でもなんとかオーウェンに喋らせて笑い転げる者が後を絶たなかった。
呪いのせいだということは伏せられていたため周りはオーウェンの気が触れたか奇妙な病気だと噂されていた。
騎士団を辞任しようかと思ったのだが第二王子のエリオットに止められた。
王家はオーウェンの剣の腕を手放したくなかったのだ。さりとて隊長も今のままでは続けられない。
戦いに向かうその時に「突撃にゃーー!」などと言っては士気が下がる事間違いない。しかし一騎士に戻すわけにもいかない。かくしてオーウェンの長期休暇申請はあっさり認められ騎士団には病気療養の届けが出され、オーウェンは速やかにドーイナック山に赴き呪いを解くことが求められた。
「あなたたちはにゃ……俺を笑ったりしにゃいのですかにゃ」
オーウェンの言葉に辺境伯とナタリーは顔を見合わせた。
「私は最初はあなたがふざけていると思いましたが……今はちょっと変わった喋り方をする変な人っていうか……あっ!すみません」
ナタリーの言葉に続いて辺境伯も言った。
「私も最初は驚いたが……うん、そんなことは些末なことだ。慣れてしまえばどうってことは無い。それよりも、どうだ?一度手合わせをしてみないか?」
「お父様!」
二人の会話を聞いてオーウェンは呪いを受けて以来初めて心が晴れていく気持ちになった。
「ありがとうございますにゃ。それで早速ドーイナック山に向かいたいと思いますがにゃ、許可はいただけますかにゃ」
それを聞いて辺境伯は困った顔をした。
「もちろん呪いを解いた暁にはにゃ手合わせをさせていただきますにゃ」
「いや、そのことでは……もちろん手合わせはしたいが……今は実のなる時期ではないのだよ」
「!!」
そんなことは考えてもいなかったオーウェンだった。確かに植物には実のなる時期というものがある。そんなことも確かめずにここまで来てしまったオーウェンであった。
「その実のなる時期というのはにゃいつにゃのでしょうかにゃ」
「ざっと三か月後、だな」
辺境伯の言葉にナタリーも頷く。
「三か月もにゃ……」
呆然となるオーウェン。三か月後にまた出直さなくてはならない。王都に戻ってもこの言葉が治らなくては出勤するわけにもいかない。
「どうだろうホールディス殿、三か月我が領に滞在しては?もちろん私の館に」
辺境伯の申し出は有り難かった。王都に帰ってもすることは無い。騎士団でも寮に帰ってもオーウェンはクスクスと笑われ続けた。面と向かって笑うのはオーウェンより立場が上の人間ばかりで部下や寮で働いている人たちはオーウェンの前では必死に耐える。そして物陰で笑うのだ。オーウェンのメンタルはがりがりと削られ続けた。
実家で蔑ろにされ続け鍛えられた筈のメンタルだったが。
ここでは辺境伯もナタリーもオーウェンのことを笑わない。王都よりは居心地よく過ごせそうだった。
「お言葉に甘えてよろしいですかにゃ」
「もちろんだよホールディス殿。客人として我が家に迎えよう。偶に手合わせをしてくれると私は嬉しいがね」
どこまでも手合わせに拘る辺境伯だった。
その後屋敷の使用人が急遽整えた客間に案内してくれたのはナタリーだった。
「その……ご令嬢はにゃ、こんな変な男が三か月も滞在してもよろしいのかにゃ」
彼女は笑って言った。
「構いませんよ。私もあなたの剣の腕を見てみたいし。それにね、私も令嬢らしからぬ言葉使いでしょう?」
確かに男勝りの口調だが彼女の凛とした雰囲気には合っていた。
オーウェンは黙って首を振る。
「ホールディス殿、これから三か月一緒に暮らすのです。私のことはナタリーとお呼びください。呼び捨てで結構ですよ。領兵団の皆もそうですから」
「では俺のこともオーウェンと呼んで欲しいにゃ、にゃたりー」
「にゃたりー……」
オーウェンが言った言葉をナタリーが繰り返す。オーウェンは必死で言いなおそうとした。
呪いのせいであることはわかっているがせめて人の名前くらいは間違えずに呼びたい。
「ち、違うんにゃ、にゃたりー、いや、にゃたりー、これは、にゃたりー」
とうとうナタリーは笑い出した。
「いいわ!気に入ったわ!にゃたりーでいいわよオーニャン」
今度はオーウェンが憮然とした表情をする。
背も高く体格が良く強面のオーウェンはそんな表情をすると決まって王都ではご令嬢に怖がられたものだった。
「よろしくねオーニャン」
彼女は笑いながら手を差し出した。
それをがっちりと握ってオーウェンは苦笑した。
「よろしくにゃ、にゃたりー」
三か月だけオーニャンとして以前の俺を知らない人たちの中で生きるのもいいかもしれないと思ったオーウェンだった。