隣りの酔客は良く喋る客だ
魔物の足跡が見つかって村とその近辺に厳戒態勢が敷かれた。
基本的にはなるべく家から出ないこと、特に一人では決して歩かないこと。と言っても村人にも生活がある。家畜の世話をしなくてはならないし畑も放っておくわけにはいかない。しかし暗くなってからは絶対に外に出ないようにオーウェンは厳命した。避難できる場所に親戚や知人がいるようなら子供たちだけでも預けることを推奨した。
そして村には領兵団の兵士たちを常時五名常駐させた。
この五名には決して自分たちだけで討伐しようとするなと言い含めている。足跡からしてこの魔物は二階建て、いや三階建ての家屋ぐらいの大きさがある。彼らは村人の安全を守り逃げることを手助けする役目と魔物が現れた場合速やかに本部に連絡する、追跡できるようなら大まかな方向だけでも見届けるという任務が課せられた。しかしくれぐれも無理はするなと伝えてある。この魔物は熊型と推測されるが魔物である以上別の能力が備わっていてもおかしくないのだ。住処はドーイナック山だと思われるがドーイナック山は広い。闇雲に探索しても行き会えるかはわからない。
ただ、近いうちに調査隊を結成して襲われた村の近くからドーイナック山に入り魔物の痕跡を探すつもりだ。生息地域やねぐらが見つかれば即討伐をする。
諸々の手配を終えオーウェンはホッと一息ついた。
あとはなるべく早く魔物が姿を現すか痕跡を見つけられることを祈るばかりだ。
ヘキーチ辺境伯領の領都のとある酒場。酔客が大声で話をしている。
「おい、聞いたか?西のアーベント村に魔物が出たらしいぞ?」
「おう、聞いたぞ。なんでもすげえ魔物らしいぞ」
「そうなのか?」
「おうよ。家畜がやられてよ、残ってた足跡が馬鹿でかかったらしいぞ。俺のかかぁの妹の旦那の従兄弟がその村にいるんだ。まちげえねえ」
「ほえー!そいつは大丈夫なのか?」
「俺のかかぁの妹の旦那の従兄弟の連れ合いの話では領兵団が厳戒態勢を敷いているってぇ話だ」
「新しく愉快な団長が就任したって話だが」
「俺の兄貴の嫁さんの親友の叔父さんの話ではその団長はえらく腕が立つらしいぞ」
「それならさくっと魔物をやっつけて欲しいなあ」
「任せとけ!」
「なんでお前が偉そうに言うんだよ!」
「俺の兄貴の嫁さんの親友の叔父さんの息子は領兵団だからな。俺の身内みたいなもんだ」
彼らの話を聞いているのは隣のテーブルに座った一人の男だ。
フードを目深に被り一人酒をすする男は今の話は使えそうだぞ、とほくそ笑んだ。
男の名前はチェスター・ウェルズ。前騎士団長だった男である。
前騎士団長のチェスターが王都から遠く離れたヘキーチ辺境伯領の酒場で何故一人で酒を飲んでいるのか?原因は査問会の直後にさかのぼる。
査問会を終え、騎士団長を罷免されたチェスターはがっくりとした面持ちで会議室を後にした。なじみの酒場で酒を飲みほろ酔い気分でウェルズ伯爵家に帰宅する。
出迎えたのは使用人を除いてはチェスターの妻、長女、長女の夫、先日までバーナビーの妻だった、いや今も書類上は妻の次女。つまり家族全員である。
知らせが王城から来たのだろうか?皆一様に硬い表情をしている。そういえば長女の婿は王城で働く役人だったなとチェスターは思い出した。ひょろひょろのモヤシ眼鏡だ。
「義父上、騎士団長を罷免されたそうですね」
話があるとサロンに引っ張っていかれソファーに座るのももどかしく婿が口を開いた。
「私のせいではない。あの馬鹿の、バーナビーの巻き添えを食っただけだ」
苦々しい顔でそっぽを向きながらチェスターは答える。
「お父様があんな男と私を結婚させるから!!私は傷物ですわ!!」
次女がヒステリックに叫ぶ。あの男と結婚させてくれと泣きついてきたのはお前の方だろうという言葉をチェスターは飲み込んだ。次女はヒステリーを起こしている時は手が付けられない。一言言うと十倍になって帰ってくる。それも頭に響くキンキン声でだ。
家族に対し横暴で専制君主のようにふるまっていたチェスターもヒステリーを起こした次女だけは苦手だった。妻は従順なおとなしい女で長女も妻に似ている。その夫は文官のモヤシ眼鏡だった。
泣き叫ぶ次女を妻が宥めている。
「義父上、これからどうされるおつもりですか?」
「どうするもこうするもこれからはお前らに任せていた領地経営に力を入れる。俺が直々に伯爵としての仕事をするんだ、大船に乗ったつもりで居ろ」
婿の言葉に尊大に答えるも婿は肩をすくめただけだった。長女も妻もそっとため息をつく。その態度が気に入らなかった。
「義父上、査問会の噂は物凄い勢いで王城を駆け巡っていますよ。チェスター・ウェルズは婿と一緒に汚職に手を染めていた最低騎士団長で娘を嫁がせていながら危なくなったら一早く引き上げさせた最低野郎だそうですよ。僕は王城で身の置き所が無かったです」
「なっ!私は加担などしておらんぞ!」
「義兄様!私は被害者ですわ!」
また次女が泣き叫ぶ。
「アリエル、君は侯爵家の嫁になったことでかなり横暴な振る舞いをしていただろう?君を恨んでいる人は多いんだよ。その人たちが一斉に噂を広めているんだ。君は一早く夫を見捨てた冷酷夫人と言われているよ」
「そんな!!私はお父様の指示に従っただけですのに!!お父様!!何とかしてください!!」
次女のキンキン声は酒を飲んだ頭に響く。チェスターは辟易しながら言った。
「私が全てなんとかしてやる。お前らは黙って見ていろ!」
しかし婿は冷静に言った。
「結構です。義父上は今まで領地の事もこの家の事も何一つ気にかけなかったではありませんか。領地とこの家を回していたのは義母上と僕と妻です。今までもそれで問題なくやってきたので口を挟まないでいただきたい」
「何だと!お前!」
「義父上は一刻も早く家督を僕に譲って引退してください」
モヤシ眼鏡の婿は毅然とした態度で言った。
「領地の片隅に小さな家を用意します。用意出来次第速やかにそこに引っこんでくださいね。あなたのおかげで地に落ちたウェルズ伯爵家の評判を回復するのも大変なんです。これ以上手を掛けさせないでくださいね」
婿はそう言うと当主交代の書類を差し出した。
「そんな事、私が許すと―――」
「あなた……」
今まで黙っていた妻が話しかけてきた。
「あなたは今まで頑張ってきましたわ。これからは娘夫婦に任せてゆっくりしたらどうですか?社交界に顔を出しても嫌味ばかり言われますわよ。少しゆっくりなさっては?」
「そ、そうか?」
酔った頭は判断力を鈍らせる。次女のキンキン声で頭痛もしてきたチェスターは妻の勧めるままに書類にサインをした。
「私は一緒に行きませんけどね」
いきなり冷ややかな雰囲気を纏った妻は一気に言った。
「横暴で自分勝手、上位の貴族には媚びる癖に家族にはストレスをぶつけ放題。今まで私は我慢に我慢を重ねてきたんですのよ。その結果がこれですか?もううんざりです。お一人で領地には向かってくださいね。私はここで娘夫婦と暮らしますから」
そう言って妻は娘夫婦と部屋を出ていく。
「お母様!私は?私はどうなるの?ねえお義兄様私に良い嫁ぎ先を世話してくださいな――」
そう言いながら次女が追いかけていく。
チェスターは茫然とその様子を眺めていた。
執事も婿と一緒に出ていった。婿を新しい当主と認めているのだろう。
チェスターは有り金を引っ掴んで屋敷を飛び出した。
一応伯爵家当主だったチェスターは自由に動かせる金がいくらかある。騎士団長として破格の給料も家に入れていたのだ。
このままでは田舎の片隅に追いやられてしまう……
「くそう、このままでは終わらないぞ!」
チェスターは考えた。今度のことで一番憎いのはバーナビー、ホールディス侯爵家だ。しかしバーナビーは既に捕らえられホールディス侯爵家も没落するだろう。
もう一人の原因のオーウェンも騎士団を首になった。
そういえばどうしてあの査問会に辺境伯がいたのだろう?普段滅多に王都に出てこない辺境伯なのだ。
後日、人を使って調べた結果、騎士団の不正を国王に進言し査問会を開かせたのが辺境伯だとチェスターは知った。首になったオーウェンを辺境伯が領兵団にスカウトしたことも。
そうして復讐に凝り固まったチェスターは北へ向かう。
北のヘキーチ辺境伯領へ。
完全な逆恨みだがチェスターは誰かに仕返しをしなくては腹の虫がおさまらなかった。
今日も十五時と二十時にあと二話投稿します。




