生真面目団長福来たる
ダリモア伯爵の元を辞し、ヘキーチ辺境伯領に帰ってきた。いささか遠方だったので出発は早朝、帰ってきた今は既に日が暮れている。
遅めの夕食を食べながらオーウェンは辺境伯に質問した。
「閣下は祖父を知っていたのですかにゃ」
ダリモア伯爵が言っていたホールディス侯爵閣下とは長らく騎士団長をしていたというオーウェンの祖父の事だろう。オーウェンは祖父をあまり覚えていない。可愛がってくれたと聞いたがうっすらと残っている祖父の印象は皺の刻まれた厳しい表情だ。手に豆を作りながら子供用の剣を素振りするオーウェンを見ながら「あと百回」と言う重々しい声音だ。
「ホールディス侯爵閣下は当時最強と言われていたからね」
苦笑しながら辺境伯は言った。
「王都に買い物に行った時、質の悪い奴らに絡まれているシャーロットと出会ったんだ」
当時を懐かしむように目を細めながら辺境伯は言う。
「シャーロットはメイドを庇いながら毅然と立っていた。シャーロットは呪いのせいでこの地を長く離れられなかったからね、その時が初めての王都見物だったらしい。私は当時は才に溺れていた。だから機転を利かせてシャーロットを助けようと思ったんだ」
くくっと笑いながら辺境伯は続けた。
「私が何か小細工をする暇もなかったよ。張りて一発。ならず者たちは空のかなたまで……は飛んで行かなかったけど数メートルは跳んで塀にぶつかって目を回したんだ。私はその純粋な力に魅了されてその場で求婚した」
「それで夫人と結婚したんですかにゃ」
「いや、速攻で断られた『私より弱い男は嫌よ』というのがその理由だった。次の日には辺境に帰ってしまうと言うシャーロットを説き伏せ手紙を送る許可を得た。そうして『必ず強くなってもう一度求婚しに行くから』と言ってその場は別れたんだ」
「それで祖父に弟子入りですかにゃ」
「ああ、ホールディス侯爵閣下はこう言っては何だが強さ至上主義だった。武のホールディス侯爵家に物凄くこだわっていらした。この家に生まれることは大変だろうなあと思ったが当時浮名を流してばかりいた君の御父上には全く同情できなかったな。息子に失望していた侯爵閣下は私の弟子入りを喜んでくれたよ。何度も死んだと思うような過酷な修行だったけど短期間で強くなってシャーロットに求婚に行きたい私には好都合だったんだ。そうして強くなったと思えたころもう一度シャーロットに求婚しに行ったんだけどね」
「駄目だったんですかにゃ」
「家格が足りなかったんだ。このヘキーチ辺境伯はね、家格で言えば侯爵家の上だ。伯爵家以上でなければ婿に入れられないと言われてね」
オーウェンは落ち込んだ。やはり俺はナタリーをあきらめなくてはならないのだろうか。かといってホールディスの家に戻るのはどうしても嫌だった。どうにか頑張って爵位を得る方法があるだろうか?それまでナタリーは待っていてくれるだろうか?
「そんな時私を養子にしてくれたのが先代ファロン伯爵なんだ」
ファロン伯爵は今このお屋敷に滞在している一家だ。
「今のファロン伯爵は私の義理の兄ということになるな、書類上では」
だから辺境伯に対してあんなに横柄だったのか。オーウェンはファロン伯爵の態度を理解した。理解はしたが納得はしていない。いくら義理の弟とは言え辺境伯に対する態度ではないと思われた。
「まったく書類上の関係だよ。もちろん養子にしてくれたおかげで私はシャーロットと結婚できたがね。ファロン伯爵家の領地に魔物が出る度に呼び出されて討伐させられたし辺境伯家の威光をちらつかせて王都では随分と好き勝手していたみたいだからね。私はもう義理は果たしたと思っている。今の当主のアドルフにいたっては私が辺境伯になるまで会ったことも無かったんだ。辺境伯になった途端義兄だと言って何かと押しかけて来るがね」
「閣下はそれでいいんですかにゃ」
「偶に押しかけてきて好き勝手言うぐらいならいいさ。面倒ごとを引き起こしたらすぐにでもお引き取り願って二度と来させないがね」
そこで辺境伯は食事の手を休めてオーウェンに向き直った。
「今日ダリモア伯爵を訪問した目的なんだが……オーニャン、ダリモア伯爵と養子縁組をしないか?」
思っても見なかった提案にオーウェンは固まった。
「私は君が気に入っているんだよ、オーニャン。ダリモア伯爵の養子になれば家格が足りる。彼の人柄は今日わかっただろう。私の時のような面倒ごとは起こすような人物ではないよ」
それはオーウェンもよくわかった。一度会っただけでもダリモア伯爵夫妻の暖かな人柄は十分感じ取れた。
「しかしねオーニャン、ナタリーの事をそういう対象として見ていないとか、一生守り抜く覚悟が無いと言うならこの話は断っていいんだ。それによって領兵団の団長の職を失うわけでもない。今まで通りだ」
「閣下、俺はこんなに恵まれてもいいんですかにゃ」
オーウェンは天井を見上げた。涙があふれだしそうだったからだ。上を向いてしばしこらえた後、オーウェンは再び言葉を紡いだ。
「俺はナタリーを愛していますにゃ。彼女の隣に立つにはどうしたらいいかずっと考えていましたにゃ。こんな男が彼女に相応しいかわかりませんがにゃ、一生大事にしますにゃ。彼女を、この地を守るのに相応しい男になるために一生努力しますにゃ」
「じゃあオーニャン、いやオーウェン」
「養子の件、よろしくお願いしますにゃ」
オーウェンは深々と頭を下げた。
「いやあ、良かった良かった!」と言って辺境伯は席を立ち、オーウェンの背中をバンバンと叩いたのだった。
次の日、喜びで興奮して寝不足の腫れぼったい眼でオーウェンが領兵団の本部に顔を出すと(寝不足でも朝の鍛錬はしっかりこなしたが)何やら深刻な顔をしたエイベルが待っていた。
「おう!オーニャン、ちょっと付き合ってもらいたいところがあるんだ」
「エイベル、おはようにゃ。昨日は仕事を抜けてすまなかったにゃ」
「ご領主様の用事も立派な仕事だろ。それより気になる報告が昨日上がってきたんだ」
二人で騎馬でヘキーチ辺境伯領の北西部に向かう。ドーイナック山の西側の山裾の辺りだ。騎馬で小一時間、小さな村に着き二人は馬を下りた。
「こっちだオーニャン」
向かった村はずれの小屋、ここは牛の厩舎らしい。大きく壊された板壁、中に入るとむっとした血の臭い。
「牛が三頭やられた」
猛獣か魔物か……これだけでは判断がつかない。
「そしてこっちだ」
小屋近くの小川、そこにも血の跡がある。獲物をここまで引きずってきたらしい。小川の近くの湿った土に足跡が残されていた。
「これは……熊かにゃ?いや大きすぎるにゃ。多分魔物にゃ、それも超大型にゃ」
その足跡は熊に酷似しているものの大きさが桁違いだった。大きな熊の優に五倍以上の大きさだったのだ。




