能ある辺境伯は爪隠す
次の日の朝、オーウェンは辺境伯に話しかけられた。
「オーニャン、明後日付き合ってもらいたいところがあるんだけど予定は大丈夫かな?」
「もちろん大丈夫ですにゃ。明後日は討伐予定もないのでエイベルに言っておきますにゃ」
答えたオーウェンは目元にうっすらと隈が見える。一方ナタリーも憔悴しきった様子でしきりと話しかけてくるクライドに生返事をしていた。
食事が終わって部屋に引き返すナタリーにオーウェンは話しかけた。今日は朝の鍛錬にも姿を見せなかったナタリーに話しかけるにはこのタイミングしかなかったのだ。
「ナタリー、その……昨日の観劇は楽しかったかにゃ?」
オーウェンの問いかけにナタリーはげんなりした顔をした。
「散々よ。前から見たかった演目がこの地にやってきたから楽しみにしていたのに……」
クライドは既に王都で見ていたようで横で「ここで彼が言うセリフは後の場面につながってくるんだ」とか「彼女のこの時の心情は」とかすべての場面でいらない解説を入れてきて煩くて全く楽しめなかったそうだ。イライラしながら観劇を終えるとレストランを予約してあるという。
「君は王都の令嬢たちが楽しむこうしたデートをしたことが無いだろう?今日は僕が最高のデートを演出してあげたからね。ああ、感謝なんかいらないよ、君と僕の仲だからね。これからもっともっと出かけて早く僕に相応しい令嬢になってくれれば僕はそれが一番うれしいな」
ナタリーはイライラし過ぎてクライドの言葉をほとんど聞いていなかった。レストランに向かってズンズン歩き、出されたものをパクパクと食べ、食べ終わると早々に馬車に乗って帰ってきたのだった。
クライドは始終喋り倒していたがナタリーはほとんど聞いていなかったという。
その話を聞いて思わず口角が上がってしまうオーウェンは意地が悪いのだろうか?と自らを恥じた。でも反省はしない。
「そうか、楽しくなかったんだにゃ」
「そうよ、オーニャンは私がクライドと出かけたと聞いて嫉妬……」
そこまで言ってナタリーは口を塞いだ。
「ち、違うの!あ……私って最低だわ。何でもないの、忘れて!」
そそくさとその場を立ち去ろうとするナタリーの腕をオーウェンは捕まえた。
ナタリーはオーウェンに嫉妬して欲しくてクライドと出かけたのだろうか?……そんなの、そんなの……可愛すぎる!!!
「ナタリー、俺は嫉妬したにゃ。その……今は何も言えないにゃ。俺には資格がないから言えないにゃ」
「資格なんて!……いらないって―――」
「でも、俺は資格を手に入れるにゃ!何とかして相応しい身分を手に入れるにゃ!だからその……」
「うん、待っているわ」
ナタリーの腕をゆっくり引き寄せようとしたオーウェンだったが……
「あっ!何をしているんだ!!」
駆け寄ってきたクライドに引きはがされた。
「おい、平民!気安くナタリーに触れるんじゃないぞ!ナタリーは由緒正しきヘキーチ辺境伯家の一人娘なんだ。彼女の隣りには由緒正しき伯爵家の僕のような男が……」
ナタリーはクライドに構わず自室に向かって歩き始めていた。クライドにわからないようにオーウェンに向かって小さく手を振って。
それを見てオーウェンも仕事に向かうべく踵を返したのだった。
「あっ!何処へいく!まだ話は……」
それから二日後、オーウェンは辺境伯と一緒にヘキーチ辺境伯領の二つ隣りのダリモア伯爵領に来ていた。領主のお屋敷で二人を迎えてくれたのは辺境伯より少し若そうな小柄な伯爵と穏やかそうな夫人だ。
「初めましてオーウェン殿、お会いできるのを楽しみにしていましたよ」
「ダリモア伯爵、俺に敬語は不要ですにゃ」
挨拶の後も平民のオーウェンに対し物腰柔らかく丁寧に接してくれる伯爵にオーウェンは好感を抱いた。あらかじめ聞いていたのか伯爵夫妻はオーウェンの言葉遣いを聞いて一瞬目を丸くしたものの笑いはしなかった。
「君と会うのは初めてだけど魔物を討伐してもらったことがあるんだよ。その時の迅速で的確な討伐とその後の丁寧な対応は役人から聞いている。君には感謝をしているんだ、あの時はありがとう」
そう言われて思い出した。ダリモア伯領では大きなトラ型の魔物を討伐したことがあった。獰猛で動きも素早く数人ではあるが村人の死者も出ていた。もっと迅速にこの地に来ていれば死ななくてもいい人がいただろうと悔しい思いをしたことを思い出した。
「俺たちがもっと早く来ていればにゃ、死ななくていい人もいたにゃ。申し訳なかったにゃ」
「いや、あれはこちらの対応が遅かったのだよ。家畜に被害が出ているうちに騎士団に討伐要請をすれば良かったんだ。結局人的被害が出てやっと討伐要請をしたのだから君が謝る事ではないよ」
ダリモア伯爵は微笑んで言った後、辺境伯に向かって言った。
「先輩、私は気に入りましたよ。話を進めてもらって構いません」
「ありがとうカーティス。まだこの生真面目な頑固者には話していないのだがな」
何の話をしているのだろう?オーウェンにはわからなかった。そもそもどうして辺境伯がオーウェンをここに連れてきたのかもわからない。
「私はアンドリュー先輩の二つ下の後輩なんだ」
オーウェンの疑問をよそにダリモア伯爵は思い出話を始めた。
ダリモア伯爵は王都の最難関校、王立学院で辺境伯と一緒だったらしい。
「私が入学した当時国王陛下、当時は王太子殿下だったのだけど彼が生徒会長でアンドリュー先輩が副会長だったのだ。アンドリュー先輩は子爵家の三男なのに並み居る高位貴族の令息たちを差し置いて副会長、それも実質生徒会を運営しているのはアンドリュー先輩だったよ」
オーウェンは驚いた。アンドリュー・ヘキーチ辺境伯が婿だということは知っていたが子爵家の三男だとは知らなかった。王立学園出身だということも。辺境伯は初対面で手合わせを申し出てきたのでてっきり騎士学校出身だろうと思っていたのだ。実際手合わせをして辺境伯がかなりの腕だということは知っている。
「アンドリュー先輩たちと過ごす学院生活は楽しかったよ。私は二年後輩だから一年間しかご一緒出来なかったけどね。アンドリュー先輩は卒業後子爵家出身で初めて宰相になるんじゃないかと言われていたんだ。でも卒業の半年前くらいかな?街で出会った辺境伯の娘に一目ぼれをしたと言って当時引退したばかりのホールディス侯爵閣下に弟子入りしたんだよ。それで身体を鍛えて伯爵家の養子になって辺境伯のご令嬢とあっさり結婚して辺境に行ってしまった。王太子殿下は酷くがっかりしてねぇ」
「カーティスその辺にしてくれないか、こそばゆくてしょうがない」
辺境伯が言うと夫人が笑った。
「ふふ、主人は酔うといつも学院時代の話をしますのよ。アンドリュー先輩がこうだった、アンドリュー先輩がこれをしたって楽しそうに。ですから私どもは今回辺境伯様のお役に立てそうでとっても喜んでおりますの。それにオーウェン様のお人柄も気に入りましたし。良いご縁を結べそうで嬉しゅうございますわ」
オーウェンは未だ何の話か分からなかったがダリモア伯爵夫妻の人柄には物凄く好感を持った。平民になったオーウェンにも丁寧に接してくれる。以前の魔物討伐の事を未だに感謝してくれる。温かい人柄が感じられた。




