9. 英雄、湿度が高い
アリアと喧嘩をした。
祖母を亡くした後行方が分からなくなっていたアリアの足取りを必死に追って、ようやく探し出した彼女は、キールに探されていることなど夢にも思わなかった、という顔で知らない男といた。
聞けば彼女は一人で生きていくために、外の世界を見ていたのだという。
カッとなった。ずっとキールがその「外の世界」に誘っていたというのに、どうして今更。それに、知らない男と。ほんのり酒の匂いまでさせて。
冷静に考えたら、キールが知ったのがその直前でも、アリアが祖母を亡くしたのはその時点でひと月近く前だ。一人であの静かな村に住み続けることに不安を抱くのも分かるし、あのフィニスとかいう男が兵士というのも本当らしいから、出会ったいきさつだって彼女の言う通りなのだろう。
それでも嫌だったのだ。何より、怖かった。アリアが外の世界を知って、どこかへ行ってしまう気がして。
結果、「お互いに自立した方が良い」なんて言われてしまった。
それはキールにとって、恐れていたことを的確に表した言葉だった。
自立、なんて、好きな男に使う言葉じゃない。
つまりアリアはキールのことを、ただの家族、幼馴染としか思っていないということだ。
あの状況からどうやってアリアに想いを伝えればいいのか分からず、キールは仕事に逃げた。
気付けばひと月以上が経っていて、さすがにアリアと話をしなければと、キールは考えた。
何よりキールがアリアに会いたくて、限界を迎えていたのだ。
アリアの元へ行くため、旅支度を整えようと一度王都の屋敷に戻ると、アリアからローリアの町へ引っ越した旨が書かれた手紙が届いていた。
キールは安堵した。喧嘩のような別れ方をしてしまっていたが、アリアはキールに所在を伝えてくれる程度には、まだキールを気にかけてくれている。
すぐにでも向かいたかったが、間の悪いことに、キールは王族主催の夜会に招待されてしまった。珍しく王都にいるキールを捕まえるためだろう。仕事を理由に断れればよかったが、運悪く国王陛下に任務完了のことを報告したばかりだ。
諦めてキールはその夜会に参加したのだが、すぐに後悔をする羽目になる。
パートナーが必要になるような場に出るとき、キールはシャイナを伴って参加していた。
が、その日は会場に入るなりシャイナと引き離され、代わりに第三王女がキールの隣を陣取った。
まるでそうするのが当たり前かのように腕を絡ませ、しな垂れかかってくる王女。
キールは辟易とした。
英雄扱いされるようになって、女性からこうしたアピールをされる機会は少なくなかった。
キールだって男なので、綺麗な女性は嫌いではない。
だが、キールがそういった意味で欲しいのはアリアだけだ。だからキールにとって女性から迫られる状況は面倒でしかない。相手が女性だから、殴り倒すわけにもいかないし。
しかも今回は相手が第三王女だ。こんなにうんざりする展開があるだろうか。
シャイナから新聞記事の話を聞いて、これまでは面倒で適当に流していたが、改めて王家の自分に対する企みを、自分なりに調べてはいた。
今でこそ英雄扱いされているキールだが、そもそもは身元もよくわからない孤児だ。貴族のようにこの国に根を張った存在ではない。
だから国はキールを王家の者と縁づかせて、今後もキールが国のために動くようにしたいのだろう。第三王女は美人で有名でもあるから、キールが本気で彼女に惚れこんで言いなりにでもなれば尚良いとでも思っているはずだ。
キールは自分の腕に胸を押し付けている王女に目を遣った。
見つめられているとでも思ったのか、王女は瞳を潤ませ、頬を染めてキールを見上げている。
これではむしろ、彼女の方がキールに篭絡されている気がするが。
(…そりゃ、俺は見た目も良いし実績もある。取り込みたいだろうな)
自分の見目が良いことは、ロクな暮らしをしていなかった子供時代から自覚している。
生きるために手段を選べなかったキールにとって、この顔は最大の武器でもあった。
だが、キール自身は武芸という生きる手段を身に着けた今、自分の見た目にそれほどのこだわりは持っていなかった。それでもキールが、魔物との死闘を幾度となく経験しても顔に傷を付けず守ってきたのには、もちろん理由がある。
(俺の顔が今も綺麗なのは、アリアのためだ。他の女のためじゃない)
幼いころ、アリアはキールを綺麗だと言ってくれた。だからずっと、綺麗なまま保ってきた。それだけだ。それに目立つところに傷を作ったら、アリアが怯えてしまうかもしれない。
それだけなのだ。アリア以外の女性から向けられる情欲に満ちた視線など、キールにとっては煩わしいだけ。まして結婚など、悪い冗談でしかない。
(それに、それ以上にきな臭い話もある)
今この国は、他国に戦争をふっかけようとしている。公の情報では出ていないが、こういう後ろ暗い事情を探るのが趣味なゼファという仲間が言っていたので確かだ。
国は他国への侵攻にキール達も駆り出すつもりでいるのだろうが、キールは魔物の討伐が本職であって、人間相手の兵器になるつもりはさらさらなかった。
キールたちの尽力の甲斐もあってか、地方の魔物被害は減少傾向だ。
財産も十分に稼ぎ、社会的な地位も得ている。キールの評判は国外にも知れ渡っているので、仮に他国へ出たとしても、かなり余裕のある暮らしができるだろう。なんならあえて他国へ出てしまえば、この国が他所へ戦争を吹っ掛けないよう、抑止力になれるかもしれない。
つまり端的に言って、キールはもう、この国で英雄などをする理由がなかった。
(だが、この国には…アリアがいる)
後味の悪い別れ方をしたのは初めてだったので、キールはあまりにも不安で、離れている間手の者にアリアのことを探らせていたし、魔道具を使って自分でも少し様子を見ていた。
アリアは生き生きとしていた。
新しい生活は大変そうでもあったが、それ以上に楽しそうだった。
あのフィニスとかいう男と親しくしているのには腹が立ってしょうがなかったが、どうやら彼の助力でアリアは安全な暮らしができているようだったし、何より多少の後ろめたさがあって、キールはアリアの新生活を止めに行くことができなかった。
アリアを若者がいないような田舎に押し込んだのは、キールだ。
故郷の漁村では、彼女が襲われかけて以降、同年代の者がアリアに近付かないよう、キールがずっと仕向けていた。男だけでなく、女も。女友達に唆されてアリアが危ない目に遭わないかと心配だったからだ。
祖母のいる村に引っ越したのはアリアの意志でもあったが、そもそも始めは、故郷の村に祖母を呼ぶという話もあったのだ。それをさせず、静かな村に住むよう説得したのは、キールだ。
キールはアリアの青春時代を奪っている。彼女の安全を守るためでもあったし、後悔はしていないが、後ろめたさはある。
だから、新生活を生き生きと過ごす彼女を見ていると、キールは何とも言えない気持ちを抱くのだ。
キールにアリアという存在は不可欠だ。絶対に手放せないし、他の誰かにくれてやるつもりもない。
そう。絶対に、手放せない。でも、単純にアリアの幸せを願うなら、手放した方が彼女のためなのかもしれない。
自分の想いが執着に変わっていることには、とっくに気付いている。粘着質だと思うし、健全だとも思えない。こんな想われ方をして、果たしてアリアは幸せだろうか。
キールの幸せにアリアは不可欠だけれど、アリアの幸せには、むしろキールは邪魔かもしれない。
そう考えても結局、アリアのそばを離れるなんて、キールにはできないのだ。
「ほんっとーーーにうざい。うざすぎる。じめじめしてキノコが生えそうよ。いい加減にして」
「シャイナ、俺だって悩んでるんだ」
「アリアさんに貴方の気持ちを一切伝えてない時点で、悩む資格もない一人相撲なのよ。本当に見ていてうざすぎるから、さっさと行ってきて。玉砕でもなんでもしてきなさい!」
「ぎょ、玉砕前提なのか…」
「はーーーーーーっ、うざい!!いいからさっさと行け!!」
堂々巡りな思考を永遠に繰り返していたら、生粋の貴族令嬢なはずのシャイナになかなかの暴言を吐かれた。最近シャイナの口癖が「うざい」になっている。
シャイナに背中を押され(?)、どちらにしろアリアに会いに行こうと思っていたキールは、夜会から1週間後、ローリアの町へと到着した。
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