6. 喧嘩
「アリア!」
ふと聞こえた声に、アリアは驚いて振り向いた。
フィニスに声を掛けられた時も思ったが、この町にアリアの知り合いはいない。
そしてこの声。聞き間違いでなければ、ここにいるはずのない人物のものなのだが。
「……キール?」
「アリア…!やっと、見つけた…!」
ここにいるはずのないキールは、アリアの元へ駆け寄ると深い息を吐いた。
キールは体力お化けのはずだが、軽く息を切らしている。走り回りでもしたのだろうか。
「どうしてこの町にいるの?」
「どうしてって…、アリアを探してたんだ」
「え?」
「アリアの家に行ったら、誰もいなくて。…ばあちゃんが、亡くなったって聞いて」
「あ…」
祖母のことは、もちろんキールには伝えるつもりだった。
だが、アリアからキールに連絡を取れる手段は、実はほとんどない。
彼が王都に持つ屋敷の住所は一応もらっているが、アリアの村から王都まで手紙を出しても届くのに数週間がかかるし、そもそもキールはその屋敷にほとんどいない。仕事で色々なところを飛び回っているからだ。
だからアリアはいつも、何かキールに話したいことがあるときは彼がアリアの家に来るのを待っていた。そもそも今すぐに伝えたい、と思うような緊急事態などほとんど起こらないし。
そして今回はその緊急事態にあたることだったが、何せ連絡方法がないので、次にキールと会えた時に知らせるしかないだろうと思っていた。
「ごめん、会いに来てくれてたんだね。そう、本当に急に…突然、亡くなってしまって」
「…ああ、急なことだったって、村の人に聞いた」
「うん…。連絡できなくてごめんね。お葬式もすぐにしたから、今度お墓参りに行ってくれたら嬉しい」
「もちろんだ。…でも、あの、アリア」
「何?」
「ここで、何してるんだ?…こいつは?」
キールは、戸惑った表情でキールとアリアを交互に見ているフィニスに冷たい視線を投げながら言った。
「フィニス様、すみません!彼は私の幼馴染なんです。キール、この方はフィニス・アドナス様。この町の兵士さんよ」
「…」
「あの、どうも…」
キールはアリアがフィ二スを紹介しても、黙ったまま彼を見据えている。フィニスは困惑顔だ。
キールは誰にでも愛想のいい方ではないが、ここまで無愛想でもなかったはずだ。少なくとも、村の隣人たちには穏やかに接していた。
焦ったアリアはとにかく場を収めることにした。
「えっと、フィニス様。今日はここで失礼します。色々とありがとうございました」
「え、ええ。手紙、待ってますね」
「はい。…キール、話は宿でしよう」
「…ああ」
アリアがそう言うと、キールはぐいっとアリアの肩を抱いて宿へと入っていく。
部屋の場所をアリアから聞き出すとずんずん進み、部屋に入るなりアリアをベッドへ座らせ、自分は脇にあった小さな木の椅子に腰かけた。小さい宿の部屋には生憎ソファのような居心地のいい椅子はなく、キールはたくましい体を子供用なのかと思うくらい小さな背もたれもない椅子にねじ込んでいる。
「キール?どうしたの」
「…アリア。説明してほしい。ここで何をしているんだ?なんで村を出て、わざわざこの町に?」
キールは焦っているような、むしろ怒っているのに近い表情でアリアを問いただす。
アリアはキールの怒りの原因が分からず困惑したが、隠すことでもないのでとにかく説明をした。
「この町には、社会見学に来たの。私、人生で故郷の漁村とあの村の二か所にしか行ったことがなくて、世間知らずだと思ったから」
「なんでそんな、急に」
「それはもちろん、ばあちゃんを亡くしたからだよ」
アリアは油断すると忍び寄る途方もない寂しさを必死に追いやりながら、キールにこれまでの経緯を説明した。
「ばあちゃんが急に亡くなって、本当に一人になって、これからどうしようって、考えたの。あの村で一人で暮らすにしても、どこか別の場所で生きていくにしても、私は世間知らずすぎる。だからまずは、ユージンさんにお願いして、私の魔飾りを買ってくれてる人や町を見てみたいって思ったの」
「ユージン…、あの問屋か」
「そう。ちょうどこの町に行く用事があったからってすぐに連れてきてくれて、社会見学もかねて少しだけ滞在してた。でも、明日には村に帰るよ」
「…さっきの男は?」
「だから、フィニス様は、この町の兵士さん。私の魔飾りを買ってくれてる人だよ。今日迷子を見つけて困ってたところを助けてもらったの」
「あいつが言ってた、手紙を待ってるっていうのは?」
「あいつじゃなくて、フィニス様だよ。…色々町のこととか商売のこととか教えてくれて話が盛り上がったから、友達になりたいって言ってもらえたの。私ももしかしたらこっちに引っ越すとか、そういう可能性もあるし、これからも交流したいなって」
「…」
キールは一通りの話を聞いてからも押し黙っている。
彼の醸し出す不穏な気配に、アリアはぞわりと鳥肌が立つ気がした。
キールがアリアの前で不機嫌を隠そうともしないことは、珍しい。というか、安穏とした村での生活を送るアリアの元では、キールが不機嫌になるような要因もほとんどなかったのだが。
「…キール?」
「ダメだ」
「え?」
「この町に引っ越すとか、あの男と友人になるとか。ダメに決まってる」
「キール、何言ってるの?」
「アリア、村を出たいなら俺のところに来ればいいって、俺はずっと言ってたじゃないか。なんでこんな、一人で勝手なことするんだ」
「勝手って…どういう意味?キール、本当に何言ってるの?私はただ村を出たいわけじゃない。ばあちゃんもいなくなっちゃって、ちゃんと一人で生きていける術を身に着けたいって、そう思って」
「だから、それがどうして俺のところじゃだめなんだ。アリアの仕事だって、王都に出た方が遥かに選択肢も可能性も大きいに決まってる。それにそもそも、俺のところに来てくれれば、アリアは仕事なんてしなくたって、十分暮らしていける」
「…っ、キール!私が言ってるのは、そういうことじゃないの!キールに頼って生きていこうとか、そんなことは考えてない!」
「…俺が嫌だから、あのフィニスとかいう男に頼ろうっていうのか?」
「は!?」
「俺はだめで、あの男はいいのか?…アリアの男の好みが、あんなぼんやりした男だったとはな」
「……キール」
アリアは久しぶりに、ふつふつとした怒りを感じた。
キールがどうしてこんなにアリアの言動に突っかかってくるのか、アリアにはよくわからない。彼がアリアを大事にしてくれていることは分かっているが、アリアだってもう立派な大人だ。何かを決断して行動したことに対して、彼に「勝手なこと」と言われる筋合いはない。
それに、挨拶しかしていないフィニスに対してぼんやりした男、などという言い草も納得できなかった。キールが意味もなく、こんな風に他人を貶めるような言い方をするような人物ではないことは分かっている。だからこそ、小馬鹿にしたような言い方が、信じられなかった。
それとも『英雄』キールは、アリアやフィニスのことなど、もはや庇護してやらねばならない存在で、同じ土俵に立ってさえいないと思っているのだろうか。
「キール、訂正して。フィニス様は良い人だよ。ロクに話したこともないのに、ぼんやりした男だなんて言わないで。失礼だよ」
「…アリア?」
「今までキールが私のことを気にしてくれて、王都で暮らすこととか、色々誘ってくれたことには本当に感謝してる。でも、私は、キールの手を借りなくても生きていけるようになりたいの。いつまでも何もできない、弱い田舎娘のアリアでいたくない」
「アリ」
「私がこれからどう生きていくかを、キールに決められる筋合いはないよ。心配してくれるのは有難いけど、私の人生は私が決める」
「…っ!」
キールは大事な家族で、彼が立派になってからもアリアを忘れずにいてくれて、寄り添ってくれた。それは本当に感謝しているし、彼が大事なのはこれからも変わらない。
でも、もうお互い、大人なのだ。同じベッドで寝たり、お互いの人生に口出しをしたりするのは、幼馴染や家族の域を超えている。
英雄となったキールに、ただの村娘のアリア。
もうお互いの人生は十分に別々の道へ進んでいるのだ。
「…もちろん、キールのことはずっと大事な家族だと思ってる。これからもそうだよ。でも、キールは私なんかに捕らわれないで、好きに生きて。私も、好きに生きるから。…それにやっぱり、一緒のベッドで寝るのも、変だよ。私たち、お互いに、自立すべきじゃないかな」
「!!」
自分を気にかけてくれる英雄に対して「自立すべき」などと言うのも烏滸がましい気がするが、アリアはあえて強い言葉を使った。
だって、近いうちにキールは王女様と結婚するはずなのだ。
いい加減こんなことはやめなければいけない。
キールはアリアの言葉にショックを受けた様子で黙り込んでいる。
が、しばらくするとふらりと立ち上がった。
「…少し、頭を冷やしてくる」
「…うん。きつい言い方して、ごめん」
「いや…」
キールはその日、もう一度アリアの宿を訪れることはなかった。
そして翌日の朝、予定よりも早く訪れたユージンと共に、アリアは村へと戻った。
念のため宿の人に自分がすでに村に戻ったことは言付けておいたが、キールがアリアの元へ来ることはなかった。
それからひと月。キールはアリアの住む村を訪れていない。
いつも読んでいただきありがとうございます!ブクマ等も嬉しいです。
このお話は短編のつもりで書いた中編なので、そこまで長くならない予定です。




