2. キールと愛しのお姫様
本日2話目です。
「何だよキール。ご機嫌斜めだな?愛しのお姫様に会えたんじゃねえのか?」
「うるさい、ゼファ」
「ゼファ、あまりキールに絡むな。多分また、お姫様にフラれたんだろう。こいつがへそ曲げると面倒だろ?」
「ダンも喧嘩売ってるのか?」
「うるさいわよ、男ども。ようやく一息付けたんだから、ちょっと静かにして」
キールがアリアの元で休暇を過ごしてから、数日。
予定よりも早く招集された英雄一行は、今回の仕事である岩山での魔物の群れの討伐を終え、麓で夜を過ごすための準備をしていた。
今回の仕事で最も大変だったのは、魔物ではなく岩山攻略だった。とにかく道が悪く、歩くだけで全員がへとへとになった。
魔物の群れを狩り、ようやく麓に帰ってきたころには周囲は暗く、一行は野宿をすることにした。周囲に魔物除けの結界を張り、ダンが自慢のスープを作る。キールはそれを受け取りながら、ふとアリアの言っていたことを思い出した。
「…ダン。アリアが、このスープ褒めてたぞ」
「お、お前のお姫様が?それは光栄だな」
「他のレシピも教えてくれ」
「構わないよ。いつかアリアさんに直接会えたら、もっと色々教えてやれるな」
「だめだ。アリアの胃袋が捕まれたら困るから、お前は面会謝絶だ」
「出た、キールの超束縛激重激心狭発言」
「ゼファは情操教育に良くないから、面会謝絶」
「意味わかんねー!」
「…キール、貴方がお姫様をどう扱おうと貴方の勝手だけど、そういうこと言っておきながら未だに恋人じゃないって言うのは、確実に貴方が原因なんじゃないの?貴方顔だけは極上なのに、昔からの幼馴染と恋仲になってないってことは、内面に原因があるとしか思えない」
「………」
「うわ、シャイナ、キールに正論はやめろよ!こいつ落ち込んだよ!めんどくせー!」
「本当、面倒な男ね。アリアさん、可哀そうだわ」
キールは仲間たちに言いたい放題言われながらも、反論できずに無言で項垂れた。
自分でもよくわからないのだ。なんだってこんな、煮え切らない関係になってしまったのか。キールはただ、アリアと一緒に生きていきたいだけなのに。
キールには、大切で愛しくて仕方のない存在がいる。
言うまでもなく、アリアのことだ。
キールは身寄りがなくボロボロだったところを、アリアの両親に拾われた。
碌な人生を歩んでいなかったから、正直最初はアリアたちのことを利用しようとしか思っていなかった。アリアたちも裕福とは言えない生活だったが、とりあえず飯は出るし、屋根のあるところで眠れる。今までは孤児だからと碌な仕事に就けなかったが、彼らの息子のような顔をしていれば田舎の村でもそれなりに仕事は得られそうだった。
当時すでに、自分の顔が路上生活をしていても目立つほど整っていることは分かっていた。
身ぎれいにしていればもっと利用できるだろう。話術も身に着ければ、詐欺まがいのことも簡単にできそうだ。
そんなことを考えて、キールはアリアたちとの疑似家族生活を受け入れた。
どこにでもいる平凡な家族。仲の良い夫婦に、大事に育てられた一人娘。
しかしそんなありきたりな環境にこそ触れたことのなかったキールは、どこまでも良心的な彼らを内心小ばかにしながらも、徐々に羨ましく思うようになっていった。
自分には逆立ちしたって手に入らない、愛の溢れた家族。
知らない頃は良かった。でも、知ってしまえば、こんな間近で見てしまえば、どうしようもなく欲しくなる。
そんなキールの内心を知ってか知らずか、夫妻はキールを温かく迎え入れた。
さすがに娘と同じ年頃の少年をいきなり本当の息子のようには扱わなかったが、それでも家族の一員として大事にされていると、捻くれていたキールでさえ感じるほどの愛は受けたし、対外的にも彼らはキールを息子として扱った。
少々戸惑ったのは、娘のアリアに対してだ。
彼女は両親よりも些か現実的で、冷静だった。
キールが内心で彼らを小ばかにしていることを見抜いたのか、彼女は両親よりもキールのことを警戒していた。そもそも自分と同じ年頃の男がいきなりひとつ屋根の下に暮らし始めたのだから、警戒心を持つのは当たり前だろう。
それでもやはり、アリアは善良だった。
キールを警戒すれど嫌悪感を示すことはなかったし、怪我をすれば心配して手当もしてくれた。
食卓を囲んで何気ない会話もするし、一緒に食材を採りに行って泥だらけになったり、川や海でびしょ濡れになりながら魚を採ったりもした。
キールを憐れむでも、不自然に優しくするでもなく、どこか警戒されていてもただ受け入れて一緒に生活をしてくれるアリアの側は、心地よかった。
キールがアリアと暮らすようになって、2年ほどが経った頃。
村に住む近所の悪ガキが、アリアのことをからかった。いや、暴言を吐いた。
キールのような汚らしい、どこで生まれたかもわからないようなやつと一緒に暮らしているなんて、お前たちはいかれてる。大体、お前も変な髪の色で、瞳も変な色だ。お前こそ、よそ者なんじゃないか、と。
悪ガキとアリアの死角にいたキールはすぐそばでその言葉を聞き、即刻そのガキを殴り倒してやろうと決めた。
キールは暴言には慣れている。そういう環境で育った。
でも、アリアは普通の女の子だ。キールと暮らしているというだけで彼女が暴言を受けるのは、キールには耐えられなかった。
だって、それが嫌でキールのことも嫌だと言われてしまったら、キールはどうしたらいいのだ。その頃すでにキールはアリアのそばを離れ難く思うほど、大事に思っていたのに。
アリアの外見は、少し変わっている。
アリアの母は遠い島の出身らしく、暖色の髪色が多いここらでは珍しい美しい白銀の髪に、波の色を閉じ込めたような青い瞳をしている。アリアの母はよくこの色を、海の民の色なのよ、と言っていた。
断じて変な色ではない。キールは出自からそれなりの人種を見たことがあるが、アリアたちの色は群を抜いて美しいと思っていた。アリアに至っては、成長するにつれ、まだ少女なのに妖艶な色気さえ感じる。大人になればきっと誰よりも美しくなるだろう。
喧嘩っ早かったキールは拳を握って出ていこうとしたが、アリアがすぐに言葉を返したので、立ち止まった。
「あなた、もしかして視力あまり良くない?」
「は、は?」
「キールは汚くなんてないよ。そりゃうちに来たときはボロボロだったけど、今はちゃんときれいにしてるでしょ」
「あ、いや」
「それにキールの顔は綺麗よ。あんなに綺麗な顔の人、私は初めて見た。違う?」
「え、その…」
「大体どこで生まれたかって、そんなに重要?ここは田舎だから確かにみんな村で生まれてるけど、大きな町に行ったら色んなところから人が来ていて、見た目だって色んな人がいるんだって。キールが教えてくれたわ。あなたはずっと、同じ場所で生まれた人としか付き合っていかないの?それってどうかと思うけど」
「う、え…」
まさか言い返されると思っていなかったのか言葉を失った悪ガキに、アリアは畳み掛けるように言った。
「あと、私の髪と瞳、そんなに気になるほど見つめてくれてたの?…私がよそ者かどうか、知りたい?」
アリアは普段温厚で、誰かと言い争いをしている姿など見たことがない。
そのアリアが怯むこともなく言葉を返し、最後にはどこで覚えたのか、蠱惑的な笑みまで浮かべていた。
今思えば、あの悪ガキはアリアに惚れていたのだろう。好きな子ほどいじめたいというやつだ。それにしたって限度があるだろうと思うが。
悪ガキはアリアの返しと蠱惑的な笑みに真っ赤な顔で口をパクパクさせ、固まっていた。
アリアはその反応をつまらなそうに見返すと、さっさと歩いて行ってしまう。
出るタイミングを失ったキールは、悪ガキ同様ぼんやりと立ち尽くしていた。
あまりにも色んな感情が渦巻いていた。
悪ガキに対する怒りや、アリアが自分を庇ってくれたことに対する喜び、思いがけず彼女の強気な一面を見たことへの驚き、そしてあの妖艶な笑みを向けられたのが、自分ではないことへの焦り。例えそれが、彼女にとっての挑発行為でしかなくとも。
なんとなく胸中で渦巻いていたアリアに対する感情が、はっきりと恋慕に変わったのは、恐らくその瞬間だった。
居心地の良い家族も、キールにとっては得難いものだ。
けれどキールはアリアが欲しくなった。恋人として、妻として、生涯のパートナーとして。何でもいい。とにかくアリアに自分だけを見つめてほしくて、例えその気がなくとも他の男と言葉さえ交わしてほしくなくて、なんなら視界にも入れてほしくなくなった。
現実的にそんなことを強いれるはずもなく我慢はしたが、アリアに余計なちょっかいを出す者はキールが裏で排除した。暴力に訴えることはしていない。多分。
小さな田舎の村で、一つ屋根の下で暮らすキールはアリアにとって誰よりも近い異性だ。
このままお互いが大人になったら、アリアにとっては見慣れてしまったかもしれないが、この顔でも何でも使って恋仲になって、結婚する。だからそれまでは一番近い家族でいようと、そう思ってなるべく普通に接していた。
現実は、そう上手くはいかない。
キールが家族になってから僅か3年で、アリアの両親は他界した。
そこからは、必死だった。
キールの実年齢は不明だが、双子は珍しいし、キールがアリアよりも年下には見えなかったので、キールはアリアの一つ年上とされていた。親を亡くした二人は、13歳と14歳。この国の成人は16歳なので、その時点で定職に就くのは厳しかった。
幸い、家には父の漁師道具があったから、キールはそれで漁をして何とか稼ぎを得た。アリアも、母の縫い物屋を引き継ぎ必死に働いた。
キールは漁師以外にも狩りや雑用なんかもして小銭を稼いでいたが、成人前の子供二人、どうやっても裕福とは言えなかった。
それでもアリアがいれば幸せだったし、二人暮らしは以前よりもずっと、二人の距離を縮めた。このまま成人したら夫婦になれればいい、などと、キールは能天気に考えていた。
そんな生活をして2年ほどが経った頃。
ある日、仕事帰りの闇の中。キールは自分たちの家の前に数人の男が立っているのに気付いた。
男たちは自分より少し年上の、村のやつらだ。
キールは本能で不穏な気配を察知し、身を隠して様子を伺った。
そこで、信じられない会話を聞いた。
「…なあ、本当にやるのか?」
「今更なんだよ。ビビってんのか?」
「だってよぉ…バレたら…」
「誰にバレるってんだ?今この家にいるのはあの女だけだ」
「でも、あとから女が誰かに言ったら…」
「だから、誰に言うんだ?女の身内はひょろいガキだけだぞ。しかもあれは他所から来た孤児だ。あれが誰に訴えたって、誰もまともには取り合わねえよ」
「そうか…そうだよな…」
「そうだ。なんたって俺は村長の息子だからな。信用度が違う」
「へ、へへ…じゃあ…いくか…?」
「ああ。言っとくが、俺が先だからな。俺がヤって満足したら、お前の番だ。お前はそれまで女、押さえとけ」
「お、おう」
「へへ…あんな色っぽい女、放っておくほうが失礼だよなぁ?」
頭が沸騰したかと思った。そこから先の記憶は、正直あまりない。
男たちはキールをひょろいガキと評していた。確かに当時のキールはそこまで体格がよくなかったが、幼いころからの経験と狩りで剣術も体術もそれなりの腕前だった。
気付けばキールの前にはボロボロになった男たちが転がっていて、泣いて許しを乞う彼らを無慈悲に殴りつけていた。
アリアにはこの件は話していない。
生まれた時から住んでいる村のやつらが自分を襲おうとしていたなんて知ったら、彼女を苦しめるだけだ。
だが、キールはこの一件で考えを改めた。
このまま日銭稼ぎで暮らしても、キールはアリアを護れない。アリアは成長するにつれ、キールも内心驚くほど、美しくなっている。もっとしっかりとした仕事と身分を身に着けて、自分が側にいるだけでアリアを脅威から護れるようにしないといけない。
もちろん、四六時中一緒にいられるわけではないから、治安のいい町で暮らす必要がある。その際には自分は正式な夫となって、名実共にアリアの側にいるのだ。
キールは目標を定めると、早速動き出した。具体的には、剣の腕を売り込み、領主に仕える兵士を志願した。
田舎領主の兵士では大した稼ぎは得られないが、功績を立て続ければ出世が見込める。ある程度実力主義の世界なので、キールにもチャンスは十分にある。
兵隊長、上手くいって団長にまで昇りつめれば、十分な稼ぎと身分を手に入れられるはずだ。
アリアは生まれ育った家を手放すことに抵抗を示していたが、キールが兵士になることが決まり、一人暮らしは心配だと説得したところ、祖母の家に行くことになった。
キールの職場近くに二人で住もうと言ったのだが、固辞されてしまったのだ。
正直かなりショックだったのだが、元々高齢の祖母がいることを気にしていたことは知っていたし、彼女の祖母の家がある村はここよりもさらに田舎、高齢者しかいないような地域だったので、事件に巻き込まれる心配も少ないだろうと考えた。もちろん、貯金をはたいて買った防犯の魔道具を仕込むのは忘れなかったが。
兵士となってから、キールは笑えるくらいあっさりと出世した。
どうやら向いていたらしい。運もあった。兵隊長どころか王都まで連れ出され、キメラフェンリルの討伐にまで成功した。国王に一目置かれ、王都に立派な屋敷と十分な財産、そして一代限りらしいが伯爵位までもらった。
ここまでになるとは想定外だった。だが、ここまでになったら、もうアリアも拒まないのではないか。
キールはそれまでも休暇のたびにアリアの元へ帰って、一緒に暮らそうとか、王都に行かないかと言っていたが、色々な理由をつけて断られていたのだ。
アリアがなぜキールの誘いを固辞するのか、キールはいまいちよくわかっていなかった。
そもそも生まれた家を離れる時から、アリアはキールと一緒に行くことを拒んでいた。
だが、アリアがキールを嫌っているようには思えないし、他に好きな男がいるような気配もない。会いに行けば嬉しそうに受け入れられるし、別れるときは寂しそうな顔を見せる(それがまた可愛い)。
何度も断られるのにはさすがのキールも堪えるが、キールはもはや英雄だ。
ここまでして断られたら、もう嫌われているとしか思えない。
キールの名が国中に広まり始めたころ、ようやく取れた休暇を使ってキールはアリアの元へと帰った。
いつも通り嬉しそうなアリアに迎えられ、キールの冒険譚をせがまれるまま話し、ひと段落着いた頃、キールは切り出した。
「王都で屋敷ももらったし、爵位ももらった。こっちで一緒に暮らさないか?」と。
アリアは少し寂しそうに笑って、「それはできない」と言った。
「なん…なんでだ?生活のことなら心配いらないし、ばあちゃんだって一緒に暮らせる」
「ばあちゃんに都会暮らしは無理だよ。それに、その…私が、今はこの生活をしていたいなって」
「嘘だろ?前に、ここを出たいって言ってたよな?」
「それはそうだけど、まだ、将来のこと、はっきり決めてないの。キールにそう言ってもらえるのは嬉しいけど、宙ぶらりんなまま迷惑かけたくないし」
「迷惑なわけないだろ」
「キール、私は今のままでも十分幸せなの。私の人生まで背負わなくていいんだよ」
「そん、な」
それはつまり、もう誘ってくれるなと、そういうことなのだろうか。
キールとの将来など考えていないと。そういうことなのか?
キールは焦った。
これまでアリアを護るため、彼女と穏やかに生きていくために足掻いてきたのに、彼女自身がそれを受け入れてくれない。
じゃあ、一体どうしたらいいんだ。
これ以上何をしたら、アリアは笑ってキールの側にいてくれる?
今思えば、キールはまともな精神状態ではなかった。
だが焦りと不安から、キールは悪手を打った。
夜が更けたころ、キールはアリアの眠るベッドに潜り込んだのだ。
いっそ、抱いてしまえばいい。
もう二人は十分、大人になった。
既成事実があれば、アリアにだってもう、拒むことなんてできないだろう。
だが、愛しい彼女を寝台の上で抱きしめたところで、キールは我に返った。
キールがしようとしていることは、彼女の尊厳を奪うことだ。
こんなの、あの時キールが痛めつけた、村の男と変わらない。
アリアはキールが思っていたよりもずっと、小さかった。
成長し、鍛えて体格がよくなったキールに比べて、アリアは細くて柔らかいまま。
ずっと守りたいと思っていた存在を、自ら傷つけようとしたことに、キールは震えた。
アリアは震えるキールをただただ案じてくれた。キールがここまでのことをしでかしても、揺らがない信頼。それが嬉しい一方で、無性に悲しかった。
結局、キールは「眠れない」と言って、アリアと一緒に眠るようになった。
言い訳だったのは事実だが、眠れないのも本当だった。
アリアと離れているとき、キールは時折あの夜、アリアが襲われそうになっていた夜のことを思い出して、不安で眠れなくなることがある。
だから一緒にいるときは、全身で彼女を感じていたかった。
結果、子供でもないのに一緒に寝て、それ以上はしない不思議な関係性ができてしまった。
アリアも戸惑っているように思うが、引っ込みもつかない。無駄に理性も試されて、ある意味本当に眠れない。
キールは完全に、袋小路に入っていた。
読んでいただきありがとうございます!