11. 答え合わせ
「ああ…しまった」
仕事を終え、疲れた体を何とか奮起させ湯を浴びた後、洗濯物を外へ干したままだったことに気付き自宅アパートの出窓から身を乗り出していたアリアは、手を滑らせて一枚のタオルを落としてしまった。タオルはひらひらと風に乗り、アパート前の通りに落ちる。
「拾わないと」
もう遅いので人通りはない。寝巻の上に上着を羽織ると、アリアはアパートを出て洗濯物を拾いに行った。
アリアのアパートはローリエの町でもそれなりに治安のいい区域にある。目の前の通りも小奇麗で、少ないながら街灯も点在している。
当然、家賃の高くなる区域でもあるため、アリアは家賃を抑えるためかなり古く狭いアパートに住んでいる。それでも手入れや管理はされており、アリアにとっては十分立派なお城だ。
(やっぱり冷えるな。さっさと戻ろう)
この国、特にアリアの住む地方は、日中は暖かく夜は冷えるという天候がほぼ一年中続く。アリアはぶるりと身震いをすると、薄暗くなった町を背に踵を返した。
「…アリア?」
「びゃあっ!!」
治安がいいとはいえ夜に人通りもまばらの通りで突然声をかけられ、アリアは飛び上がって驚いた。
振り返るとそこには帽子を目深に被った長身の男が立っている。一見すると不審者だが、背格好を見て瞬時にアリアはそれが良く知っている人物だと理解した。
「…キール!?どうしてここに!」
「アリアに会いに来たんだ。けど…アリア、そんな恰好でどうしたの」
「恰好?」
確かに寝巻だが、ちゃんと上着を着ている。足は少し出ているが、上半身はほぼ上着に覆われているはずだ。
キールはあっという間にアリアの目の前まで来ると、眉を顰めて言った。
「こんな夜更けにそんな恰好で外をうろつくなんて、何考えてるの」
「うろついてるわけないじゃない。ちょっと落とし物を拾いに来ただけ。それに、ちゃんと上着着ているし」
「足が出てる。たとえ短時間でも警戒して。何があるかわからないだろ」
「もー…」
久しぶりの再会だというのに、アリアの幼馴染は相変わらず口うるさい。
「とにかく、中に入ろう。冷えてきたし」
「あ…ごめん」
「いいよ」
アリアはキールを連れて、自分の部屋へと戻った。
以前祖母と暮らしていた家は、古くて壊れているところも多かったが田舎にあったこともありそれなりに広かった。でも、このアパートはかなりこじんまりとしている。
キッチンのある居間に、申し訳程度にカーテンで区切られた続き間の寝室。そしてお風呂とトイレ。
その全てが数歩で行き来できる程度には小さい。
それでも、アリアにとっては十分な部屋だし、むしろまだ商売人として駆け出しの身には贅沢なくらいだろう。
フィニスが色々と協力してくれて、いい物件に巡り合えたのだ。本当に、彼には感謝しかない。
「…うーん」
「どうした?」
一人で暮らしていると全く気にならないが、体格のいいキールを伴って家に入るとどうも狭く感じる。
何となく残念な気持ちになりながら改めてキールを見上げると、彼の顔がほんのりと赤くなっていることに気付いた。近付いてみると、お酒の匂いがする。
「珍しいね。キール、酔うほどお酒飲んだの?」
「え?や、酔ってはいないけど」
「顔が少し赤いよ。お水飲む?」
「ああ…ありがとう」
「泊まっていくの?お湯を先に浴びる?この家、ちゃんとお風呂もついてるのよ」
「あ、うん…じゃあ、お言葉に甘えようかな」
「うん」
久しぶりに会ったとは思えないほど、滑らかに会話は進む。
キールが湯を浴びている間、アリアはキール用の寝巻を引っ張り出し、脱衣所に置いた。
以前の家から持ってきていたのだ。
キールを待つ間片づけなどをしていると、ふと、アリアは思い出した。
(あれ…キールって、もうすぐ王女様と結婚する身なのよね…?当たり前のように受け入れちゃったけど、ここに泊まるなんてダメなのでは?)
キールがどういうつもりでここに来たのかをまだ聞いていないが、余所の女のところなど、普通怒られるのでは。
出会い頭に口うるさいことを言われ、ついいつものように受け入れてしまったが、そもそもアリアは彼の結婚という記事を読んで気持ちを自覚し、失恋したばかりなのだ。
自分の迂闊さに呆れつつはらはらしていると、幾分かさっぱりした顔のキールが風呂から現れた。
「アリア、風呂ありがとう。軽く掃除はしておいた」
「えっ、あ、ありがとう。助かる」
「あの…アリア」
「な、何?」
「この服、持っててくれたんだな」
「え」
キールはアリアが置いておいた部屋着を着ている。もう見慣れた、いつもの姿。
「この前…なんていうか、喧嘩別れみたいな別れ方、しちゃっただろ。だからもしかしたらこういうのも捨てられてるかもしれないって、少し思ってたから」
「…そんなこと、しないよ」
「うん。嬉しい」
アリアは何だか落ち着かない気持ちになって、居間にあるソファに腰かけた。
この家にある唯一の椅子だ。
キールは当たり前のようにアリアの隣に座った。小ぶりなソファだ。二人で座れば、隙間などないほどの距離になる。
「アリア。あのさ」
「え?うん」
「その…」
キールは何を言いたいのか、口を開いては閉じ、を繰り返している。
アリアが大人しく待っていると、キールはふと目をそらした後、ぼそぼそと話し出した。
「この前、アリアは俺に頼って生きていたくないとか、自立すべきだ、とか言ってたよな」
「あ…う、うん」
数か月前、最後に会ったとき。
売り言葉に買い言葉なところもあったが、アリアは自分の行動を勝手なことと言われたことに腹を立て、キールに頼って生きていくつもりはない、と言い切った。
その考えに嘘はない。キールへの想いを自覚した今も、だからと言ってキールに頼って生きていくような田舎娘のままではいたくないと思っている。キールは国の英雄と呼ばれる存在になったから、余計に。
(でも、もし私があの時あんなこと言わなかったら…ただひたすらにキールに縋っていたら、少なくとも家族とか幼馴染とか、そういう存在としてはずっと一緒にいれたのかな)
王女と結婚し華々しく活躍するキールを間近で見ながら生きていく。
想像してすぐ、アリアは首を振った。そんなの、一番みじめな人生だ。
むなしい想像をしていると、そんなアリアの様子には気付いていないのか、キールも思いつめたような表情で言葉を続けた。
「あのさ、それは…その、アリアは…俺のこと、なんていうか」
「?」
「…俺のこと…嫌いなのか?」
「はっ?」
色々と言い淀んだ末にキールの口から出た言葉に、アリアは驚いて目を見開いた。
「嫌いかって?なんで?」
「いや、だって…アリアはずっと、俺が一緒に暮らそうとか言ってたの、断ってきただろ。もしかしてそもそも、俺のことが嫌だったのかと思って」
「なんでそうなるの!そんなわけないじゃない!」
「…本当か?」
「本当。嫌いな人とこうやって会ったりしないよ」
「じゃあ、なんでずっと断ってたんだ?一緒に暮らすの」
「それは…」
それを言わせるのか。
本当の理由を話すのは、恥ずかしい。色々と建前はあるが、本当の本音は、結局アリアの自尊心の問題でしかないのだから。
それに、そこに潜む自分のキールへの想いを自覚したら、余計に。
「アリア」
だがしかし、キールはいつになく怯えたような表情でアリアの返答を待っている。
アリアは観念して、言葉を選びながら少しずつ、話し出した。
「…最初の方は、仕事が軌道に乗ってきたキールの邪魔をしたくないって思ってた。私は私で何とか暮らしていけてたし、ばあちゃんもいたし、キールの足手まといになりたくないって」
「足手まといなんてあるわけないだろ」
「キールはそう言ってくれてたけどね。でも、私はそう思ってたの。それに、キールはどんどん出世して、しまいには英雄になって…そうなってからは、意地でも一緒に行けないって、思ってた」
「どうして」
「キールを助けたのは私の両親で、私じゃない。それなのに、一緒に育った私をキールは見捨てられなくて、気にかけてくれてたよね。私が何も持たない田舎娘だから、キールに余計に心配をかけてたと思う。それがすごく、情けなかった」
「は…!?」
キールはアリアの言葉を聞いて、ショックを受けたように絶句している。
でも、これだけじゃない。アリアは勢いのまま、話を続けた。
「だからキールが出世すればするほど、一緒になんていれないって思ってた。キールの負担になりたくないって。…でも、それだけじゃなくて…なんていうか、正直、その、虚しさもあったの」
「虚しい?」
「…私今から、すごく嫌なこと言うね」
アリアが告げると、キールが横で息を呑む気配がした。
「キールは英雄になった。たくさん努力して、危険な目に遭った末の名誉なのだから、それは当然キールが持つべき名誉だし誇れること。だからこそ、キールは英雄になって…王女様と結婚する」
「!」
「私は、一緒に育ったのに、平凡な人間。特別なものなんてない、ただの田舎娘。英雄になって、王都に立派なお屋敷を持って、貴族…どころか王族になろうとしているキールに、ただ家族同然に育ったからっていう理由だけで守ってもらえるなんて…そんなの、虚しすぎる」
自分の言葉が醜いことを、アリアは自覚している。
キールは決して楽な人生を歩んできていない。
孤児として育ち、何度も死にかけた。教育も与えられず、剣や体術だって、きっと好きで身に着けたわけではないだろう。それでも今の生活を手に入れた彼は、本当に努力してきたのだ。頑張ってきた。
自分が横に立てるような特別な人間ではないことを嘆くなら、努力すればよかったのだ。キールの横に立っても恥ずかしくない、何か一つでも人より秀でていることを探すべきだった。だからこんなの、ただの醜い嫉妬で、アリアの身勝手な自己嫌悪だ。
「…だからね、これ以上虚しくならないように、私はキールから自立したかったの。一人でも生きていける、キールほどではなくても立派に生きていけるって、思いたかった」
「…」
「それにそうすれば、私に捕らわれてるキールも自由になれるって思ってた。王女様との結婚話も進んでるみたいだったし、お互い距離を保てば幸せになれるって。…勝手に僻んでうじうじして、キールの厚意を受け取らなかった。ごめんね」
大事にしてきた家族がこんな僻みのような陰鬱な感情を抱えているなどと聞いて、キールは幻滅したかもしれない。昔からキールはどこか、アリアをひどく美しい人間だと考えている節があったから。
思いがけず自分の汚い部分を露呈することになり、アリアは視線を落とした。キールは言葉を発さない。相当、ショックだったのかもしれない。
しばらくすると頭上から盛大なため息が聞こえ、アリアはびくりと肩を震わせた。
「…こんなに全部裏目に出ること、あるんだな」
「えっ?」
「アリア」
怒られても失望されてもおかしくないと思っていたアリアは、思いがけず聞こえた静かな声に顔を上げた。
「つまりアリアは、俺が英雄なんて呼ばれるようになったから、引け目を感じたってこと?」
「え?う、うん、そう…だね。そうなのかな」
「はあー」
キールはまた溜息を吐くが、なぜか頭を抱えていて、その様子から怒りは感じない。
「…ほんとに全部、裏目に出てるじゃないか」
「…キール?」
「アリア。とにかくアリアは、俺のこと嫌いじゃないんだな?」
「だからそんな事、あるわけないよ」
「じゃあ、好き?」
「へっ?!」
以前のアリアなら何も考えず、もちろん好きだと答えていただろう。
でも今は違う。彼に対する気持ちが特別だと気付いてしまった今、アリアは言い淀んだ。
「そ、その」
「ああいや、違う…これだから俺はダメなんだ」
「キール?さっきからどうしたの」
「アリア」
キールが居住まいを正すようにアリアに向き合ったので、アリアも背筋を伸ばしてキールの視線を受け止めた。
「俺が兵士になったのも、出世を目指したのも、世のため人のためでもなんでもない。全部アリアと一緒にいたかったからなんだ」
「…私と?」
「…アリアには、言ってなかったんだけど」
キールはゆっくりと、言葉を探すように口を開く。
「まだ村に二人で暮らしてた頃、…その、なんていうか、アリアは人気があったんだ」
「人気?」
「アリアに近寄ろうとする村の男がたくさんいた」
「…男?まさか。男性の友人さえまともにいなかったよ」
「それは、まぁ…俺のせい。アリアにちょっかい出す男は全部、俺がお話してたから」
「おはなし…?」
「まぁ、とにかく。ただ友好的なだけならまだしも、屈折してるようなやつも中にはいたんだ。それで俺はそいつらに、ただの孤児で何かあっても出てくる保護者もない、ひょろいガキだって思われてた」
「キールが?!」
「まぁ、当時の俺はほんとに、何もできないガキだったから」
子供の頃、二人で暮らしていたときのキールは確かに今のような迫力はなかったけれど、当時から頭が良く利発な子供で大人からも一目置かれていたし、村の男同士でそんな攻防があったとは初耳だ。
「だから俺は、焦った。このままじゃ俺はアリアを守れない。アリアは大人になるにつれてどんどん綺麗になっていくのに、俺がなめられるような男じゃだめだ。収入面だって不安だったし」
「え、あの、キール?」
「兵士はある程度実力主義だから、孤児の俺でも出世が望めると思った。アリアと離れるのは苦渋の決断だったけど、長い目で見たら必要だと」
「あの、キール」
「アリア」
キールの真意がわからず思わず彼の話を遮ると、逆にキールから呼び止められた。
「アリア」
「う、うん」
「…俺はアリアが好きだ」
「えっ」
途端、アリアの頭の中に嵐が吹き荒れる。
それは、家族として?幼馴染として?
…それとも、女性としてなんて、そんな夢みたいなことがあるのだろうか?
疑問が顔に出ていたのか、キールは困ったような笑顔を浮かべると、アリアの手を握る。そして本当に少しだけ、掠るくらいのキスを指先に落とした。
「え、キール…?!」
「アリアが好きだ。…家族としてでも、幼馴染としてでもなく、女性として。ずっとずっと、好きだった。」
「…っ!」
「好きで好きでたまらなくて、ずっと一緒にいたかった。綺麗で可愛くて誰の目に見ても魅力的なアリアを守りたくて、誰にも取られたくなかった。だから俺は孤児で教養のないひょろいガキでいたくなくて、兵士になったんだ。まさかここまで登り詰めるとは思わなかったけど、それさえ、アリアに尊敬してもらえるならそれで良いって思った程度だった。こんなこと言ったらあらゆる方面から怒られそうだけど」
「そ、そんな、ことって…」
「信じられない?」
「キールを信じられないわけじゃないんだけど…でも、だって、王女様との結婚は?」
「ごめん。それは、否定しなかった俺が悪い。しないよ。するわけない」
「そうだったの…?」
「あれは特に野心のない俺を繋ぎ止めておこうと王家が勝手に考えた話だ。俺はとっくに断ってるし、今後も受けるつもりはない」
突如話された怒涛の真相に、アリアは混乱した。つい先程まで失恋したと思っていたのに、まさか全部自分のためだったなんて。感情の乱高下が激しすぎる。
「俺は別に、英雄になんてなりたかったわけじゃない。ただ、アリアの恋人で夫になりたかっただけ」
キールが美しい金色の瞳を苦しそうに揺らす。
「…愛してる。俺が愛してるのは、アリアだけだ」
その言葉を聞いた瞬間、意思に反してアリアの瞳から涙がこぼれ落ちた。
慌てて手の甲で拭うが、止まらない。キールはそれをどう受け取ったのか、アリアを強く抱き寄せた。
「困らせたなら、ごめん。でも俺は、アリアを失えないんだ。…アリア、俺のアリアになってよ。妹でも幼馴染でもない、アリアが欲しい。欲しくてたまらないんだ」
キールの体も声も、震えている。
誤解させていることに気付いてアリアは慌てて口を開くが、同じように震えた言葉しか出ない。
「私、キールに、そばにいてほしいって思っていいの?」
「え」
「キールは、英雄で、すごい人になって、あの頃みたいに山で食べられる野草採ってたキールじゃなくなって…でも私、キールに…キールの隣にいていいの?故郷の家族としてじゃなくて?キールを…好きでいていいの?」
「アリア」
「田舎の地味な女なのに、他の女の人に…例え王女様でも、惹かれてほしくないって、触ってほしくないって、思って、いいの?」
「アリア、それって」
アリアを覆いかぶさるように抱きしめていたキールは、体を離すとアリアの顔を覗き込む。
目が合うと途端に羞恥でいたたまれなくなる。今のアリアはきっと、顔どころか首も、下手したら鎖骨くらいまで真っ赤だろう。
でも、恥ずかしがっている場合ではない。今絶対に、伝えなければいけない。
「キールが好き。その、男の人として」
「!」
「だからその、えっと…わぁっ」
言い終わらないうちに、キールがアリアを抱きしめた。体重をかけられ、アリアは狭いソファーの肘掛け部分に寄り掛かる。背中に食い込んで痛い。
「アリア…!アリア、本当に?本当に、俺のことが好き?」
「う、うん、本当だよ」
「もう一回言って」
「キ、キールが好きだよ」
「うぐぅぅ」
キールは唸りながらアリアの首筋に顔を埋める。彼の前髪が当たって、くすぐったい。
どうするべきか分からずとりあえずキールの背中を撫でていると、首筋に何か柔らかいものを感じた。それは何度かアリアの首筋を撫でると、突然湿り気のある音を立てて吸い付いた。
「う、ひゃあっ?!」
「…アリア」
「ちょ、キール!」
それを皮切りに、キールはアリアに口付けの雨を降らせた。
首筋、頬、こめかみに頭、耳まで。
「と、止まって止まって、キール!」
「アリア」
アリアの静止に一旦唇を離したかと思うと、キールはアリアの瞳をじっと見つめた。
見慣れたはずの金の瞳には、見たことのない熱かゆらいでいる。
魔力の高い人は、危険や興奮を感じると瞳に反応が出ると聞いたことがある。アリア自身はそこまで魔力は多くないし、キールは膨大な魔力量を持つが非常にコントロールが上手い上、彼がそこまで何かに興奮している姿も見たことがなかった。
初めて見たそれは、とても美しくて、アリアは思わず魅入った。
「キール…すっごく、綺麗」
「何が?顔?」
「顔もだけど、そうじゃなくて、この瞳。…もっと見て良い?」
「瞳?アリアが見たいなら、いくらでも」
綺麗と言われてすぐに顔が出てくるキールもすごいな、と思いつつ、アリアは彼の瞳をじっくりと見つめた。
朝日に輝く小麦畑のような暖かな金の瞳に、白い光が波のように揺蕩う。
幻想的な光景にアリアがうっとりとしていると、突如キールが顔を近付けた。
「キール?ごめん、嫌だった?」
「嫌じゃないけど、そんなに見られたら、我慢できなくなる」
「え」
キールの隙のない美しい顔が更に近付き、鼻と鼻が触れる。アリアの反応を見るためか少し静止したキールは、アリアが逃げないことを確認して、さらに近付いた。
ゆっくりと触れ合う唇は、思ったよりもカサついていて、冷たかった。
「…ん、ぅ」
「……アリア」
初めは触れるだけだった口付けはどんどん深みを増し、激しくなる。キールの手がアリアの腰や首筋に回され、ぐっと強く抱き寄せられた。
隙間がないほどぴったりと触れ合って、全身でキールの熱を感じる。アリアはどうしたらいいのかわからず、ひたすらにキールの求めに応えるしかない。
が、キールの指先が服の裾からアリアの肌へと滑り込んできて、アリアはさすがにビクリと体を震わせた。
何とかキールの口付けから逃れると、息も絶え絶えになりながら訴える。
「き、キール、あの、わたし」
「ごめん、アリア。分かってる、順序を踏むべだって…でももう、限界」
「え、ええ?!」
「アリア、愛してる。この世の誰よりも、何よりも。…アリアを、抱きたい」
「ひ、ぇ」
瞳を美しく揺らし、壮絶な色気を垂れ流しながら、キールは苦しげに呟く。
「アリアと一つになりたい。俺をアリアの全部に刻みたい。アリアがもう…離れていかないように。逃げないように」
「に、逃げないよ?」
「うん、わかってる。でも、だめなんだ。アリア…俺のこと、好き?」
「好き、だよ」
「男として?…幼馴染じゃなくて、家族じゃなくて、恋人として?」
「それはもちろん、」
「実感したい」
「き、キール」
「恋人として俺を求めてくれてるって、実感したい」
「キール…」
キールは泣きそうな顔でアリアを見つめている。
「…嫌?アリア、俺とするの…嫌?」
「い、嫌じゃない!けど、こ、心の準備が」
「ゆっくり、するから、しながら準備しよう」
「な、なな、なに、それ」
「アリア」
「キールっ、わかってると思うけど、私初めてなのっ!キールは、もしかしたら違うかもしれないけど、私は経験ないから、」
「俺もないよ」
「え」
「え?だってアリアしか欲しくなかったから」
「え、え」
「そりゃ男だから自家発電はしてたけど」
「ちょ」
「この日のために勉強はしたから。大事にする。アリアがこわいことは、絶対しないから」
愛しい人に、こんなに懇願されて、落ちない人がいるのだろうか。
少なくともアリアは無理だ。こんなキールを拒否するなんてできない。
まさかこんな展開になるとは思わず、下着なんて適当だし、ここ最近の生活の変化からお肌だって荒れている。最低限お風呂だけは済ませていて良かった。
でも、キールにとっては多分、どうでもいいことだろう。
自分で言うのも何だが、キールは蕩けそうなほど幸せそうな顔をしていて、アリアの下着なんて露ほども気にしていなさそうだ。
(…女は度胸。どんと来い、よ)
色事の前とは思えない気合いを心の中で入れたアリアは、近付いてくるキールの気配を目を瞑って受け入れた。
アリアはその夜、正直なところ、人生で一番の恐怖と羞恥を感じた。でも、キールが生きていてよかった、なんて言って泣いたから、自分の羞恥なんてどうでも良くなった。
キールが泣いたのを見たのは、初めてだったから。
いつも読んでいただきありがとうございます!ブクマや評価も嬉しいです。




