1. アリアと英雄
新連載を始めます。宜しくお願い致します!
恋とか愛とか、そんな甘やかなものではない。
アリアはふと、目を覚ました。
まだ早朝なのだろう、遮光性など殆どない薄いカーテンからは、薄ぼんやりとした陽が滲んでいる。
いつもは一人で眠る固いベッドに、今日は来客が一人。身動ぎすると抵抗を示すかのように、アリアに纏わりつく手足の力を強めた。
(…重い)
隣に眠る彼は、常には周囲の女性を魅了して止まないその美しい顔を、子供のようにあどけなく緩めてスヤスヤと寝息を立てている。
昨晩彼は久しぶりに帰ってきたからか、随分と遅くまで話をしたがり、触れ合いたがった。
彼は良い。今日は休みなのだろうから。でもアリアは違う。田舎の小さな村に住む、しがない縫い物屋なのだ。休みなく働かなければ、常人並みの暮らしなどできない。
朝方に寝たからだろう、頭が重い。
眠りながらも未だに絡みつく彼の手足を何とか解くと、アリアは寝台から抜け出した。
「おはよう、アリア。キールは?」
「ばあちゃん、おはよう。キールはまだ寝てるよ」
「そうかい、疲れてるんだろうね。寝かせておやり」
「うん」
アリアはまだベッドで眠っているだろう彼、キールの寝顔を思い浮かべると頷いた。
キールは今回、2週間以上かけて村に帰ってきたと言っていた。長旅な上、帰ってきて早々にアリアから離れなかったのだ。今日はきっと昼まで寝ているに違いない。
アリアは一緒に暮らす祖母の分とキールの分も朝食を作ると、身支度をして家の隣にある小さな作業場に移動した。
アリアの仕事は『縫い物屋』。
その名の通り衣服や小物を作ったり修理したりもするが、本業は魔飾り作りだ。
魔飾りとは、魔力を込めて縫うことで持ち主に加護を与えることができる、有り体に言えばお守りのこと。例えば防御力アップとか、呪い耐性付与とか、逆に魔物寄せ、なんてのもある。
製作者によって効果もその強さもまちまち。基本的には、気休め程度のお守りだ。
アリアの作る魔飾りは主に、『治癒能力アップ』。怪我をしなくなる訳では無いが、治りが早くなったり、回復魔法や回復薬の効きが良くなる。効果は使用方法にもよるが、治癒回数5回分ほど。アリアの魔飾りはそれなりに効果が期待でき、また、その効能から、兵士や傭兵団、冒険者など、生傷の絶えない職種の人が好んで買ってくれていた。
とはいえ、魔飾りはあくまでお守りで、目に見えて大きな効果のある魔導具や薬などとは比べ物にならず、価格も安い。
だからこそ庶民に親しまれているのだが、売る方からすれば儲けも少ない。手作業が必須なので量産もできず、アリアは毎日必死に作っては売る、を繰り返していた。
いつものように針に糸を通し、鼻歌を歌いながら少しずつ魔力を込め、糸で柄を描いていく。今回作っているのは、細長い長方形の布に鳥と花を刺繍し、ブレスレットのように手首に巻けるようにしたものだ。女性でも男性でも使いやすいよう、色は紺地に白と緑の糸。
魔飾りを作り始めて、もう10年近い。
アリアの指先からはするすると美しい絵柄が刻まれていく。
「…ふぅ…」
「一息ついた?」
「わぁっ!!!」
きりが良いところまで作成し顔を上げると、いつの間にか目の前にキールが立っていた。
アリアは驚きのあまり座っていた椅子から飛び上がる。ちょっと浮いたと思う。
「キール!気配消さないでって、いつも言ってるのに!」
「だから、消してないよ。アリアが集中してただけだろ」
「え、そう?」
「そうだよ。…今回は、何作ってるんだ?装飾品?」
「ブレスレット型にしたの。身に着けやすいでしょ?」
「たしかに、いいね。いつも通り、俺も買うから。10は欲しいな」
「10個も?うーん。キール、今回はどれくらいいるの?」
「今回はゆっくりできそうなんだ。1週間はいる」
「じゃあ、間に合うかな」
「ありがとう」
キールはそう言うと、手にしていた籠をテーブルに置く。
中からパンと湯気の立つスープが入ったコップを取り出し、アリアに差し出した。
「これ、昼飯。朝飯作っといてくれて、ありがとうな」
「もうそんな時間?…わ、いい匂い。キールが作ったの?」
「そうだよ。前に仲間のダンが、料理得意だって話はしたよな?ダンから教えてもらったんだ。簡単にできて旨いし、腹も膨れる」
「そういえば、言ってたね。いただきます!」
アリアはスープを一口、口に含んだ。
とても美味しい。なんだか深い旨味を感じる。アリアもスープはよく作るが、一体何が違うのか。
はぐはぐと食事の手を休めることなく動かしていると、向かいに座るキールが淡い笑顔を浮かべながら、こちらをじっと見つめていた。
恐らく寝起きなのだろう彼は、シャツのボタンがはだけていて、そこからよく鍛えられた胸元が覗いている。陽の光が透ける金の髪にも少し寝癖。髪と同じ、透き通るような濃い金の瞳はまだ少し眠そうに蕩けていて、笑顔をにじませながら頬杖をつく姿は、どこか高名な画家が気合を入れて描いた人物画から抜け出したようだ。
信じられないことに、どこかの貴公子のようなこの美貌の男は、アリアと同じ田舎で少年時代を過ごした幼馴染である。当時はアリアと共に野山に入り食べられる野草を探していた。昔からきれいな顔はしていたけれど、まさかこんなに大成するとは思っていなかった。
「ダンさんってすごいのね。こんなスープを思いつくなんて。あとでレシピ教えてくれない?」
「いいよ。仕事中は野宿も多いから、料理ができるやつがいるとほんと助かるよ」
「そうだよね。今回の仕事は無事終わったって昨日言ってたけど、本当に怪我はないの?」
「大丈夫。そりゃ多少はしたけど、アリアの魔飾りのおかげですぐ治ったよ」
「私が言うのも何だけど、今のキールなら魔飾りなんかよりももっと良い魔導具とか魔法薬、買えるでしょ?そういうの使ったら?」
「それも使うけど、俺はアリアの魔飾りが良いんだよ」
「それは嬉しいけど…なにせキールは英雄なんだし、舞い込む仕事の難易度も高いじゃない。魔飾り程度じゃもう、意味ないでしょ」
英雄。
アリアの幼馴染キールは、国では知らない人がいないと言われるほど有名な、英雄なのだ。
少年時代、狩りや害獣駆除など生きるために身に着けた剣術で才能を発揮した彼は、3年前に村を出て、この地域を治める領主に仕える兵士になった。
そこでキールはめきめきと頭角を現し、ある日たまたま視察に来ていた偉いお貴族様を魔物から助けた。それがきっかけで王都にまで呼ばれ、あれよあれよと活躍し、なんと100年に一度現れるという巨大な狼の魔物、キメラフェンリルを倒してしまった。
そしてキールは、英雄になった。
そもそもこの国は魔力が豊富で、国民も、アリアのような田舎者でさえ、魔力を持つ者が多い。その分魔力を持つ獣、魔物による被害も多く、数刻で街を半壊させるほどの被害を出すフェンリルはその筆頭だった。
中でも伝説級のキメラフェンリルを倒したキールは国王も認める英雄になり、今やすっかり有名人。現在は共にキメラフェンリルを倒した仲間とともに、国王様直々の命令で各地の魔物討伐や治安維持などに駆け回っている。
「私の魔飾り使ってくれるのは嬉しいけど…危険の多い仕事なんだし、幼馴染だからって私に気を遣う必要はないからね」
「気を遣ってるんじゃない。俺が、これじゃないとだめなんだよ」
キールは先程アリアが作っていた魔飾りを手に取ると、手首に当てた。
「これ、もう完成?付けていい?」
「今つけるの?」
「良いでしょ。俺お得意様だし」
「はいはい。ちょっと待って」
アリアは仕上げに魔飾りに触れ、魔力を流す。魔飾りがほんの少しだけ光ると、描かれた柄に馴染んでいく。
アリアは手を離すとブレスレットのようにキールの手首に巻いてやった。
「はい、お客様。完成しましたよ」
「ありがとう。やっぱり、落ち着く」
キールは嬉しそうに魔飾りを撫でる。
大した代物ではないはずだが、キールの身内贔屓はなかなかのものだ。
彼の仕事は基本的に長期にわたるので、こうして帰ってきては大量の魔飾りをアリアから買っていく。
「次の仕事も、魔物討伐?」
「多分。まだ詳しくは聞いてないけど。あの王様も人使いが荒い。英雄なんて聞こえのいい呼び名つけて、実際はただこき使われてるだけだ」
「でも実際にあのフェンリルを倒したんだから、国にとっては英雄だよ」
「俺なんて出自も実際の年齢も不明だってのに。それが爵位まで与えられてるんだから、全く身分なんて適当なものだよな」
キールは呆れたように前髪をかき上げる。それだけで絵になるのだから、美男子はずるい。
キールはアリアが10歳のとき、村近くの川のそばで倒れていたところを、アリアの父によって発見された。
全身怪我だらけで、痩せていて、今にも死んでしまいそうな彼を、家族総出で看病した。
運良く回復したキールはしばらく塞ぎ込んでいたが、のんきで朗らかなアリアの両親に心を開いたのか、しばらくするとぽつりぽつりと身の上話を語ってくれた。
とはいっても、彼の話はシンプルだった。物心ついた頃には親はなく、似たような境遇の子どもたちと日銭稼ぎの雑用や、時には盗みをして食いつないでいたと。ある日その盗みに失敗し、逃げる途中川に落ちたらしい。
そしてこの村まで流れ着いたと、そういう事だった。
キールは淡々と語っていたが、全身怪我だらけで川に落ちて長時間流されたのだ。生きていたのが奇跡である。
それからキールはアリアと共に、家族同然に育った。行くあてのないキールを放りだすわけにはいかないと、アリアの両親が彼を引き取ったのである。
とはいえ最初、二人の仲はあまり良くはなかった。うんと子供ならいざ知らず、アリアは10歳で少し早い思春期が始まっていたし、同じ年頃に見えるキールも同じで、さらにのんきに育ったアリアを馬鹿にしたような目で見ていた。
それでも小さな村で、同じ家に暮らすのだから、顔を合わせないわけにもいかず。
二人は時間を掛けて、少しずつ距離を縮めていった。それでも仲良し、というわけではなかったと思うけれど。
風向きが変わったのは、5年前、アリアが13歳の時。
アリアの両親が亡くなった。
事故だった。漁師をしていた父と、アリアと同じように魔飾りを作っていた母が、一緒に近くの街に品物を売りに行った帰り、乗っていた馬車ごと崖から落ちたのだ。
村人が長年使っていた乗合馬車で、ガタが来ていたらしい。一緒に乗っていた村人も皆、亡くなった。
当時アリアは祖母とは別に暮らしていて、両親とキールの4人暮らしだった。
一気に両親を亡くしたアリアは途方に暮れた。大事な人を亡くして悲しくて苦しいのに、現実は悲しませてもくれない。稼ぎがなければ、飢えて死ぬだけだからだ。
それはキールも同じだが、元々一人で生きてきた彼はアリアよりも強かった。
とはいえ彼に盗みをさせるわけにはいかないので、アリアは元々母と一緒にしていた縫い物屋を継ぎ、キールは父が遺した船で漁をしたり、山に入って狩りをしたり。それを売って、二人で何とか食いつないだ。
そんな生き方をしていれば、血は繋がらなくとも絆は深まる。
アリアとキールは身寄りのない兄妹のようになった。
その後キールは兵士になるため村を出て、さすがに一人暮らしは大変だろうとアリアは遠方にいた祖母の元へ身を寄せた。
それでもキールはアリアを幼馴染として、家族として忘れないでいてくれているようで、英雄となった今でも時折アリアのもとへ帰ってくるのだ。
「私はキールの実力が正当な評価を受けているのは嬉しいよ。伝説のフェンリルを倒せるなんて、英雄以外の何者でもないし」
「俺が英雄だと、アリアは嬉しい?」
「うーん、英雄だと嬉しいわけじゃなくて、キールが頑張って認められているなら嬉しい。別にそれが英雄じゃなくてもいいよ。ただ…心配だから。怪我をしないのは難しいかもしれないけど、あまり無理しないで」
「…英雄、やめようかな」
「ふふ。田舎暮らしが恋しくなった?」
「ここで暮らすのもいいな。でも、アリアはここを出たいんだろ?」
「そうだねえ。いつかは、大きな街とか、行ってみたいよ。でもお金もかかるし、行ったところで生きていく術がないし、ばあちゃんを置いてもいけないし。まだ先の話だよ」
「だから、俺と一緒に行けばいいって。俺今は結構稼いでるし、アリアを連れて行くくらい、問題ない。もちろんばあちゃんも」
「キールの気持ちはうれしいけど、そこまで甘えるわけにいかないって。それに前も言ったけど、ばあちゃんに長旅は耐えられないよ」
「ゆっくり行けば平気だろ」
「無理だよ。足も悪いし。…それに、キールは…」
「うん?」
「いや、何でもない。とにかく、そこまで頼るのは良くないよ」
「なんでだよ。俺とアリアの仲なのに」
この会話はこれまでも何度かしている。キールがある程度出世してから、誘ってくれるようになったのだ。昔口にした、大きな街に行ってみたいとか、いつか王都に行ってみたいとか、そういうアリアの夢を覚えてくれていたのだろう。
彼の気持ちは嬉しいけれど、せっかく英雄として身を立てた彼の足手まといにはなりたくない。アリアの夢はアリアのものであって、キールのものではない。
それにアリアだってまだ漠然としていて、明確にこうしたい、という希望もないのだ。
「私のためにそこまでしてくれる必要はないよ。大丈夫。私もちゃんとキールみたいに、立派に独り立ちするから。最近は魔飾りも結構評判良いんだよ?お金を貯めたら、旅もできるよ」
「俺が一緒に行きたいんだよ。それでもだめなのか?」
「キール…」
キールは長い腕を伸ばすと向かいに座っていたアリアをひょいと持ち上げて、彼の膝に乗せた。
「俺が独り立ちしてるって、ほんとに思ってる?今でもこんななのに?…一人じゃ眠ることだってできないのに」
「キール」
キールが兵士になるためアリアと暮らした家を出て、やがて英雄となり、その活躍がアリアの暮らす田舎にまで聞こえるようになったころ。
休暇が取れたと帰ってきたキールが、突如アリアの眠るベッドに潜り込んできたのだ。
キールがアリアに手を出すとは思えない。兄妹のように暮らしてきたわけだし、今更だ。それでも、お互い年頃なのだしさすがに同じベッドはだめだろう。そう言ったのだが、キールはアリアを抱きしめる力を強くするばかりで、離れない。どうしたものかと思っていた時、キールが震えていることに、アリアは気付いた。
どうしたのかと問いかけたら、キールは言った。「ひとりでは眠れない。怖い」と。
キールが何を抱えているのか、普段彼の側にいないアリアには想像することしかできない。
それでも英雄なんて呼ばれて、一人の男の子だった彼が突如あらゆるものを背負う立場になったのだ。その重責は計り知れない。
結局、アリアはキールを拒むことは出来なかった。
それからキールは当たり前のようにアリアと一緒に眠っている。抱きしめられたりもするけれど、それ以上はない。
キールはアリアを抱きしめる腕に力を込める。
正直、アリアは彼の行動をどうしたらいいのか、分かりかねていた。
家族のように大事な存在のキールの支えになりたいとは思う。心の底から。
でも恋人でもないのにこんなことをしているのが正しいとも思えない。
それでもやっぱり、拒めない。
アリアはキールの柔らかい金髪を撫でながら言った。
「一人で眠れないなら、一緒に寝るよ。いつでもここに帰ってきてくれていい。でも、キールにはキールの人生があるから、無理に私の夢に付き合ってくれなくて、良いんだよ」
「アリア、俺は」
「大丈夫。私、当分ここにいるから。急に思い立って旅にも出ないし、死んだりもしない。それに父さんと母さんを亡くして泣いてた、あの時の子供のままでもないよ」
「…」
キールは両親を亡くしたアリアをずっと護ってくれていた。
そしてその気持ちは、お互いが大人になった今でも変わっていない気がする。
いつまでもキールの庇護がないと生きていけないアリアだと思わせていてはいけない。
キールには輝かしい未来が待っているのだ。家族としてずっとキールは大事だけれど、お互いの歩む道を間違えてはいけない。
アリアは数日前に見た新聞記事を思い返しながら、強くそう思った。
キールは無言のまま、アリアを離さない。
恋人のように抱きしめるけれど、それ以上は踏み込んでこない。
恋とか愛とか、そんな甘やかなものではなく、どこか縋るような関係。
血のつながらない家族で兄妹だったはずのアリアとキールの関係は、いつの間にか靄のかかったものになってしまっていた。
読んでいただきありがとうございました。