同窓会②
「それで? めでたくクビになったの?」
電話の向こうの声が震えている。美玖の笑いを堪える顔が思い浮かぶ。
クソガキ事件の翌日、事件の後始末のせいで、定時を大幅にはみ出す残業を終えて帰ってくると、電話が鳴った。田岸美玖からの催促の電話だった。昨夜も彼女に電話をして、散々、管を巻いたのだ。それにつきあってしまった以上、事の顛末が気になって仕方なかったらしい。
「そんなわけないじゃん。今の時代、そう簡単にクビになんかできないから」
姿勢がみるみる良くなる、体型もみるみる良くなる、が謳い文句の、オフィスチェア「ミルミル」の背もたれにもたれかかると、ぎしっと鈍い音がした。子供と同じ目線にするために、腰を屈める機会が多いため、近頃、腰の調子が悪い。屈むだけで腰が警報を発するのだ。だから、せめて、座っている時ぐらいは姿勢を正そうと、身を切る思いで「ミルミル」を買った。購入して一ヶ月ほど立ったが、効果はイマイチ感じられない。
「でも、モンペなら、大騒ぎしたんじゃない?」
彼女の推理どおり、ミルモ・インクレールの母親、ミルグレス・インクレールは、翌朝、つまり、今朝だが、鼻息荒く乗り込んできた。案の定、クソガキが告げ口したらしく、クソガキ母は、怒髪天を衝くほどの怒りを撒き散らかした。早朝かつ出勤前だというのに、実にエネルギッシュな感情表現と声量で、お子さんを預けにきた親御さんの衆目を集めまくっていた。
「いやあ、すごい剣幕だったよ。もう、あそこまできたら、モンペっていうか、親バカの極致って感じ」
「まあ、間違いじゃないんじゃない? 子供への愛が行きすぎてって例もあるでしょ」
「一応、聞くけど、美玖はなってないでしょうね?」
「モンペに? まさか」
軽快に笑い飛ばすが、モンスターペアレントに共通することは、その自覚がないことだ。彼女は、2歳の娘である瑠花ちゃんを既に保育園に預けている。ないとは限らない。
「それより、ドラゴン先生は、もっと怖いドラゴン先生に、どんなふうに怒られたの?」
人の不幸は蜜の味、とはいうが、少しぐらいは隠して欲しいものだ。ゲスな期待が丸見えだ。
「そんなに聞きたいかね。底意地の悪いお母さんだこと」
「結婚は人生の墓場、とはよく言ったものよ。母親ってのは、刺激が足りん! 刺激が!」
ここまで下品だと、本当にモンスターペアレントになっていないか、疑わしくなる。
「残念ながら、美玖の思うようなことにはなりませんでした〜」
「えっ、つまんな」
美玖がした期待は、私が想像した未来でもあった。クソガキ母に対応したのは、私の直属上司であるノーラさん、園長、そして私である。てっきり、私は、三人で頭を地面に擦り付けて平謝りするものだと思っていた。しかし、ノーラさんも園長も、毅然とした態度でクソガキ母の唾にまみれた言葉を、淡々と叩き落としたのだ。
私がクソガキに浴びせた言葉は、内容だけ見れば、「ご指導」の一環であり、私が怒っているように見えたのも、あくまでクソガキが悪いことをしたために、罪悪感からそう見えただけのこと。私が笑っていたことは、当のクソガキの証言があるので、疑いようもない。クソガキ母は、私がぬいぐるみを投げつけたようとしたことにも言及してきたが、それに関しては、ゾウさんのぬいぐるみをあらぬ方向に投げることで、ゾウさんの気持ちを考え、他人への共感を性を育む、という教育を施そうとした、という大胆な言い逃れをした。
結局、白い目で見られ始めたことに耐えかねたクソガキ母は、何の収穫もなくクソガキを置いたまま、肩を怒らせて帰っていたのだった。
「へえ〜、いい上司じゃん。普通だったら、春奈の頭なんて地面にめり込むぐらい下げさせようとするでしょ」
「正直、驚いたよ。私、あのお局さんに嫌われてると思ってたし。ちょっと、見る目変わったよね」
「ウチの上司に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいね」
そう吐き捨てると、美玖は鼻を鳴らす。
瑠花ちゃんが2歳になったことで、育休から復帰した美玖は、早々に上司から嫌がらせを受けているらしい。美玖の性格上、易々と引き下がらないので、大ごとに発展しかねないんだとか。
「まあ、その後、正座で三十分も説教食らったけどね」
やや間があってから、「んふふ」と抑えた笑いが聞こえた。
「ありがたい説教を受けて、心境の変化はあった?」
「ない。ついでに、後悔もない」
「あんたが一番、説教の甲斐がないクソガキじゃん」
2人で、ひとしきり笑うと、目の疲れが眠気になって襲ってきた。
時計を見ると、すでに22時を回っていた。週末で、一週間の疲れが溜まっているタイミングだ。名残惜しいが、切り上げる頃合いだろう。
「そろそろ、私は寝るわ。ありがとね、愚痴に付き合ってもらって」
「あ、ちょっと待った」
「なに? なんかあった?」
「なに言ってんのよ。同窓会よ、同窓会」
「あ〜、いつだっけ」
壁にかかっているカレンダーに目をやる。趣味の雑貨屋巡りで巡り合った、ノスタルジックな雰囲気のある一品だ。お気に入りのため、そのカレンダーにはスケジュールを書かない。だからと言って、スマホのカレンダーに予定を入れる習慣もないので、すっかり忘れていた。随分前に届いた案内状も、どこにいったのかわからない。
「金曜日。ちなみに、明日だからね」
「えっ、マジ? すぐじゃん」
「いい加減、ボンドのグループ、入りなって。伝書鳩するのも面倒なんだけど」
「ごめん、ごめん」
ボンドというのは、こちらの世界のSNSの一種で、メッセージアプリだ。3年B組のグループに招待されているが、入る気になれなかった。入ってしまうと、それに取り込まれて、窮屈になるような気がするのだ。連絡係になってもらっている美玖に悪いとは思っているが、踏ん切りはつかなかった。
「あんた、出席になってるって聞いたけど、行く気あるの?」
実は、あまり行く気はない。なにかしら理由をつけて、欠席しようか、などと考えていた。
「まあね〜」
「一応、こっちに来て10年っていう節目の年だし、駿太郎も、なるべくなら全員に来てほしいって熱く語ってたよ?」
私たち、北海道立幕坂西中学校3年B組の生徒は、10年前に異世界転移した。31人丸々、この世界に唐突に飛ばされた。飛ばされた先で待ち構えていた国王様によると、国を挙げての一大イベントだったらしく、精鋭の魔法使いが作り出した魔法陣で呼び出されたらしい。その目的が、ドラゴン退治だった。ちなみに、読書家の田上くんによると、小説では良くある話らしい。
企画、実行した国王曰く、ドラゴンはこの世界の理を司るため、理の中に生きる者は、理から抜けられないため、太刀打ちできないらしい。言うなれば、物語のキャラクターが物語を描く筆者を倒すことはできない、ということらしい。そのため、理の外である、異世界の私たちを召喚した。
ここで、問題が生じた。
異世界の人間、「異邦者」は、この世界に召喚された際に、何かしらの特殊能力が付与されることが多いらしい。そして、それは、国王たち召喚した側も、期待していた。しかし、調査の結果、31人のうち、それらしい特殊能力を習得している人間は、一人もいなかった。それどころか、識字率ならぬ識魔法率100%の世界に召喚されたにもかかわらず、私たちは魔法を使うことすらできなかったのだ。
国王の落胆ぶりはひどかったものの、タダでは起き上がらなかった。それまでの手間暇も鑑みると、骨折り損は納得できなかったようで、後々に特殊能力が開眼する可能性がある、という理由でこの世界へ留まるよう願い出てきたのだ。さらには、元の世界へ戻る方法も、ドラゴンを倒さなければならない、と言い始めた。幸い、我がクラスの委員長は頭の切れる人で、こちらに有利な条件を十分に引き出した上で、合意に至った。
そして、いつの間にか、10年の月日が流れていた。
「でもさ、ぶっちゃけた話、こっちに来て10年って、祝うようなことでもなくない? 同窓会って祝うのが主旨ではないんだろうけど、なんとなく、卒業10周年って意味合いがあるじゃん?」
「まあ、近況報告とか、そういうことしたいんでしょ。お墓参りも行くかもしれないって言ってたし」
お墓参り、というワードに言葉が詰まる。それを言われてしまうと、誘いを無碍に断るのも、悪い気がしてしまう。
31人のうち、8人が命を落としている。行方がわからない人間も数人いる。 8人が亡くなったのは、私たちがこちらに来てすぐに起きた大事件が関連している。
「それに、コーヘイも来るって言ってたし」
ほんの少しだけ、「行く」に傾いた天秤が、すぐに元に戻る。気が重い理由は、その洸平が大部分を占めているのだ。「いやあ、まあね〜」と言葉を濁していると、察した美玖が柔らかな受け皿を用意してくれる。
「まあ、あんたがどうしても行きたくないって言うなら、私からフォローしておくけどさ。でも、あんまり待たせるのも、コーヘイに悪いよ?」
半年ほど前、コーヘイに交際を申し込まれた。ほとんど、プロポーズみたいなものだったが、悩んだ挙句、保留にさせてもらっている。美玖の言う通り、煮え切らない態度を取り続けていることに、罪悪感は募っていた。
「私は別にいいと思うけどね。イケメンってわけじゃないけど、別にブサイクじゃないし、金は有り余るほどあるんだろうし、何より、強いって憧れるじゃん? まごうことなき優良物件だね」
「素直に気持ちは嬉しいんだけどね。お互い、長い付き合いでもあるから、まあ、気心もある程度は知れているし」
幕坂南小学校からエスカレーター式で上がっているので、第一印象は、小学一年生で済ませている。こちらに来てからも、複数人で遊びに出かけたり、2人霧の食事の誘いも何度か受けている。いつしか、好意には薄々気付いていたし、満更でもなかったが、いざ選択を迫られると、腰がひけてしまう。
「あのさ、春奈。念のために言っておくけど、恭介だけはダメだからね」
その名前が出るだけで、胸がチクリと痛んだ。
「中学時代、あんたが恭介に憧れてたのは知ってるけど、あいつだけは絶対ダメ。もう、別人だと思った方がいい。マジモンの犯罪者なんだからね?」
初恋の人を貶されると、ひどく悲しい気持ちになる。「わかってるって」と呟くと、電話の向こうで美玖がもどかしそうにするのを感じる。
美玖の言っていることが正しいことは、理解している。この世界で数々の罪を犯した彼を、様々な組織が追っている。歴史上、稀に見る凶悪な犯罪者、とさえ言われている。しかし、それでも、私が知っている彼は、人の痛みを笑うような人ではない。そして、私しか知らない彼が、きっとまだいるはずなのだ、と信じようとしてしまう。
「私だって、悪く言いたいわけじゃないけどさ。現に、あいつは悪いことしてるわけなんだから…その…春奈には、絶対ふさわしくない」
「うん」
心配をかけて申し訳ない気持ちと、大声で否定したい気持ちがせめぎ合い、頷くことしかできなかった。
「だから、これは忠告とかじゃなく、ただのお願い。春奈の親友のお願い。あいつを追いかけるのは、もうやめて。もう、あいつのことは忘れて」
美玖は、中学になってからの友人だが、生涯の親友だと確信している。だからこそ、言いにくいこともある。今までも、やんわりと恭介を否定することは言ってきたが、私の表情が曇るたびに、明言は避けてくれていた。それをはっきりと口にしたことには、彼女なりの心配の限界がきたということなのだろう。自分でさえ、いずれは彼の影を追って、どこかへ行ってしまうのではないか、と思ってしまうほどだった。それを、彼女も感じたのかも知れない。親友だからこそ、言いにくいことを言わせた、自分を恥じた。
10年と言う節目は、踏み出すには良い機会なのかも知れない。そう、自分に言い聞かせた。
「━━そうだね。じゃあ、行こうかな、明日」
安心したように小さな息を吐き出す音が電話の向こうから聞こえてしまった。思わず苦笑いがこぼれる。
「じゃあ、仕事終わりに連絡ちょうだい。一緒に行こ」
「うん。じゃあ、ほんとにもう寝るね。おやすみ」
「絶対、来なさいよ」
「わかってるって。ほら、瑠花ちゃんが泣いてるわよ。おやすみ」
スピーカーから耳を離し、通話を切る。美玖の「おやすみ」は、ほとんど届かなかった。もう、聞きたくなかった。
ベッドに倒れ込み、目を閉じる。瞼の裏に浮かぶ彼は、私に笑いかけてくれているような気がした。