火柱に縄
「このっ、!」
玩具さながらにスミスは水の勢いに巻かれる。魔術を扱う時間は充てられないまま、私から離れていく。その隙に乗じて、私は空に落ちる感覚を身に宿せば、膝を一度伸び縮みさせただけで背丈を遥かに超えた建物の上に軽々と飛び乗る跳躍力を得た。
「良かった……」
額に滲んだ冷や汗が、虚を突かれたことを物語る。動悸も幾らか早まっているのが分かり、微かに震える手の先を温めようと両手を揉んだ。危機を脱したことによる安堵と、西陽で重くなる目蓋によって、形ばかりの眠気を催した。倒錯した感覚の乱れを正すように、地面がめくり上がる異様な音が背後に迫った。私は忽ち正気を取り戻し、寸暇に後ろを振り返れば、間欠泉さながらの水飛沫を浴びる。
「お前、アニラじゃあねぇだろうなぁ!」
鬼の形相をぶら下げて宙に浮くスミスは、濡れそぼつ身体を差し置いて、聞き馴染みのない言葉を口にしながら私への私怨を発露させた。並々ならぬ執念を全身から醸すスミスの気炎は、私を丸ごと飲み込む勢いがある。よしんば捕まるようなことがあれば、命が尽きる瞬間まで「尊厳」という言葉を徹底的に踏み躙られ、跡形もない非人間的な肉塊へと変貌する未来が瞬く間に駆け抜けた。
バエル様の邪魔立てをする上で欠かせない人物の頭数に私は入っていると仮定し、ここで命を落とす計算はしていないだろう。ベレトの悪巧みを頓挫させるならば、好都合な展開と言える。しかし私は、易々と膝を折って両手を地面に着く真似はしない。最後の最後まで抗い、屈服に伸びる手が無慈悲に撥ね付けられたなら、私はそれを受け入れる。
「だから! 私はアンタのことなんか一ミリも知らないんだよ」
踵を返して逃げる算段はなく、正面切ってスミスと相対した。
「そうか! だが、魔術を使った以上、見て見ぬフリは出来ないぞ!」
掘り出された笑みの深さは、歯茎が剥き出しになるほどの強い感情の拠り所となり、野生動物に比類する威嚇めいたものが露わになる。頭から突っ込んでくるスミスの恐れを知らない突撃に、私の肝を潰したものの、直ぐに詠唱を口ずさみ、四つの火柱を横並びに発現させた。それはスミスを近付けさせない、障壁であると同時に、攻勢に出る足掛かりにもなっていた。生物は本能的に火を恐れる習性がある。人間もその根源的な恐怖からは逃れられないはずだが、スミスは知らぬ存ぜぬと突進を止めず、火柱をくぐり抜ける勢いがあった。私は、なりふり構わぬ人間の捨て鉢な行動は折り込み済みであった。
「?!」
火柱は縄のように柔軟性を獲得すると、スミスの身体に絡み付き、空気をしがんで業火へ姿を変える。火炙りに比肩する悍ましさから、眼前に起こして見せた私ですら、忌避するように距離を取った。無責任だと糾弾されても返す言葉は見つからない。それほどの惨事であり、うめき声が火の勢いに飲まれる激しさは、人を寄せ付けぬ熱気を帯びる。




