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これまでとこれから

「どこにもゆくあてがないのか?」


 おれが声を掛けると黒目だけがギョロリと動き、言葉を発した口元に訝しげな視線が向けられる。人気のない夜気が蔓延る街で、人が出歩く奇妙さも相まって、おれの存在はとりわけ奇異だろう。


「もし、身寄りがないなら、おれのところへくるか?」


 我ながら、邪な出自からくる誘いとしか思えない。だが、おれは心の底から女に施しまがいの良心を持って接している。それでも、女の瞳は肌を切りつける鋭さを有し、素性に本懐を値踏みしようと躍起になっている様子だった。


「一生をここで終えるつもりか? 腹を凹ませ、手足が動かなくなり、そのうち呼吸すら億劫になる」


 これから先に待っているであろう、薄暗い未来について語ると、女は目を伏せて、今にも泣き出しそうな肩の震えを催す。脅すつもりはなかった。しかし、末路を仔細にして、現在どのような状況にあるのかを語らねば、女は野垂れ死ぬだけである。それは本当に無意味で、無価値で、何も残らない。


「君が決めていい。ついて来たいなら、ついて来ればいい」


 そう言い残し、おれは歩き出す。程なくして、背後で女が立ち上がる気配を感じ取り、足を擦るような弱々しい歩行の音が聞こえて来た。どういう過程を経てあのような顛末に至ったのか。つぶさに傾聴し、咀嚼したい気持ちでいっぱいだったが、女の閉口を粗野に扱う軽薄な語り口で捲し立てるのは憚られ、単純な受け答えで済む問答に徹する。


「名前は?」


 根掘り葉掘り事情を聞く為の段取りを踏むには先ず、互いの名前を知るところから始めるのが最も適切だろう。


「アイ」


 女は、爪先で跳ねる雨粒のようにポツリと小さい声で答えた。この地に深い思い入れや根差した心の琴線はなかった。それでも、人口密度に比例する多種多様な人間模様は自身の尺度を測るのに大いに貢献し、出会いも少なからずあった。何物にも変え難い“経験”となって、人生の一部になったことは間違いない。しかし、背中に重くのしかかる因縁などを想定していたかと、問われれば「ない」と断言でき、ベレトが謀る計画の地として選ばれた瞬間、不覚にも点と点が繋がるかのような筆舌に尽くし難い感覚を覚えたのは事実だ。そしてその中心人物にアイがいることにおれは心打たれていた。期せずして拾った一人の命に、押し引きするだけの価値が生まれ、未来を占う敵情視察におれが選ばれた。これを毒見に近い役回りと損得を考え肩を堕落させるなど以ての外だ。おれ以上の適任はいない。これより、ウォードへ足を踏み入れさせてもらう。

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