ウォードの公爵
「イルマリン、お前の不安は全くもって問題外だ」
言質は得られたと賢しら顔をするビーマンに、あからさまな不満を口端や眉間に溜めるイルマリンは席から立ち上がる。
「寝るわ」
濛々と燃える暖炉の火は、薪をしがんで間もない。眠気を伝えるには些か早すぎる。おれに強く当たったせいで居心地を悪くし、二階の部屋へ身を引いたのだとしたら、申し訳なく思う。二階は各室を“アニラ”に属する者達で分け合っており、空室はもう片手で数えるほどしか残っていない。構成人数は、おれを加えて五人おり、部屋数に応じて人数を見越しているならば、イルマリンの執拗な嫌味も納得できた。半端者で一つ部屋を潰される義憤が、おれに強く当たる原因ならば。
魔術による窃盗は往々にして、強奪になりがちだ。まるで突風が吹き荒れるように、一週間に一度焼かれるパンを巻き上げる様は、人災を通り越して天災じみて、颯爽と店の外へ出て行くビーマンの背中を追っておれも走った。ブツブツと唱えた言葉は、身体を著しく軽くして、見上げるばかりで見下ろすことがなかった建物の屋上を、たった一度の跳躍で眼下に据えた。着地の際はほとんど音も鳴らない。自分の身体とは思えない風船さながらの軽々しさにおれは浮き足立って、宙で何度も足を回した。
「大丈夫か?」
間抜けな動作をビーマンは笑い、渦を巻いて空中に浮くパンの大群から一つを手に取って齧る。おれもその中に手を伸ばし、気恥ずかしさを紛らわそうとパンを拝借した。
「まぁまぁだね」
とりとめもなく味の感想を述べて嘲笑ぎみに吊り上がったビーマンの口端とやり合おうとするが、稚児の与太話を眺めるような慧眼の前にあえなく閉口するしかなかった。
「見ろよ」
パンを盗み出したのは、あくまでも腹ごなしの準備運動に過ぎず、ビーマンとおれは、不詳の建物の屋上で目を細くし、焦点を絞る。「刮目せよ!」と、大仰に言葉を繕うまでもなく、盗みに入る理由は簡単に説明できた。
広大な敷地を整然と囲う木々の枝や葉は、寸分違わぬ左右対称を目指して切り揃えられた優雅さを帯びていて、涙ぐましい庭師の仕事が語るに落ちる。ひいては、地面から顔を出して間もなく短く刈られた緑色の絨毯が、庭に隙間なく敷き詰められていた。つぶさに手入れが行き届く管理の様子が目に見えて分かる中、雨風に長らく晒されて歴史的背景を匂わせる屋敷が、神妙な面持ちとなって敷地の中央に鎮座している。魔術師と同等の社会的特権を与えられた貴族の中でも、十三の領地を王族に分け与えて公爵の身分を持つ者が一人、この街“ウォード”にいる。母の腹の中で命を付けた時点で成功は約束され、よしんば苦悩を吐露しようものなら、苦笑まじりに相槌を打ちつつ、腹中では「知ったことか」と悪態をつくだろう。




