悪知恵
一切の迷いがないイシュを止めようと思えば、進路に身を投げ出して事故さながらの光景を演じる必要がある。ただそれは、先導するイシュを追い越す為の速度が欠かせず、もし仮に実現出来るならアイのもとに駆け付けて守護すればいい。つまり、レラジェはこの場に於いて全くの無力であり、祈るように事態の行方を見守る他なかった。
アイも、そこらにいる有象無象とは違う。敵意を持って接近してくる人間に対して、いち早く臨戦態勢に入り、迎え撃つ為の魔術の詠唱を始めていた。スミスを見事に罠にかけ、瀕死の状態に追いやったアイからすれば、直情的に迫ってくる人間を追い払うことなど、造作もなかった。ただ、この二人の衝突をよく思わない存在は、レラジェ以外にもいた。
「まだ死ぬには早いぞ」
ウァサゴが流星よりも早い身のこなしで、イシュの敵意に蓋をする盾として、アイの目の前に颯爽と現れる。思いもよらぬ加勢にアイは目を丸くし言葉を失った。ただ、この目まぐるしい事態の変化に見とれたのは、何もアイだけではない。大火傷を負わされたスミスである。血で血を洗う死闘を繰り広げる最中に、期せずして視界の隅に入り込む、凡そ予期しないアイの姿を目にしたとなれば、反応せざるを得ない。
「?!」
一歩間違えれば致命傷に繋がる魔術のやりとりに心血を注いで、ひたすら眼前の敵役を見据えていれば、同等の熱量を求めてしまいがちだ。ビーマンのそんな心模様を断ち切るかのように、スミスが不意に行う余所見は、愚弄されたと感じてもおかしくなかった。カムラもまた、目の前の諍いに没頭し、高まる内圧から主観に深く依存するのは当然の流れである。だがしかし、カムラは至って平静だった。本来なら、ビーマンに加勢するほどの建前を所有しておらず、本懐は他にある。だからこそ、スミスが脈略もなく視線を外す根拠があると見て、その方角に目をやった。すると、「斥候」を大義名分に街へ足を踏み入れた自身の立場をそぞろに省みた。背中に悍ましさがひた走り、如何に愚かな行動を取ってしまったかについて、忽ち猛省し、ビーマンとの共闘から手を引いた。
「アイ……」
一人の女性を穴として渦を巻いた遠心力に、芋づる式に関係者一堂が会す。これら一連の出来事は、目の上のタンコブであるバエルらを誘引するつもりで企んだベレトの知恵によって、意図的に引き起こされたものである。だが、好機を見越して重い腰を上げたにも関わらず、物陰から上記の自体を注視するばかりで静観を決め込む。手を出せば火傷を負うと後ろ向きに腰が引けたベレトの額から、滝のように汗が流れ、頬から顎にかけて無数の轍を残す。あくまでも自分の安全を確保しながら、それぞれの影法師を指で追いかけながら数を把握しつつ、展開の行方にひたすら目を凝らす。まるでそれは、虫カゴの中に天敵同士を投入したかのような好奇心であり、バエルの野心に楯突く者とは思えない小心者の算段であった。




