道標
寝静まった首都の狂騒は、ベレトの耳と目にも入ってきており、明らかに魔術師という枠を超えた事象の起こりについて、知らぬ存ぜぬではいられなかった。
「これは……」
レラジェやバエルなどの悪魔の名を冠する存在を疑わざるを得ない。もし仮にそうだとすれば、息を潜めて静観することは愚の骨頂、間に割って入るような鬱然とした意気込みが求められる。これを独り占めすることはウァサゴに後ろから刺される危険が付き纏い、決して独断専行は許されなかった。しかし、憂慮は尽きない。ベッドの上で寝息を立てるウァサゴを起こす必要があったが、短い時間ながら共に過ごしたウァサゴの性質をいくつか知見として蓄えており、その中の一つに目覚めの悪さがあった。自発的に目を開け損ねた日は、終始口を閉ざし、不機嫌そうに鼻から息を吐き続ける。風見鶏のような気分の乱高下に振り回された方がまだマシだ。
「おい、起きろ」
燭台の蝋燭に火を灯し、ウァサゴの顔を照らす。眉根がそぞろにシワを作り、吸血鬼さながらに光源を嫌うような仕草を見せる。声を荒げて起こそうとすれば、取っ組み合いの喧嘩に発展することは目に見えている。なるべく柔和な語気を心掛け、ひたすら耳元で囁く様は、愚息に阿る母の姿を想起させる。
「んん」
声色に所作、全てに於いてウァサゴの機嫌を考慮した慎重な選択がなされ、気持ち良く起きてもらうことに気を払った。しかし、ウァサゴは蚊を払うように、右へ左へと寝返りを打って、老婆心ともいえるベレトの思いやりが粗野に跳ね返された。此方の世界に来て間もないウァサゴは、「適応」という言葉を度外視し、レラジェに固執するばかりだ。この世界で生涯を終える準備をまるでしていない。
「中村が来たぞ」
これはベレトの懐刀であり、出し抜けにその名前を口に出せば、必ずと言っていいほど機敏な反応を見せてきた。
「!」
もはや「中村」という名前自体に熱があり、それに触れたことによる反射でウァサゴは飛び起きたようだ。目の色を変えて周囲を見渡す姿から、レラジェに対する並々ならぬ因縁やそれに伴う感情の頸木が窺え、軽はずみにも刺激すれば首根っこを掴まれて血で血を洗う仲間割れを起こしかねない。ベレトは未だ、ウァサゴとの距離感を御しきれておらず、額に汗して関わっていた。
「……どこだ?」
蝋燭一本で照らされる部屋は、暗がりに包まれており、何かを捉えて認識しようと思うと夜目が欠かせない。起き抜けのウァサゴがどこを凝視しても、そこにあるのは闇の壁だけである。ただ、草の根を分けるように殺風景な木の床に、四角く縁取られた青白い月の光が鎮座マシマシ、水槽を想起させる小魚の影に酷似した“埃”が健やかに舞い散っている。ウァサゴの手綱を握るベレトは、自分の人差し指を蝋燭で照らし、見るべき方向を指し示した。
「そっちから見てみろ」
壁をくり抜いて外界との接点を作る窓にこそ、ウァサゴが探してやまない存在を眺められると暗に言った。




