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事の起こり

 女はぼくが踏み均す道の上を歩くだけの木偶の坊のように頭を垂らす。どれだけ振る舞いに脇の甘さが垣間見えようとも、それを看破する鋭い目付きは生まれないだろう。曲がり角を飛び出してぼくと接触した以上、ひとえに謝意を象るしかいのだ。小賢しい言葉や態度、女のポケットに手を忍ばせ、悠然とモノを盗むんだのも、決して目に入ることはない。


「それでは」


 自立を果たした女を置いて、ぼくは颯爽と颯爽と後腐れなく去った。月の存在がより大きく、眺めるには丁度いい時間になりつつあり、ぼくが生業とする“お仕事”の出番がもうじきやってくる。だがその前に、期せずして収穫があった。女との突発的な出会いが不埒な手を伸ばす起点となり、今こうして入り組んだ建物の脇道に逸れて、手中に収めたモノがどんな色や形をしているのかを確認しようとしている。


「ん?」


 それは墨を一滴垂らしたような深い紫色を帯び、加工を施す前の歪な原石としての形を成していた。これまでいくつもの装飾品を彩るモノは見てきたが、一際異質に映り、荒々しさを有しながらも典雅の趣がそこには確かにあって、見初めるのも無理がない。錯乱といって差し支えない女のポケットに入っていたとは驚きである。


「いいなァ、これ」


 モノに対する執着はさほどなく、手放すことに関して躊躇するような腹積りは、今まで一度も抱いたことがなかった。しかし今回に限って言えば、易々と人の手に渡るのが惜しいと初めて感じ、暖炉の前でテーブルを囲み催される露悪大会にて、鼻高々に披露する手筈が整ってしまった。ぼくは皆が待つ宿舎を目指して意気揚々とスキップ混じりに歩を進ませる。


 この街、ウォードに根を下ろし背信者として活動するきっかけは、棺桶に片足を突っ込んだ老生の飽くなき収集癖が極地に至ったことだ。人を金で買うことも少なくない老生にとって、モノを集めるという欲求は比類なく、生きている限り底を尽くことを知らない。金銭での譲渡は老生からすれば、飛び越えようと身を屈める必要がないほどハードルが低い。裕福な身持ちを余すことなく利用するのが、老生の処世術であり、何不自由はない。だがしかし、そのような人間は他にも幾らでも存在し、老生の目の上のタンコブであった。後生大事に所有していることによって生まれる付加価値や社会的体裁、個人が及ぼす計り知れない影響を鑑みれば、必ずしも金銭を介したモノの受け渡しが成立する訳ではない。故に、あらゆるモノを短い両腕を使って支配下に置いてきた老生の傲慢な口先から繰り出される口説き文句は、蠅を払うように排斥されたこともあった。喉から手が出るほど懇願して止まない一品を目の前にした時、老生は血が滲むほど腕に爪を立てて、悔しがり、後にも先にも見られないような嫉妬を湛える。そんな折に、老生は世話係である男に突飛な申し付けを行う。


「アレを盗ってきてもらえないか?」

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