丘の桜
時間は間もなく夕食の時間だ。アメリアは今日、王と王妃、第一王子、第一王子の婚約者イングリッド、第二王子と共に顔見せの晩餐を取ることになっている。晩餐のための衣装に着替えて益々美しさに磨きがかかり、こうして見るとアメリアはやはりヒロインだ。
私は部屋でお留守番かと思ったが、カーラに呼ばれアメリアの後について晩餐室へとお供をする。
晩餐室にはもうすでに第一王子とイングリッド、第二王子が座っている。第一王子は亜麻色の髪に緑色の目をしていて、第二王子とは雰囲気が異なり、柔らかい印象だ。
アメリアが晩餐室に入っていくと早速第二王子が立ち上がりアメリアをエスコートして席に座らせ、自分も隣に座る。
カーラと私は壁際に立ち後ろに控える。
やがて王と王妃が現れ、皆が立ち上がりアメリアの紹介がされる。アメリアは緊張しながらも挨拶をしカーテシーをしている。
もうこのままハッピーエンドでいいんじゃないだろうか。悪役は早々に捌けさせてほしい。
料理が運び込まれ、なぜか私が料理をサーブするように指示される。
私はワゴンから料理を取り王族の方々の前へ料理を置いていく。皆さまお召し物が大変高価であるため、とても緊張する。王妃は私がサーブすると、私を見て微笑んでくださる。下々の者にも気を配られる流石は王妃様だ。
なんとか並べ終えて後ろに下がろうとするが、アメリアがどのナイフから使うのか手を惑わせていたので、指で指し示し、外から順に使うように耳打ちする。
アメリアは嬉しそうに私を振り返り、ナイフを取ろうとして手が滑りナイフを落としそうになる。私は咄嗟にナイフを受け止め、新しいナイフを用意して手渡す。
また壁際に下がり食事の様子を眺める。アメリアは時々を音をさせているが、なんとか大丈夫だろう。
次の皿が来たので私がまたサーブしようとするが、第二王子が侍従に指示を出す。
侍従は流れるような動作で皿を並べていく。流石だ。先程は私がする必要はなかったのではないだろうか?
デザートを食べ終え暫し歓談の後、王と王妃が部屋へと戻られるのを見送る。アメリアは王と王妃に気に入ってもらえたようだ。ほっと一息つくと、第一王子とイングリッドも席を立つ。
第一王子は部屋を出る前に私と目が合うと、微笑んで部屋を出ていく。知らず知らず胸が高まる。第一王子を見送っていると、目の前に第二王子がやって来る。
「手を見せてみろ」
「手、ですか?」
「そうだ」
私は左手を広げて出す。
「右だ」
右手はさっきナイフを受け止めた時に切ってナプキンを巻いている。
「これくらい大丈夫です」
「いいから見せろ」
第二王子は私の右手を持ち上げるとナプキンを取り、傷を見ている。手の平に横一文字に傷が付いているがもう血は止まっている。アメリアも側に来て、私の手を見てまた泣きそうになっている。
王子が杖を出し私の手に当てると、杖の先が光り傷が塞がっていく。すぐに手の平からは傷が消えて無くなる。
傷や病気を治す魔法は非常に高度だ。もちろん私は使えない。ほとんどの人が生活に必要な魔法を使えるくらいだ。
「あ、ありがとうございます」
右手を握って開いてみる。もう痛みもない。こんな魔法が使えたら非常に便利だろう。
「もうナイフを手で受け止めようとするな」
そう言うと第二王子は部屋を出ていく。そうそうナイフを受け止めるシーンはないと思うが、アメリアといると無いとは言い切れない。
「メリッサ、ごめんなさいね」
アメリアが私の手を握って申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「もう治ったから大丈夫よ。それより、皆に気に入られたようで良かったわね」
「ええ、ありがとう」
カーラと共に三人で部屋へと戻る。アメリアの入浴の準備は別の侍女がしてくれるので、私はカーラと食堂で夕食を取る。夕食と言っても簡単なものだ。伯爵家で食べていた夕食とは雲泥の差がある。しかし前世の記憶を取り戻した身としては、立派な洋食定食だ。
「メリッサ様は噂とは違いますね」
向かいに座ったカーラが、私を見て言う。
「噂とは、どんな噂ですか?」
大体分かるが敢えて聞いてみたい。
「そうですね……我が儘で何も出来ない方なのかと」
カーラの言い淀みながらも歯に衣一つ着せぬ物言いに、逆に好感が持てる。
確かに記憶を取り戻す前の私は我が儘だった。こんな風にアメリアの為に侍女なんか絶対にしなかっただろう。今もしたくは無いが、斬罪を回避するためには背に腹は変えられない。
食事を終えると、私もお風呂に入らせてもらう。魔法で沸かしたお湯が溢れる湯船に浸かると、一日の疲れが取れていく。
のぼせ気味でお風呂を出るとアメリアの続き部屋へと入る。部屋は狭くベッドも私が今まで使っていたものより断然硬い。それでも今の私にはこの狭さと硬さが安心できるくらいだ。疲れもあってかすぐに眠りについた。
――
翌日も、夜明け前からお仕着せを着て侍女達が集まり本日の役割分担を決める。私は一日中アメリアに付き添って世話をする役割だ。他の侍女達は掃除やドレスの管理、食事の差配など仕事は多岐に渡る。
アメリアの本日の予定は午前に王子と馬車で出かけるらしい。当然私も付いていくことになる。
アメリアは飾りの少ないドレスを着て日除けの帽子を被っている。私は変わらず侍女服だ。
王宮の入り口で待っていると馬車がやってくる。昨日と同じように王子と護衛騎士、アメリア、私で馬車に乗り込む。
護衛騎士は私と同じ伯爵家の出自の次男坊で、名前はカーティスというらしい。
王宮の門を抜けると王都を駆けていく。
「カーティス様、今日はどこへ行くのですか?」
前に座るカーティスに聞く。
「王都の西の森に行きます。とても綺麗な丘があるんですよ」
「そこなら知っています。子供の頃によく行きましたから」
「そうなんですか。今なら桜が満開でしょう」
日本のコミックだからだろう、この世界にも桜がある。私は子供の頃、母と二人で西の森の近くに住んでいたので、よく一人で桜を見に西の森の丘へ行っていた。まだ思い出してはいなかったが、多分前世の思い出が桜を見に行かせていたのだろう。
森の中の道を抜けて馬車を一旦降り、開けた丘を登って行く。春の爽やかな風が吹き抜け、丘の周りには桜の木が立ち並びもう満開になっている。
王子はアメリアをエスコートしながら桜の木の下を歩いていく。私とカーティスも少し離れてその後を付いていく。
子どもの時以来だからここに来るのも六年ぶりだ。下から見上げると枝の間から日の光が漏れている。薄い桃色の花と黒い木の色の対比がとても綺麗だ。時折、風に吹かれて花びらが舞い降りてくる。
「付いてますよ」
カーティスが笑いながら私の頭についた花びらを取ってくれる。
「カーティス様も」
私も背伸びをしてカーティスの頭についた花びらを取る。
「ありがとうございます」
二人で笑い合っていると、王子がこちらへやって来る。
「早く来い」
折角、桜を見に来たのだからゆっくり見たらいいのに、王子はまたさっさと歩いて行ってしまう。慌てて後を追っていると、
「あっ」
突風が吹いてアメリアの帽子が飛ばされてしまい、木の枝に引っかかってしまう。カーティスが枝に飛び上がって取ろうとするが後少し届かない。
「私を抱えてもらえますか?」
カーティスに抱え上げてもらえば取れるだろう。
両手を上げてカーティスに抱えてもらおうと待っていると、突然後ろから腰を抱き上げられる。
驚いて振り返ると王子が不機嫌そうな顔をして私を見ている。
「早く取れ」
「は、はい」
手が届くようになって帽子を取ると、地面にそっと下ろしてくれる。
「あ、ありがとうございます」
王子に礼を言ってから、帽子をアメリアに被せて顎紐をキュッと括る。アメリアは楽しげに私を見て笑っている。
そこはやきもちを焼くところじゃないの?アメリアは元来おっとりし過ぎていて、これから王子妃としてやっていけるのか心配だ。
丘の上に戻ると他にも親子連れで桜を見に来ている人がいる。兄妹だろう、二人は蝶を追いかけて丘を駆け回っている。
その様子を見ながら、私は子供の頃にここで男の子と出会ったのを思い出す。
黒髪に黒色の目をした初めて会った子だったが、すぐに意気投合して一日中遊んで楽しかった思い出がある。別れる時にプロポーズされて魔法契約の真似事までした。思えばあれが私の初恋だった。
私はその後すぐに父の邸に引き取られたので、その子とはそれ以来会えていない。名前は確かヴィンスと言っていた。父に聞いてみたが同じ年頃の貴族では心当たりはないと言われた。
あの子は今どうしているのだろう。今会っても分からないかもしれないが、もう一度会ってみたい。
「殿下、そろそろ戻りましょう」
人が増え始めカーティスが王子に声をかける。
王子が頷くと、皆で馬車へと戻り乗り込む。
「何か思い出していたのか?」
「はい?」
「さっき、考え事をしていただろう」
馬車が動き出すとすぐに、王子が私に話しかけてくる。
「はい。子どもの頃の事を思い出していました」
「どんな思い出だ」
王子はまた聞いてくる。どうしてそんなことに関心があるのだろう。
「子どもの時にあの丘で男の子と遊んだのです。とても楽しかったのを思い出しました」
「そうか」
王子は満足そうに頷くと窓の外を眺めた。