02 新たな人生の始まり
初めは空に見えた。だが頭上に揺らめく青色は月に照らされて青く光る水面である事に気が付いた。
体中に感じる苦痛に身もだえし慌てて上体を起こす。
――途端、肺に溜まった川の水を河原にぶちまけ内臓にまで至る激痛と手足のしびれ、鼻の奥に刺すような痛みに襲われた。
手足の筋肉が冷えたゴムのように固まっており胴体を引きずるように川から這い出し、うずくまる事十数分。
血液が体中に十分にわたり、芋虫状態だった体勢から河原の岩にもたれかかるように座る事ができた。
痺れたような痛みのある右肩へそっと指先で鎖骨をなぞるように触れると、皮膚の上からでも鎖骨の途中から陥没し変形しているのがわかった。大きな外傷は右鎖骨骨折と後頭部のコブだけのようだ。
「ここはどこだろう…」
周囲を見渡すと深い木々に囲まれた小川であるという事しかわからない。
先ほど肺から噴き出した水の量に冷えて硬直した筋肉と体、急な血液の循環による全身の血管から来る痺れと刺すような痛み、壊死しかけて激痛を感じた内臓。どうやらこの体はついさっき溺れ死んだようだ。
「車道に飛び出した由美をかばった後、私どうなったんだっけ…」
体力が回復するまでの時間、少しずつ記憶を遡ることにした。
車道に投げ出され死を感じた瞬間、気が付くとまばゆいほどの光を反射する神殿のような建物の中にいた。
「気が付かれましたか?」
目の前には長い髪を揺らめかせ白く神々しい衣をまとった女性がこちらを見ていた。
その女性は口を開く事無く話しかけてくる。
「あなたは先ほど一つの人生に終わりを迎えました、そしてここから二度目の人生を迎えます」
「もしかしてそれってアニメや小説に出てくるような異世界転生を私がするという事ですね?」
さすがに普段からライトノベルを読んでいるだけあってこの流れは読みやすい、というか期待を抑えられず先走り、おそらくこの転生の女神様であろう人のセリフを奪ってしまったかもしれない。
そう彼女が考えていると女神は続けて話しかけてきた。
「あなたにはこれから以前生きていた世界とは異なる世界で新たな人生を歩んでいただきます。こちらへどうぞ――。」
さすが転生の女神様だ。まるでマニュアルを読むかのように淡々と話を進める、慣れたものだ。
彼女はそう感心しつつ、促されるまま女神の後に続き神殿の奥へと進む、女神は常に宙に浮いており風にあおられたテルテル坊主のようにゆらゆらと進む、神殿の奥には見慣れた玩具販売機があった。
「これは!巨大なガチャガチャ!?」
「この神具によって次にあなたが転生する肉体の能力が決まります。あなたがこれから転生する世界には魔物や魔王の配下等、危険な敵がたくさんおりますので今後のあなたの運命を左右する大切な儀式となります」
神具というのは間違いなくこの巨大なガチャガチャの事だろう。まるでスマートフォンのソーシャルゲームの初回ガチャのようだ、現代人に勝手が分かりやすいようにこんな形状をしているのだろうか。彼女はそう考えながらぼんやりとその見慣れた機械を見上げた。
「この神具で与えられる肉体の能力は七つのレアリティーに分かれております。レアリティーの低い順からコモン、レア、ハイパーレア、スーパーレア、スーパースペシャルレア、アルティメットレア、レジェンドレアとなっております。」
「ソシャゲだ・・・」
まるでこの女神は現代のゲームに出てくるNPCのようだ。
それもゲーム序盤で遊び方を教えてくれるチュートリアル用のキャラクターのような。
先ほどから会話という会話も出来ず、一方的に話を進めてくる態度もそう思わせる要因なのかもしれないが現代人の職業でいうところの御役所仕事って感じなのだろうか。
そんな事を考えている間にも女神はてきぱきと説明を行う。
「高レアリティーであるアルティメットレア、レジェンドレア、この二つを除いたその他のレアリティーを授かった場合0歳児から新たな人生が始まります」
「高レアリティーが出たら0歳からのスタートではないという事ですか?」
「アルティメットレアの場合15歳でどこかの王国の勇者として召喚されます。新たな世界での成人年齢は16歳、すぐに冒険が始められるという事です。最もレアリティーの高いレジェンドレアの場合見た目や性別、年齢に至るまで全て自身で選択し転生できます。」
「レジェンドレアはゲームのアバターを作るような感覚で新たな人生をスタートできるってことか…出来れば次の人生は能力値ハイスペックなイケメンとして生まれたいものだ」
その後の女神による説明を思い返そうとした時だった。河原から数十メートル離れた先で茂みを何かがかき分けて進んでくる音に驚き、体温の戻ってきた膝が脊髄反射で大きくはねた。同時に体温上昇とともに痛覚も戻ってきており骨折の痛みと腫れが強くなっている事に気が付く。
「そういえば女神さまが魔物や魔王の配下がこの世界にいるって言ってたっけ。そうでなくてもここは異世界だ。肉食の動植物がいてもおかしくない、せめて折れてる肩を固定しないと」
見上げると川の向こう岸は反り立った高い崖になっている。
「さすがにあの崖から落ちてきたのなら骨折じゃすまないよね。一体この体の元の主はどうしてこんなところで溺れていたんだろう…上流から流されてきたのかな」
川の流れは緩やかで月明かりに照らされ水面には自分の顔が映し出されていた。川から這い出た時、横目に見えていた髪の毛が白髪だったため初めは老婆の体に転生したのかと思ったが水面に映し出された姿は年の頃10歳前後の少女の姿だった。
川の泥で少し汚れた藍色のゴシック風のドレスは高貴な印象があり、多少身分の良い家の子だったのだろう。
白髪に見えた髪の毛は少し水色がかっており前髪の一部が桃色のメッシュのようになっている。そして頭頂部には現代で見慣れた猫科の白い耳が生えていた。
「おうっ!?ねこみみ!?」
水面に映った自身の愛くるしい姿に目を丸くし、骨折している右肩をかばっていた左手をそっと頭に移動させる。
「頭からはえてる…」
川の水で少し湿っているその猫耳は、つけ耳等ではなく紛れもない自身の体の一部だった。加えて髪で隠れていたが人間の耳もちゃんと付いているという事も確認した。猫耳は音が聞こえるという表現よりもソナーのように周囲の反響音を事細かに拾え、茂みをかき分けてくる何かが二足歩行で進んでくる事まで分かった。
追跡者から距離を取る為、更にこの転生した体が何処の誰でなぜ死に至ったのか探るため骨折した右の鎖骨をかばいつつ川の上流へと向かった。