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断崖への旅路10(開通)

 

 聳え立つ大いなる地殻

 地殻を駆け上る湿り気を帯びた風

 風に揺れる断崖の森

 森の一つで世界を見渡す一人の騎士



 ■コークリットの視点



 ああ、身が引き締まるな、この冷たい風は……

 空間を冷やす寒気そのものと思える風が、重く硬い地殻の絶崖を駆け上って俺の髪をかき上げる。


「ふぅ、高いところまで来たなあ」

 大いなる地殻を見上げれば、あと数百メートルでリートの大地に届くといったところか……俺一人なら飛翔脚で簡単に登りきれる距離だ。しないけど。上空では冷たい風をものともせず、猛禽類や翼を持つ魔獣類が空を旋回して獲物を探している。


 魔獣類は俺を見てはいるが、襲い掛かっては来ない。

 恐らくは、見慣れぬ獲物を狙うよりもいつも襲っている獲物の方が慣れているし美味いからだろう。そう思って周囲を見れば、断崖絶壁のそこかしこに草食獣が移動している。

 地殻の壁面には沢山の棚地があって、実を成らせる樹木が森を形成している。それは正に空中庭園と言えよう。上へ登るごとに樹木の勢いが強くなっている気さえする。その空中庭園には多くの草食獣が分布していて、庭園から庭園へと移動する動物の子供を狙うようだな。


「心地いい瀑布の音だな」

 轟音に視線を落とすと、相変わらず壮大な瀑布が白煙を上げて落ちている。

 壮大だ。見下ろす階段状の瀑布は一段一段の階層で微妙に流れ落ちる向きを変えながら落ちていることが分かる。そう、下から見上げたとき、上が見えなかった理由がこれだ。きっと何千年、何万年という時をかけて瀑布が削ってきた証なんだろう。

 凄いなあ。

 この途方もない歳月の流れの中で、俺という存在がこの地にいたという記憶をこの断崖は覚えてくれるだろうか……


 俺は岩に腰掛けながら、そんなことを思う。

 ふふ、感傷的か?

 はあ、こんな壮大な空間にいたら、何とも感慨深げな気分になってくるよな。


「はあぁーー」

「ははは。神殿騎士殿、何をたそがれておられるんですか?」

 ディアオロスの女戦士アグリッピナがいつの間にか近くにいてちょっと驚かされる。おお、どっから来た? ああ、どうやら道なき断崖を下から跳び上がって来たようだ。さすが鹿の健脚だ。

 ああ、しかし本当に美しいな。

 もちろん顔や髪もそうだが、鹿の足がスラっとして美しい。機能美ってものだろうか? まさに断崖の国に生きるための機能美としての鹿の足。毛並みも艶やかで……この美しい足があるから、道なき断崖を登れるんだな。と俺はふとシスの怒った顔を思い出す。

 これか? 彼女の言う「やらしい目」っていうのは。女性の肢体を見て美しいと思うこの心がそう謂わしめるのか?


「神殿騎士殿?」

「ああ、すまない。そうそう、たそがれてた。大いなる自然の中に身を置くことで、小さく生きていた自分が強調されて」

「なるほどですね!」

 そう、壮大で泰然とした自然は、揺らぐことなく多くの生命を育み、安定させる。

 対して小さな俺は、少しのことで揺らぎ哀しみ、怒り、動揺する。弱いものだ。そんな話をすると……


「ははは! 神殿騎士殿で『弱い』などと言ったら、世の中の生物の大半が弱くなるんじゃないですか?」 屈託なく笑う。良い笑顔だ。

「ふふ。弱さ強さにも色々あるからね」

 例えばシスだ。

 彼女は、いや彼女の優しい心はとても強いものだと思う。美しいものだと思う。そう話すとアグリッピナは大きく頷き、ああ、と言った。


「そうだ神殿騎士殿! そのシスに用事を頼まれていたんです!」

「うん? 何を?」

「まったく! 私はすぐ気になった目先のことばかりに気を取られてしまって! 大事なことを忘れていけない!」

「いいからいいから。で何を?」

「シスからこのお弁当を届けて欲しいと頼まれていて!」

 彼女は背負子をまさぐると、中からお弁当を出した。大笹で包まれた大きなお弁当だ。おお~、いい匂い! じゃなくて!


「ええ? また弁当を? 安静にしていろと言ったのに」

「ははは『 安静にしたいから作るんだ 』と言ってきかないでした!」

「?」

「皆の食事を作ることで安心して横になれるから、と!」

 アグリッピナはシスの言葉を続けたので、俺はその様子が頭に浮かび眉間に指を当てこうべを振る。


「はぁ。まったく」

「芯が強いですね!」

「いや、強情とか、頑固とかだよ」

「まさか! 一途で、一生懸命なんだと思います!」

「ああ……」

 確かにな、と思った。

 彼女は純真一途で一生懸命だから……死ぬ寸前まで、自分の血を薬として多くの獣人たちに用いていたんだ。結果、血を使いすぎて一週間以上立ち上がれず、蒼白で痛々しいほどやつれて……

 もう、あんなシスは見たくないんだ。彼女には元気で、笑顔でいて欲しい。


「シスと神殿騎士殿のお陰で、沢山の仲間が救われたので……その恩人のシスが! 神殿騎士殿たちの食事を作りたいと涙目で言われたら、叶えさせて上げたいです!」

 アグリッピナはシスとかなり仲良くなったようで、無茶苦茶甘やかしている。


「はぁ……」

 俺は複雑な心境にモヤモヤした。心配と呆れとそして喜び。そう喜び。シスの料理が食べられるのはやっぱり嬉しいから、何とも複雑な気持ちになる。そう話すと彼女は笑って。


「ならば、喜んでおけばいいんだと思います!」

「くく。うんうん」

 まあ、シスもだいぶ回復して来たっぽいしな。

 センチピードヒドラの襲来から、早くも三週間経とうとしている。何人もの獣人が亡くなったが、何とか助かった命もあった。それはシスのお陰であるところが大きい。特に酷かったのはテルメルクだったが……


「おお~い! アグ姉ちゃん!」

 そのテルメルクの声が斜め下の棚地から聞こえてくる。斜め下の棚地からこの棚地まで、蔓草の橋が架かっていて、馬体に荷物を括り付けたテルメルクがえっちらおっちらやって来る。


「酷いよアグ姉ちゃん! 僕を忘れて崖を登って行っちゃうんだもん!」

「ああ! すまないです! シスのお願いを何としても叶えて上げたい! と思ったら、また他のことを忘れてしまい! 私はいつもこうなのです!」

「全くもう! 酷いよ!」

 くく。逆に凄いよなあ、ここまで一つのことに注力するってのは。テルは何とかやって来ると俺の前で荷物を下ろす。


「神殿騎士様! スープもあるんだ! シス姉ちゃんのだよ!」

「おお~! いいね。ところでテルは体調大丈夫か?」

「でしし、全快だよ!」

 テルは胸をそびやかす。うん、元気がありあまってるな。

 今でこそ何事もなかったように見えるが、テルは本当に酷い状態だっだ。ムカデの体当たりを食らったテルは、馬体の肋骨が何本も折れて内臓に突き刺さっていた。

 それは結構厄介なことで、刺さったまま癒しの魔法をかけても、内臓から骨が抜けることはないので、体を切り開いて内臓に刺さった骨を取り除き、聖魔法で修復して……大変だった。

 霊力が空に近かったから出来る限りの最大限で治して。助かってよかった。


「ハルさんとローレン兄ちゃんは?」

「二人ならあそこだね」

 俺は断崖絶壁を指し示す。

 そこには棚地と棚地の中間地点で何人かの人影がある。その人影は獣人で、断崖に垂直に杭を打っている。棚地と棚地の間の杭は大体十メートル間隔だろうか、途中まで蔓草の橋が架かっていてローレンがディアオロスたちに指示している。ハルさんは棚地で杭を何本も持っているな。

 よく見ると棚地から棚地のそこかしこに橋が架かっていて、リートの大断崖上まであと数十メートルというところまで来ている。

 そう、当初は岩壁を削って道を作ろうとしたけれど、それだと労力がかかり二ヶ月以上必要になることと、魔獣が容易に降りて来られる可能性が危惧されて。

 そこで吊り橋方式にした。

 吊り橋方式なら杭を打ち付ける程度で後は精霊魔法で橋を作るだけで済むうえ、もし魔獣が降りてきても橋を断ったり燃やしたりすれば簡単に分断できるということになって。場所によっては可動式の跳ね橋のようになっているところもある!

 恐らく、数日後にはリートの大断崖上に到達できるだろう!

 凄いぞ! 本当に精霊魔法は凄い!

 ちなみに俺は色々な作業現場の中心にいて、どこへでも駆けつけられるようにしているんだ!


「ふーむ、ローレン殿は相変わらず線が細くていいです!」

 アグリッピナは腕を組んで何度も頷く。くく、どうやら華奢な男性が好みのようだ。

 どうもディアオロスに男性はめったに生まれず、生まれても華奢で短命なので女性たちで守っているそうだ。ローレンの線の細さがディアオロスの男性を彷彿させるらしい。


「でしし、他にもスラン兄ちゃんっていうシス姉ちゃんの双子の弟さんもいるよ。その人も負けず劣らず線が細くてカッコイイよ」

「ほほう! それは楽しみです! シスの男性版ですね?」

「でしし、でもスラン兄ちゃんにはアル姉ちゃんという相思相愛の人がいるからね!」

「ぬう、そうなのですか!」

 アグリッピナは残念そうにしている。俺は思わず「くっ」と苦笑するとわずかに目元と頬が動いた気がした。おお、やったぞ! 意識せず軽口に乗るのが良いかもしれない!


「おいお~い。それを言うなら、ローレンとシスだってそうなんだから、ちょっとは配慮しないと」

「「え?」」

 俺の軽口に、テルとアグリッピナは同時に俺を見た。その顔は怪訝そのもので。

 あ、あれ? 俺の軽口、おかしかったか? 意識しないようにするあまり、逆に不自然だったとか? 途端に不安になる。


「あ、俺の軽口、変だった? 意識せず言ったつもりだけど」

「「え?」」

「まだ、軽口は早いか……」

「「え?」」

 テルとアグリッピナは互いに顔を見合せ妙な沈黙が流れる。するとアグリッピナがテルに。


「発言の内容をオカシイと思うのではなく、口調がオカシイと考えているようですね」

「うん、僕もそう感じた」

「つまりあの発言は冗談とかではなく、本心だと」

「うん、僕も思った」

 二人は呆れたような白い目で俺を見た。ちょっ、待てこら!


「な、何だよ! あの二人の息のあった掛け合い見てるだろ? 絆が強い証拠だし!」

 それにシスはローレンの前では自然体で、気兼ねのない素の状態じゃないか、と続けたらテルが大袈裟にため息をついた。お前、この野郎!


「男女間はそんな単純じゃないんだよ」

「おまっ、子供のっ、お前に、何がっ!」

「テル君。端から見るとシスは非常に分かりやすいですが、もしかして彼は?」

「うん、そうだね。よもやよもやだ」

「病気なのではないですか?」

「可能性も……」

 な、何だ!? 眉が凄いハの字で、というか憐れみ? を感じる!


「な、何だよ! そんな可哀想なものを見る目で!」

「『 可哀想なのはシス 』と思うのは私だけでしょうか?」

「いや、僕もそう思うよ」

 そのまま二人は俺をチラチラ見ながら、上にいる獣人たちの食事を届けに行ってしまった!


「何なんだよ!」

 何なんだよ! ふざけんなよ、この野郎が!

 俺は釈然としなくて腹が立ったが、何とも良い匂いに癒される。そう、シスのお弁当だ。匂いを吸い込むとお腹が空いてきたので、気持ちを切り替えようと弁当をいただくことにした。包みを開けると途端に美味そうないい匂いが辺りに充満して、不愉快な気持ちが完全に塗り替えられる。

 ああー、やっぱりシスの手料理はそういう効果があるよなあ。


「ふふ。いただきます!」

 絶景を望みながら食べる昼食は! 実に美味い! 美味すぎる! 何でこんなに料理上手なんだ!? いいなあ! やっぱり喜ぼう! そしてこれからも彼女の食事を食べたい!

 大絶景、大観望に目を奪われながら食べる美味しい食事に俺は心底癒され、心と腹を満たす。いいわ、これ。爽快爽快。俺は生涯、この大絶景を忘れないぞ!


 そんな護衛兼見張りを繰り返すこと早五日。

 空からの魔獣を撃退したり、断崖上からの魔獣を撃退したりで、ついにこの日を迎える。

 つまり、断崖上へのルート完成の日だ!


 青空が綺麗で、白い綿雲がゆっくり流れていくようなちょっと肌寒いその日。

 ワクワクしながら、先で作業するローレンやディアオロスたちを見つめる。むう、ローレンはもう女性たちに熱い視線を貰っていて凄いな! こんなところシスが見たらヤキモチを妬くんじゃないだろうか。と思っていたら。


「コックリ!」

「神殿騎士殿」

 後ろから呼ばれて振り返れば、そこには壊れそうなほど華奢なシスとアグリッピナが!

 ええ!? シス!? 体調がまだ万全じゃないのに来たのか!? 俺はシスに駆け寄る。


「ど、どうした? 大丈夫なのか、こんなところまで来て」

「ふぅ、ふぅ~。リハビリがてら来ちゃった。うふふ、今日が完成なんだもんね?」

 彼女はアグリッピナに支えられながら緩んだ笑顔を見せる。俺も彼女を支えようとしたけれど、触っていいものかどうかわからず、オロオロしてしまった。


「ああ、そうだが……ええ? リハビリがてらって、まさか歩いて登ってきたのか?」

「ふぅ~、もちろん! うふふ、涼しいねぇ」

 汗をかいたシスは僅かに頬がこけているものの、血色はいい。ツルっとした額も可愛くて。でも血液を使い過ぎることでその濃度が薄まり、疲れやすくなっているようなので、あまり動かないでほしかったんだが。ましてや汗をかくことも……俺はすぐに水を飲ませて滋養強壮の薬を飲ませる。


「ぷはぁ~~、生き返る~~」

 輝くような明るい笑顔に俺は胸がドキリとするが、同時に心配で胸がモヤモヤする。

 骨折とか肉体の切断とかじゃないから、あまり動かない方がいいんだよ。


「緩やかとはいえ登りで十数キロあったはず。せめて馬か何かで来ればいいのに」

「もう~~、それじゃリハビリにならないもん」

「リハビリよりも、安静にしてほしかったな!」

 俺が強く言ったら、彼女は途端に悲しい表情でシュンとしてしまった。ああ、ヤバイヤバイ!

 と、突然シスは「あわわ」と前につんのめる。俺は慌てて彼女を支えた。


「危ない! ほら、やっぱり足腰が立たなくなってるんだ」

「ち、違っ、今アグが! 背を」

「むう! 戦士たちがローレンに群がっています! 私も!」

 そういうと、アグリッピナは一目散に走って行く。

 くく、っと笑おうとして、俺はハッとした。シスがヤキモチを妬くんじゃないか!?

 ヤバイと思ってシスを見たら、彼女はうつむいたまま俺の胸に頭をつけている。ピクリとも動かないぞ!?


「え!? だ、大丈夫か!?」

 俺は彼女の容態を診ようとしたら、彼女は頭をフルフルして容態を診させようとしないばかりか、小さくなって俺の胸によりすがってくる。あれ!? 頭から湯気が!? ええ!? いい香り! 樹木のアロマオイルの癒される香りが、っじゃなくて!


「ちょ! 具合が悪いのか!?」

 なおもフルフル頭を振るシスを引き離そうとすると、彼女は俺の服を握りしめて離れようとしない! 凄い呼吸が荒いぞ!? 過呼吸!? あれ!? そんな彼女は初めてで俺は気が気じゃなくなる!


「おい、シス!?」

 これは重症なんじゃ!? 俺は心配で膝から抱き抱えようと体を曲げると彼女は頭を振り、抱き抱えられまいと体をねじる。何でだ!?


「シス? このままで大丈夫なのか? このままが楽なのか!?」

 そう訊くと彼女はすがりついたまま、コクコクと頷く。

 顔が見えないから分からない。だが、とりあえずは大丈夫なのかもしれない。

 少しでも彼女の状態を知ろうと変化に注意すると、美しいうなじから首の付け根まで赤く染まっていて、長い耳も赤く色づいている。俺の胸にすがりつく細い指先も何もかもが赤く、全体的に熱っぽい。そう、彼女は隙間を空けることなくピタリと体を寄せているので、凄い熱が伝わってくる。雪を思わせるほどの白さを持つ彼女からは想像できないほど赤くて熱い!


「無理したから、熱が出たんじゃないのか?」

 背中に手を回して支えようとしたら、彼女はヒュッと息を飲んで身を硬くした。熱い! 体が! でも体の熱さに反して体は震えていて、も、もしかして熱で寒気を感じているのかも? 膝がカクカクし始めて、立っているのが精いっぱいだ!


「わ、分かった! 分かった、少し座ろう。な? このままでいいから!」

 彼女はコクコクと頷く。

 俺は彼女を胸に抱きしめたまま、慎重に慎重に彼女を切り株に腰掛けさせる。俺は片膝をついた状態で聖魔法を使うタイミングを見極める。悪化したら熱を下げる魔法を使うべきだろうが、それとも今だろうか? でも俺は魔法を躊躇う。


「苦しくない?」

 彼女はコクコクと頷く。とりあえず大丈夫なようで俺は安堵のため息をつく。

 でも相変わらず彼女は呼吸が荒く、早くて浅い。ええ、大丈夫か? 心配で小さな小さな背中をさすってあげると、彼女はビクンビクンとし始めた。け、痙攣!? だ、大丈夫か!?


「き、気持ち悪い? さすられるの嫌?」

 小さいままのシスは俺の胸でフルフルと頭を振る。続けるか聞くと、彼女はコクコクと頷く。

 背をさすりながら俺はふと思い出した。


「ああ、逆だね……あの時と」

 俺が彼女の胸で泣き腫らして眠ってしまった時と……彼女は俺の頭をなでてくれたっけな。そうだ、凄く気持ちよくて安心できたんだ。誰かに暖かく抱きしめられて頭を撫でられるなんてなかったから本当に安らぎが心地よくて……俺も彼女の小さな頭に手を添えた。何て小さいんだ……俺の手がデカすぎるというのもあるが……


「辛かったら、眠っていいからね」

 俺は苦しむ彼女にできるだけ耳元で囁くと、彼女の頭を優しく撫でた。安心できるといいな……あの夜の俺のように。

 ああ、何て艶やかで滑らかな手触りなんだろう。極上のシルクの手触りだ。スルスルとした指通りが心地よくて、何度でも撫でたい気持ちにさせる。いやいや、俺の心地よさのためじゃだめだ、彼女に心地よさを感じてもらわなくては……


「大丈夫……大丈夫」

 と、彼女は大きく大きく息を吸い込んだ。よし、呼吸が浅くて早かったから、大きく吸い込めたな。

 しかし彼女は次の時には、吸い込んだ息を全て吐き出しながら全身の力が抜け、溶けるようにヘナリと横にしなだれ落ちる。


「シス……!?」

 ああ、完全に意識を失ってしまった……やっぱり辛かったんだな。

 気道確保で仰向けにして、俺の腕を枕代わりにしてあげると、彼女は熱に浮かされた赤い顔で、可哀想に目からは涙がポロポロと……ああゴメンね。やっぱり魔法を使ってあげるべきだったか……

 俺は片手でハンカチ取り出し、湧き水で冷やすと彼女の可愛い額にかける。何度も冷やしては変え、冷やしては変えて。


「しっかり……」

 その時、後ろの方からはワアーッという歓声があがる。どうやら開通したようだ。断崖上へのルートが。

 だが、あんなに心待ちにワクワクしていた開通よりも、俺はシスの容態の方に心のすべてが置き換わっていた。


「……」

 彼女の美しい寝顔を見て、思う。

 シスを守って上げたい。助けて上げたい。

 でも俺は今、相反する思いに葛藤する。

 容態の悪い彼女を魔法で癒すべきなのに、魔法で治すべきなのに……こうして彼女を抱き寄せて、彼女に触れていたいんだ。彼女の体温を感じて、寝顔を見つめながら髪や体から香る樹木の匂いを感じていたいんだ。


「っっ!」

 そうか……俺は唐突に理解した。


 俺はシスのことが……


 俺は自分の気持ちに愕然とする。

 いつの間に俺は……いつの間にか、俺は……

 胸がギュッと締め付けられる。


「……」

 でも、考えるとそれはダメだ。きっとダメだ。

 結ばれることはない。いや結ばれてはならない。

 なぜならば……


「……」

 いや、今はよそう。今は……

 彼女の寝顔を見つめて思う。


 空に近いリートの大断崖の頂付近で、俺は雲を見上げながら彼女を抱きしめていた。



ありがとうございました。

キリがいいところでまた書き溜めますので。

(書き溜めると「ああ、前の話しはこうした方がいいなー」と修正しやすいもので)

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