断崖への旅路9(戦闘2)
「な、何あれ!?」
「何、あれ!?」
「「何あれ!?」」
シスとテル、そしてアグリッピナら女戦士たちは、揃って目を見開く。
彼女らの視線の先には、幾つものオーバーハングした断崖が天へと広がる。
その断崖の一つに目が奪われる。
正確には、断崖の下にあるソレに。
ソレはオーバーハングした断崖に吸い付いているのだろうか……それともぶら下がっているのだろうか……
「「球体!?」」
そう、ソレは球体だった。
茶色く光沢のある球体だ。
球体は、オーバーハングした断崖の下をゴロゴロと転がりながら向かって来る。重力を無視して、崖の出っ張りの下を転がりながら向かって来る。
球体との距離は恐らく三百メートル、高さは五十メートルほど上にあるだろうか。
「「い、一体?」」
戦士たちは困惑の色を隠せない。
「お、大きさは……三十メートルくらい?」
シスは目測での大きさをつぶやくと、アグリッピナが「そのくらいでしょう」と頷く。
「巨大ムカデと、関係……あるかしら?」
「「……」」
皆、押し黙る。
「何を、しているんだ?」
乱れた髪のローレンがよろめきながらシスの元へと進む。
霊力を限界ギリギリまで使うことで蒼白となったローレンは、男性とはいえ一種の儚げさを醸し出す。美しいもの、儚げなものを愛でる人にとっては、今のローレンは垂涎のまとだろう。ディアオロスの何人かの女性戦士は、その儚げな美しさに思わず見惚れる。
「だ、大丈夫?」
「……心配に思うなら、肩を貸してくれ」
「う、うん」
シスは再びローレンに肩を貸すと、ローレンは先ほどと同じく大きく深呼吸し始めた。
それはシスから発せられる森林の香りで癒されようとしてだ。エルフの体臭は森林の香気を含んでいるが、特に彼女の髪から発せられる樹木の香りはとても優れていて、ローレンはとても好きだった。先ほども彼女のそれで癒され霊力が少し回復したのだが、照れ隠しでつい皮肉や嫌味を言ってしまう自分が実は情けなくあった。
「スゥーー、フゥーー」
彼女の香りや体の温かさ、柔らかさに気を取られることで、謎の球体に気が向かなかったのが痛恨の極みだったろう。球体が約五十メートルの距離まで近づいたときのことだった。
「「あっ!!」」
球体はデコボコしていた。細い体が絡まっていた。節が沢山あった。血のように赤い部分があった。表面には縫い目に似たおびただしい足があった。
その球体は、おびただしいムカデが球体を形成していたものだった。
「「ムカデのボール!?」」
皆が気づいたとき、絡まりあい球体だったムカデたちは糸をほどくように首をもたげ、まるで毒花のように開いた。
「いや! ムカデのボールじゃない!」
「「センチピードヒドラだ!」」
そう、それはヒドラのムカデ版、センチピードヒドラだった!
亀に似た巨大なボディーからは、蛇の代わりに五十以上のムカデが生えていた! その様はメデューサの頭やバグベアードによく似ていた。ローレンは叫ぶ!
「退け! 退くぞ!」
「「はい!」」
皆が弾かれたように、洞窟の中へと駆け込もうとした刹那!
センチピードヒドラは崖下の出っ張りから跳躍!
「「ああっ!」」
十数本のムカデの体を駆使して、手長猿のごとく壁面や出っ張りを掴みながら、瞬く間に洞穴前の棚地へ舞い降りた!
ズズウウンン……!
「「うわああああっ!!」」
「「ギチギチギイイイッ!!」」
五十を越えるセンチピードヒドラの触手が!
ムカデそのままの触手が!
逃げ遅れた獣人たちを一斉に襲う!
「「ああああああっ!」」
「「た、助けっ!」」
「「うわああああっ!!」」
上下左右逃げ場がないほど、何体もの触手ムカデが次々に襲い来る!
それは押し寄せる波のごとく、次々に、次々に!
迫り来る壁のように、次々に、次々に!
鋭い牙にやられる者、かろうじて避けるも別の触手ムカデの牙にやられる者、斧槍で何とか防ぐ者、倒したムカデの影でやり過ごす者。
触手ムカデは、倒されて細切れになったムカデの肉にも食らいつく! それがあったお陰で、触手ムカデの目標が少しは分散したかもしれない!
「はぁっ! はぁっ! 逃げ! 逃げ!」
シスはローレンを肩に逃げる!
「シス! 私を置いて先に!」
「バカなこと言うくらいなら! さっさと走る!」
「射てっ! 射てえええっ!」
「戦士たちを助けろおおお!」
ビュビュビュビュビュッ!!
矢の雨が降るも触手ムカデたちは動くものを襲う! その時、触手の一匹が転がるムカデの死骸を持ち上げ、投げた!
「っ!?」
何かが迫ってくる気配! シスは一瞬後ろを振り返るも何が起こったか分からなかった。分かったのは、何かに吹き飛ばされた衝撃と、宙を舞い天地が逆転した感覚だけだった。
「~~~~~っっ」
全身の痛みに意識を取り戻した時、ヒビの入ったタイルが目の前にあった。
全身を強打したようで、呼吸が苦しい。肋骨が折れたかもしれない。鼻からは熱い液体がドクドクと流れているようで、鼻の奥が熱い。
「ロ、ローレン……」
ふらつく頭で周りを見れば、巨大なムカデが転がっていて……
ローレンは下半身を下敷きにされている!
「~~~~~~っっ! ローレンッ!」
彼女の呼び掛けに、線の細いエルフは反応しない。気を失っている? それとも、まさか……! シスは痛む肋骨を押さえながら、ヨロヨロと近づく。
「ロ、ローレンッ! しっかり!」
肩を揺すると「ウゥ……」と呻くローレンに彼女はホッと胸を撫で下ろす。
「だ、誰……か」
彼女は周囲に助けを求めようとするも、次の瞬間絶望の風景に思考が止まる。多くの獣人が傷つき、倒れて、あるいは触手ムカデの餌食になっている。
「ぶおおおっ!」
向こうでは、筋骨逞しいケンタウロスが斧槍を振り回し、触手ムカデ数匹を相手に戦っているが! その疲労度は目に見えて……!
「だ、誰か……」
シスは泣きながら、ローレンを引っ張り出そうとするも、まるでびくともしない。
「ローレン……! 今」
ムカデの死骸とタイルの僅かな隙間に、落ちていた棒を差し込み、持ち上げようとするも……
「うっく、ううっ」
痛む肋骨に力が伝わらず、ムカデは動く気配もない。
とその時。
自分の上が暗くなる。
「……」
絶望の影。
巨大なムカデが自分を見下ろしている。彼女は残された霊力で何ができるか、必死に考える。だがムカデは待つことなく、彼女の上から襲いかかる!
「きゃああああっ!」
「シス姉ちゃん!」
ズドオオオッ!!
「ギチギチギイイイッ!!」
ケンタウロスの少年テルメルクが、斧槍を持って突撃しムカデの目に槍を深々と刺す!
「テル君!」
「シス姉ちゃん! 逃げるん──」
「ギイイイイイッ!」
ドゴッ!!
重く鈍い音とともに、テルメルクはムカデの横薙ぎの体当たりに吹き飛ばされる!
「テッ! ~~~~~~っっ!!」
まだ子供とはいえ、馬体があるというのにその体はいとも簡単に吹き飛ばされ、洞窟の壁にたたきつけられる。
「テ……、テ……」
彼女はふらつきながらもテルメルクの元へ。はっ、はっ、と早く浅くなる呼吸。自分を助けたために少年が……彼女の足が震えていたのは、自らのダメージによるものだけではなかった。
「テル……テル君」
馬体は骨折しているのか大きく陥没している。
彼女は倒れたままのテルメルクを揺さぶる。ケンタウロスの少年は頭から血を流し、ぐったりとしている。だが、何とか呼吸は維持できている……
「はっ、はっ……テル君!」
彼女は自らの鼻から流れ出る血をテルメルクの頭に刷り込む。エルフ女性の血は万能な回復薬なのだ。不衛生かもなどと言ってられず、彼女はテルメルクの口にも自分の血を流す。飲めば内臓の損傷を治せるはずだ。
その時、再び自分の上に影が落ちた。
不吉な影が。
「はっ、はっ……」
恐る恐る振り返ると、二匹のムカデが宙で静止している……
血のように真っ赤に燃える赤い頭、横幅三メートルはあろう大きな口、その両脇から生える湾曲した鋭い牙、口の中にはサメに似た鋭利な歯が口の中までビッシリと生え、触覚だけがピクピクと動いている。
「はっ、はっ……」
その時、彼女の脳裏に浮かんだのは、昨晩の光景。
子供を助けられなかったと、涙していた優しい騎士の姿。
「守る……この子だけでも……守る……私が……」
彼女は震える足で立ち上がると、両手を左右に広げて立ちはだかる。
目の前すぐには、圧倒的な存在。湿り気を帯びた不快な、恐るべき巨体。形容しがたい不快な臭い。
気を失いそうな恐怖の中で、必死に意識を止めるために心の中で願う。
この子だけでも、助けて……! 助けに来て……!
その助けを求める願いは、二百年もの長い年月を同じ家で過ごした双子の弟へ……ではなかった。
尊敬する族長の父親へでもなく、姉妹のように何でも相談する親友へでもなく、嫌味を言いながらも自分の前に立つ者へでもなかった。
昨日、自分の胸の中で涙を流していた一人の若者だった。
大きくて、強くて、優しい、一人の騎士だった。
迫るムカデの牙っ!
彼女は死を覚悟し、息を止め、ギュッと目を瞑る! 心臓が痛くなるほど! 早鐘のように!
ザクッ!!
という咀嚼音が体を貫き、次いで激痛が全身を駆け巡り、血潮が吹き出す熱さを感じ、急速に生命力が失われていく……
そんな感覚を覚悟した。
だが!
ドズンッ!! ドドドズズズン!!
重い物が落ちる振動が洞窟内に走る。少女は恐る恐る片目を開ける。
と、目の前には何もおらず、宙で静止していたはずのムカデたちが地に伏している。
「……!?」
ムカデはピタリと止まっている。時が止まったかのように。凍りついたかのように。
気づけば、周囲で縦横無尽に動き回っていたムカデたちも、地に伏しているではないか。
彼女は恐る恐るもう片方の目を開け始めると……
ムカデが突然動き出した!
ゾゾゾゾゾゾッッッ!!
「ひっ!」
だがムカデは自分に向かわず、急転して!
自らの本体に!
「えっ!?」
気づけば、彼女の周囲で暴れ回り、捕食対象を探していた無数のムカデも一斉に急転している!
ゾゾゾゾゾゾッッ!!
「「ええっ!?」」
ムカデと戦っていた者も、かろうじてムカデの攻撃を回避していた者も、牙や足によって傷つき倒れた者も、突然のムカデの急転に驚く!
急転したムカデの先には、小山のような本体が!
「「ああっ!!」」
だがおかしい!
本体が丸裸で見える! さっきまでムカデが髪の毛のようにうねって見えなかったボディが! 亀に似たボディが! 見える! 触手のようなムカデがすべて切り落とされ、本体が丸裸になっているのが見える!
「はああっ!」
そのボディの上を見て、シスは歓喜に震えた。
騎士がいる!
祈りを捧げたあの騎士がいるのだ! 黄金色の鎧を身に纏った、凛々しい騎士が! 助けに! 助けに! 助けに来てくれたのだ!
切り落とされたムカデたちは、一斉にその騎士へと向かって走り寄る! 本体を助けなければ! 足を持たない本体は逃げられない! 助けなければ!
騎士は大地へヒラリと舞い降りると剣を逆手に切先を大地に突き刺した!
「聖剣技!『 雷陣の太刀 』」
それは聖魔法 雷撃掌と剣技を融合させた聖剣技だ。
一瞬! 刹那の時間。大地に刺した剣を中心に、蜘蛛の巣に似た稲妻の陣が瞬間的に放射状に広がる。その放射状の陣に振れたムカデたちは一斉に稲妻に捕らえられ、稲光の刹那の光が発したかと思えばバチバチバチッと動きを止める!
「聖剣技『 波斬の太刀! 』」
雷陣の太刀は広範囲に敵を縛る技。倒すのはあくまでも磨き上げた剣技! しびれて動けないムカデたちに、騎士は疾走! 光り輝く剣を薙ぎ払うと! 一振りしただけにしか見えないのに!
ドパアアッ!
ムカデの赤い頭が十以上の細かい塊に炸裂して弾け飛ぶ! 騎士は剣舞を舞いながら、動けないムカデたちを薙ぎ払っていく!
ドパアアッ! ドパアアッ!
「『 波斬の太刀! 』」
刀身に纏った魔法の光が輝きを失う前に、騎士は剣に魔法を込め、振るう! 麻痺から解放されたムカデたちが再び一斉に襲い掛かるが! 騎士はムカデの強弱の道を瞬時に見分ける!
「おおおおっ!!」
騎士は剣舞を舞いながら、敵の動きに合わせて移動する! 一点に留まることなく、舞い踊る! それは動く竜巻! ありとあらゆるものを巻き込み破壊する竜巻だ! あの毎朝鍛錬のためにする剣舞の完成形がそこにあった!
「『 波動脚! 』」
ドゴオッ!!
剣の竜巻の中で繰り出される衝撃波で、敵の数を抑えて、あるいは動きを止めて、竜巻に巻き込む!
「『 雷撃掌! 』」
バチバチバチッ!
重なったムカデを稲妻で絡め取り、剣を叩き込み薙ぎ払う!
「おおおあああぁっっ!!」
回転しながら本体に何度も斬撃を見舞う! その度に本体が助けを求めるようにブルブルと震え、ムカデが襲いかかるも壁や天井に細切れになった肉片が弾き飛ばされる! 破壊的な嵐だ!
やがて!
ドバンッ!!
神殿騎士は剣を薙ぎ払った姿勢のまま、静止する!
「ぜえーーーっ、ぜえーーーっ!」
全身で息をする彼の周りには、細切れになりビクビクと動く肉塊の海。斬った! すべてのムカデを斬り払ったのだ!
どおおおっと歓声が沸き起こる! その光景を見た者たちが歓喜の声を上げる! 鹿獣人たちも、ハルデルクも、シスも歓喜の声を上げる。
倒した! 倒したのだ!
あれだけいたムカデの触手が、肉片となりビクビクと痙攣するだけだ! 一方。
「ぜえーーーっ、ぜえーーーっ!」
歓声の中で、黄金の鎧を血みどろにした神殿騎士は、早鐘のように打つ心臓を押さえる。
危なかった……!
体力も霊力ももう少しで尽きるだろう。だが出しつくさなければ勝てなかったはずだ。
ムカデに対する怒りが、体力と霊力を保たせたのだと分かった。
昨日あった哀しい出来事と、その後のエルフ少女の癒しがなければ、きっとここまでできなかった。
フラフラになりながらも剣を肩に乗せ、腕を休めながら、小山のような本体へと近づく。本体への止めを刺すのだ。
どおおおっ! 止めに動き出した騎士を見て上がる歓声!
残るは、丸裸になった本体だけ! 文字通り手も足も出ない状態だ! だから楽勝だ!
誰しもがそう思った。
バグンッ!
その時、本体の上面が十文字にバクリと割れて!
花弁が開くようにめくれると、無数の牙が生える巨大な口となった!
「「ああっ!!」」
花弁からは真っ赤な舌が何本も伸びて! 歩み寄る騎士の手足を縛り挙げる! そして持ち上げる!
丸のみする気だ!
「「なっ!?」」
「「た、助けにっ!!」」
「ぶおおっ! コックリ!」
血みどろのまま膝を着いていたハルデルクは、斧槍を支えに何とか立つ!
「大丈夫です!」
騎士は落ち着いて本体の力を測る。
触手ムカデでさえ倒せなかった自分をこの程度で倒そうなどとは。悪あがきも甚だしい!
「ちょうどいい。外から開く手間が省けたし飛ばなくて済んだ」
冷静に上からヒドラ本体を眺める。本体は見事に十文字に割れて赤い咥内は正に毒々しい妖花のようだった。騎士は舌に捕らえられながらも掌を本体に向ける。
「聖魔法、『 煉火掌! 』」
手のひらの前に魔法陣が出現すると、業火を纏った珠が! ゴゥッ! という激しい音と熱風が巻き起こり、洞窟の天井や壁、そして騎士を真っ赤に染め上げる。業火の珠はそのままヒドラ本体の口の中へ!
「ギイイヤアアアアアアアアッッ!!!」
ヒドラ本体は口の中、体の中に業火の珠を叩き込まれ、体の内部から燃え上がり、焼ける痛みとドロドロと融け行く痛みに鳴き声を上げる!
騎士は舌から解き放たれ、大地に舞い降りる!
再び、どおおおおっ、と沸き上がる歓声!
恐怖から解き放たれた安堵の嘆声!
騎士は振り返る!
「まだです!」
「「!?」」
安心するのはまだ早い!
「怪我人を! 出来るだけ助けるんです!」
「「は、はい!!」」
その時、シスは叫んだ!
「助けてコックリ! テル君が! テル君が!」
騎士はシスの悲痛な叫びに、心臓が縮みあがった。




