霧の森
大河を包み込む霧
霧に浮かぶ小舟
小舟に乗る人影
静寂な世界
■コークリットの視点
俺は今、大河の上にいて森へ向かっている。
ラーディン領で最も奥深くのイーガン村から舟に乗って大河を渡っている。森は相変わらず霧が濃く、濃密な霧は生きているように蠢き対岸の森のシルエットだけを教える。
全貌が見えない怪しい森に、そこはかとない怖さを感じ、水分を含み始めた衣服に寒さを感じた。これは内部はどれだけ霧にまみれているんだろうか……
ああでも、舟がゆっくりと進むにつれ、対岸の森がハッキリとしてくる。
おおー、凄い樹冠 (樹木の上部で葉が茂っている部分)だなあ。
枝葉の部分だけで二~三十メートルはあるか。見渡す限りに厚く広がっている。岸辺の樹木は、枝葉を最大限に広げようとするあまりに、大河に身を乗り出している……樹木も欲張りなのかな? 倒れてドボンと行かないだろうか? 枝葉はもう大河の水面に浸ってるものもあるくらい、盛大に垂れている。
どこかに入れそうなところはあるかな?
「神殿騎士様、あそこが入れそうですね」
アルバート少年が枝葉が薄い所を見つけてくれた。舟ごと入ると、何ということだ。岸壁が高いな。二~三メートルあるか? 岸辺に沿って枝のトンネルが延々と続いている。
「神殿騎士様、どういたしましょう?」
「一度、魔法で広範囲を観察してみます。『 千里眼 』」
俺は左手を突き出して魔法を唱える。手の先に魔法陣が出現すると、次の瞬間には目玉くらいの大きさの、五つのシャボン玉に変わった。同時に、俺の脳裏に五つの映像が映し出される。
「まずは二つ一組で上がりやすい場所を」
俺の意思に応じて、小さなシャボンは岸壁を左右に飛んでいく。ちょうど二つの目玉がそれぞれ別れて飛んでいくような感じだ。程なく何ヵ所か森に入りやすい場所が見つかったがどれがいいかな? 森に入りやすくても歩けないような場所だと意味がない。千里眼を森の中にいれると……
「おお……?」
俺は驚いた。
その俺にアルバート少年が動揺する。
「ど、どうされたのですか!?」
いや……いや大丈夫。
森に入った千里眼が捉えたのは「霧がまったくない」普通の森で。いや「朝もや」程度の僅かな霧はある。密やかな早朝の森といった印象か。だからこそ森の上の霧の量から考えると明らかに少ないのでちょっと意外で驚いたんだ。そう説明するとアルバート少年は落ち着いたようだ。
さて、危険な生物はどうかな?
森には霧がないけれど薄暗い。上空の厚い霧が日の光を遮るからだ。薄暗くて分からないので、俺は霊力を視る方の『 霊視 』で観察することにした。暗い森や夜ではその方がいい。
霊力はその大小、多寡の差はあれど全ての生命に宿っているので、物言わぬ植物にも必ず宿っている。霊視にすると植物たちの霊力が光って見えるので、森の全体像が把握できるだろう。
「おお……!」
俺は再び驚いた。
アルバート少年が再び。
「ど、どうされたのですか!?」
すまんスマン。あまりにも美しい光景だったから……
俺の脳裏には淡く儚く発光する森が広がっているんだ。
そう樹木たち草花たちは、その姿形を薄い暗闇に浮かび上がらせている。綺麗だなあ。森全体が淡く発光しているんだ。
物言わぬ樹木も草花も、確かに生きて輝いている姿に胸が熱くなる。生命とは、普段気づかないだけで輝きを発しているんだな。目に写るものだけが全てじゃない……普段見えなくても、皆生きて、光輝いているんだ。
生きているだけで、もう輝いている。樹木や草花は競うこともなく、共に身を寄せ合いながら煌めきを発している。一つの生命の極致かもしれない。
生命を奪い合う動物や昆虫などとはまた異なる、生命の極致……
その光に包まれた空間には、薄く儚げな小さな光が飛び回っている。これは昆虫の霊力だろう。昆虫たちが森のそこかしこで動いているし、じっと身を隠しているものもいる。その昆虫を狙って、小さな動物もそこかしこに溢れている。幹にへばりついているのはトカゲか……
凄い生命の光りだ。
俺は千里眼を少しずつ動かして進んでいく。
と、起伏の豊かな大地の中に、ポッカリと黒い穴が空いている。おや? 何だろう? 穴には小さな生き物の光が何匹もスーッと動く。ああ、この動きは水性昆虫だな。とするとこの穴は泉か何かか。
俺は二つで一組の千里眼のうち一つを霊視で、一つを通常の千里眼の目に戻す。いや暗視だな。暗視で視るとやはり泉だ。それほど深くはない。
ふと周囲を見るとそこかしこに泉があり、小川で繋がっていて……なるほど、水が多い森だ。これだけ水が多い大地には通常樹木は適さないはずだが……
そうか、この森の樹木たちは、普通の樹木とは異なる進化を遂げたのかもしれない。他の樹木には生きられない条件の悪い環境に適応するため、根から水分を吸い上げ、葉から空へと発散させることで不適当な大地でも生きられるという進化を。
それで樹冠より上が霧に包まれて、下の空間は霧がない……というメカニズムなのかもしれない。
「自然は凄いな」
アルバート少年に聞こえないくらいの小声で呟く。俺は霊視と暗視の状態を維持したまま、二つの映像を脳裏に決像して両方の視点で森を進む。うん、うまく補完しあって実に良い。
と、ここで一つ残した千里眼を上空へ飛ばす。最後の一つは上から全体像を把握だ。
森の上空は濃い霧に包まれているが、抜けると幻想的な風景が眼下に広がる。それは白い世界から浮かび上がる樹木の影絵の世界。白と黒の濃淡だけで表す素朴な世界が大地に広がる。
霧の森とはいえ、どこもかしこも霧に包まれているわけではないようだ。そこには樹木が少なかったり、枝葉が少なかったり。空から地上を見下ろすと、所々森に穴が空いている部分がある。どうやら湖や池、沼があるようだな。そこは霧が薄くなっている。
「ふむ。開けた池のほとりに集落があるな……」
「そこがファーヴルの集落でしょう」
うん、他にも上空からポツリポツリと集落が見える。大体、一つの集落は十世帯くらいだろうか……池や小さな湖には大方集落がある。意外に多いな。開けているところにあるから上から見えるが、森の中だったら分からないな。まあ、とりあえず北西へ向かって行くか。
「では、森を進むコースも大体分かりましたので、そろそろ行ってきます」
「はい、お気をつけて!」
「とその前にもう一つ。『 秘匿圏 』」
俺は左手を突き出し魔法を唱える。と左手の前に魔法陣が出現。すぐさまそれが消え、俺を中心に薄い膜ができる。
これは虫よけのようなものだ。森や山など、ダニや毒虫、寄生虫や魔獣など、主に体温や二酸化炭素、匂いや超音波といった「視力以外」で獲物の存在を認知する生物向けに、自分の存在を隠す魔法だ。さっきは虫やら何やらの霊力の光が結構あったからね。まあ姿が消えるわけではないし枝を踏めば音が鳴るしで、視力や聴力で認知する生物には無意味だが。
「では今度こそ」
俺は低くなった岸壁から森へと入り込んだ。
◇◇◇◇◇
俺は左目を霊視で右目を暗視で進む。
俺を包む底深い緑の森は、精気に溢れて生きる力を与えてくれるようだ。森の香気というのか、精気というのか。踏みしめる大地から、見上げる枝葉の天井から、目に見えない力が俺を包み込んで、活力を与えてくれる。
生命溢れる深い森は水分が満ち、大地のそこかしこに命の泉が湧いている。美しい泉だ。ああ、緑深い樹木の合間から、白い鹿が水を飲んでいる姿を見せてくれる。その毛並みは白くぼんやりと発光するかのように美しく、深い緑の輝きと相まって何と幻想的な光景だろうか。
大地は障害物によって行く手を阻む。足を踏み入れる者を疲れさせ、体力を試しているかのようだ。苔むした倒木はくぐることも跨ぐことも困難。転がる岩は道を塞ぎ迂回を余儀なくさせる。
何時間歩いたのか、それとも数十分なのか時間の概念がなくなる森の中で、俺はそれを見つけた。
数百メートル先。
そこには、樹の幹に作られた集落がある。
面白い。まるで幹が家を串刺しにしてるみたいだ。密集して生える五本の幹が横長の家を貫いている。くく、地面に家を建てたら、樹木が同時に生えて串刺しになったまま持ち上がった、みたいな感じだ。
広い家だ。居住棟といった方がしっくりくる広さだ。増築して広くなったんだな。
「これがファーヴルの家屋か」
独特な家屋の形成に、胸がワクワクする。
どのようにして生きてきた結果、あのような複雑な家の造りになったんだろうか、さらにこれからどんな生き方をしていくのか、と考えるだけでワクワクする。
居住棟の下の大地で大人たち数名が何か共同作業を行っている。大きな樽を幾つも並べて何かしているな。ああ、あれは野菜を育てているようだ。
水分が多いこの大地では作物が育ちにくいから、樽に土を積めて栽培しているんだな。面白い。よく見ると樽は樹木の上にもそこかしこにあって、元気よく葉が生えている。
居住棟の脇には小川が流れていて、子供たちが遊んでいる。ふふ、沢蟹を集めているな。その先には小川を塞き止めた貯水池がある。魚を養殖しているようだ。飲み水の確保と養殖の一石二鳥だ。
さてどうする? どうやって接触する?
居住区から三十メートルほど離れた場所に、人の背丈ほどもある柵がグルりとはられて外からの干渉を拒んでいる。そして厄介なことに、柵の中には数匹の大型犬が放し飼いになっている。ライオンのようなたてがみだ。あれはライネルという幻獣で、たてがみをハリネズミのように尖らせ、発射させることのできる危険な魔犬だ。うまく飼い慣らしてるな。凄い番犬だ。
彼らの身なりはラーディン領の領民とは違う。
麻で作った素朴な服を着て、樽の畑を耕している。耕している農機具は鉄製だし、斧や鍋など鉄製だから恐らくラーディン領の村と交易で手に入れたものだろう。外界との関係を完全に絶っているわけではないようだ。
恐らく聖霊よりも自然(精霊)とともに生きるとしても、完全に文明を捨てるのは人間として不自然、と考えているのかもしれない。
これなら話しをしてくれるかもしれない。
行くか。
俺は意を決して歩き始める。
あえて泉に足を踏み入れ水の音をたてると魔犬が気づき、うなり始める。それに気づいた子供たちは小川から畑へと走って逃げていく。畑にいる人々も気づいたようで、女性は子供を連れて樹上へと逃げる。
むう、少しショックだ。柵の近くまで行くとライネル犬が吠えまくって。うおお、けたたましい。
「どちら様ですか!?」
三十代と思しき男性が大きな声で話しかけてくる。千里眼で樹上の居住棟を見ると、居住棟の壁の向こうに弓矢を持った男たちが集まってくる。
俺の身なりが悪かったり、あるいは何人もいたらもっとやばい扱いだったかな? 俺は両手を上げる。
「法王庁の神殿騎士コークリットと申します。危害を加えるつもりはございません」
「ヴァチ……? 神殿?」
あれ? ヴァチカニアも神殿騎士もご存知ない?
ここで生まれ育って外界にはほぼ出ていないような感じか。
樹上では男性たちが壁の向こうで弓をつがえている。
住人の抱く不信感が伝播したのか、ライネル犬たちがより一層吠えたてたてがみがビヤーッと広がる。やばいな、犬は心を感じやすいからな……
「「ガウガウッ!! グルルアアアッ!!」」
「大丈夫。怖くない」
俺は住人たちからヒントを得たので、手から霊力を放ち、荒ぶって吠えたてる魔犬たちの上に漂わせる。
そう霊力は心を司る。
犬のような感受性の高い動物はその霊力を感じ取りやすい。魔犬とはいえ人と暮らしているからできるハズ。森のお陰で癒された俺の霊力は、さぞや穏やかで安心感を与えてくれたのだろう。
思惑通り、俺に害意がないことが分かったようだ。
「「……クウーン、クウーン。ハッハッ」」
「「ええっ!?」」
若者たちが驚いていると、ご老人がやって来た。
「ほっほっほ、さすがは神殿騎士殿ですな」
「長老。ご存知で?」
「うむ。まだワシが若い頃、町で暮らしていた時、色々な戯曲を聞いたものじゃ」
おお、良かった。話しができそうだな。
「して神殿騎士殿、何用でしょうか?」
「はい。ラーディン領にて不可解な怪異が発生しています。私は解決のため捜査に当たっているのですが、こちらでも何か異変は起こっておりませんか?」
皆、ハッとしたように顔を見合わせる。心当たりがあるような感じだから、ここでも起こっているのかも。
俺は続ける。
「この怪異がどこまで広がっているか調査と解決で回っています。住民の方に異変が起きているようでしたら私が治せます。しかし何も起きていないようでしたら、この場所は怪異の範囲外だと考え、別の集落へ回ってみる予定なのです」
「むう、怪異とはどのようなものでしょうか?」
「主に、子供の意識がなくなったり、体調不良になったりして、霧の日に人知れずいなくなるという怪異です」
「「ええ?」」
「「意識が?」」
「むう……ではアダルやリデルの状態はそれなのか?」
長老が呟く。やはりここでも起こっているようだ。長老がそのまま頭を下げる。
「神殿騎士殿。実は幼い子供たちが何人かボーッとしているのです。診ていただけませぬか?」
「はい、もちろんです」
とある若者が。
「大人でもなることはありますか?」
え? 大人?
意外な言葉に俺は驚きの表情を出そうとしたが全く顔面は動かなかった。
「今のところラーディン領では子供だけでしたが、大人がならないという保証はありません。心あたりが?」
「はい。実は俺の弟が、数日間ボンヤリしていたと思ったら、いつの間にかいなくなっていて……」
「いつ頃の話しですか?」
「三週間程前でしたが……」
狩りに出掛けたのかと思ったそうだが、いつまでも帰って来ず、探しに行ったが結局見つからなかったという。
やはり、ラーディン領の一歩先、二歩先を進んでいる可能性が出てきたか? むう、それっぽいことを言ったら現実になったとすると、俺のせいか?
俺は集落へと招かれ、入っていった。




