空気の抜けた風船とその涙
「導師様、お待ちしておりました。どうぞ。」
庁舎は相変わらずの慌ただしさを残していた。
そう指示されていたのか、私を見かけるなり職員通路を案内される。朝の聴取室ではなく、別の方向へ。この段階で私の心は嫌な予感を嗅ぎ取っている。
この道は知っている。うん、間違いなく安置所への道だ。この上通常業務までさせられるというのだろうか。
とても洗濯の事はおろか、味噌玉の行方すら切り出せる雰囲気ではない。
案の定、たどり着いた安置所で、性格の悪い職員が私を待っていた。
窓口職員はそれと入れ替えで去っていく。
「おかえりなさい、導師様。お頼みした件の報告、という事でよろしいですね?」
横たわっている薄気味悪い死体を何やら伺いながら、頼みごとをしておいてこちらを向きもせずに声だけが帰ってくる。
私の方が疑われている立場だというのは分かっているが、事件とは無関係な事を立証してくれる証人でもあるので、怒りを飲み込む。
「行ってきましたよ。これでいいですか?」
紙袋ごと肩掛けかばんからそれを取り出して差し出す。
「導師様なら、持って帰ってきてくださると思っていました。」
ようやくこちらを向いてそれを受け取り、中身を伺う。
「この場所にお越しいただいたのには、それが一番だと思ったからです。導師様にとってね。」
「一体どういう意味ですか?」
イライラとした感情が募る。表情にも出てしまっているかもしれない。
「先任の導師様とも、この場で雑談をするんですよ。お仕事をお願いする時にですね。」
そういえば、この性格の悪い職員は、私が遺体を処理している最中にも要らぬ話を勝手にしゃべっていた。先任とも、そういう事をしていたのだろう。
「奥様の様態が悪くなっていっている事は聞いていました。切り傷、司祭様からもらったお薬、意識の朦朧。進行していく有り様を、世間話的に、ですけれどね。」
怒りを少しだけ落ち着けて、話の行く末を伺う。まぁ、聴いておいて損はない話みたいだ。
「数日前、同じ様に治りかけの切り傷を持った遺体が運び込まれてきました。失踪された日の朝です。私はこうやって、遺体の見分中でしてね。その日は処理を頼まなかったのですが、少しお話をしたんですよ。」
成程。だから薬の出どころや、その一件のあらましを「もう知っていた」のだ。
本当にただ「おつかい」を頼まれたという事だろう。本当に性格が悪い。今日朝の段階で、色々な事をつなげ終わっていたのだ。
「恐らく、奥様の様態と重なる所があったのでしょうね。それで司祭様の所へ向かわれたのでしょう。惜しい人を、亡くしたものです。全部繋がったのは今朝の事ですからね。私が行けば、何か弾みで話を漏らしてしまうかもしれない。それは危ういでしょう?」
この人はもう、諦めてしまうのに十分な情報を得たのだろう。父を待つ青年が、意識の戻らぬ妻が、まだそれを知らず、家で一握の望みを抱えている。
「ですから申し訳ないですが、渡りに船。信用のおける導師様を頼らせていただきました。」
熱を持った怒りが、冷や水を受けたように感じてしまった。目に見えない穴から風船の空気が漏れて抜けていくように、急速に沈んでいく心がわかる。
「知遇を得て五年ぐらいですか。良い人だったんですよ。導師様と同じように。彼は、家族想いで。」
先程まで背を向けていた理由が、なんとなくわかった気がした。
性格の悪い職員だけれど、その時はその気持ちが少しだけ、ほんの少しだけわかった気がした。
きっとああした遺体処理での会話も、何かしらのコミュニケーションの名残だったのだろう。
彼が居なくても私が現れて、現場は回っていく。
でもその名残は、彼の日常で、消し辛いものだったのかも知れない。
立ち合い、見届け、遺体処理なんて末端の現場で、過程を過ごしていく間に、知人そして友人のようなものになっていったのかもしれない。
この一連の凶行の中で、その関係が終わってしまわなければ、まだきっとそれは続いていたのだ。
胃が痛い。お涙を頂戴して中てられるわけではないのだけれど、私も普通の人間なのだ。
悲しい事、嫌な事があれば、涙を流すし、またそういう人を見かければ同情もする。
それは異世界だって変わらない。言葉も理解し、同じ様に生きている人間だとそれを知れば尚更だ。
私は巻き込まれた事ばかりを感じていて、それももちろん正しい感情なのだけれど
それは今回私がそういう立場だったに過ぎない。
違うものを見て、違うものを食べ、違う事を感じ、そうしてそれぞれの立場でそれぞれの感情が生まれる。
残された家族に比較的近い立場の感情を育んだ彼が、まだそれを知らぬ遺族に会いたくない気持ちも、また正しいのだ。
お祭りを皆に楽しんでもらいたい。
そう心に思えたあの時に、私は「他人の心」がある事を理解できたのだ。
「ありがとうございました、導師様。」
安置所の退出を促され、私はそれに従う。
彼の心に渦巻くそれは怒りだろうか、悲しみだろうか。
あるいはその両方かもしれない。
涙を流さないでいるだけで、感情が悲鳴を上げているかもしれない。
しかし彼は公務をこなす。職員として役割を果たさなければならない。
あの紙袋の中身は、その重要な手掛かりになるはずだ。
「やはり、導師様はお優しい方なのですね。」
ああ、きっとまた「顔」を見られてしまったのだろう。無防備だった。うっかりしていた。
しっかりしないと駄目だ、イザワウメコ。
私には今、道路の真ん中で泣いていても、助けてくれる家族は居ないのだから。
キメナよりゲーム開催のお知らせ。
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