壊れた歯車と調整技師
「導師様。お待ちしておりました。」
庁舎の窓口に顔を出すなり、形式ばって対応されるあたり、自分の予想が概ね、間違っていない事を感じる。
もうここまで来てしまって以上、覚悟を決めて入り口を通ったはずだが、逃げ出したくなってきた。
「昨晩は何か、大変なことがあったみたいですねー。」
自分が関わっていない事をそれとなく匂わせておく。
それぐらいしか初手に打てることがない。職員の対応を見て、そこから臨機応変に、歯車の歯を噛み合わせていくしかない。
「導師様がいらっしゃったら、安置所ではなく応接間への案内をするように言われています。こちらへ。」
足が重い。どうしようもなく心が曇っていく。
いきなりの投獄、事情聴取による軟禁といった未来が待ち受けているとは思わないが、切り札を用意しているという保険がもしなかったら、と思うと気が滅入ってくる。
死体の安置所で山ほどの遺体といきなり対面させられるという最悪の展開でないだけ、まだマシ。
想定よりは良い、期待よりは悪いといった低空飛行が、ギリギリの所で就業意識を保たせている。
いつもの順路を逸れ、建物の奥へとつながる通路へと足を進める。
そういえばこの道を通るのは初めて。飾り気がある訳ではないけれど、掃除の行き届いた床が続いている。
こんな日であっても、簡単な清掃は行われているのだろう。ただ、そこを行く職員はみな慌ただしい。
「もういらっしゃいましたか。すみません。少しお待ちください。案内ありがとう。窓口に戻ってくれていていい。」
通された部屋で待っていたのは、ここ数日安置所で対応をしてくれる職員であった。
この人は遺体の処理に立ち会うことになれているらしく、遺体の解説までしてくれるので、良いのか悪いのか、顔をよく覚えている。
一礼をして窓口対応の職員が戻っていく。きっと管理職なんだろう。
「お待たせしました。早速ですが、昨晩の事件はご存じで?」
どうやら、ここからが試合開始らしい。どう切り返すかが、私の運命の境目だろう。
対応を誤れば、本格的な事情聴取、最悪、留置所での軟禁が待っているだろう。そんなのは御免である。
「詳しくは存じません。今日の帰り、味噌玉の調達がままならないだろう事態は、来る途中に。」
事実と隠匿のギリギリの境界あたりを低空飛行するところから始めてみる。
私がどのあたりに位置付けられ、この場に呼ばれているのかがこれで観測できるだろうと思いたい。
「死者が二十一名。意識が戻らない方が六十二名。たった一晩の結果です。庁舎は通常業務を行えていません。」
具体的な数字を目の当たりにする。
この数字は予想以上で、このうちどれくらいを対応しなければならないのか、目が回る思いがした。
「導師様。こちらを。」
そういって職員は、「それ」を差し出してくる。差し出されたものには何となく見覚えがあった。
「先日、安置所で残されていたキノコです。まずはこちらの調査結果からお話しする必要があります。」
「キノコの調査、ですかー?」
歯車が早速噛み合わなくなってくる。昨晩の行動が初手だろうと考えていた。
最悪のケースとしてあの「顔」についての聴取が来るだろう想定もしていたけれど。
「といっても、詳しい事はまだ全ては。ただ、特性について判明した事があります。」
「特性、ですか。」
なぜ今そんな話をするのだろう。私の疑問はより深くなっていく。
「ええ。昨晩の事件にも関係するのですが、毒性がある事が判明しています。意識を失う類です。」
噛み合わない歯車から、次々と想定を外れた話が出てくる。軌道修正を試みるにも、言葉がうまく出てこない。
キノコ。このキノコは確か、遺体から出てきたものだ。虫たちの食べ残しである。
思わぬ遠い所から私を事件の網に捉えようというのだろうか。
「食害があった、という事ですかー?虫達も食べませんでしたが、処理した遺体の死因に関係が?」
キノコは食べ物だ。極めて毒性の強いキノコであったという線で考えるの打倒だろう。
「それほど強い毒性があるとは、初見では。小動物を用いた反応もまだ健在化していません。」
「食べる以外の、なにかですねー?」
キノコの毒性。私のいた世界で、そういった話は雑学の類として知らないわけではない。
けれど、それが何かと言われて列挙できるほどの知識は持ってきていない。ネットがあれば早速調べてみたいところだけれど、今の環境はネットワーク範囲外でアドレスが存在しない。
「判明したのは昨晩の事件です。とある酒樽から、このキノコが数本発見されました。」
ああ。わかった。化学変化だ。アルコールに触れると毒性を持つキノコや、逆に浸すことで毒性が薄まるキノコの話は、情報として見たことがある。何かの雑学動画だったろうか。
「どこからか運ばれたこのキノコ入りの酒樽が、露天で振る舞い酒として提供されました。最初は悪酔い、接種後ややあって酩酊、そのまま意識混濁。まずはここまでの症状が起こります。」
「導師様。このキノコを他で見たことは?」
ある訳がない。知ったのは、この職員と同じ時、同じ場所で、あの自然の一部になりかけた腐食死体が最初だ。少なくとも私は知らない。
なので首を横に振る。これで知らないことが伝わるはずだ。そう、信じたい。
「やはりご存じありませんか。虫たちは何らかの毒性に気付いて食べないのだと思ったのですが。」
「私もこの職業について日が浅いもので、そういった知識は浅いほうでしてー。」
もし仮に、仮に本来この役職にあった行方不明中のバグマスターがいたならば、知っている事もあったかもしれない。
だが、それは恐らく叶わないだろう。そう、このキノコを何者かが事件に使ったというならば、その可能性は増す。
「導師様。昨晩はどうされていましたか?」
いよいよ、本題が開始される。さあ考えろ、イザワウメコ。




