事件の渦中のリアリスト
お祭りの雰囲気は、その瞬間、恐怖に塗り替えられてしまった。
あちこちで騒ぎが起こりだす。叫び声も上がっている。
何が起こっているのか、わからないまま混乱していく人々。
間一髪だった。私は、その騒ぎの中に巻き込まれる事無く、逃げ出すことに成功していた。
怖気が走る。あんな中に居たら、私はきっと発狂してしまう。
それだけの騒ぎが起こっていた。
紙袋から、ケバブもどきを取り出す。大丈夫。買い集めた屋台の品々は無事回収できていた。
幸いだった。
「こうなりそうな予感、してしまったのですよねー。」
冷めて少し硬くなった煮こみ肉だけれど、屋台らしく元が煮込みすぎ柔らかすぎた。
芋粉のパンに染みた煮込み汁と、挟み込まれたしなしなの葉野菜が、屋台先の味とは違う趣を出している。
アレはゾンビ?ううん、違う。
あの顔は死んだ人の顔であったけれど、あの顔は死んだ人間の顔ではなかった。
言うならば、双子。同じ顔を持った別人。でもそれはおかしい話だ。
私は覚えている。聞きたくない話だけど耳に入ったのだから思い出せる。
『状態があまりにも酷いので恨み辛みの怨恨の果てかと。身寄りもなく、職場から追う事もできず、こちらで対応を。』
誰かに殺されて、身寄りもいない。
職場でも把握していない双子の誰か、なんている方が不穏だ。
数か所の刺し傷。ただ鋭利な刃物とは異なる、杭のようなもので打たれた傷。
左右に綺麗に打ち込まれ、4か所ずつ、計8か所。おびただしく出血したものと思われる。
弊社社員に処理させた男が、苦痛と、死んだことを忘れて現れる。
そんなことはあり得ない。だって死体すら存在しないのだ。だからあれは別人。
誰かが、また誰か別の人の顔を使う。それは知られたくない事をする時。
どういう理屈か知らないけれど、大方、殺して顔を奪ったのだ。それが事故か、狙ってかは知らないけれど。
だから、何か事件が起こるだろうとはすぐに分かった。私は結構リアリストなのだ。
そして案の定、今、大通りから声が上がっている。
私はそれを少し離れた空き屋敷の塀の上から聞いている。
この家は少し前から目を付けていた。
閑静な富裕層の外れ、人の足も少なくなる辺り。屋敷も荒れて、しばらく放置されているみたいである。張り紙で買い手を探されていた場所だが、とても人に買われそうな荒れ具合ではない。
叫び声をあげて、幾人も大通りから走って逃げてくる人が私の前を通り過ぎていく。
富裕層の方へ向かっていくのだろうか。
きっと夜祭の陽気に誘われて遊びに出かけていたのだろう。それを串焼きを頬張りながら、私は見ている。声も悲鳴に変わりつつある。
「明日、庁舎にあまり近寄りたくないですねー。」
予想される事件。少なくない遺体。
この祭りを楽しみに今日まで仕事に励んできたような人が、きっと何人も横たわっている。
それを見るのも、虫に処理させるのも、気持ちのいいものではない。
お祭りは楽しくあってほしい。それが明日、明後日を生きる糧になってほしい。
決して、思い通りにならない日常なのだから、お祭りの日は報われるべきなのだ。
そしてまた、いつかやってくるお祭りの日を、楽しみにしながら日々に戻っていく。
この街にはきっと、この日が思い出したくなくなってしまった、そんな人が出てしまったはずだ。
そういう気持ちに触れるのは、そしてそれすらもなく、命を失ってしまった人に関わるのは、ちょっと気分が悪い。
串焼きを紙袋から取り出し頬張る。
冷めた肉に、塩が振られている。決して安くはないこの世界の塩。それは少なくともこの世界の海に遭遇していない以上、流通によって遠くから運ばれたか、岩塩を粉砕したものだろう。
屋台にはこのお祭りのために奮発して食材をそろえた人もいるだろう。
儲ける事ばかりではなく、喜んで楽しんでもらうため。だから普段見ない料理が並ぶ。
いつもより塩が振られる。屋台の店主も腕を振るう。たくさん作る。
私が危険を知らせたら、今もあの祭りの声は喜びにあふれていただろうか。
ううん。それは違うだろう。
きっと、種類の違う叫び声が上がっていただけだ。そしてそれは、私の身に降りかかる脅威として牙を向いていたのは間違いない。
怒り。邪魔された怒り。それが私に全て向かい、その光景を見て回りは恐怖を伝染させる。
私は死にたくない。助かりたい。救助を待っているのだ。この世界で死にたくない。
それはきっと、この世界に住む人たちが生きて、生きるために働いて、死を拒むのとまったく変わらない。
異世界に転移してしまったからといって、異世界のために身を犠牲にする英雄は、その異世界に生まれその異世界のために身を犠牲にする英雄となんら変わらない。
けれども私は英雄でもなければ、英雄が持つような力や義務も持ってはいない。下の上と中の下をふらふらとする、ただの人間なのだ。
巻き込まれただけの、遭難者が、世界を救うなんて責任は背負えない。
この世界に住む、命の危険から逃げていく人と同じように、目の前を走って逃げていく、この人たちと同じように。
突然起こった災害からは、逃げるしか手はない。逃げる事がごく普通で仕方がない事なのだ。
自分の身を襲う牙から逃げられないと思ったその時だけ、それは「必死」にもなるだろうけれど。
でもまだそれは、今この時の事じゃない。私はリアリストなのだ。明日も生きなければならない。
そのために、私は今、こうして耳を澄ませ、目を開いている。次の予兆を見逃さぬために。
明日の糧を頬張りながら。上がる悲鳴を聞きながら。




