社外交流企画室
俺はそれから、猫の背中で過ごすことにした。
こいつの見ているもの、感じるもの、一日の過ごし方。
なるべく多くの時間をこいつにバレない様に、息をひそめて、その背中から伺った。
腹を満たすために俺たち小さい生き物は、いつも必死に過ごしている。敵に怯え、獲物を探し、仲間を出し抜き、明日を生きるギリギリの命をつなぐ。
社長の下でそれから解放された事で、俺は、獲物として猫を見る必要がなくなった。
気づかれないためだけに意識を払いながら、俺は猫の頭から顔をのぞかせ世界を見る。
猫の背中というのは、その下を脈々と流れる体液のおかげか、常に熱を持っている。頭はそれでもそういった熱の少ない部類だが、とにかくよく動き、とにかく落ち着かない。
俺たちのように小さい生き物の移動と異なり、とにかく速く、とにかく落ち着かない。
しばらくそれを考えていたが、やがて俺にもそれがわかってくる。
大きさが違うだけで、こいつら猫も、生きるために日々獲物を探し、仲間を出し抜き、明日を生きているのだ。
むしろの生活はより難しいものなのかもしれない。大きいという事はそういう事なのだ。
とにかく、食う。俺たちが生きるのに必要な量などでは、全く腹を満たさない。
俺たちみたいな小さきものを捕らえた所で、生きるためには追い付かないのだ。
生きた獲物をとにかく襲う。自分よりも小さく、腹を満たせるだけの大きさを選んで、迷わず襲い掛かる。
鳥の子を襲い、トカゲや蛙を食らう。水を見かければ匂いを嗅ぎ、口に運ぶ。
じっくりと見ている間に、俺はこいつが獲物を見つけては一緒に息をのみ、飯にありつくことを喜び、空腹を感じさせれば同じ様に獲物を探し辺りを見回すようになった。
社長に呼ばれ、仕事と飯を得る。
それを終えたら、こいつを探して飛び乗って、共に過ごす。
そう、そこで俺は気付く。フユミは時折、鳥を見ていたことを思い出す。
アイツはこうやって、「鳥の気持ち」を思い描いていたのかもしれない。
今の体になって、真っ先に自分と鳥を比べたのかもしれない。そしてまた、今の俺の様に「鳥の気持ち」になって、同じ生活でそれを感じたのかもしれない。
アイツは、それを俺たちに表現できず、ちゃんと意識もしていないんだろう。直感的にそれをやっちまっていたんだ。
猫が獲物を見つける。俺はそれを見守った。頑張れ!声に出さず心で静かに声援を送る。
目の前にいるのは小さい鳥だった。これを食えれば、今日生きるのに十分な大きさだろう。
物静かに人の岩山を登り、その頂から、鳥を狙う。
必勝の構えだ。ここから上手く狙えば、まず一撃だ。
獲物の近くに別の鳥が飛び込んでくる。今少し大きな鳥だ。親か兄弟か。
囁くように寄り添うと鳥はそろってこちらを見る。
気づかれたのだ!どこかでこいつが狙っているのを見つけてそれを知らせたのだ。
不意打ちは失敗だ!だがもう行くしかない!行け!俺は心で叫ぶ。猫の毛を掴む足も力む。
これを逃せば機会は先になる。あんなに手ごろな鳥は、今日はもう見つけられないだろう。覚悟の決め時だ。
山の足場を蹴り上げ、猫が宙を飛び出す。鳥は今にも羽を広げ飛び立たんとしている。
間に合え!間に合え!
「間に合え!」
俺は我を忘れて声を上げる。上げてしまった。
風が吹く。猫の背中を押すように。風が駆け抜ける。鳥は一瞬、上げた足を崩す。掴もうとした風に逆に羽を押されて、体勢を崩す。その一瞬を、猫はその前足で羽ごと抑え込む。
口が鳥の体をひと掻きし、真っ赤な汁が宙に噴き上げる。
仕留めた!仕留めたのだ!
だがそこで猫は我に返る。仕留めた鳥を口に運ぶ前に、キョロキョロと頭を振る。
俺は一瞬で気が付く。声だ。俺の声だ。
気づかれまい、気づかれまいと息をひそめていたのを忘れて、俺は声を口に出していた。
それに気づいたのだろう。だが、それも数瞬のこと。
目の前に獲物に再び口を付けると、それを咥えあげる。これを安全な所へ運び、それから貪るのだ。
「美味い。」
ん?俺は口をついて出た言葉に違和感を覚える。美味い、と言ったのだろうか。
捕らえた獲物を貪る猫を、俺は眺めている。頭の上から眺めているだけだ。だが自然とそれが声を突いて出た。俺の頭に感情がこみあげ、噴き出す。
美味い。美味いのだ。達成した喜び、安堵の落ち着き、自分の仕事に対する自信。やがてそこから腹を満たす充足が襲ってくる。それらをひっくるめて、「こいつ」が美味い。
生々しく、骨を噛み砕く感覚も、体が満たされて震える感覚も、理屈を飛び越して、俺の頭に送り込まれてくる。全身全霊で美味い。
ああ、そうか。俺はコイツになっているんだ。
安心が込み上げる。そうだ。あの風、鳥の一瞬をひるませた、決め手になった一発逆転の風。
あの風を起こしたのは俺自身だ。
もっと言えば、あの時、足を踏み込み、飛び掛かったのも、俺自身だ。
俺が、コイツを食ってるんだ。
小さい体の方の俺が、その腹にドクドク震えるキノコを感じる。これだ。これと同じ感覚だ。
俺はキノコの気持ちにたどり着き、キノコになっている。
鳥を食う、その猫を、俺は意のままに動かしている。




