弊社従業員たちとの業務
事の発端は、まぁそんなに珍しいことではないのかもしれない。
少なくとも私が住んでいた世界では。
異世界転移。事例こそは少ないけれど、その話は実例として観測されていた。
世界初、実用化に成功した量子コンピュータ「ツクヨミ」。
日本のどこかの頭のおかしい人が、何かを観測したくて作り上げた、過程の産物、らしい。
目的に向かって一直線のその人が、必要だからと産み落としたそれに世界の人々は驚きと疑いを持って飛びついた。
よくわからないけれど、たった数年でそれまでのあらゆる観測のタガを外してしまったらしい。
私がぎりぎり小学生の時に現れたそれは、並行世界があるという観測と、そこへ「何らかの事象によって」巻き込まれた、「元・地球人」を大量にはじき出した。
その中には死んだことになっている人もいれば、何年も行方不明となっている人もいた。
本当かウソか知らないが、そこに存在しているのに「異世界にも居る」事になっている人もいたらしい。
さぁどうしたものかと世界が騒ぎ始めたころに、ようやく量子コンピュータの使用方法を理解し始めた科学者たちが世界の諸問題を、楽しくて仕方がないとばかりに解き明かし、毎年「世界が変わる発表」を続けている。
最初にそれを作った、頭のおかしい誰それは、そんなことには全く興味を示さずに何かをしているようだけれど。
私がここに飛ばされてくる一年前。
私が高校を卒業したばかりのその年に、観測された異世界から初めての生還者がやってきて、異世界交信事業と、異世界帰還事業を立ち上げるとかどうとか。
そんな話が、SNS通信を連日賑わせていた。
私がここにやってくる直前、その事業の開始と、救出者第一号がニュース動画配信を賑わせていたのをよく覚えている。
別に私は、何か特別な一生を送っていた訳ではない。
大学受験に落ちて、人生の安全レールの切り替え機を間違ってしまった所で、可も不可もない、下の上辺りの低空飛行ルートへと向かい始めた所だった。
そこに大きな不満もなかったし、絶望も悲観もなかった。
中の上ぐらいへの道は、大学受験に再度挑めばまだ望めたし、下の上で満足するくらいの価値観しか持ちえなかった私は、まだ人生は長いと、能天気に将来を考えていた所だった。
何のことはない。何をしたわけもでもない。
ある日突然、足元にぽっかり穴が開いて、マンホールから落ちるようにこの世界に落ちてきた。
キュッ、ポンッ、ドサッ!それでおしまい。コンビニから家への帰り道を歩いていただけだ。
それから三年。うん、まぁ、残念なことに、三年経ってしまった。
この世界に慣れるのに半年、識字してまともに生きるのに半年。
水で体を拭く生活から、お風呂に入ってあまりの温かさに泣くのにそこから一年。
なけなしの魔法の才能を拾い上げて、バグマスターという職業にありつくまで一年。
それで3年だ。あっという間だった。
救助はまだかな?そう思っていたのはいつまでだっただろうか。
本当に救助があるのか、その手法はあるのか、どうやって救助されるのか。
そういうことは、もう量子の海に沈めておいていいだろう。
そういうわけでも、いつかは帰るんだから、財産はいらないし、地位も名誉もいらない。
この世界より、私はあの、ありふれた機械文明でどうしようもない自堕落で静かな生活を送りたいのだ。
中の下と、下の上を、どちらか判断に困るぐらいのふらふらした感じに「生まれた世界」で過ごしたい。そう思って、今日も一日、依頼を受けて、それをこなしている。
けれども、夢ではない現実が、それを許してくれない。
ガサゴソガサゴソガサゴソガサゴソガサゴソガサゴソガサゴソガサゴソガサゴソ
ガサゴソガサゴソカサカサカサカサカサカササササササ
音が変わってくるのに気づいて、私は現実に意識を引き戻す。
どうやら、白骨に至ったらしい。ざっと一五分といった所。大分早くなってきた。
死体に群がっていた虫たちは、過食不可になった連中から辺りに散っていく。
散っていくとはいっても、どっかこの周辺にいるんだ。それは分かっている。
何せ私は、「虫の主」として、もうかれこれ数週間。嫌な事だが、あれが「部下」なのだ。
最初は、私のつたない虫魔法に呼び寄せられた、野良の虫たちだったはずだ。
それが二回、三回と続くにしたがって、やってくるのも早くなったし、大きくもなっている。
ああ、虫の主人になったのだ。ちょっとした会社の主になった気分も、ないといえば嘘になる。
だからと言って、名前を付けて可愛がるようなことをするつもりもない。
その辺りはドライな付き合いを続けていきたいと思っている。寝床にまでついてこないでほしい。
ともあれ、腐乱死体から白骨死体、そして白骨死体から証拠隠滅完全犯罪へと、経緯が進むにしたがって、この仕事も終わりが見えてくる。
この仕事は実は地域差があって、ボロい商売の地方もあれば、忙しさに精神を病む地方もある。
生活水準が高い都会ほど過酷な労働環境らしく、地方で生活水準が下がるほど楽になる。
それは、都会ほどそこに職を求めて集まってくる貧困層がスラムを形成し、死体の山を作るからであり、生活水準の許容値を間違えさえしなければ、楽な地方に行った方が、美味しいという裏話がある。
私がいるここは、下の上、といった感じの程々に田舎の中心都市だ。
並行世界レイゲン。と、いうか、この世界の人がこの大地のことを「レイゲン」と呼んでいる。
並行世界レイゲンの、地方都市アンジュ。
大都市と呼ばれる世界の中心から乗り合い馬車で二か月ほど揺られて辿り着けるこの場所が、今の私の職場であり居住地である。
「終わったのか?」
完全犯罪が間もなく完了する、その寸前に、青白い吐息を吐き出すような弱々しい声が私の耳にかろうじて届く。
「え、あはい。もうすぐですよー。」
役人だ。そう、これは仕事で、ちゃんとした行政の依頼だ。
それほど時間がかからないとはいえ、役所に就業を届け出て、職員の同伴を得て行われる。
でなければ私はそれこそ、完全犯罪を証拠隠滅で補助する、犯罪者の一味だ。
「よくまぁ、うっぷ、死体にバグ、平気でいられるな、うっぷ」
嗚咽したい気持ちはよくわかる。
「もう慣れましたから。平気ではないですけどねー。そのうち慣れますよ。」
そう慣れたのだ。少なくとも死体には慣れた。この世界の三年は、未開の地の三年だ。
弊社従業員の虫の皆さんに慣れたかといえば、それはまだ少し嫌悪感が残されているが、「ごみ集積場の特定分別ごみ」に嫌悪感があるかといえば、それはもう慣れしかない。
遺族もない、看取ってくれる人も、死後を任せる人もいない。そういう遺体は、「産業廃棄物」という扱い、が普通の世界である。
その事実は、比較的早くに覚え、慣れなければならない事だった。
「お役人さんには縁がないことかもしれませんけど、大都市のスラムとか、凄いですよ。」
「つくづく、アンジュに生まれてよかったと、今聞いて再認識したよ。」
役人は、真っ青な顔を浮かべている。気づかない所で、嘔吐の一つでもしてきたのかも知れない。
「はい、終わりです。お疲れ様でした~。」
手を打ち叩いて遺体の消去を成し遂げたことを告げると残って白骨の粉をかじっていた最後の弊社従業員たちも、いずこかへと散っていった。
後は役所に戻って、報酬をもらうだけだ。
「お疲れ様でした。私はここで。後日、庁舎窓口へ報酬を受け取りにいらしてください。明日の昼には準備できているかと。」
そこで役人と別れ、私はそそくさと現場を引き上げることにした。
役人も大変である。この後、単に報告書を書くだけでなく、
現場の魔素残留反応の調査や、簡易の判別魔法による遺体のアンデット化有無を調べなければならない。
私に仕事が来た段階で、死因の推定や、周囲への汚染の有無の調査は終わっているはずだが、人が死ぬのにはそれなりの理由や背景がある訳で。
遺族や看取るもののない遺体は、その役割を役人が行わなければならない。
勿論、日々発見される遺体は、この地方都市でも少なくはないだろうため、専属の職員が複数人配置されている事だろう。
「異世界も大変、ですねー。」
私にとっては他人事だ。生業として携わっている仕事だとはいえ、私は異邦人だし、いずれはこの世界から旅立つ身だ。
勇者や英雄、そうでなければスローライフで骨をうずめる気ならば、致死率を下げるだの、公的補助の仕組みを作るだの考えるのだろうが。
少なくとも私にそのつもりもなければ、その予定も義務もない。
私は、ある程度の水準を維持した生活ができれば、それでいいのだ。