ただ生きていくために
「・・・私がそんな事、わかるわけ無いでしょう。」
彼女の視線は、明らかにその意思を欠き、睨みつけていたその瞳が確かに泳ぐ。
それを私は知っている。今さきほど、私がそうしたばかりなのだ。直ぐに気がつく。
「蟲食と呼ばれる処置で、入墓できない者や無縁の死者を弔う手法があります。それを行うには技能者が必要です。バグマスターと呼ばれる下法の能力です。我々も人手の問題からそれを許容もしています。しかし、その手法で、全ての死者を弔うなど現実的では有りません。バグマスターの技能者もそれほど多く居る訳ではないのです。」
言葉をかけながら、その彼女の瞳を追う。そこにもう、先程までの敵意も、忌避感もない。
そこにあるのは、弱さだ。
「そんな事を私に話して、何だというのですか?」
「驚かないのですね。蟲食については一般的な事柄ではないですから、存じ上げる方は少ないのです。火葬や、無処置での土葬という例もありますからね。ですが、この街では死者を火葬している様な煙も上がっていませんし、無処置での土葬に依る事故も起こっていない様です。」
答えを突きつけるのなら、ここしかない。だが、それでも、もしそれが誤りだったとするなら。
躊躇。言葉が詰まる。
その一瞬に、自分を支配していた汚らしい虚栄心が露見し、外気に晒される。
もし私の追求が、何か決定的な見落としを持っていたとするなら。
彼女がそうである、という事と、今の状況が、直接的な関係を持っていないとしたなら。
もし私の追求が、単に、言葉の暴力的に彼女を追い詰めただけとするなら。
今、目の前で、まるで怯えるように、瞳を泳がせ始めた彼女こそが、本来の姿なのだとしたら。
それは、誰の何のための追求なのか。
「貴方は、バグマスターとして役所の庁舎に出入りしていらっしゃるのではないですか?」
躊躇が、言葉を濁す。自分でも判るくらいに、語彙が弱くなる。
何をやっているんだ。
それに気づけばこそ、それまでの自分の行動が、取り返しがつかない事にも気がつく。
こんな事をして何になる。そうまでして彼女に詰め寄って、教会の立場が良くなるわけでもない。
彼女を排すれば、結果はすべて変わるというのだろうか。
教会すらも、バグマスター、下法に依る蟲喰の存在を、否定して居ない、廃しても居ない。
では、彼女を追い詰め、追い落とし、廃したい気持ちに駆られていた、今の感情は何だ。
自分の醜い願望だ。
ただ修道士として生きているだけで、信頼と尊敬を得続けていたいという、欲望だ。
家族を失い、孤児院で育って、ここまで至ったという、その結果を、見せびらかしているだけだ。
「この街では何が起こっているのです?私は、ただそれが知りたいのです。」
驚くほどに、力のない言葉が、感情の渦を抜けて、隙をついて漏れ出る。
その自身の発した言葉に、自らこそが納得をし、自らこそを諌める。
自らに謂れのない、拒絶や、敵視。それを感じてしまったからこそ、私はそれをただ、否定したかったのだ。
ただ、それに気づいてすら尚、それは自身の願望であり身勝手な欲である。
強い雨が、尚も番傘を打ち、水たまりに無数の波紋を作っている。
互いに言葉を発しない、そんな時間が過ぎていく。
「それを知って、どうしたいというのですか?お役所から仕事が欲しいと?」
彼女の発した言葉は、彼女の向けた視線は、まるで怯えているかのようだった。
「確かに私は、この街で亡骸の処理を承っています。しかしそれは、それが私の仕事であり、住処を得て、食事をし、温かい寝床で眠るためです。この街の住人の誰とも変わりません。それだけでしかなく、それ以上でも、以下でもない。この街でただ生きるための手段でしか有りません。」
そして、まるで今にも泣き出しそうなその瞳で、私に言葉を叩きつけてくる。
これが、私のしたかったことなのだろうか。
彼女から得たかった言葉は、彼女が発するだろうと思っていた言葉は、こんな事だったろうか。
彼女の言葉に、自分が強く動揺するのが判る。
そして、思い出す。あの時、私は見ていた、知っていたのだという事を。
山崩れの翌朝、あの土や岩の流れ込んで塞き止められ、泥水の漏れ出す河原の側で。
あの雨の中、彼女の、思い詰め、今にも消え去りそうなそんな姿を。
『ごめんなさい。』
あの夕暮れの庁舎ですれ違った際に、彼女は誰に向けて言葉を発したのか。
『本当に、お優しい方。』
あの人が、納得するように発したその言葉が、誰に向けられたものだったのか。
「災害を見ていられず、手を差し伸べたいならば、役所を尋ねるのが良いでしょう。遺体処理の依頼を受け、埋葬と墓地管理の手数料を得たいのならば、住民にそう説き、利点を主張すればいいでしょう。私をここで雨の中、呼び止めて、埒のあかない追求をし、ただ雨に濡れる事での不快感を与え続けたいのでなければ、これ以上の話は無駄でしょう。」
そう。彼女は知らない、わからないと言っているのだ。
『私がそんな事の理由を知るはずがないでしょう。私に尋ねるより、役所で聞いて下さい。』
聞いていたようで、耳に届いていなかった。
彼女への追求にしか、私の心は向いていなかった。
彼女の瞳に、今度こそ、強い嫌悪感と、敵意、怒気が交じる。
もう何もかも遅かった。それに気づくのが遅すぎた。
にゃあ。
彼女への謝罪を述べようと、口を開きかけたそれを遮るように、それが割って入る。




