誰がための奉仕、誰がための慈愛
買い入れた品を、腰元の小物入れに大事そうにしまい込んだ、その彼女と確かに目が合う。
彼女が足を留め、そして私を、確かに睨む。
そのまま、再び足を踏み出し、近づいてくるはずなのにまるで掻き消えるように、彼女は環境に溶け込んで見えなくなっていく。
「お待ちなさい。」
認識阻害だ。そう意識する前に、私の声は突いて出て、確かにそこに居るはずの彼女を呼び止める。
「何故そのように身を隠すような素振りをするのです?」
続けて言葉が突いて出る。彼女は、確かに私を避けている。だがそれは、思い起こせば、私が声をかけてからではなく、彼女から声をかけてきた、最初の時からであった。
彼女は、この街の、教会への忌避感や敵視と、明確に意識を同じくしている。
それは何故。自分の中ではその答えはもう、口元の直ぐそこまで出かかっている。
彼女の認識阻害が、明らかに弱くなる。目でただ、彼女の背を追うだけであれば、まだ見失ってしまうかもしれない。
振り返り、消え去りそうなその姿の足元を確かに凝視する。
水たまりの上で、水が跳ねる。
その水を追って、私も足を進める。
「役所の庁舎でもすれ違いましたね?今思い出しました。」
昨日だけじゃない。あの山崩れが起こり、青年と共に駆け込んだ役所の敷地でも、彼女はそうして。
『ごめんなさい。』
そう、彼女はそうしながらも、確かにそう言ったのだ。今なら判る。それは確かに彼女の声だった。
「この街では、良くない事が続けて起こっている。そう聞き及んでいます。貴方は一体何者です?この街で何をしているのですか?」
声をかけながら、その足跡を追う。これは確認だ。私の頭の中で思い至った、彼女の正体へ対しての、彼女に問う、答え合わせだ。
「なぜ、私を避けるのです?」
彼女の足跡が水たまりの上で留まる。慌てて、詰め寄りたい気持ちを抑え込んで、自身の足を止める。
「はぁ。」
それとほぼ同時にその声が耳に響く。その声色は、低い。
そして、彼女が、その場に姿を現す。
「私に何か?」
背を向けた彼女が振り返り、肩に添えていた番傘を持ち上げる。その目は、私を強く睨みつけている。
存在感ある、彼女の姿を初めて目で捉えれば、その背丈は思ったよりも低い。
外套の中に隠されたその表情も僅かに伺えるが、目元は深く沈んで、その目玉だけが、強い主張をしている。
「迷惑です。付きまとわないでください。」
視線が主張する敵意と、言葉が発する強い拒絶。
間違いない。
彼女は、この街の、導師様、だ。
この街全体を包み込む、教会への忌避感、敵意の、その源とも言える、強い意志を確かに感じる。
「貴方はなにか知っているのではないですか?この街で、起こっている事について。」
先任の司祭の事も、先に起こったと言われる忌まわしい事件も、彼女はその中心で見て、そしてこの街を教会から切り離した、その中心人物だ。
「知っていれば何だというのです?悲惨な事件や災害が立て続くことは少ないとはいえ、有り得る話でしょう。」
「この街では、驚くほどに教会への悪感情が育まれています。こんな事は他では見た事が有りません。」
彼女は何故、そこまで教会を憎むのか。この街をどうしてその様に導いたのか。
これは私の役目ではないかもしれない。だが、私はそれをどうしても知らねばならない。
「先の司祭様が、この街で起こった事件の首謀者だと聞いています。それが原因でしょう。」
彼女が追及を逃れる。だが、この機会を逃す事はできない。恐らくもう、彼女がこうして正面から私と言葉を交わす機会は巡ってこないだろう。
「その件は、既に弁明と謝罪が行われているはずです。教会が不要とまで育まれてしまった悪感情は、街にとっても不利益のはずです。」
嘘だ。そんな事実は知らない。けれども、だからこそ、この言葉に、彼女は必ず乗ってくる。これが、嘘であると、私の言葉に対して、明確に反証をしてくる。
恐らく、今この時分に至って、この街にとって、教会はもう必須の存在では無いのだ。
少しの間が空く。その無言の隙間に、彼女のその目の強い敵意が、何故か、少し和らいだ気がした。
「私がそんな事の理由を知るはずがないでしょう。私に尋ねるより、役所で聞いて下さい。」
彼女は、私の嘘に、反証をしてこなかった。
なぜだ。彼女は、教会を不要としていない、のか?
いや、彼女の反論の主眼がそこにないだけか。だとすれば、既に、教会は、事件を把握して状況を認識していて、この街の行政に対して行動を起こしている、という事になる、のだろうか。
おかしい。であれば、そうであるならば、何故私はそれを知らされず、御者はあの様な噂話を。
「被災者の救助こそお手伝いさせていただいていますが、役所は話も聞いてくれないのです。」
とっさに私の口から突いて出たのは、誰に向けてのものだったのか。
或いは、自身の胸中からの叫びだったのか。
「では何もわかることは有りませんね。私は無関係な、この街の一人の住民に過ぎません。」
違う。違う違う。彼女は、彼女は無関係なはずなど無い。そんな偶然が起こり続けるはずなど無い。
どこかに、見落としがある。ここで、今この場を逃しては私にはもう機会がない。
けれども私は、この機会を臨むに当たって、何か重大な見落としをしている、とでも言うのだろうか。
「この間の山崩れで亡くなられた方も沢山いたはずです。しかし、この街の役所からは亡骸の処置依頼もやって来ません。先の事件から、今この時点に至るまで、この街では死者をどう弔っているというのです?」
彼女が無関係でない、その証明を積み上げる。それしかない。
彼女は、彼女が、彼女こそが、この街の導師様であるならば。
もう一つの肩書を持っているはずだ。それを突きつけるしかない。




