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ウメコのテンプル 並行世界の風水導師  作者: うっさこ
陽の傍に影あり C
177/193

雨は、ただ降る

 避難場所となっていた庁舎を出たのはそれから間もなくのことだった。


 朝、この場にやってきた時、建物の片隅に立てていた傘は、倒れてそのまま置かれていた。


 司祭への報告の必要もある。情報の共有と意見の交換もし、今後の方針も立て、然るべき指示を受けねばならない。


 私は一介の修道士だ。自分の最良で出来る事など殆ど無い。

 そして、教会の修道士として、今日ここで、この場でできた事も、何も無い。


 庁舎に顔を出し、非常時の協力の申し出をしただけだ。

 そんな、司祭に指示された僅かな使いも、私には満足にできないまま、日が暮れて夜になった。



 雨はただ降っている。

 傘をさす気にはならなかった。ローブはもう下着まで濡れて肌に張り付いている。爪の中まで詰まった土や全身の泥汚れを、心に沈んだ慙悔と共に雨で洗い流してしまいたかった。


 夜道をどう歩いたか、疲れと無意識が混濁し、覚えがない。


 気がつけば、どれくらいの時間が経ったか、この夜の雨の中、行灯で照らされた屋台の並ぶ、あの通りに立っていた。



 そんな屋台の一つで、店主がその雨避けの屋根の下から、私の事を見るそんな視線に気がついて、全身に意識が立ち戻る。


 その屋台の椅子で、雨避けの屋根の下で、客がひとり座っている。


「私は客ではないよ。生憎、手持ちも今はない。」

 これ程の長い外出になるとはそもそも考えてすら居なかった。まして、教会にある持ち込みの資金を考えても、散在する余裕はない。


 店主は、その言葉を受けてか、それでも私を見続けている。

 手元で何かを動かすと、客の座っていないその場所に空の椀を置き、私に向かってあごと視線で何かを伝える。


 僅かに思い悩む。しかし、朝から何もんでいなかった、それを思い出す。


「お気持ちを、頂戴します。」

 聞こえぬだろう、それでも力なく呟き、礼を払って、濡れたローブに重い足を引きずって、その行灯の照らす雨避けの下に逃げ込む。


「何かをすれば、大体は誰かが見てるもんだ。それはきっと、どんな事でも、な。」

 屋台の対面には湯気の向こうで店主が立っている。

 私が椅子に座ると、店主は眼の前の空の椀に、湯気を立てる何かを注ぐ。


「雨が降ったって、屋台は出さなきゃ、俺達は食っていけねぇ。晴れで大入りの客が毎日続くって、そんな都合のいい話はないんだ。それと同じで、上手くいくことばっかりじゃねぇのさ。」

 恐らく、先に座っていた客と会話をしていたのだろう。店主は、話を続けている。


 けれど、その言葉は自分にも向けられたような気がして、同時にそうであって欲しかった。

 実際には、誰も見ていない事すらもある。

 良いことだと、自信を持って言える事をしていたとしても、良いことだと受け入れられない事もある。


 しかしそれらを総じて、上手くいくことばかりではない、とする。その言葉には共感があった。


「だからといって、誰かが腹を空かせてるから、お前も空腹でいろってのは違う。苦労をしているから、お前も苦労をしろというのも違う。相手の事情なんてのは、解らねぇもんだからよ。眼の前の事を、てめぇで出来ることで片付けていくしかねぇのさ。腹が減ったら飯を食うってな。」


 椀の中で汁は湯気を立てている。

 それを眺め、店主を見れば、再び店主はその顎で、私にそれを食べろと指し示す。


 それきり、店主は押し黙る。

 話しかけていただろう、その先客は、汁をすすっている。


 その仕草に習って、私もそれを口に運ぶ。塩味に、甘みと濃厚な香り。

 それは、今までの生活の中で食べたことのない、何か、であった。


 この街の人々が食べている、こういった食事。

 確かに、今、役所の庁舎には被災者として、こういった食事も得られない人が沢山いる。


 同じ様に食事を取らないでいるべきだと、こういった局面で、それを求める声は、教会でも時折上がる。

 しかしそれは誤りだ。誰かを助けるもの程、そのための活力をどこかで得なければならない。


 そこに誰かの商売があり、そこに誰かの利益が発生するかもしれない。

 それが、被災者にとって、自分たちと対比しての恨めしいものに映るかもしれない。


 相手への共感は確かに大事だ。それでも。

 それでも、人は生きていくべきなのだ。亡くなった人がいるのなら、その亡くなった人の分も。


 自分が何も食べない、やがて飢えて死ぬか、それとも腹を満たして生きていくのか。

 生者から死者になる事はできても、死者は生者に戻れない。都合によって行き来はできない。


 この食べ物の例であれば、同じく彼が言うように「上手くいくことばかりじゃない」事だ。


「美味しいです。」

 この汁だけではない。彼の言葉は、乾いた心に、思いの外、染みていく。

 暗い雨の夜に、この屋台街の行灯が映えるように、そしてこの汁が温かいように、心に僅かな光が灯った気がした。


「そうかい。」

 店主は表情も変えず、湯気の中で、そっけなく声に応えた。


 隣りに座っていた客が席を立つ。ふと目を寄せた時には、もう居なくなっていた。


 店主とどんな会話をしていたのだろうか。

 少しだけ気になったが、それは心の奥にしまっておく事にした。

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アマテラス干渉システム Chimena
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